花街での騒動と
芹沢の言った通り、遊女達は歌ったり舞を踊ったりと場を楽しませ続けた。それを見ていれば、自然と皆の酒も進む。
中でも常に遊女が隣にいた芹沢は特に呑んでいたようで、梓が気付いた頃には遊女の背には空の徳利が何本も並んでいた。
(芹沢さん、飲みすぎてないかな?心なしか目も据わっているような……)
そんな梓の心配はすぐに的中する。
遊女が芹沢のお猪口に酌をしている際、芹沢がゆらついたせいで酒が芹沢の着物に溢れたのだ。
「いやや、堪忍え。すぐに拭くもん…―」
「なにをする」
「?せやから拭くもんを…―」
「なにをしたかと聞いておるのだ!!!」
突然の怒声と同時に、パチーンッと大きな音がして芹沢の隣の遊女が横に飛ぶように倒れた。
いきなりの事に、その場にいる全員が芹沢達の方を見る。
(なに!?なんで急にこんな事になってるの!?)
状況が掴めず動けないでいると、芹沢は更に遊女の襟元を掴んで上体を起こさせる。
「か、堪忍…―」
「堪忍じゃない。申し訳ありませんでした。だろう」
遊女の顔にこれでもかと詰め寄る芹沢。その目はやはり据わっていて、正気ではない状態に梓は急いで止めに入る。
「芹沢さん、落ち着けって!」
下座にいた梓より一足早く、芹沢と同じ上座にいた永倉が遊女の腕を掴む手を押さえる。
「止めるな永倉。無礼者に注意をしているだけだ」
「芹沢さんやめてください!」
永倉の静止を聞かず反対の手を振り上げる芹沢。
梓は急いでその手を掴みにかかるが、「うるさい!」と払われお膳に突っ込む。
「梓さん大丈夫ですか!?」
「芹沢さん、一回冷静になれって!」
梓に駆け寄る沖田と、梓の代わりに芹沢の腕を止める原田。
その隙に永倉は芹沢の手を遊女から剥がし、遊女3人を部屋から出す。
「……永倉、なぜ逃す」
「芹沢さん飲み過ぎだぜ。ちょっとした不手際じゃねぇか」
永倉と芹沢が睨み合う中、原田は芹沢の腕を掴んだまま梓の方を向く。沖田に支えられて起き上がる梓は、どこかを打ちつけた訳ではなく自分の不甲斐なさに俯く。
「梓は平気か?」
「は、はい。すみません」
そんなやりとりを横目で見て、芹沢は永倉と睨み合うのをやめて一度大きく息を吐く。
いまだに掴まれている腕の力も抜き、原田に「離せ」と一言言えば原田もゆっくりと芹沢の腕を離す。
「気分が悪い。帰る」
相当酔いが回っているのか、フラフラと立ち上がって歩き出す芹沢。今日はお付きがいないため永倉がその後を付き添う。
「俺らも行くか」
「ですね」
永倉に続いて原田と沖田も立ち上がり、梓も2人の後を追う形で座敷を後にした。
座敷を出たところで、騒ぎを聞きつけて出てきていたらしい野次馬がヒソヒソと眉間に皺を寄せて陰口を叩いている。
その後ろに、先ほど太夫道中で歩いていた太夫もいた気がした。
「芹沢さん、最近おとなしかったから忘れてましたが、本庄宿の時を思い出しましたね」
「だな。まさか女にまで手を上げるとは思わなかったけどな」
「あの人、昔から酔うとダメらしいぜ。見境がなくなるんだと」
前をゆらゆら歩く芹沢から少し離れたところを歩く梓達。
皆、今の芹沢になんと声をかけて良いのか分からず、とりあえず一定の距離を保っていた。
ゆらゆらよろよろと歩く芹沢の背中は、梓には寂しそうに見える。
(確かに最初の印象は怖くて乱暴で最悪だった。それでも話をしてみれば、怖さの中にも優しさがあって知識も良識もある人だと思ってたのに…。お酒ってあそこまで人を変えてしまうの?)
「お酒ってそんなに良いものですか?」
梓がポツリと呟けば、3人は「うーん」と唸る。
「まーなぁ。酒を飲むと気が大きくなるっつーか、やな事も吹き飛んで楽しくなるんだよなぁ」
「僕はまだそこまで飲んだ事は無いですね」
「私もです」
「俺は昔酒で失敗してからは適度に酔う事を覚えたなぁ。新八は未だに失敗だらけだけどな」
一言多い原田が永倉に喧嘩を売れば、永倉は間髪入れずにそれを買う。
原田がどの程度呑んでいたかは知らないが、永倉はかなり呑んでいたはずだが、先程の騒動で酔いは覚めているらしい。
「まったく、騒々しい2人ですね。梓さんは静かですが、酔いましたか?」
後ろで罵り合いを始めた2人を尻目に、沖田は梓の隣に来て顔を覗き込む。
梓は浮かない顔を誤魔化すために咄嗟に笑顔を作る。
「いえ、そこまで呑んでません」
「では、失望しています?」
相変わらずズバッと聞いてくる沖田に梓は困った顔で笑い、前を歩く芹沢を見る。
「失望…とは少し違いますね。確かにお酒であぁなってしまう芹沢さんを目の当たりにして、驚いてはいますが…。お酒でダメになってしまうなら控えて貰えばいいでしょ?普段は普通に良い人ですし」
「そうですね。でもその良い人は、梓さんの前でだけかもしれませんよ?」
「?どういう事です?沖田さんにも稽古つけてくれたり良くしてくれているでしょ?」
沖田の言わんとする事が理解できず聞き返すと、沖田は「うーん」と口を引結ぶ。
「僕から言うことでもないので、梓さんの目で見てください」
見てくださいと言うのは芹沢を、だろうか?と梓は再び前を歩く芹沢を見る。
(私が知らないだけで、芹沢さんには違う顔があるってこと…?)
沖田は何を知っているのか、芹沢の本性は善人なのか悪人なのか、今の梓はただ芹沢が善人であれば良いと願うことしかできなかった。
「八木さーん!表の掃き掃除終わりましたー」
やっと訪れた非番の日。
と言っても梓には特にやりたい事もなく、最近忙しくてできていなかった八木家のお手伝いを買って出ていた。
「おおきに。梓はんがおると楽できてええわぁ」
試衛館組が借りている続き間の奥の更に奥。八木家の一家が寝起きしている部屋の1つで、当主の八木源之丞はズズズッとお茶を啜る。
その向かいに座っていた奥方の雅は、梓にもお茶を差し出す。
「ほんまやなぁ。働き者やし顔もええし、うちに女の子がおったらお婿にしたいくらいやわ」
「……顔は関係あらへんのやないか。お前が好きなだけやろ」
「えぇやろ。若い綺麗な子ぉは見とるだけで若返るもんなんや」
梓を褒めちぎる雅と、それが気に入らない源之丞の軽快なやりとりに、梓は謙遜し苦笑いを浮かべながらお茶をもらう。
よく手伝いをする事もあり、梓はすっかり八木家と懇意になっていた。
「そういえば、おばあさんはお出かけですか?」
八木家の息子・為三郎はよく遊びに出ていて留守のことが多いが、雅の母である老婆はいつも家にいるのだが、今日はまだ見ていなかった。
梓がキョロキョロと辺りを見回して聞くと、源之丞と雅は顔を見合わせてため息をつく。
「アンタん所に原田っちゅう色男がおるやろ?」
「また顔かいな」
「ええやろ?色男を見ても若返るんや」
「お前は若返ってばかりやなぁ」
また夫婦で軽快なやりとりを始めたので、梓は「原田さんがなにか?」と話を元に戻す。
「せやせや。その原田っちゅう色男に、母が惚れてしまったようで…―」
「ゴホゴホッ!ほ、惚れた!?」
予想外の話の方向に、梓は雅の声を遮って咽せながら聞き返す。
「母が言うには亡くなった旦那…あ、ウチの父ね。旦那の若い頃にそっくりなんやって。どうがんばってもあないに色男では無いはずなんやけどな」
「わてが聞いた時はそっくりどころか旦那が戻ってきた言うてたで」
お茶を啜りながら付け足す源之丞に、雅は母を思って長いため息と同時に頭を抱える。
「とにかく、原田はんを見つけては着いて行ってしまうんや」
(なるほど。原田さんの事を旦那さんだと思ってついて回っているってことか。これは原田さんも大変だ)
その後もしばらく話を聞くと、おばあさんが原田を見てそう言い出したのがここ4・5日の事らしく、おばあさんは「あの人がお迎えに来た」とも言っているようで、八木家の面々は歳も歳だし言い当てるのではないかと心配しているらしい。
「だーかーらー、俺はまだ独りもんだっての!」
「あんたぁ、そないないけず言わんと」
どこかからそんならやり取りが聞こえてくる。
八木家の夫妻にも聞こえたようで、2人で顔を見合わせてため息をつく。
その後声と足音はどんどん大きくなり、襖が乱暴にザッと開いた。
「八木さん!良い加減にしてくれよな!巡察にも着いてきたぞ、このばぁさん!」
襖を開けるなり苦情を入れる原田は、夫婦と一緒にお茶を飲んでいた梓を見て一瞬驚いていた。
「巡察にって、お母はんそないに歩けたん?」
「歩けてねぇよ!途中で疲れたっつって座り込むから、置き去りにもできねぇし連れ帰ってきたんだよ!」
(巡察終わりにしては時間が早いと思った)
「あらぁ、そりゃ堪忍ね」
「原田さん何だかんだ優しいですね」
そんな文句を言いつつも、置き去りにしなかった事を褒めれば「うるせぇ!梓てめぇ!」と照れ隠しで髪をぐちゃぐちゃにされた。
そんなやりとりから数日後、なんと本当におばあさんは亡くなってしまった。
前の日まで原田を追いかけていたかと思えば、翌日朝になっても目覚めることがなかったのだと言う。
「ほんまに死んでまうなんてなぁ」
「でも、お母はんは幸せやったやろね。原田はんのおかげや」
亡くなった事を聞きつけ原田と共に梓が八木家の部屋に訪れると、布団で安らかな顔で眠るおばあさんを囲むように皆が座っていた。
「お、おいばあさん。本当に死んじまったのか?」
「ちょっと原田さん…!」
「昨日まで元気だったじゃねぇか…。そんなポックリ逝くなんて有りかよ?」
おばあさんの隣に座って語りかける原田だが、おばあさんからの返事はない。涙は流さないながら、泣いているような原田の背中を見て梓は静かに冥福を祈ることしかできなかった。




