第二王女④
◆
一時間後、各国首脳会議が再開された。
「つまり」
シュリンプが苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「テロリスト集団を連れて、惑星浄化ミッションに参加しろと」
「そういうことになりますな」
ダッジが疲れ切った声で答える。
「ウォルト・デ・モード以下、『深淵の魔術師』のメンバー九十八名。全員が王女殿下の『招待』を受け入れました」
「受け入れた、というか……」
ダッジは言葉を選びながら続けた。
「完全に心酔しています。いえ、心酔という言葉では生ぬるい。狂信と言った方が正確でしょう」
「狂信?」
「王女殿下に触れた瞬間から、彼らは人格が変わってしまいました。特にデ・モードは……」
ダッジは映像記録を会議室に投影した。
そこには恍惚とした表情で「殿下万歳」を連呼するデ・モードの姿があった。かつての陰鬱な狂信者の面影はどこにもない。代わりに、まるで薬物中毒者のような虚ろな目と、止まらない笑顔が映し出されている。
「殿下万歳! 殿下の栄光永遠なれ! 殿下の御名に栄えあれ!」
「……これは」
フルチンが眉をひそめた。
「洗脳か」
「分かりません。ただ、彼らは至高天への絶対的な帰依を示しています。王女殿下の命令であれば、何でも喜んでやるでしょう」
「一種の精神汚染ですな」
龍金平が重々しく言った。
「至高天の存在に触れることは人間の精神を根本から書き換えてしまう」
「書き換える、というか」
ダッジは首を振った。
「上書きする、と言った方が正確かもしれません。元の人格を消去して、新しい人格をインストールする。そんな感じです」
会議室に重苦しい沈黙が落ちた。
至高天の力は人間の肉体だけでなく、精神まで作り変えてしまう。その事実は首脳たちに改めて恐怖を植え付けた。彼らがその気になれば、地球人類全員を「殿下万歳」と叫ぶ狂信者に変えることも可能なのだ。
「問題は国内世論です」
鷹市が指摘する。
「テロリストを免責して国際任務に参加させる。市民の反発は避けられません」
「だが至高天の『招待』を断ることもできない」
マックローが溜息をついた。
「結局、我々に選択肢などないのさ。いつものことだ」
いつものこと。
そう、これはいつものことだ。至高天から何かを言われれば、地球人類は従うしかない。それが「暇?」という一言であっても、「テロリストを連れてきて」という無茶な要求であっても。
その言葉に誰も反論しなかった。
一週間後、地球文明圏連合艦隊が出発した。
艦隊の規模は念のためにと大幅に増強され、約二千万隻の編成となっている。今回は戦闘を前提としていないとはいえ、未知の宙域への遠征である。何が起きるか分からない。万全を期すのは当然のことだった。
アメリカ艦隊四百万隻。日本艦隊三百万隻。中国艦隊三百五十万隻。イギリス艦隊二百万隻。その他各国艦隊が七百五十万隻。合計二千万隻の大艦隊が、銀河の深淵へと向かう。
そしてその中に、一隻の特殊な船が含まれていた。
「収容船グリムホルド」。
元テロリスト九十八名を収容するための艦である。
「気分はどうだ」
シュリンプは艦内の居住区画を訪れ、デ・モードに声をかけた。
デ・モードは窓際に立ち、虚空を見つめていた。その顔には恍惚とした笑みが浮かんでいる。一週間経っても、彼の表情は変わらない。ずっと笑っている。ずっと恍惚としている。正直、見ていて気味が悪い。
「素晴らしい」
デ・モードは振り返った。その目は焦点が合っていない。
「すべてが素晴らしい。殿下のお導きにより、私は真理に到達しました。宇宙の深淵を覗き、永遠の叡智に触れたのです」
「……そうか」
シュリンプは一歩後ずさりした。デ・モードの様子は見れば見るほど不気味だ。
「殿下は私をお選びくださった」
デ・モードは両手を広げた。
「この取るに足らない存在を、殿下は御覧になり、お声をかけてくださった。これ以上の栄誉がありましょうか。私はもはや恐れるものなど何もない。死すら、殿下への捧げ物に過ぎないのですから」
「お前たちの仕事は惑星の浄化だ。分かっているな」
「もちろんです、大統領閣下」
デ・モードは深々と頭を下げた。だがその顔には相変わらず恍惚とした笑みが浮かんでいる。
「殿下のためならば、どんな命令にも従います。火の中にも水の中にも飛び込みます。自らの心臓を抉り出せと言われれば、喜んで抉り出します」
「そこまでは求めてない」
「しかし殿下がお望みならば」
「だから求めてないって言ってるだろう」
シュリンプは何も言わずに退室した。
廊下を歩きながら、彼は背筋に冷たいものを感じていた。あれは人間の姿をした何か別のものだ。至高天に触れた結果、人間としての何かが決定的に壊れてしまったのだろう。
「大統領閣下」
ダッジが追いついてきた。
「いかがでしたか」
「最悪だ」
シュリンプは低く唸った。
「あいつは完全にイカれてる。目が虚ろで、ずっと笑ってて、殿下殿下と連呼してる。正直、気持ち悪い」
「しかし使い物にはなるでしょう」
「そうか?」
「魔術の腕は確かです。いえ、むしろ以前より向上しているかもしれません。狂信的なまでの集中力が、術式の精度を高めているようです」
「狂信的、ね」
シュリンプは溜息をついた。
「まあいい。使えるなら使う。それだけだ。あいつらの精神状態なんて知ったことじゃない」
七日後、艦隊は目標の惑星に到着した。
「これは……」
艦橋に立つシュリンプは眼前の光景に絶句した。
惑星は灰色だった。本来は青と緑に覆われていたはずの表面が、どす黒い霧に覆われている。瘴気だ。上空から見ても、その異様さは一目瞭然である。まるで惑星全体が病気にかかっているようだ。
「生命反応は」
「検出されています」
センサー担当の士官が報告する。
「しかし非常に微弱です。惑星全体で、推定人口は三百万程度。そのうち健康な状態にある者は一割以下と思われます」
「ひどいな」
シュリンプは顔をしかめた。
「降下部隊を編成しろ。直接接触して状況を把握する」
数時間後、小型シャトルが惑星の地表に降り立った。
シュリンプ、ダッジ、そしてデ・モードを含む数名の魔術師たち。彼らは灰色の大地に足を踏み出した。
「殿下のお導きにより、我々はこの地に立っている」
デ・モードは恍惚とした表情で空を見上げた。
「なんと光栄なことでしょう。殿下の御意志を実現するため、この身を捧げられるなんて」
「黙れ」
シュリンプが鬱陶しそうに言った。
「仕事に集中しろ」
「もちろんです、大統領閣下」
デ・モードは深々と頭を下げた。だがその顔には相変わらず恍惚とした笑みが浮かんでいる。
「殿下のためならば、どんな命令にも従います。大統領閣下の命令は殿下の御意志の延長ですから」
「そういう解釈でいいのか……」
集落に近づくと、住民たちは恐怖と驚きが入り混じった表情で後ずさりした。
シュリンプは翻訳装置を起動し、住民たちに語りかけた。
「恐れることはない。我々はお前たちを助けに来た。この瘴気を払いに来たのだ」
住民たちの間にざわめきが広がった。
「祈り……」
老人の一人が前に進み出た。
「本当に……聞こえていたのか。我らの祈りが」
「聞こえていた。お前たちの苦しみを知った。この瘴気を払いに来た」
老人の目に涙が浮かぶ。彼は地面に膝をつき、周囲の住民たちも次々と跪いた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
その光景を、デ・モードは恍惚とした表情で見つめていた。
「殿下の慈悲だ」
彼は呟いた。
「殿下がこの者たちを憐れみ、我々を遣わしてくださった。なんと深い慈愛でしょう。なんと崇高な御意志でしょう。殿下万歳。殿下の栄光永遠なれ」
シュリンプは無視した。無視するしかなかった。
◆
作戦が始まった。
惑星の赤道上に、巨大な大気浄化プラントが次々と建設されていく。地球の技術力はこの手の土木工事を驚異的な速度で完了させることができる。わずか二週間で、百二十基のプラントが稼働を開始した。
プラントだけでは不十分だ。瘴気には魔術的な成分が含まれており、科学技術だけでは完全に分解できない。そこで魔術師チームの出番となる。だが、九十八名の魔術師で惑星全体を浄化するのは物理的に不可能だった。いくら優秀な魔術師でも、惑星規模の術式を展開する力はない。
「そこで、ハイブリッド方式を採用する」
作戦会議でダッジが説明した。
「浄化プラントが大気中の瘴気を物理的に収集し、濃縮する。魔術師たちはその濃縮された瘴気を魔術的に分解・無害化する。科学と魔術の分業体制だ」
「なるほど」
シュリンプは頷いた。
「プラントが漁師の網なら、魔術師は魚を捌く料理人というわけか」
「的確な例えですな」
デ・モードは恍惚とした表情で口を挟んだ。
「殿下の御意志により、科学と魔術が融合する。なんと美しい調和でしょう。私はかつて科学を否定していましたが、今は理解しました。すべては殿下の御手の中にあるのです。科学も魔術も、殿下の道具に過ぎないのです」
「お前、言ってること百八十度変わってるぞ」
シュリンプが呆れた声を出した。
「テロリストだった頃は科学を全否定してたじゃないか」
「あれは愚かな過去の私です」
デ・モードは微笑んだ。狂気的な、しかしどこか穏やかな笑みだった。
「殿下に触れて、私は生まれ変わりました。今の私にとって、科学も魔術も等しく殿下への奉仕の手段です。殿下が科学を使えとおっしゃれば使います。魔術を使えとおっしゃれば使います。何でも従います」
「……まあ、使えるならいいか」
シュリンプは深い溜息をついた。
惑星の各地に「浄化ステーション」が設置された。
各ステーションには大気浄化プラントと、五名から十名程度の魔術師チームが配置される。プラントが瘴気を収集・濃縮し、魔術師がそれを分解する。この作業を惑星全域で同時に行うのだ。
デ・モードは最大のステーションを任された。彼の下には二十名の魔術師が配置され、大陸中央部の浄化を担当する。
「殿下のために」
デ・モードは毎朝、作業開始前に祈りを捧げていた。
「今日も我々に力をお与えください。殿下の御意志を実現するため、この身を捧げます。殿下万歳。殿下の栄光永遠なれ」
「殿下万歳!」
部下の魔術師たちが唱和する。彼らもまた、デ・モードと同様に至高天に「触れて」しまった者たちだ。全員が虚ろな目をしており、全員が止まらない笑みを浮かべている。
傍から見ると、完全にカルト教団の集会だった。
「大臣、あれは大丈夫なんでしょうか」
英国魔術省から派遣された監視員が不安げな声でダッジに報告した。
「毎朝あんな調子です。『殿下万歳』を百回くらい唱えてから作業を始めるんです。正直、気味が悪いです」
「作業効率は」
「それが……異常に高いんです」
監視員は首を傾げた。
「普通の魔術師の三倍は働いています。休憩も取らない。食事も最小限。睡眠も三時間程度。それでいて術式の精度は落ちない。むしろ向上している」
「狂信の力、というやつか」
ダッジは苦い表情で呟いた。
「彼らにとって、これは労働ではない。礼拝なんだ。殿下への奉仕という名の礼拝。だから疲れを感じない。むしろ、働けば働くほど恍惚とする」
「それは……健全なんでしょうか」
「健全かどうかは知らん。だが効率的なのは確かだ」
一か月が経過した。
惑星の大気は目に見えて改善されていた。黒い霧は薄れ、所々に青空が顔を覗かせるようになっている。住民たちの健康状態も回復し始めており、集落からは久しぶりに子供たちの笑い声が聞こえるようになった。
そしてこの頃から、一つの計画が本格的に動き始めていた。
「魔術師たちの恒久的な拠点を建設する」
シュリンプは会議室で宣言した。
「『深淵の魔術師』のメンバーはこの惑星に残る」
ダッジが頷く。
「彼らも強く希望しています。殿下のご命令であれば、と」
「まあ、地球に連れ帰っても困るしな」
シュリンプは溜息をついた。
「あの連中が地球にいたら、『殿下万歳教』みたいな宗教を立ち上げかねない。社会不安の種になる」
「おっしゃる通りです」
計画は迅速に進められた。
惑星の中央大陸、小高い丘の上に、巨大なドーム状の建造物が建設されていく。地球の技術で作られた骨格に、現地の石材と魔術的な強化を組み合わせた外壁。内部には居住区画、研究施設、図書館、そして大規模な魔術訓練場が設けられている。
「殿下……殿下……」
デ・モードは完成したドームの中央に立ち、天を仰いでいた。
「ここに、殿下の御名を讃える聖地を築きます。永遠に、殿下の栄光を称える場所を。殿下万歳。殿下の栄光永遠なれ」
彼の目には涙が浮かんでいる。狂気的な歓喜の涙だ。
二か月目に入ると、浄化作業は佳境を迎えた。
大気中の瘴気濃度は当初の三十パーセントまで低下し、惑星の生態系が回復の兆しを見せ始めている。枯れていた森に新芽が芽吹き、干上がっていた川に水が戻り始めた。
ドームの建設も完了し、「深淵の魔術師」のメンバーたちは新しい生活に馴染み始めていた。現地の住民たちとの交流も始まり、特に若い魔術師たちは現地の子供たちに魔術の基礎を教え始めている。
もっとも、彼らの教え方は独特だった。
「殿下に感謝せよ」
デ・モードは子供たちに説いていた。
「我々がここにいるのはすべて殿下のお導きだ。お前たちがこうして生きていられるのも、殿下の慈悲のおかげだ。殿下を讃えよ。殿下を崇めよ。殿下こそが宇宙の真理なのだ。殿下万歳と唱えよ。さあ、一緒に」
「でんか、ばんざい……?」
子供たちは首をかしげながらも、デ・モードの熱狂的な語り口に圧倒されて、素直に唱和した。
「そう、そうだ! 殿下万歳! 殿下の栄光永遠なれ!」
デ・モードは涙を流しながら喜んだ。
「素晴らしい……素晴らしい……新しい信徒が生まれた……殿下もお喜びになられるだろう……」
傍から見ていたダッジは頭を抱えた。
「これは……教育というより、布教ですな」
「まあ、害はないだろう」
シュリンプは肩をすくめた。
「存在しない神様を信じるよりはマシだ。あいつらの神様は少なくとも実在するからな」
「それはそうですが……」
三か月目。
惑星の浄化は予定通りに完了した。
「大気清浄化率、九十九・九七パーセントを達成」
報告を受けたシュリンプは深い息をついた。
「やったか」
「はい。残存する瘴気は自然に分解される程度にまで低減しました。この惑星の生態系は完全に回復するでしょう」
艦橋の至る所で歓声が上がる。三か月に及ぶ作業が、ついに実を結んだのだ。
「『深淵の魔術師』のメンバーは」
「全員がこの惑星に残留することを希望しています。ドームの運営も軌道に乗っており、現地住民との関係も……まあ、一応良好です」
「一応?」
「彼らは現地の人々に『殿下への帰依』を説いています。宗教的な指導者のような立場になりつつあります。現地の子供たちの間で『殿下万歳』が流行語になっているようです」
シュリンプは顔をしかめた。
「まあいい。この星のことはこの星に任せる。俺たちの仕事は終わりだ。あとは連中が勝手にやるだろう」
その日の夕方、地球艦隊は惑星を離れる準備を始めた。
住民たちは総出で見送りに来ていた。広場には何千もの人々が集まり、空に向かって手を振っている。丘の上のドームからはデ・モードたち魔術師たちも手を振っていた。
「殿下万歳! 殿下万歳!」
デ・モードの叫び声が響く。他の魔術師たちも唱和している。
「殿下の栄光永遠なれ! 殿下の御名に栄えあれ!」
そして驚くべきことに、現地の住民たちの一部も、見よう見まねで叫び始めていた。
「でんか、ばんざい! でんか、ばんざい!」
シュリンプは艦橋からその光景を見下ろしていた。
「狂信者の巣窟を一つ作っちまったな」
彼は呟いた。
「しかし」
ダッジが言った。
「彼らが現地の人々を助けているのは事実です。狂信的ではありますが、害を与えているわけではない」
「今のところはな」
シュリンプは溜息をついた。
「まあいい。あとは時間が解決するだろう。何百年か経てば、あの連中も死に絶えて、ただの伝説になる」
艦隊がワープ態勢に入る。
青い惑星が次第に小さくなり、やがて光の中に消えていった。
帰路のワープ航行は順調だった。
シュリンプは艦長室で作戦報告書を作成しながら、久しぶりに穏やかな気分を味わっていた。惑星の浄化は成功し、テロリストたちは更生……いや、狂信者化して新天地を得た。犠牲者は一人も出なかった。至高天の「お願い」としては悪くない結果だろう。
「さて、地球に帰ったら何をしようか」
彼は呟いた。
「まずはコロンビアの件を片付けて、それから……」
そのとき、艦橋から緊急通信が入った。




