第5話 愛は家族を救う!
公爵邸の庭園は、柔らかな日差しと、色とりどりの花々の香りに満ちていた。私は、ユリウス様と並んで、エミールを抱っこしながら、ゆっくりと歩いていく。昨日の出来事……エミールが魔王スズキの息子だったなんて、まるで悪夢。でも、腕の中にいるエミールの温もりは、紛れもない現実。
「ぴゃあ!」
エミールが、甲高い声を上げた。その瞬間、エミールの瞳が、深紅に輝く。
「リリアーナ、ユリウス、世話になったな」
え……? エミールが渋い声で喋った!? いや、違う。これは、エミールの体に、魔王スズキ様が憑依してるんだわ!
――ズドン
突如、地面が揺れるような轟音が響いた。何事かと音のした方を見ると、庭園の芝生に見慣れない人影が。もうもうと土煙が舞い上がり、視界が遮られる。
「ゲホッ、ゲホッ……! い、一体、何が……」
風が土煙を吹き払い、徐々に視界が開けていく。そこに立っていたのは、筋骨隆々、見るからに強そうな……でも、どこか品のある紳士だった。
「何者ですかっ! ここはローゼンクランツ公爵家の敷地内ですよ!」
私は、エミールを庇うように抱きしめながら、紳士に向かって叫ぶ。不法侵入よ、不法侵入! ユリウス様は……? 彼は、いつも通りの無表情。……って、ユリウス様! 今は、そんな場合じゃないでしょうが! 不審者が来てるのよ!?
「余は魔王。魔王スズキだ」
紳士……いや、魔王スズキ様は、威厳たっぷりに名乗った。
「ぴゃ!?」
ま、ままま、魔王スズキ!? 本物の魔王が、目の前に現れた!? い、一体、何の用なの!? も、もしかして、エミールを連れ戻しに……!?
私の頭の中は、パニック状態。口はパクパクするばかりで、言葉が出てこない。
「久しぶりだな……魔王スズキ」
「貴殿も息災そうで何より」
ユリウス様と魔王スズキ様は、旧知の友のように、親しげに言葉を交わしている。
え?
えええええぇぇぇぇぇ!? 魔王スズキ様とユリウス様は、知り合いなの? ちょっ、ちょっと待って! 私、全然聞いてないわよっ!
……って、ユリウス様が無口だから、聞けるわけないんだけど!
それにしても、魔王スズキ様って、想像と全然違う! もっと、こう、禍々しいオーラを放ってて、見るからに恐ろしい存在かと思ってたのに……。意外と普通のおじ様……いや、若々しいから、お兄様?
「お前がリリアーナか。いらぬことを考えるな。それより、エミールは連れて帰るぞ」
魔王スズキ様は、私の心の声が聞こえたかのように、鋭い視線を向けてきた。え、もしかして、心、読めるの? やだ、恥ずかしい! 変な妄想、バレちゃった!?
「待ってください、スズキ様! エミールは、まだ人間界で学ぶべきことが……」
エミールを抱きしめ、必死に抵抗した。だって、エミールと離れたくない! エミールは、もう、私たち家族の一員だもの! それに、まだユリウス様との愛も育みきれてないし……!
「ふむ、確かにエミールはまだ未熟。人間界で修行を続けるのも悪くはないか……」
魔王スズキ様は、腕組みをして、考え込んだ。……って、修行!? このドタバタ育児が、修行だったの!? いや、それは私であって、エミールじゃないわよね。じゃあ、エミールは何のために人間界に……?
「ただな、魔界にも、エミールを必要としている者がいる。そろそろ、連れて帰らねばならん」
魔王スズキ様は、真剣な表情だ。その言葉には、有無を言わせぬ迫力がある。
魔王スズキ様は、私からエミールを奪い取るように抱き上げた。その動きは、あまりにも素早くて、何もできなかった。エミールは、魔王スズキ様に抱かれて、少し不安そうな顔をしている。
「エミール……」
エミールは私の方を見て、ニッコリと笑った。その笑顔は、やっぱり天使みたいに可愛い。
「リリアーナ、心配するな。また会える」
魔王スズキ様は、そう言うと、エミールと一緒に、光の中に消えていった。最初からそこにいなかったかのように。
「エミール!」
思わず叫んでいた。……あ、またやっちゃった。氷の令嬢なのに、人前で大声出すなんて。でも、今は、そんなこと気にしてられないわ! エミールが、いなくなっちゃったんだもの!
「リリアーナ」
ユリウス様が私の肩に手を置いた。その手は、温かくて、大きい。
「ユリウス様……」
彼はいつも通りの無表情だったけど、その目は、優しく私を見つめていた。
「エミールは、きっと大丈夫だ」
ユリウス様は、私をそっと抱きしめた。
「ユリウス様……!」
ユリウス様の胸に顔を埋める。彼の温もりが、私の悲しみを優しく溶かしてくれる。
ユリウス様…、やっぱり大好き! エミールがいなくなっても、私には、ユリウス様がいる!
私は、心の中で叫んだ。
ふと、背後に気配を感じて振り返る。そこには、セバスチャンが立っていた。彼は、いつものように冷静な表情で、私たちを見つめていた。
「奥様、旦那様、おめでとうございます」
セバスチャンは、恭しく頭を下げた。
「おめでとうございます、って、何がですの?」
私が首を傾げると、セバスチャンは笑みを浮かべた。
「奥様のお腹に、新しい命が宿っております」
「……え?」
セバスチャンの言葉に、私は言葉を失った。……新しい命? 私のお腹に? まさか、赤ちゃん!?
自分のお腹に手を当てた。まだ、何も感じないけど、ここに新しい命が宿っているの? ユリウス様と私の赤ちゃんが?
「ユリウス様……!」
私はユリウス様を見上げた。彼は、いつも通りの無表情。でも、その目は、今まで見たことがないくらい、優しく輝いていた。
「リリアーナ、ありがとう」
ユリウス様は、私を強く抱きしめた。その腕はすこし震えていた。
「ユリウス様……!」
私はユリウス様の胸で、涙を流す。嬉し涙だった。エミールとの別れは悲しい。けれど、私のお腹には、新しい命が宿っている。ユリウス様との愛の結晶が。
神様、ありがとうございます! 私、頑張ります! 今度こそ、ユリウス様と、本当の家族になります!
私は、心の中で誓った。
*
数年後――。
「おかあたまー! ちちうえが、またエミールにーさまに会いにいくってだだこねてるー!」
「もう、お父様ったら! エミール兄様は、魔界で忙しいんだから、邪魔しちゃダメでしょ!」
ローゼンクランツ公爵邸の庭園は、今日も賑やかだ。私とユリウス様の間には、レオンと名付けた男の子が生まれた。
家族三人で、庭園でピクニック。私は幸せをかみ締める。
無口で不器用なユリウス様は相変わらず。でも、時々魔界から帰ってくるエミールとレオンと、賑やかで楽しい毎日を送っている。
ふふ、これが、私の求めていた理想の恋……。そう。白い結婚なんて、どこかへ吹き飛んでしまったわ。
ユリウス様は、私がエミールを拾う前から、魔王スズキ様と面識があったの。そして、私とユリウス様が離縁しないように、魔王スズキ様と密約を交わしていたのよ。
わずかな期間とはいえ、エミールを育てたという事実は、魔王スズキ様とこの国の間に、相互不可侵条約を締結するに到った。
私の知らないところで、魔王スズキ様との戦争が間近だったらしいの。それをエミールを育てる事で回避できたなんて……! 「そんなことも知らなかったのか」と、セバスチャンには呆れられちゃったけどね!
まあでも、魔王スズキ様とエミールは、たまにこっそり遊びに来てくれるし、結果オーライよ!
――ドン!
「やあ、リリアーナ、ユリウス。久しぶりだな! おお、レオン、少し大きくなったな」
「スズキのおっちゃん! エミールにいたま!」
突如、庭園に魔王スズキ様が現れた。腕の中にはエミール。レオンが大喜びでエミールに駆け寄っていく。
よし、エミールとレオン、二人ともわしゃわしゃにして、どさくさに紛れてチューしよう。うん、そうしよう!
……え? まだ妄想してるのかって? だって、妄想は、私の生きがいなんだもの! それに、妄想は、いつか現実になるかもしれないでしょ?
私は笑顔で、家族のもとへ駆け出した。
(了)