最終話 過保護な巡礼者たち。満たされたこころに導かれて
数日後。騎士団本部に二人の訪問者があった。
フレア・イグニスの前に、痩せ細った二人がひざまずいていた。
「我々は聖女様の旅路をお守りする所存です」
司祭が鉛の印章が吊るされた羊皮紙を差し出す。「『巡礼許可証』です。教皇印は……まあ、私の独断で押しておきました」と。
店主が純白のローブをうやうやしく捧げる。「何人にも侵されざる鎧にございます」と。
フレアは無言で二人を見下ろした。
もちろん、この男たちが何をしたか忘れてなどいない。
かつて、小さいのを連れ去ろうとした愚か者ども。
殺してもいい。そう思った。
握りしめた拳に力が入る。
「……フレア」
横にいたエリーゼが口を挟む。
「教会のお墨付きがあれば、道中で余計な詮索をされずに済むわ。それに、あの子の正体を隠すには、『聖女』という肩書きは都合がいい」
「……」
フレアは黙り込む。
確かにエリーゼの言う通りだ。
旅に出れば、各地で少女のあふれんばかりの魅力が男どもを惹きつけるだろう。
その時「聖女」という肩書きがあれば、何が起きても『奇跡』として片付けられる。
そして、この二人はもう「無害」だ。
精気を根こそぎ吸われ、枯れ木同然になった彼らに、かつての欲望は残っていない。
残っているのは歪んだ贖罪の念だけ。
「……いいだろう」
フレアが言った。
「ただし、条件がある」
二人が顔を上げる。
「小さいのに指一本でも触れたら、その場で灰にする。わかったな」
「「はいっ!」」
枯れ木たちは歓喜に震えながら、深々と頭を下げた。
* * *
旅立ち前夜。
フレアの私邸の寝室。
少女はなかなか寝付けなかった。
いつしかフレアと共にくるまるようになった快適な守護の繭の中で、もぞもぞと動いてフレアの寝顔を見上げた。
月明かりに照らされた、穏やかな横顔。長いまつげ。すっと通った鼻筋。きゅっと結ばれた唇。
(フレアさん……)
少女はそっと手を伸ばした。寝ているフレアの頬に、小さな指先が触れる。
この温かさが、今のわたしの世界のすべてだ。
(あしたから、知らないところに行くんだよね)
これまでは、この部屋だけが世界の全部だった。
けれど、明日からは知らない景色が続いていく。
少しだけ怖い。でも、それ以上に不思議な気持ち。
(……ねえ、フレアさん)
あなたは、わたしに変な目を向ける人たちを怒っていた。
わたしも、自分が何か特別なものじゃないことは分かっている。
ただの、お腹を空かせた魔物の子。
でも、あなたが隣にいてくれるなら、わたしが何者でも構わない。
あなたが「小さいの」と呼んでくれるなら、それでいい。
(あしたも、あさっても。ずっと、隣にいるからね)
少女は繭の弾力に顔をうずめるようにして、フレアの胸に擦り寄った。
フレアの腕が、無意識に少女を強く抱き寄せる。
きっと、声には出さない。
言葉にしなくても、もう伝わったから。
(おやすみなさい。わたしの、大切な人)
少女はその温もりの中で、ようやく眠りについた。
* * *
王都の東門。
朝日が差し込む中、フレアと少女が立っていた。
朝露に濡れた地面の匂い。石畳が日を反射して金色に輝いている。
少女は店主が作った純白のローブをまとっている。
そして、聖女のベールを目深に被れば、認識阻害の効果でその正体は隠れる。
――はずだった。
「……行くぞ、小さいの」
「うん」
少女がうなずく。
その仕草一つで、見送りに来た騎士たちが涙を流し、司祭たちが胸の前で指を組んで祈りを捧げた。
(なんで泣いてるの……? ただ歩いてるだけなのに……)
少女は不思議に思いながらもフレアの手を握った。
しなやかで、少し硬くて、温かい手。
東門のアーチをくぐる瞬間、少女は振り返った。
王都の街並みが、朝日に照らされて輝いている。
(この門をくぐったら、たぶん当分戻れない)
旅が終われば帰ってくる。
でも、今の自分のままでは帰れない。
帰ってくる時には変わっていなければならない。
もっと強くなって、いつかフレアさんを支えられるようになるために。
(それに、フレアさんと一緒なら、どこへでも行ける)
ここに来る前のわたしは何者でもなかった。
どこにも居場所がなくて、誰にも必要とされなくて。
でも、今は違う。
(フレアさんの隣が、わたしの場所)
少女はフレアの手を、ぎゅっと握りしめた。
道中はエリーゼが同行する。
王都の「共犯者」たちは、遠くから見守ることしかできない。
「聖女様……! どうかご無事で……!」
「我らは王都で、聖女様のご帰還をお待ちしております……!」
騎士たちの目は、すでにうるんでいた。
まだ出発していないのに、「聖女ロス」の禁断症状が始まっている。
「副団長……! 自分も、寂しいです……!」
カイルが号泣しながら手をふっている。
その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
「早い! まだ十歩も歩いていませんよ!」
カレンが胃のあたりを押さえた。これから何ヶ月もこの連中の面倒を見なければならないのだ。
胃の痛みを紛らわせるように、カレンは少女の方へ視線を逃がした。
「リトルリリィ。……気をつけてくださいね。無理しないで」
少女は振り返って、小さくうなずいた。
カレンが優しく微笑む。その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
(でも、聖女って誰のこと……?)
少女の素朴なツッコミは朝もやの中に消えていった。
こうして、いずれ「聖女の巡礼」と呼ばれることになる旅が始まった。
無自覚な少女と、過保護な騎士と、あきれ顔の医者。
そして王都に残った、歪んだ信仰を抱えた「共犯者」たち。
彼らの愛が、世界を巻き込んでいく。
* * *
その頃、王城では。
「あの子が……旅に出るのか……? 余は……あと何ヶ月、あの可憐さを見ずに耐えればよいのだ……?」
国王が、玉座で白目をむいていた。
「陛下、しっかりなされませ! 政務に支障が出ます!」
「余の心は既に支障だらけだぁぁぁぁぁぁ!」
国王の絶叫が、城中にこだました。
家臣たちが必死に介抱している。
この国の平和は、しばらく危うい。
*
――後年、この旅路は『真正聖女巡礼録』として同行者エリーゼ・フォン・アスクレピオスの手により編纂され、大陸各地の学術機関に所蔵されることとなる。
特に「聖都の乱」と呼ばれる一大事件は、その真価に対して、今なお議論が続いている。
また、道中で聖女に挑んだとされる当時の勇者はその理由を問われ、ただ一言「正しいことをしただけだ」と答え、それ以上語らなかったという。
だが、それはまだ先の話である。




