潜伏
俺は物陰に身を潜めていた。
辺りは明るく、もはや太陽は真上に差しかかろうかという時間。
昼なお薄暗い物陰、そこに縮こまりながら息を殺す。
奴らに見つかるわけにはいかなかった。
見つかれば、命の保証はない。
…やつらは、それほどに恐ろしい存在だった。
何しろ、身体は巨大、大声で叫び、他に類を見ぬほど凶暴だ。
多くの仲間が、奴らの毒牙にかかって無念にも死んでいった。
そして今、俺はその危険にさらされている。
俺が敵地に潜入したのは、つい5日ばかり前だ。
夜の帳が降り、しんと静まり返る暗闇の中、俺は誰にも見つかる事なく無事侵入を果たした。
昼はこうして物陰に身を潜め、奴らの動向を見張る。
もっぱら、活動するのは安全な夜だった。
最初はうまくいっていたはずだった。
俺がしくじったのは、2日前。
油断したところを、奴らの一人に見つかってしまったのだ。
奴は大きな叫び声で仲間に俺の発見を報告し、途端辺りは騒がしくなった。
絶体絶命、とはああいう状態を指すのだろう。
奴らにたいして、俺はたった一人。
当然、敵うべくもない。
…俺は逃げた。
やみくもに、何処をどうなんて覚えてもいない。
ただ必至で、命からがら奴らの包囲網を抜け出して身を潜めた。
結果、こうして俺は今も生き長らえている。
俺は夜行動を起こし、昼はその大半を身を隠しつつ仮眠に使う。
いくら俺がこの過酷な状況の中を生き抜いている凄腕だとしても、睡魔には勝てないのだ。
そうして今も、俺は物陰に身を潜め、息を殺しつつ、仮眠を取っていた。
…が、この一瞬の油断がいけない。
突如として、俺の身体を明るい光が照らし出した。
何を思うより早く、俺は露わになった我が身を隠そうと駆ける。
奴らの大声が聞こえて、やがて気配が辺りを取り巻いた。
僅かな隙になんとか身を隠しながら、様子を伺う。
どうやら俺のさっき隠れていた場所は、奴らによって撤去されたらしい。
ついに俺の燻りだし作戦に出たというのだろうか。
俺は緊張に神経を張り巡らせながら辺りに注意を払う。
右手前方に、大きな影が見えた。
あそこなら、再び身を隠せるかもしれない。
じわり、そちらに向けて歩を進める。
「きゃー、いた!いたよ、そこ!!」
「え、どこっ。ああ、ホント、すっごいでっかい!うわっ、デカ!!」
「タオル取ったら後ろから出てきた!!隠れてた!」
「ちょっと、誰か、早く捕まえて!網、虫取り網は!」
「いやー、怖っ!なんでこんなに大きいの?!」
「網!…よし、捕まえるよ!」
「早く捕まえて外出しちゃってよー。こんなん居たら安心して何もできないよっ」
「ほれ、やっ!…うう、すばしっこい、コイツ」
「あああ、逃げる、逃げちゃう!」
「あ、あ、待てっ、この!…っぎゃあ、こっち跳んできたぁ!!」
「きゃああ!!!」
「うわあああ!!」
…。
……。
………。
………………。
……………………。
…どうやら、今回もなんとか乗り切ったようだ。
狙いを定めた物陰で、俺は一つ大きく息をついた。
奴らの大声はもうしない。
諦めたのか、しばらく辺りを徘徊していた気配も今はない。
しかし今回は危なかった。
もう少しで、俺までが奴らの毒牙にかかってしまうところだった。
俺は緊張に震える8本の足を順に解した。
…明日からはもう少し気を引き締めねばなるまい。
何しろ、ここは良い狩猟所なのだ。
ここに豊富に飯があるうちは、俺も引き下がるわけにはいかない。
さて、そうこうしている内に、奴らの気配もなくなったな。
そろそろ夜になるのか。
辺りに暗闇が落ちてくる。
静まり返った中、俺は隠れていた物陰からこっそりと這い出る。
奴らはもう引き上げたらしく、淡い蛍光灯だけが薄くあたりを照らしていた。
さて、今夜も頑張るか。
しっかり飯を食って、生きていくってのも大変なもんだ。
…実話です(涙)…「俺」が何か、もうお分かりでしょうか?足が8本、ぴょーんと跳んでくるもの。…それが手の平サイズなんですもの。あんなサイズは見た事ない!そう思って調べたら、いるんですねぇ、けっこうあちこちに。彼の名前は「アシダカグモ」。…ちなみに主食は例の黒いカサカサした奴です(笑)