佐々木とあぐり
張り込み2日目、満月の夜も何事もなく終え、満月からほんの少し月が欠けた張り込み3日目の夜。
夢の月と同じだと確信し、いよいよだと気を引き締めて屋根で待つ梓。
今日、自分の働き次第で2人の命が奪われる。それもとても悲惨なやり方で。
佐々木達がどこから現れるのか、佐伯がどこから襲ってくるのか、この2日間頭の中で何通りも考えた。
(大丈夫。やれる。大丈夫)
ドクドクと脈打つ胸を押さえながら、自分にそう言い聞かせる。
予知夢を見てから今日まで、佐々木の死に様は何度も思い出した梓だが、結局あぐりの死に顔は最初の一回以来目を背け続けている。
心から愛する恋人が目の前で斬りつけられ、その斬りつけた相手に操を奪われる。それも息も絶え絶えな恋人の目の前で。
そんな屈辱には耐えきれないと、自ら舌を噛んで死を選ぶ。その気持ちが、同じ女として梓には痛いほど理解できた。
(絶対に。絶対にあんなこと起こさせない…!!!)
強く強く心に誓い、梓は自身を律し闇世に溶け込む。
月が天高く登った頃。ついにその時がやってきた。
神経を研ぎ澄ました梓の耳に、ひとつの足音が遠くから近付いてくるのが聞こえる。
音のする方に目を凝らせば、黒い影がひとつ、小走りに近付いてくる。月明かりに照らされた顔は梓の予想通り、佐伯だった。
佐伯は夢で佐々木が倒れていた場所まで迷いなく近付き、その近くの物陰に身を隠した。
(やっぱりコイツが…!)
今すぐにでも斬りかかりたい衝動に駆られながら、今ではないと自身を落ち着かせる。
万が一、いや、億が一取り逃した時、未遂の状況ではどう言い訳されるか分からない。最悪なのは梓が謹慎なり切腹なりを申しつけられ助けに入れないところで、佐々木とあぐりが襲われることだ。
じっと耐える事半刻ほど。
二つの足音が荒い息と共に路地に入ってきた。お互いを気遣う声も、小さいながらに聞こえてくる。
ついにこの時が来たと、梓は自身の体の強張りを解くように、手首足首と小さく動かし動きを確認する。
佐伯にまだ動きはない。恐らく佐々木達が最も接近したところで不意打ちするつもりなのだろう。
(どこまでも卑怯者め)
梓はゆっくりと体を起こし、念のため黒い手拭いで口元を覆って顔を隠す。そしていつでも屋根から飛び降りることのできる体勢を取る。
そしてついに、佐々木とあぐりが梓の真下まで来たところで動き出した佐伯に合わせ、屋根から飛び降りた。
飛び降りながら刀を抜けば、佐伯もまた佐々木達に襲い掛かろうと刀を抜いて斬りかかる。
カキィンッ
夜の静寂に慣れた耳に、突き刺さるように刃の交わる音が響く。耳を塞ぎたくなる衝動をグッと堪え、驚き間合いを取った佐伯を睨みつける。
その後ろで、流石というべきか佐々木はあぐりを背に匿い素早く刀を抜いている。
しかしその行動は、何度も頭で繰り返しこの状況を予習していたはずの梓からは抜け落ちた反応で、梓は前にも後ろにも気を配らなければならなくなり、途端に焦って混乱する。
(あーもう!)
当然の佐々木の反応を失念していた自分に苛立ちつつ、後ろから斬りつけられては元も子もないと、梓はもうひとつの刀を抜き体を横にし、視界の両端に佐伯と佐々木が入るように、両の刀がそれぞれ相手を捉えるように構え直す。
「お前!梓か!」
「梓先生!?」
両手に刀を構えたことで、顔を隠した手拭いの意味は皆無。佐伯にも佐々木にも突然現れた人物が梓だと知られてしまう。なんとも間抜けな状況だ。
「佐々木さん、私はあなた達の味方です。私が佐伯さんを止めますから、今のうちに逃げてください」
それだけ伝え、あぐりの顔を一瞬見た後佐々木への警戒を解き佐伯に向き直る。梓の後ろで、佐々木が戸惑い狼狽えているが当然の反応だろう。
今まで信用していたであろう佐伯が自分に斬りかかって来た。そして突然現れた梓は、脱走した自分を追って来たわけではなく逃げろと言う。混乱するのも当然だ。
「佐々木さん急いで!そのうち隊から追っ手が来ます。捕まればどうなるか、分かっているでしょう!?」
「な、なんで梓先生が…―」
「何ででもです!私は佐々木さんとあぐりさんに幸せになってほしいだけですから!」
真っ直ぐに佐伯から目を逸らさず、それでも言葉は背後にいる佐々木に向ける。『幸せになってほしい』それは心からの梓の願いだった。
「佐々木!許さへんぞ!!!」
佐伯が声を上げるが逆にそれが引き金となり、佐々木は「ありがとうございます!」と力一杯梓に頭を下げ、あぐりの腕を掴んで横道に走って行った。
足音が遠くなるのを感じ、梓はホッと胸を撫で下ろす。
しかし、目の前の佐伯を何とかしない限り本当に安心はできない。
「佐伯さん。佐々木さんは行ってしまいましたよ。私達もおとなしく屯所に戻りましょう。佐々木さん達に危害を加えないと約束してくれるなら、私もあなたに手出ししません」
本当は、起こらなかった未来の話とは言え、あんなに酷い事をした佐伯を許したくはない。しかし同じように、起こっていない事を理由に斬ることもしてはいけない。と、梓の良心が言う。
「ハッ!お前がなんでここにおんのか、よお分からんけどなぁ……お前を殺したら何の問題もないんやわ!」
佐伯が迷いなく刀を振り上げる。実力差は歴然。しかしそれが分からないほどに、佐伯は周りが見えなくなっているのだろう。
佐伯の刀をなぎ払い、梓は再び間合いをとる。
「……そんなに佐々木さんを殺したいんですか?あぐりさんを自分のものにするために?」
そう問いかければ、佐伯の動きがピタリと止まり、ギロリと梓を睨んだ。
その目は先ほどまでとは全く違い、ゾッとするほどの狂気を孕んでいる。
「何やお前。お前もあぐりを狙っとるんか?」
「は?何言って…―」
「渡さへん。あぐりは俺のや。渡さへん。渡さへん」
ブツブツと呟く佐伯には、もはや梓の言葉は聞こえていない。
その様子に恐怖を覚え、今まで避けていたあぐりの死に顔までが頭に過り、梓の手がガタガタと震える。呼吸が上手くできず、吐く息ばかりが多くなる。
(だめ!落ち着け!気圧されちゃだめ!)
必死に自分に言い聞かせていれば、それより早く佐伯が刀を振り上げる。上手く力が入らない震える片手では佐伯の力に対抗できるはずもなく、梓の右手から刀が弾き飛ばされる。
キィンッと音を立て、梓の上を飛び越え後ろの地面に転がる刀。その場所は、先ほどあぐりがいた場所で、梓は最後に見たあぐりの顔を思い出す。
あぐりのことは夢でしか見た事がない。それも、悲痛な顔をした死に顔しか。
しかし、先ほど見たあぐりは恐怖で顔が引き攣ってはいたが、美人と噂されるだけあり綺麗な顔をしていた。なにより死んでいない。生きていた。
気が付けば梓の手の震えは止まっていて、刀を振り上げる佐伯は躱すまでもなく隙だらけ。先ほどまで何故手を焼いていたのかと思うほど、呆気なく斬り捨てた。
断末魔をあげる間もなく地面に倒れた佐伯。その場所は、偶然にも佐々木が倒れていた場所で、即死だったその手が転がる先にはあぐりはいない。
梓は刀の血を払い、後ろに転がるもう一本の刀を拾う。その際再びあぐりの顔を思い出し、生きているあぐりの姿を頭に刻み込む。
「噂通り、美男美女だったなぁ……」
2人が無事に逃げ切れるように。この先平和に、幸せに暮らせるように。
そう願いを込めて、梓はその場を後にした。
梓が予知夢を覆し未来を変えた。
そんな記念すべき出来事が、今日起こった。




