幕間 その過保護、客観的に「手遅れ」判定 ★
王都の空に、勇者アーサーが描く美しい放物線が消えてから、数時間が経過したころ。
夕闇がせまる王城の一角、騎士団詰め所は、蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれていた。
「副団長! 見ましたか今の!? あの見事な放物線!」
バンッ、と勢いよく扉を開け放ち、興奮気味に駆け込んできたのは、正門の警備を担当していた若手騎士、カイルだ。
彼は窓の外、すでに星となって消えた勇者の軌跡を指さし、少年のように目を輝かせている。
「凄かったなぁ……。勇者アーサーともあろうお方が、まるで石弾みたいに空を舞いましたよ。さすがフレア団長、手心ってものを知らない!」
カイルは屈託のない笑顔で、心からの称賛を口にした。
山積みの書類仕事と格闘していた副団長のカレンは、羽ペンの手を止めて深いため息をついた。
眼鏡の奥の瞳には、隠しきれない疲労の色がにじんでいる。
士官学校時代からの腐れ縁である彼女は、天災級の上官の尻拭いを一手に引き受ける立場だった。
「……ええ、見ましたよカイル。詰め所の窓がビリビリ震えるほどの衝撃音もね」
「ですよね! いやー、あの勇者様を一撃で。やっぱり団長は人類最強だ!」
「感心してる場合ですか? あれ、外交問題ですよ? ……はぁ。胃が痛いです」
カレンはこめかみを指先で揉みほぐした。ズキズキとした頭痛が止まない。
彼女の苦労は今に始まったことではないが、ここ最近のフレアの暴走ぶりは、明らかに常軌を逸している。かつての冷静沈着な指揮官はどこへ行ったのか。
いや、指揮官としては相変わらず優秀なのだが、私生活――特に「あの子」が絡むと、あの美しい顔が途端にゆるみきる。
「でも、何があったんですか? 勇者様はただ、団長にお土産を渡そうとしただけに見えましたが」
「先ほどの伝令によれば、勇者様はお土産として『聖水』を差し出したそうです。それが地雷でした」
「悪霊退散の効果がある、ありがたい水ですよね?」
カイルが首を傾げる。
カレンは冷めた紅茶を一口すすり、遠い目をした。
「……フレアにとっては、あの子にとって『有害かどうか』が全てなんですよ」
カレンの脳裏に、フレアの屋敷に匿われている少女の姿が浮かぶ。
すべすべの肌、くりくりっとした瞳。守ってあげたくなるような愛らしさ。
だからこそ、あの子の近くにいると男たちがどうにかなってしまう。
あれは、直視すると理性が蒸発する類の可愛さだ。
「お嬢さんのことですか?」
「……気にしないでください。深く知ると、貴方のその無駄に明るい笑顔が曇ることになりますから」
カレンはあいまいに笑って、視線を逸らした。
「? よく分かりませんが、団長が今日も元気で僕は嬉しいです! あ、そうだ。差し入れのクッキー焼いてきたんで、団長が帰ってきたら渡して――」
「無駄ですよ。フレアは当分帰ってこられませんから」
「えっ」
カイルの手が止まる。
カレンは、積み上げられた始末書の山を指先でトントンと叩きながら、無慈悲な事実を宣告した。
「勇者パーティへの謝罪、教会への懺悔、破損した結界の弁償、そして国王陛下への始末書提出……。フルコースで三日は拘束されるでしょうけれど」
「三日も? 団長大変っすね……」
カレンは眉をひそめた。
三日間。あの子の世話は、誰がするのだろう。
「……そこが問題なんですよね」
カレンの声のトーンが、一段低くなった。
眼鏡の奥の瞳が、静かに曇る。
「あの子が一人で留守番なんて……フレアの発狂メーターが振り切れなきゃいいんですけれど」
「発狂メーター?」
「こっちの話です。……とりあえず、貴方は正門の修理手配をしておいてください。勇者が激突して凹みましたから」
「はいっ! 喜んで!」
カイルはビシッと敬礼し、嵐のように飛び出して行った。
後に残されたのは、静けさと大量の書類、そして頭痛だけだ。
カレンは窓の外の空を見上げた。
空は、にごった血のような色をしていた。
「……嵐の予感ですね」
*
同時刻、王城内の特別医務室。
薬品の臭いがただよう無機質な空間に、世界の希望であるはずの男の姿があった。
「……理屈に合わない……」
純白のシーツが敷かれたベッドの上で、勇者アーサーはつぶやいた。
その瞳はどこか遠い虚空を見つめている。
かたわらには、仲間の治癒術師の女性が必死の形相で回復魔法をかけていた。淡い光がアーサーの体を包むが、心の傷までは癒やせない。
部屋の隅では、全身包帯のアサシンと、煤まみれの魔術師がベッドでうめいている。
「アーサー様、しっかりしてください! 傷は治しました! 肉体面は完治してます!」
憂いた表情を勇者に向け、健気に励ましている。
「弱気にならないでください! サラマンダーだって一撃だったじゃないですか! 魔王討伐の旅に出る前の、ちょっとしたアクシデントですよ!」
「魔王……? ふふ、魔王なんて可愛いもんだろ……」
アーサーは乾いた声で笑った。
勇者としての冷徹さは、見る影もない。
「あれは何だ……殺気がない。敵意すらない。ただ、俺の存在を最初から“想定外”として弾いた」
「それは……フレア様が規格外だから、ですか?」
「いや、あれは個人の武力じゃない。……『拒絶』だ」
「拒絶……?」
「『私の世界に入ってくるな』という、絶対的な拒絶。……メイ、俺は悟ったよ」
アーサーは両手を硬く組んで虚空を見据えた。
「この世界には、まだ遠く及ばない領域がある。あの家は……あの金色の騎士が守る場所は、今の俺たちには、不可侵の領域だ」
「あ、アーサー様……?」
そのとき。
ガチャリ、と重厚な扉が開かれた。
続いて、ザッ、ザッ、ザッ、と規則正しい足音と共に、複数の気配が室内へとなだれ込んでくる。
「――国王陛下、入室なされます」
近衛の野太い声が響く。
現れたのは、この国の最高権力者、国王その人だった。
豪奢なマントを翻し、背後には数人の近衛と文官を従えている。その場の空気が一瞬で張り詰める。
アーサーと治癒術師があわてて立ち上がり、最敬礼の姿勢をとる。
「へ、陛下!? なぜこのような場所へ!」
「よい。楽にせよ。……我が国の騎士団長が、客人に対して非礼を働いたこと、深く詫びる」
国王は重々しく告げ、深く頭を下げた。
一国の主が、一部下の不祥事のために頭を下げる。異例のことだった。
「いえ! 私が不用意に近づいたのが原因で…… しかしまさか、あの英雄フレア・イグニスがあそこまで正気を失っていようとは……」
「うむ。だがな勇者よ。……致し方ないのだ」
「は?」
不意に、国王の声色が柔らかくなった。
顔を上げると、その瞳はどこか遠い場所を見つめていた。
うっすらと熱っぽい光が宿っている。
「あの子は……あの屋敷にいる幼子は、可愛すぎるのだ」
真顔で告げられた言葉に、アーサーは耳を疑った。
「……はい?」
「実はな、余も先日、謁見の場であの子の輝きにあてられ……うっかり国をゆずろうとしてな」
しれっと投下された爆弾発言に、アーサーの思考が停止する。
「……国を、ゆずる?」
「うむ。フレアに止められて事なきを得たが……惜しいことをした。あの子の笑顔が見られるなら、王冠の一つや二つ安いものだったのだがな。はっはっは」
国王はほがらかに笑っている。
背後の文官たちも、困ったような、それでいてどこか共感の表情でため息をついていた。
笑い事ではない。
アーサーの背筋が凍りついた。
「…………」
目の前の国王もまた、あの「魔性」に毒されている。
国をゆずる? 可愛すぎるから?
「フレアがあのように過剰になるのも無理はない。あの子は、存在自体が世界を狂わせる劇薬なのだ。……勇者よ、悪いことは言わん。あの家には近づくな」
「……はい。骨身に沁みました」
アーサーは深くうなずいた。
そう。今は、まだ。
「……メイ、行こう」
「は、はい。どちらへ?」
「先に魔王だ。……やつなら、少なくとも『自分の国をゆずる』なんて狂ったことは言わないはずだ。……あっちの方がまだ、話が通じる気がする」
「(勇者様が、消去法で魔王討伐に前向きになってしまった……)」
勇者一行の背中が、夕闇の彼方へと消えていく。
彼らが次に王都へ戻るのは、まだ先の話となる。
勇者を退けたフレアの愛は、ますます強固なものとなる。だが、最強の敵は外側ではなく、内側から忍び寄るものだ。
次回、『孤独』という名の試練が、少女に迫る。
【告知】
現在、物語の中間地点。これから新しい章の幕開けです。
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