第八話 それが勇者であろうとも、この子は誰にも渡さない
燃え盛る王都の郊外。
つい先刻まで「災害指定級」と恐れられていた巨大な魔獣――火吹き大蜥蜴が、断末魔の声を上げて崩れ落ちた。
その巨体は一太刀で両断されていた。
返り血ひとつ浴びていない涼やかな顔で、男は聖剣についた血を振るった。
「……ふん、討伐完了だ」
男の名はアーサー。
「真実の瞳」を持ち、あらゆる魔を払い、嘘を見抜く、神に選ばれし希望――勇者である。
彼はマントの下から何やら取り出し、それに向かって淡々と告げた。
「ああ。被害は最小限に抑えた。……なに? 逃げ遅れた村人が一人いた? 構わん、彼を先に助ければ魔獣が街に到達していた。百人を救うために一人を切り捨てる。それが『正義』だ」
通信の向こうで、誰かが息を呑む気配がした。
「……何か誤りでも?」
沈黙が返ってくる。
「ないなら切るぞ。時間の無駄だ」
その瞳に迷いはない。
彼の正義は、冷徹なまでに合理的で、計算高かった。
ふと、アーサーは王都の中心部へ視線を向けた。
その「真実の瞳」が、彼方の空に渦巻く、まがまがしいほどの力の奔流をとらえたのだ。
「……なんだ、あの色は。桃色ときらめく黄金……? 極大級の……いや、国そのものを傾かせかねない『呪い』の気配を感じる」
アーサーは目を細めた。
「放置すれば、国が滅ぶか。……ならば、摘み取らねばなるまい。たとえそれが、どんな『芽』であったとしても」
勇者は聖剣をさやに納め、ひるがえるマントと共に歩き出した。
* * *
叙勲式の一件以来、屋敷の周囲には「国宝級の美少女がいる」「一目見れば幸せになれる」という噂を聞きつけた野次馬(男たち)が絶えなくなった。
今日もまた、数人の男たちが屋敷の門前に群がっている。
「お、おい、ここがフレア様の屋敷か?」
「ああ、例の美少女を一目見れば、一生の運が向くって噂だぜ……」
男たちは期待に鼻息を荒くして、乗り越えるべく門へと足をかけた。
だが、その瞬間。
「ヒィッ!? な、なんだ今の寒気は!?」
「く、来るな! 騎士団長が、眼球をえぐりに来るぞ……!」
「うわぁぁぁ! ごめんなさい! 生きててごめんなさいーッ!」
門を乗り越えようとした男たちが、突然白目をむき、何もない虚空に向かって命乞いを始めたかと思うと、蜘蛛の子を散らすように逃げ帰っていった。
彼らは「対人結界」に触れたのだ。
フレアが設置したそれは、侵入者の脳内に「激怒したフレアに殴られる幻覚」を直接送信する。極めて精神衛生に悪いシロモノだった。
「ふん。またか」
窓からその様子を冷ややかに眺めていたフレアが、鼻を鳴らして離れる。
逆光に長いまつ毛の影が落ち、その横顔は冷ややかなまでに端正だった。
「私の安息地を、怪異の呼び声が響く地か何かと勘違いしているのではないか? まったく、どいつもこいつも軟弱な精神よ」
(……あの結界、普通の人が触れると一生モノのトラウマになるんじゃ……)
少女はソファーの上でひざを抱え、小さく震えた。
これでしばらくは静かになるだろう。そう思った矢先のことだった。
こんこんっ
ノッカーの音が響く。
男たちが逃げ帰ってからまだ数分も経っていない。
「……む? まだ懲りておらぬのか」
フレアが不機嫌そうに再び玄関脇の小窓を開ける。
そこには、あの兇悪な幻覚攻撃をものともせず、涼しい顔で立っている一人の青年の姿があった。
背中には大剣、瞳には揺るぎない光。
「フレア団長、失礼する。……ふむ、この家の中に、ただならない気配を感じるのだ」
フレアは不機嫌そうに鼻を鳴らして窓を閉じると、そのまま玄関の扉を乱暴に開け放った。
「勇者殿か。藪から棒に何を言うかと思えば、尋常ならざる気配だと?」
フレアが不機嫌そうに金の髪をゆらし、少女を自分の背後へと隠した。
勇者は真剣な面持ちで一歩踏み出し、フレアの背後に隠れる少女を真っ直ぐに指さした。
「隠しても無駄だ。俺にはわかる。その子の中には、国一つを容易に傾けるほどのまがまがしい力が眠っている」
(――っ!?)
フレアの背中で、声にならない悲鳴を上げた。
バレた。魔性の力が。王様さえ狂わせそうになった、害獣としての本性が。
フレアの切れ長の瞳が、氷のように細められる。しばし沈黙し、やがて、深く、深くうなずいた。
「……さすがは勇者殿。やはり真実の瞳は誤魔化せなかったか。左様、貴殿の言うとおりだ」
ぎゅっと目を閉じ、断罪の時を待った。
だが――。
「この愛らしさ、この庇護欲をそそる儚げな佇まい……。確かに、男ならば国を投げ打ってでも守りたくなる魔性の魅力と言えよう! だが、だからといって貴殿のパーティーに入れ、戦場という不潔な場所へ連れ出すなど、言語道断である!」
「戦場? 何を言っている。……いや、議論している暇はない」
勇者アーサーは、冷ややかな瞳でフレアを見据えた。
「フレア団長。貴女は『情』に目を曇らせている。だが私の瞳には視えている。その子は周囲の命を枯らし、国を廃土に変える『生きた爆弾』だ」
「……」
「爆弾は処理するか、隔離すべきだ。……起爆すれば、貴女はもとより、この街ごとすべて消し飛ぶ。それが世界の真実だ」
勇者の言葉が、胸に深く突き刺さる。
(……ああ、やっぱり。私は『小さな女の子』なんかじゃない。いつか大好きな人も不幸にする化け物なんだ)
涙で視界が歪む。守ってくれているフレアの背中が、ひどく離れて見えた。
私は、愛されていい存在じゃなかった。
すべてを諦めて少女が目を閉じた、その時だった。
「黙れ、外道め!」
勇者の論理を、フレアの怒声が物理的な衝撃波となってかき消した。
彼女は一歩踏み出し、世界の守護者に対して一歩も引かぬ姿勢ですごんだ。
その全身から、黄金の闘気が立ち昇る。
「幼き子を爆弾扱いするなど、勇者の名が泣くぞ! 貴様に言われるまでもなく、私はこの子を世界から守るために既に最高レベルの隔離(過保護)を実践しているのだ! この子は誰にも渡さん! 私の命に代えてもだ!」
「……話にならんな。貴女ほどの騎士が、そこまで狂っているとは」
勇者はため息をつき、腰のベルトから掌サイズの透明な水晶を取り出した。
内部で幾何学的な光の粒子が渦巻いている。
「ならば、データで示そう。これは測定水晶。古代文明の遺産であり、測定限界はおよそ龍種三頭分。これでその子の危険性を客観的に証明すれば、貴女も騎士として認めざるを得ないはずだ」
(ひっ……!?)
呼吸を忘れた。
あれがわたしを見抜くものだったら――もう逃げ場なんてない。
勇者が水晶をかかげ、少女に向けようとした、刹那。
カッッッ!!
水晶が、強烈な閃光を放った。
少女の力に、水晶の許容量が一瞬で限界突破したのだろうか。
いや、そうではない。
フレアが放つ、少女を守ろうとする殺意の波動まで(誤って)検知してしまったせいである。
(うわっ!?)
全員が視界を強烈な光に焼かれる中、パキィィィィィンッ! という鼓膜をつんざくような鋭い破砕音が響き渡った。
「ぐ、ぬおっ……!?」
勇者がたたらを踏む。
光が収まると、彼の手の中で、国宝級の遺産である水晶が粉々に砕け散り、砂のように指の間からこぼれ落ちていた。
そして――。
ピキ、ピキキッ……。
嫌な音がした。
勇者アーサーがまとう、女神の加護を受けた鎧に、亀裂が走ったのだ。
「な、なんだと……!? 聖鎧が……!?」
アーサーの顔が、初めて引きつった。
攻撃を受けたわけではない。
フレアが一歩、また一歩と近づいてくる。その覇気の「圧力」だけで、物理的に鎧がきしみ、破壊されようとしているのだ。
彼女の背後に、憤怒の形相をした黄金の巨竜の幻影が見える。
「乙女のプライバシーを暴く道具だと!?」
ブチリ、と何かが切れる音がした。
「この破廉恥めッ!」
「は、破廉恥……? 貴様、何を……これは人類の至宝……」
「黙れ! 服の下や肌の奥まで覗き見るような道具、覗き魔の小道具以外の何物でもないわ! おぞましい! 二度と敷居を跨ぐな、変態!」
フレアは叫びながら、さらに踏み込んだ。
ミシミシと勇者の鎧が悲鳴を上げ、遂に肩のパーツが弾け飛んだ。
「――っ!」
アーサーはすかさず、開け放たれたままの玄関から外へと飛び退いた。
冷や汗が頬を伝う。
計算外だ。もしここで剣を抜けば、この屋敷はおろか、王都の半分が焦土と化しかねない。
彼は剣の柄から手を離した。
「なんという力だ……」
舌打ちが漏れる。
「……そうか。貴女も、その子の持つ『魔性』の狂気に深く魅入られているというわけか」
勇者は誤解を深めたまま、踵を返した。
だが、その背中に怯えはなかった。むしろ、どこか憐れむような目で振り返る。
「……今日は引こう。だが、覚えておけ。感情は、持久戦に弱い」
淡々と、まるで天気の話でもするように。
「貴女がその子を抱きしめ続けられるのは、せいぜい数年だ。疲れる時が来る。迷う夜が来る。……その時、俺は必ずまた来る。何度でも」
捨て台詞を残し、勇者は去っていった。
嵐が去った後、フレアは少女の方へ振り向き、そっと優しく肩を抱いた。
その腕は、まだ怒りで微かに震えていた。
「案ずるな、小さいの。あのような力自慢の変態に、貴様を利用させるものか。……私がついている限り、指一本触れさせはせぬ」
勇者に目をつけられた不安は消えない。
けれど、この強く温かい腕の中にいる時だけは、少女は震えを止めることができた。
(フレアさん……。ごめんなさい……ありがとう……)
フレアの服を涙でぬらしながら、強くしがみついた。
* * *
なお、勇者はあきらめてなどいなかった。
アサシンギルド出身の仲間は、隠密歩法で裏口から忍び込もうとして池に蹴り落とされた。
仲間の魔術師は、透明化の魔術で屋根から侵入しようとして、対空迎撃を食らい煙突に突き刺さった。
最後に勇者自らが、再び来訪。誠意として「最高級聖水」を差し出そうとした。門に近づいた瞬間、フレアの逆鱗(猛毒持ち込みの罪)に触れ、彼は王都の空へと舞うこととなる。
飛ばされながらも、冷静に勇者はつぶやいた。
「……今はまだ、時期ではない」
次回、幕間。
騎士団員から見た二人。そして、正義のロジックで導き出した「切実な結論」。




