呪いはふたつ
夕食と入浴を済ませた後、アダルセリスがやって来た。彼も既に、それらのことは済ませている。
「アディさまに伝えたいことがあるんだけど」
早速、レーテは、再び女神から神託を授かったことを伝える。その内容も。
「魔女の呪いか」
レーテと同じソファーの隣に座って、アダルセリスは唸る。
「実は、私もレーテに話しておきたいことがある」
「なぁに?」
「クリストファーは知っているか?」
「皇太子殿下のこと? 勿論、知ってるよ」
レーテは他の妃や皇子、皇女と交流はない。だが、クリストファーとは少しだけ関わったことがある。
まだクリストファーが十にも満たない頃だったと思う。詳しい年齢まではわからない。好きな人と、自分ではない女の間に生まれた子供の詳細なんて、当時は知りたくなかった。
ある日、突然、クリストファーから手紙が来た。病床にいるレーテの体調を気遣う言葉から始まっていた。
内容は、もし体調に都合がつく日があれば、攻撃系魔法を教えてほしいというもの。
どうやら、クリストファーに魔法を教えていた家庭教師が、レーテの名前を挙げたらしい。国内一の攻撃系光魔法の使い手だとか、なんとか。
一番とは言っても、光魔法の中の攻撃系を習得する者は滅多にいないからだと思う。レーテが知る限り、攻撃系光魔法を使う者は、片手が埋まるかどうか。それぐらいマイナー、というよりかは、光魔法の使い手は他属性の魔法であろうと攻撃の才能がない。聖女である皇后ルチアも例に漏れない。それでも、クリストファーは学びたいと思ったらしい。
本当は、数ヶ月に何日かは体調の良い日があった。今思い返すと、それは決まって悪天候の日。いつも雷が鳴っていた。雷の権能を持つ為か、雷と相性がいいのだろう。
だが、断った。無理をしたくないということではない。何度も言うが、好きな人と他の女との間に生まれた子供と接したい、親しくしたいと思わない。嫉妬に狂って殺しそう、なんて思うほど、当時のレーテの精神状態は危うかった。
ただ、存在は好きになれないけど、相手は幼い子供。非情になりきれなくて、知り合いを紹介した。
ギャザー・ブルーム。レーテと共に、レーテの祖父トールから、攻撃系光魔法を習った、ガルシア領出身の平民。兄弟弟子、と言えるのかもしれない。成人後は帝都に移住し、聖騎士になったと聞いていた。そのまま教会に属しているのなら、聖女の実子であるクリストファーにも協力してくれるだろうと。
その後、感謝の手紙が届いていた気がする。ギャザーに会いに行き、攻撃系光魔法を教えてもらえることになったと書いてあった。それから、クリストファーが無事に習得出来たのかは知らない。
「そのクリストファーが言っていたんだ。レーテに呪詛がかけられていたと」
レーテはぽかんと口を開ける。
「モンスターインベイドの後、クリストファーとルチア、マリアーネに治癒魔法をかけさせた。その時に、クリストファーが呪詛の気配に気が付いて、ついでに解呪してくれたらしい」
呪われていた自覚はない。
「そんな……。いつから?」
「恐らく、レーテが病に伏せった原因だと考えている。そうでもなければ、丈夫なレーテが長年、身体を壊すとは考えられないとも思う」
レーテは妃になる前までは、どんなに軽い風邪も含めて、病気に罹ったことがなかった。怪我も、走って転んで擦り傷を負うぐらいはあったが、骨折どころか、捻挫や火傷すらしたことがない。
てっきり、レーテは、アダルセリスが重婚して、夫を他の女と共有しなければいけないストレスに心と身体が負けたのかと思っていた。
と考えて、レーテは気が付く。
「……わたし、側妃になってから、色々と思い悩むことが多かったんだよね。思考が後ろ向きになったというか。でもモンスターインベイドの後からはそうでもなくなったんだよね。アディさまの言葉も捻じ曲げることなく、すんなり受け入れられたし。てっきり、雷の権能を継いでいるとかで自信が出たのかと思ったけど……」
皇帝は必ず、最低でも妃を六人、迎えなければいけない。残り五人の妃と、アダルセリスを夫として共有する覚悟をしてから、レーテは側妃になる道を選んだ。だが、あくまで想像を前提にした覚悟。現実を前にはなんの力もないのだと思ったが――
「確か、呪いの中には、精神に作用するものもあったよね」
アダルセリスも頷く。
「結婚前のレーテはいつも自信に溢れていた。勉強は出来なかったが、悪者と魔物を全て倒せばどうにでもなると考えていたり」
「人には向き不向きがあるんだよ。だから、頭を使うのは、頭がいい夫のアディさま。領地と民、そしてアディさまを守るのは女伯爵になるわたしの役目ってことだったの」
結婚前のレーテは、自尊心に溢れていた。勉強や人付き合いは苦手だったが、自身が放つ攻撃系魔法の強さに正直、酔っていた。アダルセリスの命を狙う暗殺者や魔物、全てを瞬殺してきたからだろう。自分は強いんだと、自惚れていた。
「だが、レーテは呪われていた自覚はなかったのだろう?」
光魔法の使い手は、穢れと負の感情を内包する呪詛の気配に敏感だ。
普通は。
レーテは思わず目を逸らす。
「いや、それが……。わたし、呪いとか全然わかんなくて」
「わからない? 昔、私にかかった呪いを解いていなかったか?」
アダルセリスの暗殺方法は、なにも刺客を差し向けるだけではない。呪われたことも何度かある。その度に、レーテが解呪した。
「解くのはいいの。適当に浄化したら消えるから。ただ、呪いの存在とか、詳細とか、そこら辺がよくわかんない。祖父さまは鈍感過ぎるとか言ってたけど」
アダルセリスが額に片手を当て、天を仰ぐ。
「大きいのならわかるんだよ。魔物の気配とか。でも、呪いは小さ過ぎて無理。即死級ならわかるけど」
「それは気がつく前に死ぬだろう」
「届く前に弾けばいいんだよ。そしたら、術師に返るから」
即死級の呪いは、気配が濃い。穢れや負の感情が濃密で、重い。だから、普通の呪詛よりも、対象への到達時間が遅い。その隙に入ればいい。
……と、レーテはなんとなく感じている。ただの感覚で、詳しく説明しろと言われても出来ないが。
「そういえば……」
と言いかけたけど、やめた。会話の流れで溢れかけた。
だが、アダルセリスは耳が良いし、聡い。すぐに、レーテが彼女にとって都合の悪いことを黙したと気が付く。
「なんだ? なにを言おうとした?」
「いや、なんでもない。ホント、関係ない」
とは言うが、レーテは嘘が下手だ。嘘を吐こうとすると緊張するのか、声や身体が明らかに硬くなる。
「関係なくてもいい。それとも、私に言えないことか? レーテ。言え」
そして、嘘を見破ったアダルセリスに詰め寄られて吐くのが、子供の頃からよくあること。
「いや、その……。即位してから、一年に一回ぐらいの頻度で、アディさまに即死級の呪いが飛んで来てるんだよ。全部わたしが弾いてるけど、その犯人も探した方がいいと思う」
「は?」
本当は、レーテが個人的に調べるつもりだった。そう思って、早二十年。結局、体調の悪さに負けて、断念すること、二十回。代わりに、アダルセリスを守ることに意識を向けてきた。
「弾いている? ずっとこのラピスラズリ宮にいたのにか?」
「……別に、近くにいる必要はないよ。なんて言うんだろう。アディさまの存在を意識してるんだよ。アディさまがなにをしているのかまではわからないけど。危険が迫っているかどうかはわかる。あ、物理はわからないけど。だから、監視していたとか、そういうのじゃないから」
レーテは病に伏せっていても、常に意識の片隅でアダルセリスの身の安全に注意していた。子供の頃からの癖のようなものだ。
流石に、帝都からガルシア領並みに離れていれば難しい。広いとは言っても、アダルセリスとレーテは皇宮という同じ敷地内にいる。だから、なんとかカバー出来ている。
アダルセリスに危険が迫れば、遠隔で魔法を放つ。暗殺者は物陰に潜んでいる間に気絶させ、騎士や軍人の近くにでも飛ばしておく。呪詛は弾いて返す。
大抵の術師は死ぬか、そうでなくとも重傷を負うだろう。だが、短期間でアダルセリスに即死級の呪いを飛ばして来る術師は身代わりを立てているようで、しぶとく生きているようだ。どこの誰かまではわからないが、長期間に渡って似たようなものが仕掛けられれば、術師が同一人物か、そうでないかぐらいはわかる。
この話をアダルセリスに言いたくなかったのは、単に、ストーカーに間違われたくないから。伝えずとも、元気になった今なら、術師を探して捕まえられると思っていた。
「…………つまり、私達の周りには今、最低でも二人の呪術師がいる。ということでいいか?」
アダルセリスはしばらく、額に手を当ててなにかを考えていたようだが、ようやく持ち直したようだ。
「うん。そいつらのどちらかが魔物と契約していて、わたしを呪い殺すのかまではわからないけど」
「全く別の術師の可能性もあるからな」
普通ならば、どれだけの人間に狙われているんだという話だ。皇帝と側妃でなければ。
レーテは少し前までは、病を理由に引きこもり、子供も産まず、忘れられた妃と揶揄されていた。だが、側妃になった時からそうだったわけではない。
後宮に迎え入れられた頃、レーテはすごく警戒されていた。他の妃達や、彼女達を推す貴族に。彼らは、アダルセリスがレーテを寵愛し、レーテが産んだ子供を皇太子にするのではないかと考えていた。生まれた時からアダルセリスの婚約者だったレーテは、他の妃達よりも、一歩どころではなく遥か先をリードしていた。
それから、一気に後ろへと置いて行かれてしまったのは、心身を壊し、アダルセリスを拒んだから。それがなければ、レーテや他の妃達はどうなっていただろうか。アダルセリスが無策に子供を産ませて、争いを生み出すとは思えないが、少なくとも、レーテも他の妃と同じように、皇帝の子供を産んでいただろう。