女の宿命
生々しい表現が入ります
ある日の朝方、梓は夜の巡察を終えて屯所に戻ってきた。
夏も折り返し地点に入っただろう頃だが、夜から朝方にかけては比較的過ごしやすく、梓はこの時期の夜勤が好きだった。
皆、夜勤の涼しさより日中の暑さの中寝なければならないのに耐えられないらしく、夜勤をやりたがらないため推んで夜勤を買って出ていた。
(……眠い。夜勤にも慣れてきたはずなのに、今日はやたら眠い)
特に大捕物があったわけでも無いが、日中暑さでよく眠れていないのか、この日はやけに眠たかった。
朝餉を済ませ早々に布団に入り、やっと寝られると目を閉じた時、ドタドタといくつもの足音が駆けてくる。その足音の主達は梓のいる部屋まで辿り着くと、風を入れるため開け放たれた室内に向かって大声で叫ぶ。
「川遊びだー!」
「あ!寝ようとしてる!」
現れたのはいつも元気な藤堂と沖田で、風呂にでも行くように手拭いを肩にかけ目をキラキラさせている。
誘われたらしい梓はと言えば、大きな隈を作った虚な目で上半身を少しだけ起こして2人を見る。
「……私、夜勤明けなのですが?」
迷惑だ。と隠す事なく態度で訴える梓だが、2人はそれに気付くことなく、聞いてもいないのに何故川遊びなのかと説明を始める。
なんでも、以前大坂で力士と乱闘騒ぎを起こした後から大坂の力士とは付き合いがあったらしく、その流れで京力士ともお近付きになり、今回京力士達に川遊びに招待されたのだとか。
説明を聞いたところで、女である梓が川遊びなど参加できる訳もなく、夜勤明けなのを理由に断り続ける。
仮に行けたとして、力士のような巨漢や筋肉隆々の隊士達に囲まれて川遊びなど、想像しただけで暑い。川の冷たさを差し引いたとしても暑苦しさが勝ちそうだ。
第一何人の隊士が行くつもりかは知らないが、巡察を放って昼間から遊んでいていいのかと言いたいが、今回も角屋の時同様、近藤と芹沢の両局長も参加するとのことで不問となっているらしい。
しばらく行くだ行かないだの問答を繰り返していたが時間が来たようで、梓が女だと知る土方に半ば引きずられるように2人は屯所を出て行った。
それを布団から音で確認し、やっと梓は目を閉じられたのだった。
どれだけ寝たのか、まだ起きる時間では無いだろうことは差し込む太陽の日差しでわかる。分かるのだが、腰回りから背中にかけてべっとりと肌に浴衣が張り付く不快感で目を覚ました。
暑さから相当な寝汗をかいたのかと思ったが、なにやら様子が違う。まさかこの歳になって漏らしたのか?と瞬く間に覚醒し、急いで上半身を起こし布団を確認すると、目に映った光景にサーッと青ざめる。
布団には真っ赤な血が、腰の部分を中心に丸く染み込んでいる。確認してはいないが、背中も同様に赤く血がついているのだろう。
それは、梓にはもう来ないと思っていた月のモノで、予想していなかった状況にどうすればいいのかと思考が空回り頭がうまく働かない。
月のモノが途絶えたのは、家族が殺された後からだった。それは梓が男として生きようと決意した頃と同時期で、梓は勝手に『男として生きると決めたから月のモノが来なくなった』と、気持ちで終わるモノだったのだと都合よく解釈していた。
しかし実際はそんなはずはなく、ただ精神的な衝撃をきっかけに止まってしまっただけにすぎなかった。
そんなこと梓が知る由はないが、突然再開された女としての機能は、今男として男所帯で生活する梓にとっては致命的な邪魔モノだった。
(と、とりあえず誰かに見られる前に、この状況を何とかしなきゃ……!)
本来、月経時は麻布や葛布という布切れや浅草紙などの紙を当てて血を吸わせるのだが、何の準備もなかった梓には手頃なものは手拭いしかない。捨ててもいい手拭いでまず背中を拭き、それを裂いて褌のように腰に縛りつけ応急処置をする。
最近は白や淡い色の着流しや袴を好んで着ていたが、久しぶりに黒い着物を見に纏い、一番の強敵、血のたっぷりついた布団と浴衣をどうするか。とりあえず丸めた布団に浴衣を包み込み持ち上げる。畳には被害がないようで不幸中の幸いだ。
布団を洗おうにも、いくら皆が川遊びに行っているとは言え屯所の井戸は人目が気になり使えない。
仕方なく梓は八木家の水場を拝借する事にした。
水場に誰もいない事を確認し、手早く済ませようと急いで洗い始める。
(……あーもう!予想はしてたけど、やっぱり落ちない!)
焦っても仕方のない事だが、どれだけ擦っても血はなかなか落ちず、浴衣は返り血と言えば何とかなるかもしれないが布団はどうにも言い訳できない。
焦りや苛立ちや困惑で徐々に視界が滲んでくる。今朝の眠気も今の情緒も、月のモノの所為なのだが、梓には抗う術がない。
自分が女である事を痛感し、嫌気がさし、溢れる涙を必死で抑えて布団を擦っていれば、後ろでジャリッと足音がした。
弾かれるように布団を背に隠し後ろを振り向けば、そこには八木家の奥さん、お雅が立っていた。
(見られた……!)
自分の取り乱した顔もそこそこに、布団についてどう言い訳しようかと頭を働かせていれば、お雅は少し驚いた顔をしたのみで、その後は「あらあら」とだけ発しパタパタと居なくなってしまった。
梓は状況が理解できないまま、お雅を追いかけるべきか布団を隠すべきかと視界を上下に動かす。
動けないまま少しすると、再びパタパタと足音がしてお雅が戻ってきた。
その腕には大根が抱えられており、動揺して忘れていたが血がついた着物は大根で綺麗になると母親に教えられた事を思い出す梓。
お雅も梓の母同様、大根を噛み砕き水洗いした布団に擦り付けていく。
なぜお雅は何も言わず一緒に布団の汚れを洗ってくれているのか、状況が飲み込めず呆然とお雅を見ていれば、雅もその視線に気がつき顔をあげて微笑む。
「梓はん。そないな顔せんと、せっかくの美人が台無しや」
そう言われ、自分が酷く悲壮感を背負った顔をしている事に気が付き、井戸の水でバシャっと顔を洗う。
それを見て雅はふふっと笑い、布団の染み抜きをしながら話を続ける。
「うちらなぁ、梓はんがほんとは女やないかって、何となく気付いとったんよ。ほら、よくうちの掃除やら洗いもんやら手伝ってくれるやろ?気の利かせ方がお嫁さんみたいやなぁって」
聞いていけば、源之丞は気付かないが女であるお雅には分かる程度の些細な事柄が重なり、段々と確信に変わっていったのだという。
八木家の風呂場や井戸を貸してくれたのも、梓が女だった場合助けになるのではとの配慮だったらしい。
「ふふっ。うちら男やと思ってた時から、梓はんのこと大好きやから。あんなムサ苦しい男ん中で女1人、周りに引けを取らずよお頑張っとるなて感心しとったんよ?」
にっこりと笑うお雅を見て、梓の心には知られてしまったという焦りは意外なほど生まれず、逆に知ってもらえたという安堵が満たされる。
隊内外問わず梓のことを女だと知るのは、今までは土方のみ。その土方も性格や副長という立場もあり、進んで梓を女扱いすることも何か手助けをする事もあまりない。
他の隊士と同等に扱ってもらえる点で、梓は土方の対応に感謝していたが、男の中に性別を偽って混ざる上で困ることは多々あり、それを相談できる相手がいないことは心細い事に違いなかった。
「……ありがとうございます」
心からの感謝と共に深々と頭を下げれば、お雅は笑い「これからは堂々と手助けできるわぁ」と喜んでいた。
布団の汚れはお雅のおかげもありだいぶ薄まったものの、完全に消す事はやはり難しく、新しく布を縫い付け八木家で使ってもらう事になった。
代わりに八木家が使っていない布団をもらい、白い浴衣は流石にどうにもならずお雅に処分してもらう事になった。
「お雅さん、何から何までありがとうございます」
梓が心からの感謝をこめて頭を下げると、雅は梓の肩に両手を乗せる。
「そない頭を下げんでええの。それより今は、目の前の問題や」
雅の言う問題とは、もちろん女の道の事。来てしまったものはどうしようもないが、問題はこれから定期的に来るであろうそれをどう過ごすかなのだ。
「とりあえずは三日間やね」
月経は個人差はあれど、大抵最初の3日が一番辛い。梓は痛みは少ない方だが、出てくる血は人並みにある。
流石に普通の女子のように、体を休めて過ごす事もできず、当然ながら隊務もある。斬り合いになれば派手に動く事は避けられず、当て布だけでは心許ない。
「……土方さんに言えば、何か理由をつけて隊務を免除してもらえるかもしれないのですが…―」
「そ、それ、梓はん的にええの…?」
恐る恐る聞く雅。その反応はもっともで、月経は例え家族内でも異性に知られることは恥ずべき事。女から言う事は絶対にないし、もし万が一男が気付いたとて、素知らぬふりをするのが礼儀だ。
梓とて、父や兄にも言ったことがないことを土方に言う事は、本来なら絶対にしたくない。しかし、今この状況では他に手段が思いつかない。
「……私は女を捨ててここに居るんです。都合のいい時だけ、女の気持ちを優先させるわけにはいきません…」
自分に言い聞かせるように呟く梓だが、今すでに羞恥を通り越した恐怖で顔は青ざめ、震える手を握り拳を作って誤魔化している状態だ。
「梓はん…ー」
「呆れたわぁ。今ここでそないになっとんのに、どう考えても無理やろ」
雅が言おうとしたことを数段強くした言葉が、被せるように後ろから聞こえた。
クスクスと笑いながら歩み寄ってくる人物を見て、梓より先に雅が干してある布団を隠すように立ち上がる。
雅の時といい今回といい、一般人に背後を取られてしまう梓は、今かなり注意が散漫になっているのかもしれない。
「菱屋はんのお妾はんが、家に何のようでっしゃろ?」
突然現れたお梅に対する焦りは一切顔に出さず、にっこり微笑むお雅。そこには勝手に家に入ってきたお梅への嫌悪感が滲み出ている。お梅もそれに気付いているのか、にっこりと笑い返してはいるが、目が笑っていない。
「別に奥さんには用はないんよ。芹沢はんを探しとっただけやし」
「あら。うちはてっきり、芹沢はんが留守やから遊び相手でも探しに来たんかと思ったわぁ」
「いややわぁ。もしかしてうちと遊びたかったん?すんまへんなぁ。うち、一周り以上年上のお姉はんとは何の話したらええんか分からへんわ」
「あらそうなん?花街でお兄はんとばっか話とったら、そうなるもんなんかなぁ。可哀想」
にっこり笑い合う2人だが、その後ろには隠しきれない嫌悪が滲み出ていて、梓は顔を上げられず、ただ洗濯タライに視線を落とす。久しぶりの女の言い合いを肌で感じているせいだろうか、それとも京言葉の威圧感だろうか。とても怖い。
(いや、この状況的に怖がってる場合ではないんだけど……。お梅さんはいつから後ろにいた?割って入ってきた会話的に、もしかして全部聞かれてた?)
チラリとお梅を見上げれば、お梅は即座にそれに気付いて視線を梓に向ける。
「せやなぁ。うち、こっちのお兄さんに用があるかもしれへんわ。借りてってええよね?」
真っ直ぐに梓を見て言うお梅に、梓も逃げきれないと悟り立ち上がる。
止めに入ろうとするお雅に大丈夫だと首を振り、後片付けを任せてしまう事のお詫びをしてから、お梅と八木邸を後にした。
見送りにお雅が「変なことしたら承知せんからな!」と怒る声が後ろから聞こえた。
メモ
この時代、月経は今以上にデリケートな扱いだったと思います。一説では生理中は生理部屋に篭って出て来ない。なども書いてありました。
勉強不足や解釈違いはあるかと思いますが、フィクションとしてお納めください。




