水口藩へのおつかい
永倉は探すまでもなく、昼を過ぎたというのに未だ布団で寝ていた。それを原田が敷布団を持ち上げゴロゴロと転がして布団から落とす。
「うお!?なんだ!?」
驚いて起き上がった永倉を前後で囲み、とりあえず1人目確保。と二人で顔を見合わせる。
寝起きの永倉に水口藩への使いの件を説明していると、井上がひょっこり現れた。話が聞こえていたらしく、暇だから付き合ってくれるという。
「源さん助かります!」
「いや、さっき歳にも頼まれてな。もしも芹沢さんが水口藩に乗り込みそうになったらついて行ってくれってな」
先を読んで手を回していた土方に梓は感服する。裏を返せばそれだけ芹沢の動向を危険視しているという事でもあるのかもしれない。
「さて、4人もいりゃ文句ねぇだろ。さっさと行こうぜ」
永倉は早く使いを終わらせたいのか、玄関に向かって歩き出した。
芹沢は数人連れていけと言っていただけで人数までは言っていない。4人で威嚇になるのかは疑問だが、人を集めるのも面倒なためそのまま永倉に続いて皆で八木邸を出る。
先頭の永倉が門から道に出たところで、「おわぁ!?」と横に飛びのいた。
視線を斜め下に向ける永倉に、猫でも踏みそうになったのかと門から顔を出して視線の先を辿る梓。
そこには門に身を隠すようにしゃがみこんだ小男が一人。眼鏡を押し上げて永倉を睨みつける。
「何だね君は!人の顔を見るなり奇声をあげて失礼じゃないのかね!?」
中を窺うようにしゃがみこんでいた自分を棚に上げて、小男こと武田観柳斎は立ち上がった。立ち上がっても梓の鼻先ほどしかない背丈が小男の所以だ。
武田は島田や佐々木より少し後に入隊した隊士だが、甲州流軍学を修めており頭がいい。その上ゴマを擦るのが上手く野心家な事もあり、新入隊士ながら近藤ともよく話をしているのを見かける。
そのかいあって近藤からの覚えはめでたいようだが、その他の隊士からはかなり嫌われている。それと言うのも、局長や副長にはへこへこと媚を売るくせに、それ以外の者には罵詈雑言を吐き捨て、新人にも関わらず隊士を手下のように扱うのだ。
(この人が武田さんか。なんか眼鏡をかけたイタチって感じね)
梓は武田と面識はなく噂だけは聞いたことがあったが、今目の前で新入隊士ながら永倉に食って掛かっているのを見ると、噂は間違いなかったなと思う。
「お前こそこんなところで何してる?まさか盗み聞きしようとしてたんじゃないだろうな?」
永倉が詰め寄れば、武田は分かりやすく視線を彷徨わせる。図星だろう。
「ひ、人聞きの悪いことを言うな!たまたま聞こえたのだ!水口藩に行くらしいな。お前達だけでは心もとなかろう。私が付いて行ってやる」
盗み聞きした事は隠さず、頼んでもいないのにそう言うと先頭に立って歩きだしてしまった。
「お前は芹沢さんにも取り入りたいだけだろうが!」
「もう放っておこう。あとで歳には報告しておくから」
怒る永倉を井上がなだめる。良くも悪くも真っすぐな性格の永倉は、相手によって態度を変える武田が心底気に入らないのだろう。
「早く来い!」と武田に呼ばれ一同はしぶしぶ歩き出した。
水口藩邸に着き、たまたま通りかかった男に「詳細を聞くため公用人の身柄を引き取りに来た」と告げれば、藩邸の中はたちまち騒がしくなった。
芹沢の言う通り、大人数で来たのが良かったのだろう。
梓達はしばらく玄関先で待たされた後、ビクビクと怯える藩士に中の広間に通され、冷たい茶まで振る舞われた。
相手方の態度を見て、自分達の優位を感じ取った武田は「我々は茶をしに来た訳ではないのだがなぁ!」とみるみると態度を強める。
(ほんとこの人、人の顔色を見るのが上手いって言うか、自分の立ち位置を見極めるのが上手いって言うか……どっちも悪い意味でだけど)
武田のペラッペラの脅しでも効果はあるらしく、お茶を運んできた藩士は「き、聞いてまいります!」と奥に引っ込んだ。
それからしばらくして引っ込んだ男が再びビクビク現れると、その後ろに顔色の悪い藩士がついてきた。
「あんたが公用方か?」
永倉が聞けば男は「いえ…」と歯切れ悪く答え、梓達の前に座るとスッと紙束を差し出した。紙束を見た梓達は意図が分からず再び男を見る。
「公用方は急用で出ているため、謝罪文のみ預かっております。どうかこれでお許しいただきたく……」
永倉が断りを入れて文に目を通せば、確かに謝罪の言葉と言い訳がツラツラと書かれている。
(急用っていうのは嘘だよね?外出している人が謝罪文なんて書けないだろうし。芹沢さんからは連れて来いって言われてるんだけどなぁ)
「待たせてもらっても?」
梓が聞けば藩士2人は驚き、更に顔を青くする。
「ど、どうか!どうかこれでお許しいただきたく!この通りでございます!」
「お許しを!」
公用方本人でもないのに、2人は両手を畳につき額までそこに付ける。
その態度を見て、流石に気の毒になる梓。
「どうしましょう?」
梓に聞かれ、隣に座る原田が口を開こうとした時、「どうするもこうするも、これで帰れるわけがなかろう!」と何故か永倉を挟んだ向こうに座る武田が答えた。芹沢に媚を売りたい武田らしい返事だ。
「とはいえ、相手が自称不在じゃなぁ。一旦持ち帰るか」
永倉がため息交じりに立ち上がれば、原田も井上も梓も続いて立ち上がる。
武田だけがなおも声を上げていたが、「それならお前は残ればいいんじゃねぇか?」という原田の言葉にグッと喉を鳴らし立ち上がった。
(一人で残るのは嫌なのね……)
どこまでも小物な武田に原田だけでなく永倉と梓もため息を吐いた。
「私は知らんからな!芹沢局長にはなんと言い訳するのだ!」
屯所への帰り道、武田はずっとこの調子で文句を言っている。
原田・永倉・井上は耳に入らないといった表情で無視して歩いていたが、そこまで大人ではない梓が一番にキレた。
今日は朝からお梅の男癖の悪さを耳にしたり情事を目撃してしまったりと、梓の酌量が少なくなっていたのもあるのかもしれない。
「さっきからぐちぐちぐちぐち煩い!自分だってあれ以上どうしようもないから帰ってきたんでしょう!?芹沢さんには私が言いますから、ちょっと黙っててくれませんか!?」
梓が誰かにそんな態度をとる所を始めて見た他3人は、一瞬驚いた後「よく言った!」と頭を撫でたり背中を叩いたりと梓を労った。
「聞いたか武田!これくらいの男気をみせて見ろってんだ!」
永倉が梓の背中を結構な力で叩き続けるので、梓はたまらずせき込む。
「梓、お前言うときは言うんだな。安心したぜ」
続けて原田が称賛するが、乱暴に撫でられたせいで髪の毛はぐしゃぐしゃだ。
井上は流石に2人ほど乱暴なことはせず、むしろ咳き込む梓を心配し痛む背中をさする。
そんな梓達の様子を、武田は黙ってジッと睨みつけていた。
どう言えば芹沢が納得するか。と武田以外の4人で頭を悩ませながら壬生の村に入ると、何やらあたりが騒がしい。
そこら中の家の前で、町人がコソコソと話をしている。心なしか視線も刺さる気がする。
何事かと思いつつ屯所がある八木邸に戻ると、八木家当主までもが表に出て近所の人と話をしていた。
「なにかあったんですか?」
あまりに困った顔をしているので梓が声をかければ、当主はそのまま困った顔を梓に向け、一緒に話していた近所の男性はコソコソと帰っていった。
「なんや梓はんは聞いとらへんのか?さっきあっちに首がさらされたんや。うちはもう肩身が狭いわ」
(さらし首!?この壬生に?)
八木家当主の話し的に、さらしたのは壬生浪士組なのだろう。いったい誰が?誰の首を?一つ思い当たった梓は嘆く当主に頭だけ下げ、急足で八木邸の中に入った。
門から中に入ると、昼間梓と原田で捕縛してきた横田長兵衛が庭にいない。代わりに彼のいた地面は濡れ、水で薄められただろうほんのり赤みを帯びた水たまりができていた。
さらされたのは横田だろうと、梓は確信した。
「おう、帰ったか」
梓に続いて皆が八木邸に入ると、土方が続き間で煙管を吸っていた。
「副長!芹沢局長はどちらに?この武田、急ぎ報告したき事が…―」
「芹沢さんはここにはいねぇ。どこに行ったのかも知らねぇな」
誰よりも早くしゃしゃり出た武田だったが、それを遮るように土方は煙管の煙で輪っかを作って遊びながら答える。
武田は「そ、それでは私は芹沢局長を探して参ります」と苦い顔をして足早に出て行ってしまった。媚を売るのに必死なこの男にも、苦手な人はいたらしい。
「源さんもご苦労だったな。相手方はどんな様子だった?」
武田が出ていくのを確認すると、土方は煙管を持ったまま一同に体を向ける。
井上が水口藩の対応を説明し、それに永倉が主観の感想や武田の愚痴を交える形で土方に報告すれば、土方は煙管を咥え腕を組んだ。
「ま、身柄を渡したくないのは当然だろうな。俺が向こう方でも芹沢さんには渡したくねぇだろうさ。問題は芹沢さんをどう説得するかだ」
帰ってくる途中皆で考えたが答えは出なかった問に再びぶつかった時、玄関先をドンドンと叩く音がした。
一番玄関近くにいた梓が対応にあたるために立ち上がる。
「どちら様でしょう」
玄関戸を開けると、見たことのない男性が一人、肩で息をして立っていた。この暑さの中を走ってきたのか、汗が噴き出す額を拭うことも忘れた形相で、言葉より先にガバッと頭を下げる。
「私は水口藩公用方・和田の友の者!先ほど書いた謝罪文を返していただきたく参りました!」
突然大声でそう言われ、キョトンとする梓。
その大声は、もちろん中にいた面々にも聞こえており、さっき受け取ったものをすぐに返せとはどういう事だと皆が玄関先に集まる。
「ちょ、ちょっと待ってください。謝罪文は先ほど水口藩からもらってきたのですよ?それを返せと言うのは……藩に許可をとっての事ですか?」
梓がもっともな質問を返せば、その男は眉を寄せて明らかに気まずい顔をする。
「許可もなく一個人のあんたに渡すわけにはいかねぇな」
土方が中から出てきて梓の隣に並べば、友の男は拳を握りゆっくりと地面に膝をついた。
「……どうか、お願いします。この騒動が万が一にも水口藩主の耳に入れば、どんな罰が下るか…!」
突然の土下座に梓は狼狽えつつ、チラリと土方を見る。
土方は眉間に皺を寄せて腕を組んでいるだけで、動く気配はない。梓としては友のために土下座までする男をこれ以上無下にもできず、どうするべきかと思案する。
(この事に関して、私達は芹沢さんに頼まれた身だから勝手に返すことはできない。でも、芹沢さんが返していいと言えば返すことはできるのよね?聞くだけはタダだし)
そうと決まれば、と梓は土方に一言断って前川邸に向かった。




