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お梅という女




 大坂での数日の滞在を終え、一同は京に帰ってきた。

 港風の吹いた大坂と比べ京の盆地の蒸し暑さに、梓は何度か引き返したくなる衝動に駆られながら、なんとか数日ぶりに八木邸の屯所にたどり着いたのだった。


「あれ?お客さんでしょうか?」


 八木邸の門の向かい。前川邸の塀でできた小陰に、一人の女性が立っていた。

 真っ先に見つけた梓に続き、皆興味ありげに視線を先へ伸ばす。


「おぉ?ありゃなかなかの美人じゃねぇか?」


 掌で目の上に影を作り永倉が言うが、遠くてとても顔までは見えていないだろう。

 男所帯の屯所に女性が来ること自体が珍しく、梓達は足を止めて誰の客かと予想合戦を始める。


「左之だろ?アイツは顔がいいからよく後を尾けられてんだ」

「え、尾けられるってそれ大丈夫なんですか?」

「いやいや歳だろう。アイツの出待ちは試衛館では日常茶飯事だったからな」

「出待ちって、いつ出てくるかも分からないのに?」

「案外平助かもしれませんよ?町で声をかけた人を呼びつけたとか」

「いやいやそれは……そうだったらどうしましょう」


 皆の予想に梓がいちいち反応していると、女性が梓達に気付いて笑顔で小さく手を振った。

 思いがけない女性の行動に永倉が真っ先に反応し、「俺か!?俺を待ってたのか!?」と大興奮で再び歩みを進め始める。他の面々はよく分からない状況に首を傾げながら、とりあえず永倉の後を追うように歩き始める。


 近付いてみれば女性は永倉の言う通りなかなかの美人で、儚げな目元と艶やかな唇は大人の色気を孕んでいる。

 それなりに近付いたところで、女性は小陰から出て笑顔で一行の方へ歩いてくる。それを見て、永倉が何を思ったのか両手を広げて迎え入れる格好をとる。


「なんだ新八。知り合いだったのか?」


 近藤の問いかけに永倉は「知らねぇが目が合った!」となおも両手を広げている。


(知り合いでもないのに何の確信があって抱きつこうとしてるんだろ?)


 梓のみならず、そこにいる永倉以外の誰もがそう思ったところで、女性は永倉の隣をスッと通り過ぎ、梓達より少し後ろを歩いてきていた芹沢の腕に抱きついた。


「芹沢はん。やっと帰ってきた。うちずっと待っとったんよ?そろそろかなって来てみて正解やったわ」


 女性は芹沢を見上げ微笑むが、喋り方もその笑顔もどれもが色気に溢れており、芹沢の腕には豊満だろう胸が押し付けられている。

 梓はあまりの色気に、何だか見てはいけないものを見ている気がしてサッと目を逸らしてしまったくらいだ。

 しかし当の芹沢は特に動じることなく、女性に向けて鼻で笑い、それどころか腕に張り付く女性を振り払う。


「暑い。ベタベタするな」


 それが局長としての威厳を保つ為の照れ隠しなのか、そもそも普段からそう言う態度なのかは分からないが、そのやりとりを凝視する皆に「今日はゆっくり休むように」とだけ声をかけ、再び女性に腕を組まれたままサッサと前川邸の裏口から中に入って行ってしまった。


(え、いいの!?男ばっかりの屯所なのに、あんな綺麗な女性を連れて行って大丈夫?ていうかあんな綺麗な人が芹沢さんの良い人!?)


 呆気に取られつつ皆を振り返った梓は、永倉の鬼の形相にビクッと身構える。

 勘違いとはいえ、自分に笑顔を向けたと思った色気美人が芹沢に取られたのだ。取られるも何もないのだが。しかも内心どうかはさておき、女性に対する態度はかなり雑に見える。女好きの永倉はハラワタの煮えくりかえる思いなのだろう。

 永倉の隣で肩を震わせて笑っている沖田を横目に、近藤は永倉を気遣って声をかける。


「新八元気を出せ。芹沢さんのあの態度からして、女性からの一方的な好意なのかもしれん。まだ望みはあるぞ?」

「あんな美人から好意を向けられて返さない男がいるか!?」


 食い気味な永倉の返事に、近藤も返す言葉に迷ってしまう。


「おい平間ぁ!!!」

「んあ?」


 永倉が突如後ろを振り返り平間に事情を聞こうと声をかければ、突然のことに平間も間抜けな声を出す。

 そして平間から、お梅と呼ばれるあの女性が芹沢とねんごろだと聞かされ、今度こそ永倉は崩れ落ちたのだった。



 お梅と呼ばれる女性は少し前から前川邸に出入りしているらしく、普段前川邸に行くことがない梓や試衛館の面々は気がついていなかったが、浪士組全体ではなかなかの有名人だったらしい。

 男所帯の浪士組に女がいると言うのはそれだけで何かが違うらしく、皆の心に潤いを与えているんだとか。しかしもたらす効果はそれだけでは収まらず、困ったことに微笑まれたり挨拶をされただけで自分に気があると勘違いを起こす者もいるようで、隊士達の喧嘩の素にもなっているらしい。


「ったく。どいつもこいうも弛みやがって」


 朝稽古が終わり、皆がそれぞれ汗を拭ったり暑さのあまり水を被ったりしている中、土方は眉間に皺を寄せていた。

 大坂から京に帰ってきて数日。今まで気にしていなかったから聞こえてこなかったが、気にして聞いてみればそこかしこでお梅の話を耳にする。かくいう朝稽古の中でも、コソコソと話している声を聞くくらいだ。


「芹沢さんも芹沢さんだ。何のために妻子持ちを遠くに越させてると思ってんだ。これじゃ示しがつきゃしねぇ」


 文句が止まらない土方の言うことももっともで、壬生浪士組はいつも死と隣り合わせの仕事をしている。

 浅葱色の切腹装束を模した隊服もそうだが、国のため上様のために命を投げ出すことも惜しまない。そんな者の集まりでもある。

 そのため、妻子が近くに居てはいざという時覚悟が鈍るという考えから、所帯持ちの隊士の場合妻子は京の都の外で暮らし本人は屯所での生活を義務付けていた。


 そんなふうに家族と離れてでも国の為にと働く隊士がいる中、局長である芹沢が屯所に女を連れ込んでいるのはどうにも見過ごせるものではなかった。

 そして、梓が聞いた話はそれだけでは終わらない。


「……あの、お梅さんって、その、奔放な方なんですか?」


 隊士達の話で気になってはいたが、いざ言葉にすると言い方に迷ってしまう梓。

 奔放というのは、主に『男に』だ。

 梓の遠回しな言い方でも土方にはしっかり伝わったらしく、大きなため息を吐いた。


「お前なぁ、仮にも女…―」

「何の話です?僕も混ぜてくださいよ」

「あの女の話か?」


 土方が恐らく「仮にも女が奔放とか言うんじゃねぇよ」と言おうとしたところで、後ろから土方にもたれ掛かるように沖田が、その隣から藤堂が顔を出した。

 いきなり現れた2人に、梓と土方は驚き言葉を飲み込む。


(危なかった…。土方さんもこんな人がいるところで迂闊なこと言わないでよ!)


 思わず梓が睨めば、土方は再びため息を吐き、とりあえず背に乗る沖田を退かした。


「そういえば平助君。私達が大坂に行っている間に、お梅さんに言い寄られたって本当ですか?」


 梓が隊士達が噂していた事を藤堂に直接聞けば、藤堂は一気に顔を赤らめた。


(なんて分かりやすい)


「い、いや、あれは言い寄られたって言うか揶揄われたって言うか……」


 しどろもどろになりつつ、その時のことを思い出しているのか手がワキワキと動いている。


「……平助君って、前に町に出た時とか、確か女性とは普通に話せてましたよね?」

「あぁ、平助は会話程度なら誰とでもできるんですけど、初心だから誘惑されるのには慣れてないんじゃないですかね?」


 コソッと沖田に聞けば、コソッと言葉が返ってきた。まさか藤堂が初心だったとは、言っては悪いが納得だ。

 手の動きを見る限り、かなり直接的に誘惑されたのだろう。

 

「大方、芹沢さんが大坂に行って暇だったんだろ。んなもんいちいち気にするな」


 くだらないと言いたげに、土方は呆れ顔で藤堂を宥める。この顔は藤堂に向けていると言うより、見境ないお梅に向けたものだろう。


「土方さんも言い寄られたんですよね?」


 他人事のように言う土方に、梓が再び聞いた話を振れば土方は一瞬固まり、沖田と藤堂はバッと土方を見る。


「おま、どこからそれを!」


(この焦りよう。隠してるつもりだったのかな?でも土方さんの場合、平助君みたいに誘惑されてたら簡単にノリそう……)


 京に来てからはそんなに派手に女遊びをしている素振りはないが、元が元だけに信用はできない。

 まさか芹沢相手に横恋慕してやしないだろうな?と冷めた目を向ければ、それに気が付いた土方はガシガシと乱暴に頭を掻く。

 

「どこでどう聞いたかは知らねぇが、俺は潔白だ!局長の女なんか願い下げだってんだ!」


 謎にキレ出した土方。見境はあったようで一安心だ。

 沖田と藤堂も同じ考えだったようで「おー」と拍手まで起こっている。


「それにしても、お梅さんでしたっけ?困った人ですね。この調子だと他の隊士達も手篭めにされてるんじゃないですか?」


 沖田の言うとおり。狙われたのは男前ばかりだが少なくとも十数人。しかも梓の聞いた話では何人かは致してしまっている。

 芹沢にどこまでの独占欲があるかは分からないが、大事にならないことを祈るばかりだ。


「左之さんも声かけられたけど断ったってよ」

「さすが原田さん。土方さんと違って信用できる」

「分かります。土方さんと違って左之さんって一途そうですよね」


 梓と沖田でうんうん頷いていると、土方からゲンコツが落ちてきた。


「まぁ左之さんはそうなんだろうけどさ、俺的にはアイツの男気にやられたね」


 頭をさする梓と沖田を無視して、藤堂が指さすのは手拭いで汗を拭う島田魁。

 大坂に行っていた島田が何故男気を見せられたのだろうか。そもそも島田は無骨な大男。お梅に狙われたのは男前だけのはずだが?と梓と沖田で首を捻ると、その島田の影からひとり男が現れた。大きな体で隠されていたのだ。


「彼ですか?見ない顔ですけど?」

「あ!あの人って、私達が度胸試しした時に真っ先に身構えた人じゃないですか?文句なしにおでこに丸を書いた記憶があります」

「ん〜?……あぁ。そう言えば島田君ともうひとり、今にも反撃してきそな人がいましたね。その彼ですか」


 どこからどう見ても爽やかな男前だが、肝試しの時には誰より早く身構え刀に手をかけた。なるほど彼なら男気もあるだろうと納得していると、藤堂が「佐々木―!」と彼に声をかけた。


「佐々木さんって言うんですね」

「……お前ら自分達が度胸試しした奴くらい名前を覚えろ。あいつは佐々木愛次郎だ」


 土方の補足を頭に入れていると、呼ばれた佐々木愛次郎が島田と共に梓達の元へやってきた。


「「先生方、おはようございます!」」


 島田と佐々木が声を揃えて頭を下げる。それに皆で返事を返すが、梓は未だ先生と呼ばれることにむず痒さを覚える。大坂では普通に話した島田も、土方の前ではそうもいかないのだろう。


「なぁ佐々木、佐々木もお梅さんに言い寄られてたよな?」

「え!?えぇ、まぁ」


 藤堂に突然話を振られて戸惑う佐々木。それはそうだろう。と同情する梓だが、藤堂はそれに構わず話を続ける。


「お梅さんに返した言葉、皆んなに聞かせてやってくれよ」

「え!?」


 今度こそ固まる佐々木。先程は同情した梓だが、藤堂が言っていた男気はその言葉から表れているのではないかと直感し、沖田と共に「聞きたいです!」と身を乗り出す。

 土方は笑って眺めるだけで止める気配はなく、年下とは言え先生と呼ぶ相手3人に詰め寄られては佐々木も断ることができず、オドオドと恥ずかしがりながらも口を開いた。


「えっと『俺には好いた女がいるので、彼女を裏切ることはできません』みたいな事を…言いました……」


 段々と声が小さくなり、最後には羞恥からか顔を両手で覆って上を向いてしまった。

 お梅の色気相手にそれを言い放つ佐々木を想像し、梓は思わず拍手を送る。それに対し、黙ってしまった佐々木に代わり藤堂が「どーよ!」と胸を張った。


(なんて筋が通った男前なの!こんなのもし自分が恋人だったら祝言まで一直線だわ!)


 江戸にいたころは女として、奉仕先の甘味処に来る女性客と理想の殿方の話で盛り上がったりした事もある。その時と同じ、胸がキューッと締め付けられるようなムズムズするような感覚に陥り、まだ自分の中に女としての気持ちが残っていたことを梓は実感した。


「いや、平助が胸を張れることなんて何もないですからね」

「なんだよ!総司はこの男気に惚れねぇのか?」

「いや佐々木君は素晴らしいですけど、平助が威張る事じゃ…-」

「相手は八百屋の娘であぐりって言うんだよな!」


 沖田のもっともな突っ込みを無視して、藤堂は再び佐々木に話を振る。

 なぜ知っているのかと尋ねれば、お梅がフラれた後に相手はどこの誰かと根掘り葉掘り聞いたらしく、その一部始終を藤堂は見ていたのだとか。


「お梅さん、そのあぐりさんって方に八つ当たりしたりしないですかね?」

「いや?あの感じは悪意ってよりただの好奇心って感じだったぜ?そのあとすぐ他の隊士としけこんでたしな」


 藤堂の返事に安心しつつ、お梅の見境の無さに同じ女として恥ずかしさと怒りを覚える梓。


(なんなのお梅さんって!佐々木さんが靡かなくて本当に良かった!)


「佐々木さん!あぐりさんを大切にしてくださいね!」

「は、はい!」


 梓が佐々木の手をとって言えば、佐々木は真っすぐ梓の目を見て返事を返した。

 土方や沖田からは「お前の言うことじゃねぇだろ」「あぐりさんの親戚の方ですか?」などと突っ込みを受けたが、梓は気にせず迎えに来た原田と巡察に向かったのだった。




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