忘れてはいけない重さ
「やりましたね、梓さん」
「そう…ですね」
走っている途中で大通りから裏道に入り、人目がない事を確認して歩き始める。
普段と変わらぬ声色の沖田に対し、梓はジッと手のひらを見つめ拳を開いたり握ったりを繰り返す。
「浮かない顔ですね。どうしました?」
「いえ、あまり気分の良いものじゃないなと再確認してました」
梓の手には未だに、殿内を斬った感触が残っている。
腕を斬った時の悲鳴も断末魔も、鮮明に耳に残っている。
胸の奥に飲み込めない何かが詰まっている感覚もある。
「それはそうですよ。人の命を奪っているんですから」
平然と答える沖田に、梓は納得のいかない視線を向ける。
「……沖田さんは普通に見えますけど」
「そうですか?僕も思うところはありますよ」
そうは見えないけど。と心で思うに留める梓。
「それにしても、梓さんの斬り合い凄かったですね!思わず見入ってしまいましたよ!」
突然明るい声を出してパッと飛び跳ねるように梓の方に体を向ける沖田。
そんな沖田の突然の切り替えに着いて行けず、梓は「そ、そんなことないですよ」と引き気味に答える。
「ありますよ!前に僕と手合わせした時も凄かったですけど、それとも違ってフワフワ飛んでクルクル回って刀もキラキラ光ってて!なんて言うかなぁ……あ!綺麗!綺麗でした!」
身振り手振りで興奮を伝えてくる沖田に、梓も段々と沖田の口車に乗せられて気分を良くしていく。
(綺麗って…自分の剣技を綺麗なんて言われて喜ばない人がいる!?一番嬉しい褒め言葉じゃない?)
「梓さん、前に僕とやったときは調子が悪かったんですか?…あ!疲れてたから?」
「な!ち、違いますよ!沖田さんの攻めの速さに反応するのがやっとだったんです!私だって自分の調子で攻められればそれなりにやれるんですよ!?」
売り言葉に買い言葉。負けず嫌いが顔を出してそう言えば、沖田は「ほお?」とニヤリと笑う。
「では、八木邸に帰ったら手合わせしますか?今度は梓さんから攻めて良いですよ」
「望むところです!」
早足でそんな話をしていればあっという間に八木邸に着き、二人で競うように中に入れば夜中だと言うのに全員が布団も敷かずに起きていた。
「あ!戻ってきた!」
一番玄関口の近くで座っていた藤堂が言えば、全員が梓と沖田の方を向く。
「おぉ帰ってきたか!」
「お疲れさん!」
「ご苦労様でした」
「よく頑張ったな二人とも」
永倉・原田が玄関に駆けてくると、続いて山南と井上も梓と沖田を労いに出てくる。
時間も遅く、当然全員が寝ているものと思っていた二人は、予想外の出迎えにキョトンと立ち尽くす。
「やったなお前ら!どうだった?どんなかんじだった?」
「藤堂空気を読め。そういうことは後にしろ」
「あ、そうだった。ほら!土方さんと近藤さんがお待ちだぜ!」
藤堂と斎藤に急かされ、続き間の奥に座る近藤と土方の元に押し出される。
近藤と土方は共に険しい顔をして横並びに座り、二人を待っていた。
「え、これって、もしかしてずっと喧嘩してたんですかね?」
「わ、分かりません。そうでなくてもあの感じ、私達今からお説教ですか?」
二人でクルリと向きを変え、コソコソと後ろを向いて話していれば、土方から一言「座れ」と低い声で言われ、梓と沖田はピッと背筋を正して近藤・土方の前に正座する。
「報告」
「あ、はい。えっと、無事終わりました……?」
「亡骸は」
「はい!四条大橋にそのまま……ダメでしたか?」
土方の短い問いかけに、沖田と梓は言葉を選びつつ答える。
なんと言えば正解か考えながらの返答は歯切れの悪いものになり、二人は次に来る土方の言葉に怯えて座る。
しかし、次に来るのは言葉ではなく手だった。
(え、ゲンコツ!?)
身構えた梓の頭に、土方の手のひらが乗り、ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。
突然のことに目を白黒させて隣を見れば、沖田の頭にも土方の手が同じように乗っていて、沖田も梓同様突然のことに固まってこちらを見ていた。
「よくやった!お前達ならやれると信じてたぜ!」
やっと単語ではない言葉が出たかと思えば、土方には珍しくそんな労いの言葉で、更に珍しい事に顔は満面の笑みだった。
珍しいものを見た。と驚いてまた沖田を見れば、沖田もまた同じ顔をして梓を見ていて、二人は土方に釣られるように笑った。
しばし頭を混ぜ込まれていれば、土方の隣からズビッと鼻を啜る音が聞こえる。
土方の手の下から覗き込めば、土方の隣に座る近藤は険しい顔をしたまま、唇を噛み締めてダーダーと涙を流している。
「え、近藤さん!?」
梓が驚けば土方の手が止まり、沖田も近藤を見て呆れて笑う。
「近藤さん、やけに険しい顔をしていると思ったら、泣くのを耐えてたんですか?」
「……あぁ。しかもお前達が出て行ってからずっとな」
「「ずっと!?」」
土方の呆れ果てたと言いたげな言葉に、沖田も梓も驚いて聞き返す。
「お、俺は、お前達の手を汚したくはなかった…!だが今は、無事に成し遂げてきてくれた事が、こんなに嬉しい!よくやった!本当に…ご苦労だった…!」
膝の上で拳を握ってボロボロ涙をこぼす近藤。
近藤は自分自身が初めて人を斬った時、一人の人間の人生を終わらせた事に、後悔と懺悔を募らせていた。その時の思いは今も風化せず心の片隅に残っている。
それを沖田や梓に背負わせたくないという気持ちと、弟のように思っている沖田が一人前に育ってくれた嬉しさ、頼もしい仲間がまた1人できたことへの期待、そして何より2人が無事に帰ってきてくれた事への安堵。それらがごちゃ混ぜに合わさって涙が止まらなかったのだ。
「かっちゃん泣きすぎだ。アンタがそれじゃ示しがつかねぇぞ」
「…そ、そうは言うが、歳……」
「だーもう。泣くなっての!」
付き合いが長い土方は近藤の思いも汲み取った上で、苦笑いしながら近藤の肩を叩く。
(近藤さん、本当にあたたかくて優しい人だなぁ。こんなに真っ直ぐな人だから、みんな近藤さんに着いていくんだろうな)
ボロボロ泣き続ける近藤と、それを窘めつつ邪険にする事はない土方。そんな二人のやりとりをほのぼのと見ていれば、藤堂と斎藤が2人の元にやってくる。
「近藤さんってほんと、お人好しだよなぁ。それが良いんだけどさ」
「絶対に大丈夫だとは思っていても、どこかで不安もあったのだろう」
「そうか?ここにいる全員、総司と梓が失敗するなんてカケラも思ってなかったじゃん」
そう言われれば、帰って報告をする前から皆が皆労いの言葉をかけてくれていた。と梓は今更ながらに思い出す。
沖田が一緒だと言うのがあったとはいえ、その信頼が梓はとても嬉しかった。
「で、2人ともどうだった?初仕事は!」
藤堂が目を輝かせて梓と沖田に詰め寄る。どうにも感想が聞きたくて仕方がないらしい。
しかし、梓はまだ自分の中で感情が整理できていない。
どう答えようか迷っていると、先に沖田が口を開いた。
「そうですねぇ。案外『やったぞー』とはならないものだな。と思いましたかね」
「ん?なんだそりゃ」
「だから今は聞く時ではないと言ったんだ」
沖田の答えに首を傾げる藤堂と、自身も経験者故に気持ちがわかる斎藤。当の梓も、沖田の言わんとする事がよくわかる。
(帰り道もずっと普段通りニコニコしてたけど、沖田さんも多少なりとも複雑な心境を持っていたのね。私だけじゃなくて良かった)
安堵する梓の前で、土方に嗜められていた近藤は再びブワッと涙を倍増させる。
「ドジィ!ぎいだがぁ!総司が、あの総司がぁ!」
「あぁはいはい。ちゃんと育ってて良かったな」
恐らく、沖田が人を斬った事に対し、人並みに嫌悪感を持っていることが分かり安堵したのだろう。泣きじゃくる近藤を前に居心地が悪くなった沖田は、空気を変えるようにポンッと手を打つ。
「さて梓さん。一通り話が済んだところで、そろそろ行きましょうか」
「あ!そうでした!」
「え!?行くって今からか!?」
沖田の誘いに梓も立ち上がり、2人して再び草履を履いて玄関から出ていく。
残された面々は、時間が遅いにも関わらず2人はどこへ行ったのか?と顔を見合わせ、誰からともなく後を追った。
皆が通りへ出ると、シンッとした通りに微かにカンッカッと木刀同士がぶつかり合う聞き慣れた音が聞こえる。その音を辿って行けば、壬生寺の境内に辿り着いた。
「あれ、梓か?」
「へぇ。ありゃすげぇな」
「小柄で身軽な、梓さんらしい戦い方ですね」
原田・永倉・山南が感心して見入る先では、梓がひらひらと動き回り沖田へ打ち込み続けている。
「あー!アイツらまた!俺なんてまだ一回も梓とやった事ねぇのにずるいだろ!」
「確かに。あの手数は一度手合わせしてみたいものだ」
藤堂と斎藤が羨ましげに視線を向ける隣で、試衛館時代から付き合いの長い近藤・土方・井上は只々感心する。
未だかつて、沖田をあれほどまでに防戦一方にした相手はいただろうか。と。そしてそんな相手と手合わせしている沖田の心底楽しそうな顔をみて、3人まで釣られて微笑んでしまうのだ。
「ったくアイツら。今日くらいサッサと休めっつーのに」
「昂って眠れないんじゃないか?こういう日は特にそういうものだろ?」
「うむ!よし!俺も今日は思いっきり刀を振りたい気分だ!」
近藤はそう言って、八木邸に走り急いで木刀をありったけガバッと抱えて持って来る。
それを境内の砂利に散らべ、その中から一本土方に差し出すと、自分も珍しく普通の木刀を握る。
「歳、久しぶりにやろう!」
「おれか!?」
「お前だ!源さんはその次だ!」
「わしもか!?」
近藤が次々に戦う相手を指定していると、永倉と原田も木刀を取りにやってくる。
「俺たちも混ぜてくれよ」
「俺は久しぶりに平助を鍛えてやろう」
「げ!新八さんやる気じゃねぇか!なんでだよ!?」
「新八が平助なら、斎藤。お前が俺だな。槍取ってくるわ」
「槍ですか。いいですね」
次々に組み合わせが決まっていき、残された山南はフフフと笑って「それなら源さん、残り物同士どうです?」と井上を指名する。
井上も喜んで応じ、全員が木刀を持って境内に散らばった。
「え、なんか急に増えたんですけど」
「みんな梓さんに触発されたんじゃ、ないですか!」
夢中で打ち込みをしていた梓は周りで皆が手合わせを始めたことに気付き、一瞬動きを止める。その隙を見過ごさず、沖田は形勢逆転と言わんばかりに攻め込み始める。
「わ、ちょ、沖田さんずるい!」
「いつ何時も気を抜いたらダメですよ」
2人の手合わせに終わりが見えて、藤堂は永倉の打ち込みをかわしながらすかさず「梓!次は俺だからな!」と予約を取る。
それに対し永倉が「余裕だな?」と打ち込みを強めたのは言うまでもない。
その夜。と言うか朝方。
全員が疲れ果て布団を敷くなり寝息を立て始めた後、梓は1人中庭の縁側に座り朝日を見ていた。
(綺麗な朝焼け。……殿内さんはコレを見る事はないんだな)
そんなこと考えても意味はないと知りながら、それでも考えずにはいられなかった。
ぼーっと朝日を眺めていると、続き間に繋がる襖がスッと開く。
「眠れないのか?」
「斎藤さん。起きてたんですか?」
「あぁ。気になってな」
いまいち噛み合っていない返答に首を傾げる梓の隣に、斎藤は腰を下ろす。
「あ、もしかして今更私と手合わせしたくなりましたか?」
「いや、アンタとは万全な時にやってみたい」
先程、壬生寺の境内で沖田と手合わせした後藤堂とも手合わせし、その次に斎藤にも声をかけた梓だったが、何故かあっさり断られてしまっていた。
(気になったって、あのことじゃないのか)
隣に座って朝日を眺め始めた斎藤。特に何かを話す素振りもないので、梓も先ほどと同じように朝日に目を戻す。
しばらくの沈黙の後、斎藤が口を開いた。
「……殿内か」
「あ……へへ。バレましたか」
突然の確信に一瞬驚く梓だったが、今までの斎藤の言動からバレても仕方がないかと諦めた。
斎藤は初めから、梓や沖田を気遣っていた。それは自身も経験者故の気遣いだろうと梓は理解していた。
「やったことに後悔は無いのですけどね。こう、手に残った感触とか声とか、そんなのが1人になった途端にグルグルしちゃって」
梓の手には未だに殿内を斬った感触が残っている。腕を斬った時骨に当たった感触もそのときの悲鳴も、トドメを刺した時の小さな断末魔も、鮮明に耳に残っている。胸の奥に、飲み込めない何かが詰まっている感覚もある。
梓はジッと手のひらを見つめ、感触を消すように思いっきり拳を作って開く。
それでもやっぱり感触は消えない。
「斎藤さんに心配かけてるようじゃダメですね。沖田さんみたいに何でもない素振りができれば良かったんですけど」
「……やめておけ。沖田はなんでも無いフリも、それを消化する事も特別上手いだけだ。アンタまでそうではこっちは心配が増えるだけだ」
「ふふ。斎藤さんは優しいですね」
優しいと言われるのは嫌いなのか、斎藤は眉間に皺を寄せる。それを見ても、梓は訂正するつもりはなく、青くなった空を見上げる。
「……どうしたら消えるんでしょうね……」
独り言とも取れる小さな呟き。それに応えるため、斎藤もまた空を仰ぐ。
「人の命を奪っているんだ。一朝一夕では消えないのかもしれないな」
「そんなものですか」
包み隠さない経験者からの答えに「それはしんどいなぁ」と空笑いが溢れる。
「会津藩のお預かりになったからには、京の町のためにこの先も誰かの命を奪うのだろう。ここに居続けるのなら慣れるしかないと俺は思う」
「慣れ、ですか」
「慣れだ。だが、どんなに慣れてもアンタが今抱えている人を斬る事の重さは、忘れてはいけないものだと俺は思う」
(人を斬る事の重さ。人の人生を終わらせた事の重さ。……確かに。それの代償がこの程度なら、軽い方なのかもしれないな)
「斎藤さんも、覚えていますか?」
「覚えていなければ、アンタにここまで構っていない」
空を見ていた斎藤は、そう言って梓を見て、珍しく笑った。




