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指針




 パチッと目が開いた。目に写った場面は見慣れた八木邸の天井。全身にびっしょりと季節外れの汗をかき、呼吸は整わない。


(まさか、また芹沢さんの!?)


 急いで上半身を起こせば、寝る前同様に並べられた布団に、寝相悪く飛び出した影がいくつか。若干イビキも多くなっている気がする。

 梓はそんな見慣れた光景に心底安心し、未だ整わない呼吸でドキドキと鳴り止まない胸を押さえる。


(……よかった。みんな、みんな生きてる……)


 自身を落ち着かせるために大きく深呼吸をすれば、少し落ち着いた代わりにヴッと込み上げるものがあり厠に走る。


「うおぇッ…ケホッ…」


 吐きながら涙が一筋溢れ、それを機に止まらなくなる。

 一通り吐ききり、吐き気が治っても尚涙は止まらず、嗚咽まで出てきては部屋に戻ることもできない。部屋に戻ったところで眠れる気もしなかった梓は、汗がひき冷えた体をさすりながら中庭の縁側に腰を下ろす。


 中庭は月明かりで明るく、場所もあって否が応でも芹沢が殺される場面が思い出される。

 芹沢だけではない。ずっと頭をぐるぐると、試衛館の面々の死の場面が巡っている。


(……あの夢は、何だったんだろう。夢にしては現実味があった。でも、予知夢にしては場所も時もバラバラで……)


 今まで何回も予知夢を見たが、一度にたくさんのものを見たことはなかった。それでも、ただの夢と言うには井上や原田の見たこともない死に方といい土方の格好といい、不可解な点が多すぎた。


(仮に、あれが予知夢だったとして、なんでみんなが死ななきゃならないの?全員が全員、今と大して変わらない姿だった。そんな事態にこの先なってしまうの?)


 涙は一向に止まらず、揺れる視界の先がぼんやり明るくなってくる。

 なんで?なんで?と頭の中で繰り返すが、もちろん答えは出てこない。誰かが教えてくれることもない。


(あんな場面が現実になるなんて、耐えられない……。もしあれが本当なら、私は、私はどうすればいい?)


 明るさを失いつつある月を見上げれば、突然いつかの兄の声が頭に響く。


『梓はどうしたい?』


 泣きじゃくる梓を見かねて、兄が天から問いかけているようで、梓は兄の問いの答えを探し、想いを巡らせる。皆が笑顔で笑い合う、()()()()光景が、とても尊いものだと今なら分かる。


(……私は…私はみんなに生きていてほしいよ)


 月を見上げて思えば、それは梓の独り言で終わることはなく、更に声が聞こえる。


『みんなにかぁ。それは傲慢だなぁ』


 不思議と続く会話にも、梓はそれが不思議とは思わず、当たり前に胸の内で会話をする。


(傲慢でもいいの。先のことを知っているのに、何もしないで見てるだけなんて、そんなの絶対に嫌)

『でもさ、自刃している人もいたよね?それがもし本人の意思なら、その人の意思も梓の傲慢さで無かったことにするの?』

(……それは…)

『ごめんごめん。兄上は意地悪だったかな』

(ううん。…もしも、もしもそれが本人の意思だったのなら、私はその理由が知りたい。……そしてそれを見届けるよ)

『うん。辛い思いをするかもしれないけど、それが梓の決めたことなら僕は応援するよ』

(……兄上…)


 自分に都合のいい、勝手な幻聴だと分かっている。

 それでも、妹をデレデレに甘やかす、いつも味方でいてくれた生前の兄上が戻ってきたようで、恐怖で冷え切った梓の心は少しだけ温かくなった気がする。

 

「兄上。私未来に抗ってみる」


 涙を拭い、白み始めた空に未だ薄く光る月を見つめ、梓は決意を胸に呟いた。




 梓の決意から数日。夢の事など無かったように、いつも通りの日常が過ぎていた。


 しかし、騒動は突然起こる。


 先日作った隊内の役職表。それに対し、殿内が自分の名前がない事に怒り狂い、自分の力を知らしめるためには派閥が必要だ。人員を集めに江戸に行く。と八木邸に芹沢・近藤を集め言い放ったのだ。


 殿内が江戸に行くこと自体に何ら問題はない。むしろ煩い人がいなくなるくらいの気でいた面々だったが、殿内は捨て台詞に「近藤芹沢!貴様らの狼藉、上方にしかと報告しておく!」と言い放ったのだ。


 殿内は近藤や芹沢よりも幕府との繋がりが濃い。それ故に、ある事ない事吹き込まれてしまえば大変な事になる。


「……近藤。おぬしに任せよう」


 殿内が退室した後、芹沢は一言そう言い残して出て行った。近藤は芹沢を見送った後、険しい表情で目を閉じた。


「近藤さん、やるのか?」


 芹沢がいなくなると、永倉をはじめその場にいた試衛館の面々が近藤を見る。

 近藤はしばし思案し、「やるしかあるまい」と刀に視線を落として言う。


「やるなら京を立つ今だろうな」

「あぁ。俺が…-」

「近藤さん。アンタはだめだぜ」


 刀を手に立ち上がろうとした近藤を、土方はすぐさま言葉で止める。

 「何故」と近藤が食って掛かれば、土方はそれを無視し、素振りを中断し縁側から話を聞いていた沖田と梓を見る。


「総司、梓。お前たちが行け」

「お、おい歳!」


 土方のいきなりの指名に、沖田と梓は一瞬止まる。それと同時に近藤が焦った表情で土方を止めようと声を大きくする。


「「分かりました」」


 梓と沖田は同時に返事をし、急いで支度にとりかかる。


(ついに。ついにこの時が来た。別に怖い訳じゃない。覚悟はできてる。沖田さんもいる。大丈夫。ヤれる。殺るんだ)


 呪文のように頭の中で繰り返していると、目の前で突然沖田が着物を脱ぐ。返り血を気にして暗い色の着物に着替えるのだろう。しかし、突然の褌姿に梓は面くらいバッと体の向きを変える。


(着替え、そりゃ淡い色の着物着てたんだしするでしょ。それは分かってるんだけど、いきなりだと心構えが……)


 そこで梓はハッとして自分の着物を確認する。


(よ、よかった。たまたまだけど黒い着物だ)


 いつも早朝に布団の中か厠で着替えをする梓。もし今着替えが必要となれば、皆がいる前で着替えることもできず、着物を厠に持っていくという不審な行動をすることになる所だった。


(あ、危ない。これからはいつこういうことがあってもいいように、着物も袴も黒か紺にしよう……)


 そう心に留めたところで、さっきまでに比べ体が軽く感じる事に気が付く。急な役目に、知らず知らずに体が強張っていたのだ。

 そう自覚すると、周りの声もよく耳に届くようになる。


「歳!やっぱり俺が行く!まだ早い!」

「しつけぇぞかっちゃん!総司も梓も貴重な戦力だ!いつまでも子供じゃねぇ!」


 近藤が土方に何か抗議している。内容は途中からでよく分からないが、自分の名前が出た以上知らぬふりもできない梓はコソッと沖田に状況を聞く。


「どうしたんですかアレ」

「梓聞いてなかったんですか?存外余裕がないですね」


 クスクス笑う沖田はいつも通り余裕そうで、頼もしいかぎり。そんな皮肉を考えていれば、沖田もコソッと梓に教える。


「近藤さんは僕達に人斬りをさせたくないんですよ。江戸の時からそうですが、僕達をいつまでも清い子供で居させたいそうです」


 ため息をつく沖田からは、珍しく近藤への反抗が伺える。

 以前沖田は人を斬る心構えはあるが機会がなかったと言っていた。それにはこう言う理由もあったのかもしれない。


「対して土方さんは、今後の壬生浪士組の仕事も考えて、早めに僕達に人斬りの経験をさせておきたい腹積りのようですね」


 要するに、近藤は沖田に手を汚させたくない、沖田がやるなら自分がやると言い、土方はいきなり実戦の斬り合いに出すのは心配だから少しでも早く場数を踏ませておきたい。と。


「どっちも親心ですねぇ。沖田さん愛されてますね」


 にっこり沖田に向かって言えば、沖田はこれでもかと顔を歪ませて梓を見る。


「……言っときますけど、あの言い合いには梓さんの名前も出てますからね」

「え……」


 梓が言葉を切って近藤と土方を見ると、沖田はやれやれと言った態度で「ほらね。僕の気持ちが分かりましたか?重たいでしょ?」と疲れた顔をする。

 しかし梓にはその言葉は届いておらず、言い合いする2人から沖田に向き直る。


「なんか照れますね」


 にこにこと恥ずかしそうに頭を掻けば、沖田からは特大のため息が返ってくるのだった。



 しばらく言い合いをしていた近藤と土方だったが、最終的には近藤が折れる形となった。

 先に動向を探りに行っていた藤堂と斎藤からの連絡で、殿内は酒場に入ったと聞き、梓と沖田は目深に笠をかぶって玄関に立つ。


「頼んだぞ。総司、梓」

「任せたぞ」


 近藤と土方に見送られ、案内の藤堂と共に出発した。

 あたりは既に暗くなっていた。



「なかなか来ねぇから、このまま俺がやっちまおうかと思ったぜ」


 小走りで酒場に向かう途中、先を走る藤堂が冗談半分と言った声色で言う。

 それに対し沖田が藤堂に聞こえない声で「冗談ぽく言ってますけど、あれ多分本音ですよ」と付け加える。


「そ、それにしても、まだ京にいてくれて助かりましたね」

「本当に。急がなきゃならないって時に、近藤さんも土方さんもずっと言い合いしてるんですもん。参りますよね」


 そんな話をしていれば、案外すぐに酒場に着いたらしい。屯所からもさほど遠くない四条の酒場だった。

 酒場の角を曲がった暗がりに、斎藤がひとり立っていた。


「遅かったな」

「すみません。近藤さんと土方さんの言い合いが終わらなくて」


 よほど言い合いで時間を取られたことが気に入らないらしく、沖田は斎藤にも、わざわざ2人のせいで遅れたことを説明する。

 斎藤は、何のことだ。と一瞬眉を寄せつつ壁から体を離す。


「あとは任せる」

「頑張れよ!初仕事!」


 斎藤と藤堂はそう言って壬生の方へ帰って行った。

 いつか居残り組で斬った斬らないという深い話をしたのもあって、2人の声援はとても心強かった。


「殿内さんは一人で飲んでいるんでしょうか」

「うーん」

「まさか幕府の上方と既に接触してるなんてことはないですよね?」

「あぁ。違いますね」


 斎藤が居た暗がりに移動し、立ったまま壁にもたれかかる沖田としゃがみ込んで待つ梓。

 梓は心配をキッパリ否定され、何故言い切れるのかと沖田を見上げれば、沖田の視線の先には小さな窓があり、縦に薄っすら光が伸びている。


「もしかして、そこから見えるんですか?」

「えぇ。斎藤君がここに居たから立ってみたんですが、案の定です」


(さすが斎藤さん。良い場所取りしてる)


「で、一緒にいるのは誰なんですか?」

「家里さんですね。こういう場合どうするんでしょう」


 こういう場合というのは、家里が殿内と行動を共にしてしまった場合だろう。酒場で別れるならよし。一緒に江戸に行く場合は……


「…酒場を出た後の行動次第、ですかね」


 梓が言えば、沖田も同感だと頷いた。




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