仮同志への試練
大坂の滞在は思っていたよりも長く、最初のうちは隊士募集のための貼り紙を書いたり配ったりと動いていたが、それもひと段落してからは本当に暇になってしまった。
そんなある日、うとうとと昼寝をしている時に予知夢を見た。
どこだか分からない見覚えのない通りから、一つ中の通りに入る。並ぶ家々の中、一つの家の前で立ち止まると戸を開けた。
戸を開けるとすぐ暖簾があり、それをくぐると5畳ほどの部屋。壁一面に薬棚が並び、薬を調合する器材が机に置いてある。
夢なので臭いはしないが薬の臭いがしそうな空間。町医者の家だろうか。
少し待って奥から出て来たのは、梓より少し年上らしい男性。整った顔をしているが沖田ほどではなく、色黒なところ以外たいして特徴のないどこにでもいる丁髷頭の男だった。
「え、これだけ?」
パチっと目を開けると同時に言葉を発した梓に、同じ部屋にいた沖田と藤堂は驚いて梓を見る。
「びびったぁ。寝言か?」
「これだけって、食べ物の夢でも見てたんですか?」
「ち、違いますよ!寝ぼけてただけです!」
そう言って勢いよく起き上がり、夢の内容を思い出し顎に手を当てて考え込む。
(今のって…予知夢?何が言いたいのか全然分からないんだけど?)
意味のない予知夢を見る事は珍しくはない。
しかし知らない人物が出てくる場合は、大抵その後に関わり合いになる場合が多かった。今回出て来た人も今後関わり合いになる可能性は高いが、何をしている人なのか、どんな状況で関わる人なのか手がかりが何もない。
この人物を訪ねろと言う事なのか、医者だとしたら今後頼る事がある人物なのか、考えられる状況はいくつかあるが夢が短すぎて特定はできない。
(予知夢ってこんな事もあるのか。今後のために場所くらい突き止めておいた方がいいのかな?京なら大体巡察で通ってるから、知らない通りだったって事は京じゃないってこと?となると大坂?……どうせ暇だし探してみようかな)
思い立って大坂の町に繰り出した梓だったが、その日も次の日も、何日も歩き回ってみたが夢の通りは見つけられなかった。
5月11日。
京に帰る家茂公に伴って、壬生浪士組も帰京することになった。
約20日間と思いの外長い滞在となった大坂だったが、夢を見て以降毎日散策に出ていたせいか、梓にとってはあっという間の期間だった。
(結局あの人もあの家も見つけられなかったけど、大坂の町はわりと覚えられたし鴻池家の場所も知れたし収穫は結構あったかな。夢を見なきゃずっと部屋でゴロゴロしてたのかと思うと、意味のわからない夢でも見てよかった気がするわ)
収穫があったのは梓だけではなく、隊士募集も上手くいったようで、帰京する際は下坂する時よりも人数が多かった。
なんでも近藤や土方自ら声掛けに回った逸材も何人かいるようで、どれが誰だかは分からなかったが朝稽古の時にでも探してみようと、梓は密かに楽しみに思ったりした。
余談だが、大坂の町で殿内義雄と共に壬生浪士組に居た家里次郎が見つかった。
彼は梓達が殿内を暗殺したその日に隊から逃げ出していたのだが、運悪く芹沢達に見つかり、隊を脱するを許さずという局中法度に則るとの理由で大坂の常安橋会所にて切腹させられた。
梓達が八木邸へと約20日ぶりに帰って来たのとほぼ同じ頃、じっとりとした空気に雨まで降り始め梅雨入りとなった。
「梅雨は嫌ですね。外を歩けば泥だらけになるし、部屋の中はいろんな匂いで臭くなるし」
夕方、濡れた足袋を縁側に並べ愚痴る梓に、同じように足袋を並べていた沖田が「ですねぇ」と気怠げに答える。
朝2人で巡察に出る前、傘は差すか?という話し合いがあった。
死角が増える上いざという時手枷になるとの理由から、満場一致で差さないという結論になったのだが、それが良くなかった。
朝から傘無しで巡察をしたため、夕方屯所に帰る頃にはすっかり濡れ鼠。上から下、漏れなく下着までずぶ濡れだ。
帰ってすぐ羽織をビチャっと脱ぎ捨て、玄関先に積まれた乾いた手拭いで水気を祓う。その場で羽織だけでなく着物まで脱ぎ出す沖田を尻目に、急いで部屋に自分の着物を取りに入り、そのまま誰もいないことを確認して急いで着替えた梓。
本当はサラシも替えたいところだったが、沖田がいつ入ってくるか分からない状況では時間もかけられず、後に持ち越しだ。もちろん通ってきた床にできた水痕はその後残らず拭き取った。
とりあえずの着替えを済ませた後、洗濯場で袴の泥を落とし着物もろとも絞り上げ、足袋は綺麗に洗った。着物と袴と羽織は梁に棒を通し沖田の着物と一緒に部屋に干した。
そして現在、足袋だけは少しでも風に当たるよう縁側に並べたところだ。
雨が降っているというだけで、ここまで巡察後の作業が増えた事に2人揃って溜息が出る。
「やっぱり巡察にも傘は必要でしたね」
「そうですね。重かろうが邪魔だろうが、ここまで濡れる事はないですし」
沖田の意見に同調しながら、梓は傘を持ちたくなかった朝の自分を思い出す。
正直、傘を差しての巡察は視界がどうこうという沖田の意見に同意したのは建前で、梓はただ傘が嫌いだった。
江戸にいたころ、父と兄は傘を差さず走って出かける事が多かった。傘を差さない方が粋でかっこいいと二人とも思っていたのだ。
それは梓にもしっかり植え付けられ、梓も傘を差さずに出掛ける事に憧れた。しかし、母がそれを許さなかった。「女が傘も差さずに走るなんてはしたない」そう怒られて、父や兄の後を1人だけ傘を差して歩いて追いかける事もあった。
それが堪らなく悔しくて嫌だった。
(傘は嫌いだし、傘を差さずに堂々と歩けるのが朝は嬉しかったけど、こんなにずぶ濡れになるなら傘は必要か。ちょっと私用で近場に出かけるとかでもない限り、傘無しで出かけるのはお預けかな)
ため息をついて横に座る沖田を見れば、髪の結い紐を解き雑に手拭いで髪の水気を拭き取っている。
梓もそれを見て、自分の髪からポトポトと落ちる水に気が付き、同じように髪を解いて雑に水気を拭く。
「僕、一年で一番この時期が嫌いかもしれません」
「奇遇ですね。私もです」
濡れて張り付く髪や着物、ジメジメした空気と生臭さとカビ臭さ、外で素振りもできないという現実。
梓も沖田も髪をボサボサにし、ボーッと雨を落とし続ける空を睨む。
しばらくそうしていれば、奥の襖が開き土方が梓達に向かって歩いてくる。
「お前達、丁度良いナリだな」
土方の嬉しそうな声に何の事かと振り向く梓と沖田を見て、土方は更にウンウンと頷く。
「実はな、局長達と話し合って新しく入った隊士達に”仮同志期間”ってのを設けようと思ってな」
「「仮同志期間?」」
「簡単にいえば試用期間だ。脱走したら切腹って隊規は作ったが根性のねぇ奴が何人残っても意味がねぇだろ?そこで、仮同志期間にこの先壬生浪士としてやっていけるかを見極めようって考えだ」
(なるほど。入隊したはいいけど明らかに力不足な人だっているかもしれないし、そう言う人はここでは脱走するか斬られて死ぬかの二択。早めにふるいにかけられるなら、確かにその方がお互いにとって最良かも)
「見極めるってどうやってやるんです?腕試しとか?」
沖田の質問に、土方はニヤリと笑って梓と沖田を指さす。
「腕より大切なのは、度胸だろ」
土方に指さされ、梓は沖田を、沖田は梓を見て2人とも同時にピーンッと理解する。
梓も沖田も長い濡れ髪をボサボサと前に垂らし白い着物を着ている。この格好で度胸試しといえば、肝試ししかないだろう。
その日の夜中。梓と沖田は土方に言われた通り、前川邸の仮同志が集められた部屋へとコソコソ向かう。
「なんだかワクワクしますね。人を驚かすだけで明日の巡察が免除されるなんて最高じゃないですか」
「確かに。巡察は嫌いじゃないですけど、雨の日は懲りました」
言いながらうんうんと頷く梓は、着替えに苦労する分沖田より面倒事が多い事を身をもって経験した。サラシだってさっきやっと人目を盗んで替えられたところだ。おかげで少し蒸れてしまった。
「沖田さん確認なんですけど、私達を見て驚いた人の名前を土方さんに報告するだけでいいんですよね?」
「土方さんはそう言ってましたね。でも僕思ったんですけど、お化けが怖いって剣の強さとさほど関係ないですよね?平助とか怖がりだけどそこそこ強いし」
「フフッ。平助さん怖がりなんですね。でも確かに、そう聞くと驚いたからって弾くのは違う気が……」
「そこでですけど、僕らは幽霊ではなく不逞浪士として驚かすのはどうでしょう。戦う意志を見せれば良し、逃げれば失格って具合に」
「なるほど!いいと思います!相当混乱しそうですし、いっそ合否を顔に描いちゃうのもありですね!」
梓が言うと沖田は「それ良い!」と梓を指さす。そうと決まればと、前川邸の門の下で雨宿りしつつ、沖田と作戦会議を始めた。
時刻は間もなく丑の刻になろうかという頃。
沖田と梓は仮同志達の眠る部屋の襖をゆっくり開く。ざっと見渡しただけでも20人ほどだろうか。所狭しとぎゅうぎゅうになって寝息を立てている。
沖田と梓はお互いに手ぬぐいを巻いた顔を見合わせ頷き合うと、「佐幕派に加担せし者ども!」「天誅!!!」と予め決めておいた台詞を大声で発する。言い終わると同時にタァンッと沖田が勢いよく襖を閉めれば、皆面白いくらいに一様に飛び起きた。
飛び起きた後の反応は大きく分けて3種類。悲鳴をあげて梓達からできるだけ距離を取ろうと後ずさる者。状況が理解できずその場で驚いて固まる者。中腰になりすぐに動ける姿勢をとったり刀に手をかける者。
あまりにも分かりやすく分かれたことに梓が感心していると、沖田はニヤリと笑って刀を鞘から半分抜く。
仮同志達、いや、逃げ腰の人達からは更に悲鳴が漏れる。
(あ!沖田さんずるい!)
それを見て梓も楽しくなって刀を抜けば、布団まで被って震える者も出てくる。
しかし逆に、2人が刀に手をかけた事で固まっていた者の一部は冷静になり刀を手に持つ。それに梓が感心していると、初めから刀に手を掛けていた者が1人刀を抜いた。
(げ、こんな狭い所で斬り合いになったら怪我人続出だけど!?)
そうこう考えていれば1人が刀を抜いた事により、後を追うように何人か刀を抜き出す。
これ以上は収拾がつかなくなると沖田を見れば、梓の視線に気が付き沖田も梓を見る。お互い再び頷き合うと、刀を鞘に戻し両の手を顔の高さまで上げる。
「はい!そこまで!皆動かないように!」
「私達は壬生浪士組の副長助勤の者です!刀を納めて!」
未だ悲鳴が漏れていたので負けないように声を張り顔に巻きつけた手ぬぐいを取れば、刀を抜いていた者達は顔を見合わせ戸惑いながらも刀を鞘に戻す。
悲鳴も無くなり、夜らしい静寂が戻った。
一番近くで刀を出していた1人に灯りをつけるよう指示を出し、部屋が明るくなったところで梓は袴の結び目から吊るしてあった筆と墨を取り出す。
沖田も筆を取り出せば墨を付けて、2人で手分けして仮同志達のおでこに◯か×、それから●を描いていく。
「こんなもんですかね?」
「ですね。あとは念のため名前を控えましょう」
沖田に言われ、梓は更に丸めて懐に差していた紙を出す。
◯は戦う意志を見せた者。●は固まっていたもの。×は悲鳴をあげたり逃げる素振りをした者。と分かりやすく全員を振り分け、その順に並ばせ名前を言わせ書き取っていった。
全てを淡々とこなし、梓達は役目を終えて部屋を出る。
「あ、あの…?」
「あぁご苦労様。もう寝ていいですよ」
近くにいた者が声をかけてきたが、沖田はそれだけ言って微笑むと後ろ手で襖を閉じた。
部屋から出れば騒ぎを聞きつけ隊士が集まっていたが、沖田と梓の顔を見ると皆各々の部屋に帰って行った。
「僕たち、良い働きをしましたね」
「ですね。土方さんへの報告は明日でいいですよね?」
「叩き起こしますか?梓さんは怖いもの知らずですね」
「叩き起こすなんてしないですよ!絶対ゲンコツくらうじゃないですか!」
そんな会話をしながら、梓と沖田は仮同志達に何の説明もなく八木邸に帰り布団に入ったのだった。
翌日、おでこの墨は落としていいのかと律儀に八木邸に聞きにきた仮同志達によって、梓達の選別方法が土方の耳に伝わり、梓達は珍しく褒められた。
それからは仮同志が増えるたびに、不逞浪士に扮した隊士が斬りかかるという選別方法が昼夜問わず行われ、仮同志期間の名物となったのだった。




