番外編 特級魔導医師エリーゼの観察日記 ★
王都の路地裏にある、看板もない古びた診療所。
……ではなく、ここは王国最強の騎士団長、フレア・イグニスの私邸である。
その一室にある客間は、現在、急ごしらえの精密検査室へと改造されていた。
部屋中に展開された解析魔法陣が淡い光を放ち、空中に浮かぶいくつものクリスタルが、ベッドに座る小さな患者の生体データをリアルタイムで集めている。
「はい、次は翼広げてー。……うん、可動域よし。飛膜の血流も正常ね」
白衣をまとい、精緻な意匠が施された魔導ゴーグルを額に乗せた女性――特級魔導医師エリーゼ・フォン・アスクレピオスは、淡々とした声で指示を出した。
彼女の指先が、少女の背中にある翼を触診する。少女は言われるがまま、ぱたりぱたりと小さな翼を動かした。その仕草は、生まれたての小鳥のようにあどけない。
「おいエリーゼ! もっと優しく扱え! その羽根は最高級のシルクより繊細なんだぞ!」
すかさず、背後からやじが飛んでくる。フレアだ。彼女は腕組みをしてドンと立ち、診察の様子を背後霊のように監視していた。その眼光は、ミスを犯した新人研修医を問い詰める指導医よりも厳しい。
「はいはい。専門家に口出ししないの。……次は角ね。計測器当てるわよ」
エリーゼが金属製のノギスを取り出し、少女の額に生えた角へ近づけた瞬間。
シュバッ!
目にも止まらぬ速さで、フレアの手が間に割って入った。
「待てッ! その冷たい金属をいきなり当てる気か!? 万が一、角が驚いて縮んだらどうする!」
「縮まないわよ。何なのよ角が驚くって。カタツムリじゃないんだから」
「黙れ! この子の角は感受性が豊かなのだ! 万が一ということがある! 貸せ、私が温める!」
フレアはエリーゼから計測器をひったくると、両手で包み込み、ハーッ、ハーッと真剣な表情で息を吹きかけ始めた。
かつて一振りで城門を砕いた英雄の腕が、今は小さな計測器を人肌に温めるために震えている。
(……面倒くさい。本当に、面倒くさいわこの騎士様)
エリーゼは深いため息をつき、額のゴーグルの位置を直した。
ふと視線を落とすと、ベッドの上の少女は、そんなフレアの奇行にも慣れっこなのか、「フレアさん、ありがとう」と言わんばかりに微笑んでいる。その角は、フレアによって毎日磨き上げられているらしく、最高級の黒曜石のようにピカピカと輝いていた。
「……ふん。栄養状態は完璧。というか、過剰ね」
数値を読み取りながら、エリーゼはあきれたようにつぶやいた。
少女の現在の状態は、エネルギーの塊と化している。
一般的に『覇気』とは精神的な圧力を指すが、フレアの全身から常に放射されているのは、物理的な干渉力を持った高純度の魔力そのものだ。少女は、いわば最高級の魔力という名の「霜降りステーキ(脂身多め)」を、毎食欠かさず平らげているような状態だった。
「角の表面に塗り込まれてるこれ、王室御用達の最高級椿油?」
「そうだ! 毎晩、風呂上がりに私がマッサージしながらパックしているからな!」
「魔物の角に椿油……。まあ、保湿効果はあるみたいだけど、過保護も極まれりね」
エリーゼは診察鞄を閉じた。
「よし、診察終わり。……健康そのものよ。私が保証するわ」
エリーゼがペンを置くと、少女は嬉しそうに翼をふるわせた。それを見たフレアが、「んんんん! 天使の羽ばたきだなぁ!」とデレデレに崩れ落ちる。
(……ま、お好きにやってなさいな)
*
その夜。執務室に戻ったエリーゼは、一枚の羊皮紙に向かっていた。
【観察報告書 No.12(非公開・極秘扱い)】
『対象者:フレア・イグニスおよび被保護対象・リトルリリィ(通称:小さいの)』
今回の精密検査で、長年の疑問がついに解けた。
なぜ、フレア・イグニスはあれほどまでに破壊をまき散らし、戦場に狂い咲いていたのか。
答えは生まれつき魔力が多すぎる病。『魔導炉心熱暴走症候群』である。
彼女の魔力生成器官は異常だ。呼吸をし、心臓が脈打つだけで、高密度の魔力が際限なく溢れ出し続ける。かつて、彼女が全力で剣を振るった後の地面が溶岩のように溶けていたのは、彼女自身の熱が漏れ出した結果だった。
(……だから、彼女は戦わなければならなかったのね)
血生臭い戦場は、彼女にとっての「放熱作業」だったのだ。
死力を尽くし、魔力を空っぽに使い果たして初めて、彼女の肉体は正常なバランスを保つことができた。そうでなければ、自らの出力で内側から焼き切れて死ぬ。それがフレア・イグニスという「最強」の正体だった。
しかし今、戦場を退いた彼女は、驚くほど穏やかな気をまとっている。
『被験者は、フレアが生み出す過剰な魔力を、余すことなく吸い上げている。その吸収効率は九割九分を記録。これは生命レベルでの、奇跡的な合致と言える』
少女にとってフレアは「無限の食事」であり、フレアにとって少女は「命綱」なのだ。
この子が傍にいる限り、フレアは二度と自らの熱に狂わされることはない。
『ただし、一点だけ懸念すべき事項がある。被験者の魔力貯蔵量は、理論上想定されている個体限界値を既に逸脱しつつある。
フレア・イグニスの「高純度な覇気」を常食として育ったこの個体が、蓄積された膨大なエネルギーを自らの「糧」として完全に変換し終えたとき――その生命階梯は、既存の魔物の定義を大きく踏み外す可能性がある。
今はあどけない小鳥のような姿をしているが、その内側に眠る「器」は、かつてない規模で作り変えられつつある。これが進化なのか、あるいは別の「何か」への変質なのか。現状、私にも予測がつかない。』
*
「……皮肉なものね」
最強の騎士と、吸精種の魔物。本来なら敵対するはずの二種族が、パズルのピースのように噛み合っている。エリーゼは、報告書の末尾に追記をしたためた。
『本症例を公表すれば私は歴史に名が残るだろう。だが、もし被験者の少女に「実験動物」のような視線が向けられれば、フレア・イグニスは間違いなく学会を力尽くで潰す。「触らぬ神に祟りなし」。賢い医者は、奇跡をただ静かに見守るものだ』
ペンを置きかけて、エリーゼはもう一行だけ書き足した。
『……まあ、せいぜい仲良くやることね。一言で言えば、そう。――もっとやれ』
エリーゼは楽しげに笑った後、報告書を厳重に封印し、机の引き出しの奥へと放り込んだ。
「さて、請求書はたっぷり色をつけておきましょうか。あのバカ親なら、いくらでも払うでしょうしね」
夜の王都に、偏屈な女医の笑い声が溶けていった。
最後まで二人の物語を見守っていただきありがとうございました。
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なお、ここまでが構想していた完結で、もちろん綺麗に終わってはいるのですが……二人が外に立ち向かうまでの流れも書きたい欲がわいてます。
フレアと少女の「共生関係」の行方、そして、魅了の「海外輸出」。
準備のため、少しお休みをいただきます。
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