舟涼み
「はぁ〜。風が気持ちいい〜」
「梓君、あまり乗り出すと落ちますよ」
「はぁい」
山南に後ろから声をかけられ、梓は船の窓枠から顔を引っ込める。
昨日のうちに天誅組を壊滅させ、朝方大坂奉行所に生き残りを届けた梓達は、現在予定通り川を下りながら舟涼みをしている。
良い風が船内に流れ込み、夕日が川に反射しキラキラと光っているのを眺めながら、食事やお酒を飲む。なんて贅沢な時間だろうか。
「沖田君はまだ機嫌が悪いのですか?」
「……みたいですね」
梓は料理をつまみながら、珍しくブスッと膨れて船の隅で座っている沖田を見る。
沖田の機嫌が悪い理由は、遡って天誅組の捕縛での事。
天誅組の1人を追った梓達は潜伏先を突き止め、言われた通り沖田は見張り、梓は報告に戻った。
しかし梓が京屋に戻った頃には既に天誅組は全員、他の壬生浪士の面々により斬殺・捕縛された後だったのだ。
沖田の見張る天誅組の生き残りは、来るはずのない仲間を待っている事になる。梓はそれを知り、沖田に知らせるために急いで潜伏先に戻ったのだった。
そして潜伏先で軽い捕物はあったものの、自身の出番がないまま終わった今回の一件に沖田は不満を爆発させているのが現在だ。
「おい総司よぉ。いつまでも不貞腐れてねぇで飲め飲め!」
「いりません。不貞腐れてませんし」
永倉が徳利を持って沖田に突撃するが、取り付く島もなくそっぽを向かれる。
「あんなに機嫌が悪い沖田さんは初めて見ました」
いつもニコニコしている沖田の膨れっ面に梓が珍しいものを見たと驚くと、隣に座る山南がコソッと梓に耳打ちする。
「沖田君は近藤さんが絡むとあんなかんじになるのですよ」
「近藤さん?」
(あぁ。そう言えば近藤さんが、最終的に私と沖田さんを尾行組にしたんだっけ。確かにあそこで酔っ払い制圧組にしてもらえれば少なくとも4人とは斬り合いができたわけか。でもそれって結果的にってだけで…)
「沖田さんって結構子供っぽいところありますよね」
「そうですね。梓君はそうでなくてよかった」
2人で笑い合っていれば沖田から睨まれている視線を感じたが、気のせいという事にして料理に箸をのばす。新鮮な魚料理に舌鼓を打っていると、少し離れた所から「おい童」と声がかかる。
梓のことをそう呼ぶのはもちろん芹沢で、沖田のように無視したいところだが仮にも局長相手にそうもいかず、手招きされるままに上座に向かう。
「なんですか?」
久しぶりのまともな会話。あんな事があった後でもあるし、少しぶっきらぼうになるのは許してもらいたい。と梓は心で言い訳をする。
「童其のニを何とかしろ。あぁも不機嫌な顔をされては酒が不味くなる」
そういう割にはグビっとお猪口を煽る芹沢。まだそこまで多くは飲んでいないのを見て、ひとまず安心する。
「芹沢さん。くれぐれも飲み過ぎないでくださいね。お酒は気を大きくしますから」
「お、童も言うようになったな」
ハッハッハッと笑う芹沢だが、梓にとっては笑い事では無い。
最近芹沢の酒の量が増え、暴れる事も多くなっていると噂で聞いた。思い返せば先日の押し借りのときも、花街で遊女に手をあげた時も、酒を飲んでいた。酒のせいばかりでは無いだろうが、控えて悪いことはないはずだと思ったのだ。
「そんなことより童其のニだ。何とかしてこい」
「何とかって言われても、機嫌が悪いのは私にはどうしようもないですよ」
「機嫌をとってくればいいだろう」
簡単に言ってくれるが、沖田は今回活躍ができなくて拗ねていると言っていい。梓には、代わりに誰か悪者を見つけて捕縛させるくらいしか、機嫌を直してもらう方法が思い浮かばなかった。
(そんな悪者も、そう簡単には見つからないんですけど)
「機嫌の取り方がわかりません」
「お前が機嫌が悪い時、どうしたら良くなるか考えればいい」
(私が?……私だったら……)
梓は腕を組んで考える。
自分が機嫌が悪い時、どうすれば良くなるか。梓の場合は沢山あった。
まずは食べ物。美味しいものや甘いものを食べれば幸せな気持ちになる。しかし沖田はここにある美味しそうな食事のどれにも手を付けていないから違うのだろう。
あとはやっぱり稽古だろうか。手合わせなんてした日には楽しくて嫌なことも忘れてしまう。沖田も梓と同じ剣術馬鹿と呼ばれるくらいなのだからきっとそうだろう。
「分かりました!」
梓は思い立ってすぐに沖田に駆け寄る。
沖田は走ってきた梓に何をしに来たのかと、少し嫌な顔を向ける。
「沖田さん!後で手合わせをしましょう!場所は探さなきゃいけませんけど、夜遅い時間ならその辺の道でもいいですし!」
梓の提案を聞くと、沖田の表情がみるみる晴れやかなものに変わっていく。
「……約束ですよ?男に二言はありませんからね?」
「は、はい」
念を押す沖田だが、梓は男では無いため返事に少し戸惑いが出てしまった。沖田はそれを見逃さず「…嘘なんですか」とジトっと梓を睨む。
「いや、嘘じゃありません!二言もありません!」
「さっすが梓さん」
こうして沖田の機嫌は治り、周りでやりとりを見ていた一同は『そんな事でいいのか』と呆れた笑いを溢したのだった。
落ち着いたところで席に戻り、再び料理に手を伸ばす梓。
何となく周りを見渡せば、皆が楽しそうに飲み食いする中斎藤がいない事に気が付いた。
(船には乗ったんだから、居ないはずないわよね?)
口をもぐもぐと動かしながら再び見渡すがやっぱりいない。
気になって狭い船外に出ると船の後方、うずくまる黒い塊を見つけた。
「斎藤さん!?」
慌てて駆け寄れば青白い顔を梓に向ける斎藤。普段から肌の色は白い人だが、これは病的な白さだ。
「大丈夫ですか!?」
「……あぁ」
明らかに大丈夫では無い返事が返ってきたと同時に、斎藤は立ち上がり船から体を乗り出す。そしてオエッとえずいた。しかし何も出ず、ただ息が荒くなるのみで辛そうなのは相変わらずだ。
「斎藤さん、気持ち悪いんですか!?横になりましょう!船内…は余計気持ち悪くなっちゃうのかな?」
一通り慌てた後、梓は斎藤をその場に横にし船内に一度戻る。
手近なおしぼりをいくつかと水を掴み再び出ようとすれば、山南から声がかかり斎藤のことを手短に伝え再び船外に出た。
「斎藤さん、とりあえず汗を拭いておしぼりで首と額を冷やしましょう」
声掛けはするが返事は待たず、梓はテキパキと介抱する。
夏場など、実家の道場で門下生が稽古中暑さで倒れてしまう事が度々あり、介抱には慣れている。斎藤の場合は暑さとは違いそうだが、とりあえず気休めにはなるだろう。
「斎藤、気分が悪いならそうと早く言わぬか」
船内から芹沢が呆れた顔をして出てきた。斎藤は起きあがろうとするが梓がそれを許さず押さえつけて再び横にする。
「今船頭と話をつけた。近くに停まり次第降りるぞ」
芹沢はそれだけ言うと、船内にも指示を出しに戻った。
芹沢の意外な対応に、梓は呆気に取られながら騒がしくなった船内を見る。
(てっきり体調不良なんて知った事か!ってお酒を飲み続けるんだろうなと思ったのに、舟涼みを中断してくれるんだ?)
善人かと思えば悪人で、悪人かと思えば善人で、掴めない芹沢鴨という男に梓は戸惑うばかりだった。
その後すぐに船は止まり、一同は船から降りた。
斎藤はフラフラしながらも皆に謝ったが、気にするなと笑って返されていた。船から降り吐き気は止まったが、歩くこともままならない斎藤は島田の巨体に背負われることになり、とりあえず休めるところを探そうと皆で歩き出す。
「斎藤さん気分はどうですか?」
「……あぁ。だいぶ良い。……島田さん面倒をかけて…すまない」
「いやいやお気になさらず。無駄にデカい図体してますから」
島田の返事を聞いて安心したのか、斎藤はスウスウと寝息を立て始めた。顔は島田の背に埋めてしまって見えないが、斎藤が人前で寝るのはとても稀な事だった。
「斎藤先生、相当参ってそうですね」
「そうですね。暑さにやられたのでしょうか」
「と言うよりは、船に酔ったのでしょう。大坂に入って舟涼みの話が出た時から様子が変でしたから船酔いしやすいのかもしれません」
(船に酔う?ってどんな感じだろ?お酒に酔うのと同じ感覚なのかな?そんな事あるんだ……)
船に乗ったのも初めての梓は船酔いというものが分からず、斎藤の様子を見て辛さを想像することしかできない。
「斎藤さんもそれならそうと、乗る前に言えば辛い思いをしなかったのに……」
「言えなかったのではないですか?近藤先生に楽しんでこいと送り出されてしまいましたし。斎藤先生なりに昼食を抜いたり対策はしていたようですけど……」
「え、そうなんですか?島田さんなんで知ってるんです?」
「昔からそういう事にはよく目が行くもので」
(って本人が言ったんじゃなく見てたって事?)
大きな体の島田からは想像もできなかった目端の利きに驚きつつ、島田の前では女であるボロを出さないように常に気を張っていようと心に決めた梓だった。
少し歩いたところですっかり陽は沈み、提灯を灯す。
道なりに橋にさしかかったところで、向こう側から大きな影がこちらに向かって来ているのが見えた。
「なんだありゃ?」
「大きい人たちですねぇ」
前を歩く永倉と沖田も川向こうに気が付き、目を細めて持っていた提灯を前にかざす。まだ灯が届くほど近くではないが、向こうも提灯を持っているためうっすらと風貌が見えてきた。
「力士……ですかね?」
山南の言う通り、向こうから来るのは力士風の体格の大きな男達。体の大きな島田と比べても横幅があるせいか大きく見える。
「……私力士って初めて見ました」
あまりの大きさに呆気にとられてつい呟いてしまったが、ハッとしてすぐに口をつぐむ。
相撲の興行は女人禁制。やって梓も見に行ったこともなければ興味もなく、相撲や力士とは無縁に生きてきた。
しかし今は女ではなく男。
相撲は男なら一度はとったことがある遊びの一種。それで生計を立てている力士は人気もすごく、皆近くで相撲の興行があるとこぞって見に行くくらいの流行りようだ。
それを初めて見たなど、失言もいいところだ。
「お前、力士を見たことねぇって本気か?」
「意外ですね。梓さんなら近くに力士がいるって聞いただけで走って見に行きそうなのに」
沖田の驚きに「それって良い意味ですか?」とジト目で睨む。
そんなやり取りをしている間にも芹沢達は橋を渡り始め、案の定向こうから渡ってきた力士達と小競り合いを始めた。
「聞こえねぇのか?!そこを退けって言ってんだよ!」
「ひょろっひょろの田舎侍が大きい口叩いとんやないで?!そっちがいねや!」
平山が先陣を切って噛み付くが力士もなかなか交戦的なようで、双方退く気配は全くない。お互いが橋の左右に分かれて歩けば通れない事もない橋幅だが、それを良しとしないのが芹沢一派だ。
先頭を芹沢一派に歩かせたのが悪かった。と梓は急いで仲裁に向かう。山南も相手が相手なので大事になる前に、と梓と一緒に力士の元まで向かった。
「ちょっと平山さん落ち着いてください。芹沢さんも止めてください。こんな所で時間を無駄にしては斎藤さんを休めるところに連れていくのが遅くなってしまいます」
「失礼いたしました。我々急いでおりまして、気が立っておりました。ご容赦ください」
梓は平山と芹沢を宥め、山南は力士達に詫びを入れる。本当は双方悪いのだが、今は謝ってしまうのが一番早いとの判断だ。
平山は納得していない様子だったが、芹沢が渋々納得した事でチッと舌打ちをして道を半分譲った。
力士達はそれを見てフンっと鼻で笑い避ける事なくそのまま真っ直ぐ歩き出した。当然半分しか避けていない平山と肩がぶつかり、力士の巨体に押し負けよろけて橋の欄干に手をついた。
「力士風情が!」
芹沢の表情は途端に厳しくなり、持っていた鉄扇で力士の頭を思いっきり殴りつけた。せっかくこちらが下手に出て謝ったのにコレでは山南も梓も力士を庇う事もできない。
小さく呻き声をあげよろよろと反対の欄干に手をつく力士。それを仲間達が支えに駆け寄り、結果的に橋の隅に寄った力士達を今度は平山がフンっと鼻で笑い、皆は無事橋を通り抜ける事ができた。
その先の道は梓も覚えがあり、住吉楼という揚屋が近いと全員で向かったのだった。




