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芹沢鴨の狂気



 

 奉行所から少し離れた所まで来た時、向こうから血相変えて走ってくる人がいた。ただ事ではない雰囲気に、近藤はその男を呼び止める。

 身なりからしてどこかの店の従業員らしい男に、梓は見覚えがあった。


(あぁ。やっぱりあの夢は今日の事だったんだ……)


「いかがした?」

「み、店に、ご、強盗が…―」


 息も切れ切れに答える男は、まだ春先だと言うのに汗が止まらない。相当な距離走ってきたのが伺える。

 梓はそんな様子を見ながら、夢と全く同じ光景に一瞬目を背ける。


(……ダメ!どんな現実も受け止めるんだ。その上で、予知夢は変えることが出来るのか試していかなくちゃ)


「よし。我々が行こう。して、店の場所は」

「北、北大路にある、両替商、鴻池家どす」

「そこなら何度か通ったことがあるぞ」

「源さん、案内してくれ。あなたはそのまま奉行所へ」


 井上を先頭に走り出す近藤と梓。店員は深く頭を下げると再びヨタヨタと奉行所に向かって走り出す。

 

 最初こそ勢いよく走っていたものの、井上は段々と足取りが重くなる。肩で息をしているのを見て、近藤も心配そうだ。

 ここまでは夢の通り。ここから梓は夢とは違う行動に出る。


「近藤さん!私先に行って様子を見てきます!」

「分かった。くれぐれも無茶はしてくれるな。道は分かるか?」

「大丈夫です!いってきます!」


 道は夢で走ったので鮮明に覚えている。その上、夢を見てから毎日巡察の通り道にしていた。迷うことはまず無いだろう。

 梓は井上達に合わせていた速度を一気に上げて走りだす。


(鴻池家で起こっていることはもう変えられない。それでも、夢の内容は変えられるっていう事実がほしい。夢では近藤さん達と一緒に鴻池家に着いたんだから、まずはそこが変えられるかどうか試す!)



 一心不乱に走り続け、鴻池家に着くと入り口横の壁に隠れて息を整える。来た道を見てもまだ近藤達は見えない。


「おいおいまだか!!?」

「何やってんだオラァ!!」


 中から怒声と陶器の割れる音がする。

 梓は呼吸を整え終わると、一つ深呼吸をして開け放たれている店先に立った。


「やめてください!芹沢さん!」


 中にいたのは芹沢と、そのお付きの5人。

 芹沢は奥の小上がりになった畳に腰を下ろし、瓢箪に入った酒を飲んでいる。その畳の上には、番頭らしき男と店の従業員らしき男達が3人。皆隅に集まり小さくなる中、番頭が従業員を庇うように前に出ているが、その肩は恐怖から震えている。


 暴れていたのは新見以外の、平山・平間・野口と梓が初めて見る男。おそらく新しく入った京の人間で腰巾着だという佐伯だろう。

 梓の声に、皆一様に動きを止めて店先を見るが、相手が梓だと分かると再び恐喝を再開する。


「何故、貴方がここに?」


 一番店先の近くにいた新見が細い目で梓を見る。

 梓は新見の問いに答えると言うより、芹沢に向かって言葉を返す。


「不逞浪士が店で暴れているとの訴えを受けてやってきました。後ほど近藤さんも到着します」


 近藤の名前に暴れていた4人は狼狽えるが、新見と芹沢に反応はない。

 梓的にはここで引いてくれればと願っていたのだがそれも叶わず、裏切られたような失望したような気持ちで芹沢を見る。

 その目は涙で滲んでいて、芹沢はそんな梓を一瞥して立ち上がる。番頭の元まで行くと鉄扇をたたみ、番頭ののど元に突き付けて詰め寄った。


「おい番頭。出さぬなら斬り捨てられても文句はあるまいな?」

「も、もうほんまに、堪忍してください。さっき渡したんで精一杯どす。これ以上は…―」


 番頭の言葉を最後まで待たず、芹沢は鉄扇で番頭の頬を殴った。

 番頭は吹き飛び、従業員の元に倒れこむ。口からは血が滴り、周りの従業員からは悲鳴が漏れる。


(……芹沢さん、なんでそんな事ができるの?怖い時はあるけど、芯は優しい人だと思ってたのに。いつも私に話しかけてくれてた笑い顔は作り物だったの?)


 夢で見たとはいえ、実際に目で見るまでは信じたくなかった。しかし今、目の前では夢以上の事が起きようとしている。

 芹沢は腰の刀に手を当て、ゆっくりと引き抜いた。


「出さぬのなら、死ね」


 番頭に向かい刀を振り上げる芹沢を見て、梓は急いで飛び出しその刀を払う。

 キィンッと澄んだ音がして、梓と芹沢は睨み合う。梓の目には一筋の涙がつたっていた。


「そこまでだ!」


 睨み合っていると店先から声がした。

 近藤の登場に、今度こそ取り乱す取り巻き達。近藤の額には青筋が浮かび、芹沢を強く睨みつける。

 その様子を見てずっと黙っていた新見が「芹沢先生」とだけ、投げかけるように口を開く。


 芹沢はチッと舌打ちをして、元座っていた場所にあるずっしりとした巾着を持ち上げる。小さくチャリッと音がした事で、それが店のお金だと分かる。


「芹沢さん!」

「番頭、また来る」


 近藤の静止を無視して、芹沢は酒を飲みながら店を出て行った。その後を5人の取り巻きが追う。

 梓は動けず、近藤も自身の手を強く握りしめるのみで動かなかった。


「あ、あんたら、さっきの男達とは知り合いなん?!」


 芹沢達が見えなくなると、従業員の一人に強い口調で問われた。

 梓は「すみません」と謝る事しかできず、番頭の口を拭くようにと手拭いを差し出したが、それも他の従業員によって叩き落された。


「そんなもんいらんわ!何なんやあんたらは!」


 梓を睨む三人の目には、恐怖よりも明らかな憎悪や敵意があった。

 声を発しない1人は、目に涙を溜めて梓を睨みつけている。


(あぁ。この人たちの中では、私も芹沢さん達と同じ悪人なのか……)


 今まで生きてきた中で、とりわけ京に来てから恨みの籠った目は何度も向けられてきた。それでも、何の非もない一般人に向けられるそれは、今までのどんな恨みの籠った目よりも梓の心を抉った。


「…や…めなはれ。こん人は恩人や」

「でも…-」

「でもやあらへん!」


 番頭はよろよろと起き上がり、従業員を制し手をついて深々と梓に向かって頭を下げた。


「こん度は危ないところを助けいただいて、ほんまにありがとうございました。この御恩は忘れまへん」

「そんな!やめてください!……こちらの方が…すみませんでした」


 梓は込み上げてくる感情を必死に抑え、番頭の前で同じように手をついて謝った。

 申し訳なさ、恥ずかしさ、許された事への安堵、色々な感情が渦巻いて頭が上げられない。


「…梓君、奉行所が来る。後は任せて我々は行こう」

「でも…!」

「はよ行ってください。後のことは大丈夫どす」


 にっこり笑う番頭に再び頭を下げ、後ろ髪を引かれつつ梓達は逃げるように鴻池家を離れた。



 途中息を切らした井上と合流し、巡察は中断して屯所に戻ってきた。

 近藤は終始険しい顔をして、屯所に着くなり土方を呼んでドスドスと奥の部屋に篭ってしまった。


 井上は状況が分からないながらも空気を読み黙っていたが、近藤がいなくなった途端に何があったのかと梓に問いかける。土方と共に非番だった沖田も、何事かと話を聞きにやってくる。

 梓は出来るだけ感情を殺し、見たことを包み隠さず話した。感情を表に出せば泣いてしまいそうだった。



 全てを話すと、井上は梓の頭を優しく撫でる。


「そんなことになってたんだな。辛かったろうに、話してくれてありがとう」

「梓さん、僕言いましたよね?あの人は良い人ではないって。見抜けない梓さんにも問題はあるし、裏切られたって被害者ぶるのも違うんじゃないですか?」


 井上の優しさに涙腺が緩みそうになったのも束の間、沖田の言葉の剣が梓を貫いた。

 井上はすぐに窘めるが、沖田は悪びれる様子はない。


(確かに…確かに沖田さんは芹沢さんがお酒で豹変したとき芹沢さんの事を良い人とは言わなかったけど、自分の目で確かめろって言って教えてくれなかったのも沖田さんよね?それを被害者ぶるな?……は?)


「……私がいつ、被害者ぶりました?」

「いつも何も、帰ってから今現在もずっとですよ?顔に『私可哀想。慰めて』って書いてあります」

「お、おい総司」


 平然と言う沖田からは悪意は感じない。梓を怒らせる事を少し楽しんでいる節はあるが、本当に思ったままを言っているのだ。それだけにタチが悪い。


「そんなこと書いてません!」

「いや、書いてありますよ」

「書いてない!」

「書いてありますって」

「書いてありませんよね!?」

「書いてますよね?」


 梓と沖田の言葉の応酬の間に挟まれオロオロしていた井上だったが、いきなり意見を求められ更にオロオロとする。

 しかし井上の返事を待たず、また2人の応酬に戻る。


「そんなに言うなら聞きますけど、仮に沖田さんが私の立場だったとして、騙されないって言いきれますか!?」

「そんな仮はないです」

「た・と・え・ば!です!」

「そうですねぇ。僕でも騙されるかもしれませんね」

「はあ?あれだけ騙される方が悪いって言ってたのに!?」

「そんなこと言ってません。見抜けない方にも問題があるって言ったんですよ」

「一緒じゃないですか!」

「ちがいますよ。大体、あの人梓さんの前でだけ人が違いましたから」

「……それ前にも言ってましたね」

「ああいう人が本気で隠そうとしていたのなら、疑わない限り見抜くのは困難です」


 うんうん。と腕を組む沖田。梓は、なぜ芹沢は自分にだけ裏の顔を見せなかったのか。と腕を組んで考える。


「……終わったのか?」


 オロオロしすぎて疲れ果てた。と言った表情で井上が声をかければ、2人とも腕組みをしたままお互いに顔を見合わせる。


「……沖田さんでも見抜くのが困難なら、私に非はないんじゃ?」

「前に僕が疑うきっかけをあげたんですから、その時から尾行でもして探ればよかったんですよ」

「……尾行…そこまでの行動力はありませんでした」

「梓さんの非ですね」

「……はい」


(そうか。きっかけは貰っていたんだから、行動しなくちゃいけなかったんだ。違えばいいと思うあまり、動かなかった私が悪い)


「今度こそ終わったか?」

「「おわりました」」


 井上の問いに声を合わせて答えれば、井上はやっとホッと胸を撫で下ろす事ができた。


「お前達2人の会話は直球すぎて、見ているこっちがヒヤヒヤする」


 井上の独り言に、梓と沖田は首を傾げた。





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