第二十一話前 道化の空回り。その姿は、かつてのわたしのようで
書架でその一角が封鎖された執務室。
少女はフレアの膝の上に座っていた。
(よく分からないけど……嫌な人が来るのかな)
やがて、受付係に案内されて、その男はやってきた。
コツ、コツ、コツ。靴底を打ち付ける、威圧的な足音。
入ってきたのは、痩せぎすの中年男性だった。
仕立ての良い服を着ている。偉い人なのかもしれない。
でも、書架の隙間から見えたその顔は、鼻にハンカチを当てて露骨に顔をしかめていた。
「なんだこの乱雑な有様は……。執務室は国の顔でしょう。こんな風に無秩序に物を積み上げて、整理整頓もできないのですか? これでは、貴国に背中を預けるなど到底不可能ですね。……だらしない。実にだらしないですね、貴国の騎士団は」
いきなりの先制攻撃。
騎士達が色めき立ち、拳を握りしめる。
バリケード奥のフレアは動かない。その腕が、ピクリと震えたが、その美しい顔は氷のように無表情のままだった。
ベールは機能している。この可憐な気配には気づくまい。フレアはそう信じていた。
「さっさと終わらせろ、ガストン卿。貴公の国の『平和条約』とやらは、騎士団の執務室を土足で荒らすことも含むのか?」
「ハハハ。……姿も見せずに問答とは、恐れ入りますね。騎士団長としての『礼節』も、その無粋な鉄屑の山の中に置き忘れてきたのですか?」
ガストンの声には、あざけりがにじんでいる。
「私はただの視察ですよ。おや?」
ガストンはバリケードの隙間から中を覗き込み、目を細める。
その視線が、フレアの膝の上にある純白のベールに包まれた小さな影に留まった。
眉をひそめ、何か言いたげに口を開きかけたが――すぐに視線を外した。
フレアの腕に、ピキリと血管が浮く。
座っている膝が、かたく強張っているのが分かった。
(うわぁ、典型的すぎて逆に清々しい嫌味な人だ……)
少女はガストンを観察する。
(あのおじさん、すごい早口で文句言ってるけど……鼻毛出てるよ)
フレアの腕が少女を抱きしめたまま動かない。
いつもなら、こんなこと言わせておかないはずなのに。
(あ。これか。フレアさんが言ってた『伏魔殿』って)
『足の引っ張り合い』『胃に穴が空くような競争社会』あれは、誇張ではなかったのだ。
ガストンの嫌味は止まらない。予算、部下、そしてフレア個人への執拗な揚げ足取り。
彼の口が動くたびに、執務室の温度が上がっていく。
「この作戦地図、情報が古い。平和ボケですか? これでは我が国との合同作戦など夢のまた夢ですね」
ガストンは書架に並んだファイルを指でなぞり、顔をしかめた。
「遠征費の計上が雑だ。馬の飼料代など、現地調達で済むでしょう……。これだから『脳筋』は困る。予算をポケットマネーか何かと勘違いしているのでは?」
騎士たちの拳が、ギリギリと音を立てる。
でも、ガストンは止まらなかった。まるで、止まったら消えてしまうみたいに。
「それに……」
ガストンは意地悪そうに笑みを浮かべた。
「その膝の上の『もの』。まさか、愛玩動物ではないでしょうね? 職場に獣を持ち込むなど、規律の乱れもここに極まれり、ですね」
ミシッ。
フレアの握る机の角が、きしんだ音を立てた。
カレンとカイルが青ざめる。
「公私混同。予算の私的流用。失望しましたフレア・イグニス騎士団長。これでは来月の『合同演習』の指揮権は、我が国が頂くことになりますね」
バキッ。
フレアが手にしていた羽根ペンが、粉々に砕け散った。インクが飛び散り、机に黒い染みを作る。
カレンたちが思わず一歩下がる。
(やばい。絶対やばい)
少女は焦った。
フレアさんが怒ったら、大変なことになる。止めなきゃ。
小さな手で、フレアの服の端をぎゅっと握りしめる。
(落ち着いてフレアさん! こんな鼻毛の人のために、フレアさんが怒っちゃダメ!)
少女は必死に、フレアの腕をぽんぽんと叩く。
そして、ガストンの方を見た。
(あのおじさん)
少女は、じっとガストンを観察していた。
必死に人のあらを探して、必死に自分を大きく見せようとしてる。
――あ。
この人、怖いんだ。
わたしは、逃げた。
この人は、噛みつく。
やり方が間違っているだけで、本当は、ただ認められたいだけなのかもしれない。
(いつかのわたしみたい……)
少女の瞳が、わずかにうるんだ。
それが、ガストンの運命を決めた。




