女の宿命 二
「あ、あの、どこに行くんですか?」
八木邸を出てしばらく、無言で前を歩くお梅に声をかけた。
最初は前川邸の離れにでも連れて行かれるのかと思ったが、前川邸の前は普通に通り過ぎ、それなら話しやすい甘味処にでも入るのかと思えばそれも違い、まさか芹沢に直談判しに川に行くのかと思えばそうでもない。
身構えては肩透かしに合う事何回か、梓が精神的に疲れていたところに花街の大門が現れ、堪らず声をかけたのだった。
「どこって、あそこや。聞きたい事はよーけあるけど、その前にやることがあるやろ?」
お梅が指差した先は間違いなく花街。しかし梓には、お梅が言っている花街でやるべきことなど何一つ心当たりがない。
(え、待って。お梅さんは私が女だって知ったんじゃなかった?勘違い?もしかしてまだ女だってバレてない?いや、男だって思われた状態で花街に連れて行かれるのも、それはそれで危ないと言うか……。やっぱりついて行っちゃだめなやつ?)
思考がまとまらず一旦立ち止まれば、お梅はそれに気が付き梓を振り返る。その顔はいつも見る綺麗な澄まし顔でもにっこりとした微笑みでもなく、隠すことない呆れ顔。
「あんたなぁ。なぁに今更警戒しとんの?取って食ったりせぇへんわ。しょうもない。うちは男は好きやけど男のふりした女にはこれっぽっちも興味ないわ」
とてつもなく大きなため息をついた後「行くで」とまた歩き出す。梓はお梅が吐き捨てるように言った言葉たちを頭の中で反芻させる。
(取って食われる事はない。お梅さんは私が女だって分かってる。興味もない。……なるほど?)
なぜ梓を花街に連れてきたのかは全く理解できないが、お梅の態度から自分に興味がないのは一目瞭然。今まで見たこともない素だろう表情にも説得力があり、分からないなりに梓は再びお梅を追って歩き始めた。
大門をくぐり、向かった先は揚屋ではなく三味線の音がそこかしこから聞こえる街の手前の一角。
初めてくる場所にキョロキョロとしていれば、お梅はその中のひとつの戸を開けて中に入っていく。
「お母はん。ちょっと部屋貸してぇや」
お梅に続いて中に入れば、お母はんと呼ばれたふくよかな50代くらいだろう女性が番台でそろばんを振る。
「お梅!あんたいつまでも出入りしたらあかんて言うてるやろ!今度はどこぞのお侍はんまで連れてきて!今は時間外や!帰り!」
今にもそろばんを投げてきそうな勢いの女性に、梓がたじろいでいる横で、お梅は気にせず草履を脱ぎ始める。
「こん子は侍やけど女や。よう見てや。ちょっと部屋借りて喋ったら帰るし、気にせんといて」
土間からすたすたと奥に入って行ってしまうお梅。見失ってはダメだと、梓は番台の女性に頭を下げてからお梅の後を追った。
番台から覗き込むように梓を凝視する女性は、男装姿の梓が女である事に驚いているのだろう。口をポカンと開けて見送った。
中に入ってわかるが、ここは遊女の生活する場所『置き屋』だったらしく、まだ化粧もしていない、着るものも適当に羽織って帯だけしたようなアラレもない姿の女性達が廊下や部屋で雑談や身支度をしている。
何人かは梓を見て、黄色い声と共に着物を軽く整え擦り寄るように袖を引いてきたが、お梅が睨みを効かせればスススッと離れていく。
意外だったのはお梅の態度で、屯所にいる時とは別人のように言葉と顔つきがキツイ。しかしそんなお梅相手でも話しかける遊女は多く、応じるように一言二言話すお梅の顔はとても穏やかで、それも屯所では見ない姿だった。
「お梅さんは、それが素ですか?」
空いている部屋に通され、座ってすぐに梓が首を傾げて聞けば、お梅は口元を隠すお淑やかな笑い方ではなく大きく口を開けてアッハッハと笑う。
「素ってなによ?うちは女相手には大体こんな感じや。媚びなん売っても何の得もあらへんやん?」
お梅の返事に納得しつつ、先程の番台の女性への説明や今のお梅の態度から、改めて自分が女だとバレたことを実感する梓。
そして、意を決して「あの!」とお梅を見据える。
「勝手なお願いだとは思いますが、私が女だってこと、皆んなには黙っていてください!」
両手をついて頭を下げれば、お梅は当然の事だが梓が男装している理由を聞いてくる。
梓はたいした理由ではないと前置きをしつつ、自分が女だった頃は好きな剣術を制限されて過ごしていた事、家族が殺された事をきっかけに女を捨てやりたい事をやろうと決めた事を告げる。
お梅は梓の話を聞き、部屋の隅から慣れた手つきで煙管を持ち出しフーッと煙を吐いた。
「なんや、もっと大層な理由があるんかと思ったのに……」
つまらないと言いたげな表情に、梓も苦笑いして謝ることしかできない。
「まぁでも、女としてしか生きて行かれへんかったうちと比べれば、えぇ選択しとると思うわ」
煙を天井に向けて吹くお梅はどこか儚げで、艶っぽい姿に思わず魅入ってしまいそうになる。
「もう分かっとるやろうけど、うち元はこの置き屋におったんよ。ここではそこそこ売れっ子やったんやで?」
遊女になる女達は子供の頃親に売られた者が多い。中には自ら生活のために遊女になる者もいるが、ほとんどは前者だ。お梅も前者で、子供の頃から花街で手練手管を教わっていた。
菱屋の主人の目に留まり妾になってからは、菱屋の奥方にいびられながらも、持ち前の負けん気で妾でありながら他の男と遊び、悪評を集めることで意趣返しをしてきた。
お梅の素行に次第に菱屋の主人も奥方も手を焼き始めた頃、芹沢の借金の返済に駆り出された。人斬り集団と名高い壬生浪士の局長の元に送り出されたときは、死んでも構わないと言われたようなものだと思ったものだ。
しかし芹沢とねんごろになった今、菱屋の人々は芹沢が怖くてお梅に意見もできず、毎日のように芹沢の元に通っても文句も言われない程度には自由な生活を送っている。
女だから売られ、女を使って金をもらい、女だから今の生活がある。女を武器に生きてきたお梅には、女を捨てて生きている梓が異様で、しかしどこか羨ましくも見えた。
「……ええよ。うちは何も知らん事にしといたる」
「ほんとうですか!?」
飛びつかんばかりに目を輝かせた梓に、お梅はフッと笑った。
その後、花街流の月経対処法である中に紐を付けた綿を入れる方法を教えてもらい、抵抗はあったが背に腹はかえられないと実践することにした。
「なんや、まだ違和感あるん?」
「いや、ありまくりですよ。……でも漏れ出る不安はなくなりました」
花街からの帰り道。難しい顔をしてひょこひょこ歩く梓にお梅は笑って問いかける。
いつまでもそんなでは怪しまれると注意され、梓は姿勢を正して歩くことにした。
「そうや。あんた、あぐりって知っとる?」
突然でた名前に梓はきょとんとした後、いつかの朝に話に出た、新人隊士の佐々木愛次郎がお付き合いしているという女性があぐりであったと思い出す。
「お梅さん!佐々木さんはだめですよ!」
先手を打ってお梅に告げれば、今度はお梅がキョトンと首を傾げ「佐々木って誰?」と聞き返す。
以前お梅が口説いた相手だと言えば、お梅は完全に忘れていたらしく「知らん」「覚えてへん」の一点張りだった。
「……お梅さん、手当たり次第に男を誘いすぎです」
梓が呆れて言えば、お梅は「暇やとつい」とクスクス笑う。
笑い事じゃないのに。と思いつつ、あぐりがどうしたのかと聞けば、途端に真剣な顔になるお梅。
「そうや。そのあぐりはん。気ぃ付けた方がええで。芹沢はんに目ぇつけられてはるから」
突然の思いがけない話に、梓は思わず「げっ」と声を出す。
屯所に平気でお梅を連れ込んでいたかと思えば、今度は人の女に目をつけるとは。いい歳をしてなんと自由奔放な男だろうか。と心底ゲンナリしてしまう。
「……それはお梅さんが止めてくださいよ」
「もちろん止めたわ。せやけどうちの言葉なんどこまで聞いてくれるか……」
ふざける様子もなく暗い顔になったお梅を見ると、彼女が本気で芹沢に惚れているのが伝わってくる。
芹沢の女癖が良いか悪いかなど梓には知る由もないが、段々とお梅が気の毒に思えてくる。
(芹沢さん、ここまで思われてて、しかも毎日通ってきてくれる美人がいるのに、他に目を向けるってなんで!?)
「私から芹沢さんに言いましょうか!?」
「あほやん。そんなん言うたところで意味ないわ。芹沢はんはうちでも何とかするし、あんたは佐伯はんに気ぃつけ」
「佐伯さん?」
突然出てきた名前に、またしても梓はキョトンとしてしまう。
「芹沢はんがあぐりはんを見初めたとき、佐伯はんもおったんよ。うちもおったけど。……普通うちが隣におるのに他の女に目を向ける?しかもうちに向かって『あの女良いな』なんて言うんやで!?」
思い出して地団駄を踏み始めるお梅を見て、話がそれた事に気が付き、梓は佐伯がどうしたのかと話を戻す。
「せやせや。芹沢はんが欲望むき出しの目であぐりはんを見てた時な、芹沢はんよりもえらいギラついた、危ない目を佐伯はんがしとったんよ。うちそれがずっと気になっとって」
お梅の芹沢に対する物言いに恨みが詰まっているの事に気が付きつつ、そこはあえて触れず話を咀嚼する。
佐伯は芹沢の腰巾着の1人だが,京に来てから加わった人物だ。梓はほとんど話をしたことはなく、どんな人なのかも知らない。
しかし、沢山の男を見てきたお梅の言うことだ。勘違いだろうと一蹴することなどできない。
梓の方でもそれとなく探ってみると約束し、前川邸の前でお梅と別れた。




