本庄宿焚き火事件
江戸を立って2日目。
陽が沈み切ろうかと言うころ、本日の宿泊地である本庄宿に辿り着いた。
初めてくるはずの本庄宿に、梓が最初に持った感想は『既視感』だった。
(ここ、夢で見たところだ……)
ただ似ているというものではなく、宿屋の並びや看板まで全く同じ。
そして夢ではこの宿場町のど真ん中で炎が上がる。それを見て大笑いする男。その男が誰なのか、梓はすぐに目の当たりにすることになる。
隊がぞろぞろと宿場町を進み、それぞれ今夜泊まる宿に分かれ入っていく。梓たちの三番隊も目的とする宿屋に向かってぞろぞろと歩いていたのだが、突然全員の歩みがピタリと止まった。
目的の宿屋の前。一人の男が男4人に対して頭を下げていた。その頭を下げられている4人の内、先頭で扇子を仰いでいる男。それが先ほどの夢で見た、炎を前に笑っている男だった。
「かっちゃん?あの人何してんだ?」
「おいおい、相手は芹沢さん達じゃねぇかよ。揉め事か?」
眉間に皺を寄せる土方に続き、永倉が困惑して腕組みをする。
早く会いたいと思っていた試衛館の主だったが、まさかいきなり謝罪しているところに出くわしてしまうとは思わず、気まずさから目を背ける梓。
土方が先に着いていた浪士組参加者に話を聞くと、どうも宿を確保する役目だった近藤が芹沢達4人の宿を取り漏らしたらしい。そこで芹沢達に謝罪と、散り散りに部屋に入ってくれと懇願しているところだと言う。
「おい皆のもの。今夜は野宿だ。こうも寒くてはたまらんな、火でも焚くか」
よく通る大きな声でそう聞こえた。
声だけ聞けば怒っている様子はない。しかし、近藤の提案を蹴って野宿をしようというのは、どう考えても当て付けにしか聞こえない。
芹沢の言葉に、一緒にいた男達は嬉しそうに返事をし、皆違う方向へ動き出す。
そのうちの一人、目つきの悪い男が土方達の元へ歩いてきた。
「お前達の大将の落ち度だろう。お前達も集めたらどうだ?」
それくらい出来るだろうと言わんばかりの口調で言われ、土方達も仕方なく薪拾いに加わることになった。
せっかく宿場町に着いたが、荷物を置くことなくその足で宿場町の外に向かう面々。ここでさよならとはいかず、梓もそれに加わる。
「梓、付き合わせて悪いな」
土方が黙々と薪を拾いながら梓に声をかけ、梓もそれに「いえ」とだけ答えて薪を拾う。
「夜は冷えるってのに野宿とはなぁ」
「焚き火するくらいなら宿に入ればいいのにな」
「あの人、気にするなとか近藤さんに言ってたぜ」
「嫌ですねぇ。面倒な人だなぁ」
薪を拾う手はしっかりと動かしながら、同時に口も動かす器用な試衛館の面々。
ブツブツ言う声に混ざり、宿場町の方からなにやら騒がしい声が聞こえ始めた。心なしか空が少し明るくなっているようにも感じる。
梓は夢の光景を思い出し、いち早く「皆さん、一度戻りましょう!」と言って宿場町の中心に向かって走った。
「おいおい、こりゃやり過ぎだろ……」
永倉が呆気に取られ呟いたのも無理はない。他の面々は驚きのあまり、空いた口が塞がっていない。
宿場町の中心で、ゴオゴオと音を出し炎が燃え上がっていた。
通りの真ん中に集められたのは木だけに留まらず、手押し車や店の軒先、長机や長椅子など、様々なものが積み上げられ炎の素にされている。
炎は周りの建物と同じ高さまで燃え上がり、離れていても熱さを感じる。
人も集まり、皆一様に信じられない光景に目を見開き立ち尽くす。
沖田と土方だけはそんな中でも、少し離れた場所で炎を見て高笑いする芹沢を睨みつけていた。
(……あぁやっぱり。今回の夢も現実になってしまった……)
梓が初めて予知夢を見たのはひと月前だった。
叔母の営む甘味処で奉公している最中、突然倒れたのだ。体調が悪かった訳ではない。本当に突然意識がなくなった。
そして見たのは、背から血を流し倒れる母、血の海になった道場と、そこに横たわる父と兄。
どれだけ意識を失っていたのかは分からない。
梓は起き上がってすぐ、心配する叔母には目もくれず店を飛び出した。
ただの悪い夢であればそれでいい。その時は、奉公先を飛び出してきてしまった事を母様に怒られよう。父様と兄上は冷やかしてくるだろうけれど、それも甘んじて受け入れよう。
頭の中では夢の光景が何度も何度も駆け巡り、走り続けた事でヒューヒューと聞いたことのない呼吸音が漏れ、冷たい空気が肺を痛める。
家に着くと、玄関の戸が開いていた。その光景に、背筋がゾクリと凍り体が一気に震える。
一目散に道場に向かおうとする鼻先を血の匂いがかすめ、それは段々と強くなり、途中台所で背から血を流し倒れている母を見つけた。
叫び声のような声で母を呼ぶが返事はなく、抱き起こせば冷たい体から、ダラリと腕が力なく垂れる。
震える体で梓は母を仰向けに寝かせ、開いたままの瞼を血の付いた手で閉じる。
そこからは意識も朦朧としていただろうと思う。
途中吐き気がして嘔吐した気もする。
ゆらゆらと壁を頼りに道場につけば、そこには夢で見た通り、一面真っ赤になった床と、そこに横たわる父と兄がいた。
他にも何人か倒れている人はいたが、覚えていない。
ただただ泣き喚き、自身も血だらけになりながら、冷たくなった二人に縋り泣いた。
その日から、予知夢は何度となく見た。
葬儀の日に雨が降る夢。隣の柿の木が切られる夢。近所に噂され遠巻きに憐れまれる夢。
事の大小に関わらず色々なことが現実になった。
パチンッと焚き火が弾ける音で我に帰った。
芹沢は「まだ寒い!火が足らぬ!」と高笑いをしている。それに応えるように、取り巻きの3人が次々と家具や建物の一部を炎に焚べていく。
宿屋の主人や女将さんらしき人達が、必死に取り巻きに縋り付いて止めようとしているが聞く耳は持たないらしい。
「……酷い」
思わず梓が呟くと、隣にいた原田も「やり過ぎだな」と同調した。
周りに目を向ければ、試衛館の面々が皆一様に芹沢達を睨みつけている。
しかし睨むだけで動く気配はない。
「……止めなくていいのですか?」
差し出がましいとは思いながら、一人で対応している近藤を補助しなくていいのかと言う思いも込めて、近くにいた土方に聞く梓。もしあそこにいるのが道場主であった自分の父だったら、間違いなく一緒に芹沢を止めるために頭を下げるだろう。
しかし土方からは「それは俺達の仕事じゃない」という、よく分からない返事が返ってくるだけ。それどころか、土方は山南を引き連れてどこかに行ってしまった。
残された面々はただただ近藤と芹沢のやりとりを傍観する。
何度目かになる近藤の静止にも、聞く耳を持たない芹沢。
「芹沢さん、このままでは宿にも火が移ってしまう。どうか火を消していただきたい」
近藤は何度目かの懇願のあと、両膝をついて地面に正座をした。
「近藤よ。部下を持つ者が、簡単にそういうことをするではない」
「私の事はいいです。芹沢さんの怒りを治めることが出来るのなら、どれだけでも頭を下げましょう」
そのやり取りを最後に、しばらく視線を交わらせるふたり。その間にも炎は大きくなり、パチパチと弾ける音もする。
梓達がいる所まで熱が届くのだ。炎の真横にいる2人は相当熱いに違いない。
どれくらい睨み合っていたのか。最初に折れたのは芹沢だった。
「……興が冷めた。火を消せ」
その言葉を待っていたように、いつの間にか桶を持っていた試衛館の面々が、炎に向かって次々と水をかけていく。
それと同時に、どこかから戻ってきた土方と山南が部屋の用意が出来たと芹沢達を宿に連れていった。
芹沢達が居なくなったところで、周りの見物人達も桶で水をかけ始める。もちろん梓も加わり、何度も何度も水をかけると段々と炎は小さくなっていった。
そして最後に、沖田が近藤にまで水をかけた。
よほど熱かったのか、近藤から湯気が立ち上っているように見える。
「お見事でした」
「いや、俺の落ち度だ。皆にも迷惑をかけたな」
そう言って申し訳なさそうに笑う近藤に、試衛館の面々が次々に声をかける。
それは労いだったり呆れだったり笑顔だったり様々だが、どれもが近藤への信頼の言葉に聞こえた。
(芹沢さんとのやりとりに手出ししなかったのも、近藤さんなら1人で説得できるって信じてたってことか。……人望ってこのことを言うのかな?)
人前で謝罪することも厭わず、真っ直ぐに相手の目を見て話す。しかし自身の中には、絶対に曲げられない一本の筋がしっかりと通っている。そんな近藤の人柄を見た気がした。
「芹沢さん達は部屋に案内した」
土方と山南が戻ってきて全員にそう告げる。
部屋を取り忘れたと言うのに、部屋に案内したとはどう言うことかと思えば、試衛館一派が使うはずだった部屋を芹沢達に空け渡したという。
自動的に野宿となる試衛館の面々に、申し訳なさそうにする近藤。それに対して「たまにはこういうのもいいよな」とみんな笑い野宿の準備に取り掛かった。
「君が梓君か。君まで巻き込んでしまって、申し訳ないことをした」
項垂れて梓にまで頭を下げる近藤に、梓は慌てて「気にしないでください」と両手を振る。
(私にまで丁寧に謝ってくれるなんて、なんでいい人なんだろう。……でも本当に、謝ってもらう必要はないのよね)
今まで女として育てられていた梓は、野宿などした事はもちろんない。それどころか、夜に家の外に出ていることすら厳しい母に良しとはされなかった。
それが今、誰に咎められることもなく、楽しく野宿の準備に加われている。不謹慎かもしれないが心が躍ってしまうのは止められなかった。
先ほどのことがあるので、最小限に焚き火を焚き、それぞれ思い思いの場所に横になる。皆慣れているのか疲れからか、あっという間にイビキが聞こえ出した。
出遅れた梓は、とりあえずイビキから1番遠い、皆とも少し離れた場所を寝床に決める。
小石や枝を軽く避け、その上にゴロリと横になる。寝心地は良い訳ではないが、草と土の匂いが体の力を奪っていく。
一日歩き詰めだった体は梓が思っていたよりも疲れていたようで、手足を投げ出して大の字になれば疲れが地面に溶けていくようだった。
「うわぁ……星だぁ」
空を見上げ、思わず声が漏れた。
目の前いっぱいに広がる星空はなんて綺麗なんだろう。歩いて見上げるのとは、これほどまで違うものなのだろうか。と感動する梓。
(野宿、良いじゃないの)
感動して目をキラキラさせていると、少し離れたところから噴き出す声が聞こえた。
まだ起きている人がいたのだろうか。と少し起き上がってみると、原田が座って梓を見ていた。しかも口元を押さえてぷるぷる震えている。
(もしかして、笑われたのって私か?)
納得できない気持ちでいれば、原田はゆっくりと立ち上がり梓の隣にやってくる。
「野宿、はじめてなんだな」
「はい。あれ?言いましたっけ?」
「いや、寝転がったところから見てた。恐る恐る寝転がって手足広げて、星だぁって。ブフッ当たり前じゃねぇか」
なんだか分からないがものすごく笑われている。馬鹿にされているようで、梓は口を尖らせる。
「恐る恐るじゃありません」
「ブハッそこかよ」
更に笑われてしまい、梓はもう怒るのも馬鹿らしくなって再び寝転がった。
(星が綺麗で癒される)
「はー笑った。悪かったって。星見て星だぁって反応が可愛かっただけだ。許せよな」
「か、可愛いって、私は男ですよ!?」
隣に同じように寝転ぶ原田に、思わず起き上がって力いっぱい言ってしまった。
すると原田は、何でもないようにシーっと自身の口元に人差し指を立てる。その仕草が妙に色っぽくて、梓はボッと顔が赤くなる。
それなりの声を出した手前、誰かを起こしてしまっていないかと辺りを一応確認し、赤くなった顔を見られないように再び仰向けに寝転がった。星空を見ていれば顔の熱もすぐに冷めていく。
「そう怒るなって」
「怒ってません。星が綺麗なので許しました」
「そりゃ星に感謝しねぇとな」
ハハハッと軽く笑ったきり、原田は喋らなくなった。
梓も寝ようと目を閉じたが、段々と寒さを感じ始める。よくよく考えればまだ2月の初め。暖かくなってきたからと言っても、夜は冷えるのだ。色々あって高揚していて、寒さなんて感じていなかったのだろう。
梓は持っている着物をありったけ着込むが、それでもまだ寒い。焚き火の火が羨ましいが、その周りは既に埋まっている。
(みんな明かりが欲しくて焚き火の近くで寝てるのかと思ってたけど、寒さ対策だった訳ね)
今更学習しても遅いが、もし次があったら1番に焚き火の近くを取ろうと決める。
寝てしまえばこっちのもの。と丸くなって寝ようのする梓に、半分寝ていた原田が気付く。
「なんだ、寒いのか?」
少しトロッとした声に、梓は起こしてしまった事を詫びる。
「すみません。もうすぐ寝るので大丈夫で、す!?」
「寒いときゃこうするんだ」
丸まった梓の腹に腕をまわし引き寄せる原田。背中から包み込まれるような体勢に梓は固まる。
(どどどどういう状況これ!?)
「は、原田さん!」
呼びかけても返事はなく、代わりに規則正しい寝息が聞こえてくる。
(え、寝てる?この状況で?)
混乱しらながらも、待てよ?と梓は心の中で首を傾げる。
(私は今男の姿で、原田さんも私を男だと思っている。ということは今のこの状況は寒がってた私を気遣っての善意?下心さえなければ問題ない?むしろ暖かくなったし…お陰で眠れそう…?)
考えている間にもどんどんと眠気が増していき、梓は疲れもあってあっという間に眠りについた。
そして久しぶりに、家族の夢を見た。
みんなで一緒に布団に入って話をする、ありふれた夢。
もう二度とは戻ってこない、幸せな空間の記憶。
「…ん……ッ!?」
朝方、目を覚ました梓は二度寝の誘いから一気に覚醒した。目の前に原田の整った寝顔があったからだ。
思わず叫ばなかった自分を褒めて、気を落ち着かせる。
(はやめに起きれてよかったわ。原田さんに寝顔を見られるなんてありえないし、まだ薄暗いこの時間なら他に起きてる人だって……)
ごそごそと原田の腕から抜け出し、キョロキョロと辺りを見回すと、先に起きていた土方と目があった。
しかも、その顔はものすごく呆れたアホの子を見るような目で……。
「お前には警戒心ってものがないのか?」
と、嫌味を言われてしまうのだった。




