第二十三話 決意の処方箋。未来への一歩は、苦く、そして甘く
数分後。
完全に鎮火して静かになったフレアと、満腹でゲップが出そうな少女。
少女のお腹がぽんぽこりんに膨らんでいる。
そこへ、不機嫌そうな白衣を着た女性が駆け込んできた。
「……ちょっとフレア! 毎日毎日! 『緊急時以外は呼ぶな』って言ってるの忘れたの!?」
カレンの通報により叩き起こされたエリーゼだ。
しかし、室内を見渡して、状況をすぐに飲み込んだ。『懸念』が、こんなに早く現実になるなんて。
寝癖がついたままの髪を魔道ゴーグルでくしゃりとまとめ、くたびれた白衣をまとう、特級魔導医師、エリーゼ・フォン・アスクレピオス。
今は王都の路地裏で看板すらない診療所に詰めている彼女だが、今日はカレンからの緊急要請で叩き起こされたらしい。
彼女は、累々と積み重なる騎士たちの死体を見て、あきれたようにため息をついた。
「……なるほど。これが『急患』ってわけね」
エリーゼは倒れているカイルの脈を雑に確認した後、フレアに向き直った。
相変わらず顔だけは無駄に整っている。こんな美人が「全てを出し切りました」みたいな顔でぐったりしているのは、絵面として最悪だ。
「フレア、あなたね。いい加減にしなさいな」
「……面目ない。だが、この子の前で殺生は……」
「そうじゃないわよ」
エリーゼは魔道ゴーグルをカチャリと下ろし、少女のお腹をぷにぷにとつつきながら観察する。消化中の魔力が腹の中で熱を持ちながら、ゆっくりと脈打っているのが見えた。
「……この子、相当『普通』の基準が狂ってる。あなたの覇気が重すぎるのね」
エリーゼは呆れたように肩をすくめた。
曰く、少女はフレアという「溶鉱炉」の隣で暮らしているようなもの。絶叫レベルの魔力刺激が、もはや普通になってしまっている。このままでは拡大する『余波』が、ただそこにいるだけで周囲を狂わせる。
「……どうすればいい?」
フレアがすがるように問い、それにエリーゼが淡々と告げる。
「外の世界の『普通』を知ること。リハビリよ。旅に出なさい。」
「旅……? なら、近場で訓練すればよいではないか……」
「無理ね。ここはもう『攻略済み』だから」
エリーゼは窓の外を見た。
フレアの過保護オーラが届く範囲では、誰も少女に悪意や下心を向けられない。安全すぎて練習にならないのだ。
少女が不安そうに見上げる。目が合ったエリーゼはうなずいた。
「王都から離れて、道中で『普通』を学ぶの。最後に聖都でその調律を完成させる」
「聖都……」
そこは巡礼者が多く、目立たずにいられる。そして、フレアとエリーゼの古巣でもあった。
「それに」
エリーゼは意地悪く付け加えた。
「あなた、この子に惹きつけられた人たちを殴って正気に戻してるでしょ?」
「……それが何だ」
「もし王都全員がそうなったら、どうするの?」
「全員、殴る」
「……本気で言ってるから怖いのよ」
エリーゼはため息をついた。毎朝、国民数万人を一人ずつ殴って回る騎士団長。それはもう国の崩壊と変わらない。
フレアが黙り込む。その横で、少女は青ざめていた。
(……やる。フレアさんなら、本当にやる)
もし自分の力がこれ以上大きくなって、国中の人がおかしくなったら。フレアは平和を守るために、国民全員を「治療」し続けるだろう。それはもう、国の終わりだ。
(それは、だめ)
この温かい腕の中以外に、わたしの居場所なんてない。
フレアと一緒に生きたい。そのためには――。
(わたしが、変わらなきゃいけないんだ)
少女は、自分の手を見つめた。
小さな手。何もできない手。でも、この手で、フレアさんの役に立ちたい。
(わたしのために、フレアさんが変わった。我慢するようになった)
フレアさんのためと言いながら、本当は自分のため。
それはずるい考えだ。でも、だからこそ。
(誰にも迷惑をかけず、もらってるフレアさんの元気を『無害』に処理できるように。……わたしが、変わらなきゃ)
旅に出る。知らない場所へ行く。
怖い。すごく怖い。
でも、フレアさんがいる。フレアさんと一緒なら、きっと大丈夫。
それに、もう一つ。
ベール越しに見た日常が、頭の片隅に残っていた。キラキラした石畳。パン屋の香り。笑っている子供たち。
この世界を、もっと見てみたい。フレアさんが守っているものを、もっと知りたい。
(……ちょっとだけ、楽しみかも)
怖いけど。不安だけど。でも、フレアさんと一緒に歩けるなら、きっと――。
フレアは少女の前にひざまずいた。大きな手が、少女の小さな頬を包み込む。
「……小さいの」
フレアの声が、震えていた。いつもの自信と余裕に満ちた声ではない。どこか弱々しく、切実な響き。
「私は、お前を守ると誓った。だが……あろうことか、この私が、お前を追い詰めている」
額に、唇が落ちてくる。やわらかい湿り気がふわりと触れた。
「……行こう。地の果てだろうと、どこへでも。笑って帰って来れるまで、私が守る」
フレアの決意の言葉に、少女は自分から手を伸ばした。
しなやかだけどゴツゴツとしたその手を、小さな両手でぎゅっと握りしめる。
「うん。いっしょに、いく」
それは、少女自身の意志だった。
「エリーゼ。……診断に感謝する」
「礼には及ばないわ。……ま、私も同行するけどね」
「ん?」
「あんた達だけで旅に出したら、三日で国が泣きついてきそうだからよ。監視役兼、主治医として付き合ってあげる。どうせうちの診療所、看板も出してないしね。しばらく閉めても誰も困らないわ」
エリーゼはパチンと指を鳴らした。
数日後、国王から正式な許可が下りる。
少女と離れたくない国王が、少女の未来と、フレアによる王都破壊という国家存亡の危機を天秤にかけ、血涙を流しながら下した苦渋の決断だった。
そして、世界を巻き込む「過保護な聖地巡礼」の幕が上がる。
それは幼い少女にとって、ただ一つの居場所を守るための、切実な戦いの始まりだった。




