進まぬ巡察
あっという間に酔い潰れた土方を抱えて帰った後、山南は寝る間も惜しんで一人、巡察の組み分けと指南役の当番表を作っていた。
そして翌日の朝、前川邸に張り出されていたその表を見て、梓は1日の予定を知る。
(えーっと朝は……近藤さんと井上さんの指南!?豪華!近藤さんにはいつも色々見てもらってるけど、今日は源さんもいるし、天然理心流の指導が受けられるのかな?…で、昼からは原田さんと永倉さんと巡察かぁ。3人1組?2人1組って聞いた気がしたけど……まぁいいか。今日から忙しくなりそう!)
「梓さんはお昼から巡察ですか?」
「あ!沖田さん」
後ろから沖田がひょっこり顔を出した。朝餉の時は寝ぼけていたようだったが、すっかり眠気も覚めたらしい。
「僕は今から早速巡察です。隊服がまだ届いていないようでガッカリですが、平助と2人で頑張ってきます」
「はい!」
(隊服…楽しみにしてる人もいるんだ……)
「帰ってきたら稽古ですか?誰の指南です?」
「えーっと確か、近藤さんと源さんですね」
「え?私もですけど、朝昼続けて指南ですかね」
「なるほど。指南役の日は巡察は無いのかもしれないですね。僕教えるの下手らしいので、毎日巡察がいいんですけどねぇ」
苦笑いして頭を掻く沖田だが、『あれだけ剣術が上手いのに教えることが下手なんてあるの?』と梓は首を捻る。
「らしい。ですか?」
「らしいですよ」
そんな会話をしていれば藤堂が巡察に行くと呼びにきて、沖田は手を振って出かけていった。
「よし!私も木刀持って行かなくちゃ!」
「おお梓君!よく来たな」
「おはよう梓」
壬生寺に着くと、すでに何人か木刀を振っていたが近藤と井上は梓に気付いて笑顔を向ける。
「おはようございます。近藤先生、井上先生、本日はよろしくお願いします」
礼儀として深々と頭を下げると、近藤と井上も「宜しく」と声をかけた。
「なんだか先生と言うのは照れるなぁ」
「何を言う!源さんだって歴とした天然理心流の免許皆伝!先生ではないか」
「近藤さんは言われ慣れているんだろうが、わしはなかなか言われないからなぁ」
「源さんも一日中先生って言われていれば慣れますよ」
恐縮する井上に梓も声をかければ、井上は頭を掻いて笑う。
「そういえば、指南役の日は巡察無しなのですね」
「あぁ。どうにも組み合わせが難しいらしくてな」
「なるほど。山南さん大変でしたね」
「山南さん、今頃疲れ果てて寝ているんだろうなぁ」
「まったくだ。山南君には迷惑をかける。これと言うのも歳が弱いくせに酒を煽るからだ」
呆れ顔の近藤から察するに、土方の酒の弱さはよく知るところなのだろう。
「土方さんってやっぱり弱いのですか?昨日は気付いたら潰れていたので、どれくらい飲んだのか見てなくて」
「弱いも弱い。それが嫌で滅多に酒は飲まないんだがなぁ」
井上が、なぜ飲んだ?と首を傾げるが、答えを知る梓でも口は開けない。まさか隊服が嫌で飲んでいたなど、口が裂けても近藤の前では言えなかった。
近藤と井上の指南はやはりと言うべきか、例の太い木刀を振る所から始まった。いつの間にか20本近く作られていた天然理心流の木刀を一人一本持ち、皆で声を揃えて振る。
梓は毎日の日課になっているので慣れたものだが、初めてこの木刀を振る隊士は多く、フラフラとふら付きながら振っている者も少なくない。
そんな者にはすかさず近藤の喝が入る。
「そんなことでどうする!実践で使う刀もこれくらいには重たいぞ!刀も振れずに不逞浪士が倒せるか!?逆にすぐ殺されてしまうぞ!」
そう言われてしまえば泣き言も言ってはいられず、皆一心不乱に木刀を振るった。
前半は天然理心流の木刀で素振り、後半は普通の木刀で素振り、となんと素振りだけで午前の稽古は終わってしまった。
(さすがに疲れたー。でも、みんなで素振りするって楽しい!)
「お前はいつも楽しそうだな」
手拭いで汗を拭いていれば声がかかり、誰かと思って振り向くと原田と永倉が立っていた。
二人とも普段から着物をかなり着崩しているが、今日はなんと上半身裸だった。
「ちょ、着物を着てください!副長助勤がそれじゃ示しがつきませんよ!」
「あ?いいんだよ。あんなに素振りさせられてそんなの気にしてられっか!」
「新八よく言った!あの指南の後涼しい顔してるのは梓くらいのもんだぜ」
原田にまでそう言われて周りを見渡すと、確かに皆疲労困憊といった表情で地面に座り込んでいる。立っているのは副長助勤と一部の隊士くらいだろうか
「へぇ。今立っている隊士たちは見所がありますね」
強いのかな?手合わせしたいなぁ。などと考えていれば「目を輝かせるな」と永倉からゲンコツをくらった。
「そんな事より梓、今日午後から巡察だろ?一緒に飯でも行かねぇか?」
「わ!いいですね!私まだ京に来てからご飯屋さん行った事ないんです。八木さんのお料理も美味しいですけど、お店のお料理も食べてみたいと思ってたんです」
(京の料理ってどんなかんじだろ?そんなに江戸と変わらないのかな?……ん?)
わくわく料理のことを考えていれば、隣で驚愕の表情を浮かべる二人に気が付いた。
「どうしました?」
「おま…飯屋に行ったことがないって…まじか?」
「梓!素振りばっかりやってちゃダメだ!もっと外に出ろ!な!」
どこぞの父親のような原田はさておき、聞き捨てならない言葉に梓は言葉を返す。
「素振りばっかりって失礼な!ちゃんと壬生寺で模擬戦もやってます。あ、壬生の木刀屋さんにも行きました」
それからー、と梓が考えていれば、原田に肩を叩かれる。
「よし分かった。今日は俺たちの奢りだ。京らしいもん食いに行こう」
「左之の奢りか!?何がいいかなぁ。湯葉か?鴨か!?」
「俺・た・ち・の、だ!馬鹿八!」
と言うことで、連れてきてもらったのは何のことない蕎麦屋だった。
ウキウキと期待して歩いてきたのにまさかの蕎麦屋で、梓は「京らしい食べ物たべさせてくれるって言ったのに」と恨みがましく原田を見る。
「そう睨むなって。驚くから」
「あぁ。ありゃぁ驚いたな。でも俺は違うものが…―」
「うるせぇ!黙って入れ」
さっきから永倉の扱いが酷い気もするが、いつもの事だと梓も永倉に続いて店内に入る。
(店の雰囲気も特に江戸と変わりないかな。強いて言えば、何だか鰹節の匂いが強い?)
「で、何を頼むんですか?」
「何って蕎麦屋に来たら蕎麦だろ?おばちゃん、蕎麦3つな」
原田が流れるように奥に向かって言えば「へーい」と声が返ってきた。
(まさか本当にお蕎麦だけ?京らしいもの食べさせてくれるって嘘だったの?…まぁ奢ってもらうのに文句は言わないけどさ。お蕎麦好きだし。コシのある麺。口から鼻に抜ける蕎麦の香り。出汁と醤油の濃―い…―)
「おつ…ゆ?」
あっという間に机に運ばれてきた蕎麦。
しかし、思い描いていた蕎麦とは汁の色が似ても似つかず、梓は箸を手に固まってしまった。
それを見て、原田と永倉は声を殺して笑っている。
「お客はん?どないしました?」
店員に声をかけられ、ハッとして梓は我にかえる。
「あの、このお汁、醤油入れ忘れてませんか?」
「いえ?入っとりますけど」
「え、あ、そうですか。失礼しました」
(これで入ってる?この色で?)
納得できない梓だが、店員も暇ではないため首を傾げながら奥に戻って行った。
梓はその後も汁を匙ですくってみたり匂いを嗅いでみたりを繰り返す。
そんな様子を見て、原田と永倉はひとしきり笑った後、なかなか箸をつけない梓に変わって自分の蕎麦に手をつける。
「ほら、梓も食え。冷めちまうぞ」
「で、でもこれ…―」
「いいから食ってみろ。郷に入っては郷に従えだ」
(郷?ってことは、京のお蕎麦はこれで正解って事?)
梓は恐る恐る匙ですくった汁を口に運ぶ。
口に入れる瞬間、鰹出汁のいい香りが鼻をくすぐり、口に入れば見た目ほど味は薄くなく、醤油の風味の代わりに出汁の香りと少しのしょっぱさが口いっぱいに広がる。
(んんんッ!?)
汁のあまりの美味しさに、梓は続けて蕎麦の麺をスルスルと啜る。
蕎麦の香りと出汁の香りが口いっぱいに広がり、思わず頬を押さえて「ん〜!」と唸った。
「どうだ。京の蕎麦は」
「すっっっっごく美味しいです!なんですかこれ!何ですかこの風味!」
梓が興奮して蕎麦と原田を交互に見れば、原田は自分が作ったわけでもないのに嬉しさでニヤける。
「確かに悪くねぇけどなぁ、俺はちょいとものたりねぇんだよなぁ」
「そうですか?原田さんもですか?」
「俺は元々伊予の人間だからな。逆に江戸の蕎麦の茶色い汁は は衝撃だった。すぐに慣れたがこっちの方が慣れた味だ」
(なるほど。場所によって蕎麦にまで違いがあるとは思わなかった。新しい発見)
その後も蕎麦談義をしつつ、京の蕎麦を堪能したのだった。




