第1話 氷の令嬢、赤ちゃんを拾う
「……はぁ」
私は侯爵夫人、リリアーナ。今日も今日とて、ため息をつく。鏡に映る自分の姿は、社交界で「氷の令嬢」なんて呼ばれているらしいけど、中身はただの恋に恋する夢見る乙女だ。
……え? 聞こえなかった? もう一度言うわ。夢!見る!乙女! 大事なことだからね、復唱して。
ユリウス・セイクリッド・ローゼンクランツ侯爵様との結婚は、典型的な政略結婚だった。顔合わせの時、侯爵様ったら、私の顔を見て、こう言ったのよ。「……ふむ」って。
ふむ、じゃないわよ! こっちはね、未来の旦那様との運命の出会いにドキドキしてたんだから! せめて、「かわいい」とか「お会いできて光栄です」とか、何かあるでしょうが! ……まあ、侯爵様の無口は、今に始まったことじゃないけど。
どうせ白い結婚。夫婦となりながら子を儲けず、一定期間の後に離縁することを前提とした、ただの「契約」。彼はイケメンだけど、親同士が決めた事だから仕方ない。
でもね、私、諦めてないの。
さて、憂さ晴らしに買い物に行きますか。
玄関から出ながら妄想が膨らむ。そう、例えば……侯爵家の玄関に、天使のような赤ちゃんが置き去りにされていて、私が育てることになる、とか。
……って、え?
「……ええええええええええええええ!?」
私の絶叫が、朝の静寂を切り裂いた。いや、だって、本当に侯爵家の玄関に、赤ちゃんがいたんだもの! 籠に入って、スヤスヤと眠っているんだもの! うきゃっ、かわいい!
い、いや、ちょ、ちょっと待って。これ現実? ついに私の妄想が現実になったの? 神様、ありがとう! 私、頑張る! この子を立派に育てて、ユリウス様との愛を育むわ!
……と、興奮していたら、背後から冷たい声がした。
「騒々しい。何事だ」
あ、ユリウス様。おはようございます。今日も安定の無表情ですね。って、そうじゃなくて!
「こ、これを見てください!」
私は、震える指で籠を指差した。侯爵様は、いつも通りのポーカーフェイスで籠を覗き込み、そして……。
「……ふむ」
また「ふむ」って言った! もう、ふむ、はいいから! 赤ちゃん! 赤ちゃんを見て!
「侯爵様、この子、どうしましょう……?」
恐る恐る尋ねると、侯爵様は、しばらく考え込んだ後、ボソリと言った。
「……育てる」
え? 今、なんて? 育てるって言った? え、本当に? あの、愛のない結婚生活を送る私たちが、この子を一緒に育てるの?
……こ、これは、まさに運命! 少女小説の王道展開! 神様、私、やっぱり頑張る! この子を、私たち夫婦の愛の結晶にしてみせるわ! いや、実子じゃないから違うけどね!
『まあ、ユリウス様ったら! 赤ちゃんを抱っこする姿も素敵だわ。まるで絵画ね……運命を感じますわ』
なんて妄想で、私は盛り上がっていた。現実のユリウス様は、相変わらず無表情で、じっと赤ちゃんを見つめている。……でも、その瞳は、いつもより少しだけ優しい気がする。うん、きっとそうだわ。
「奥様、落ち着いてください」
冷静な声が、私の妄想を遮った。あ、セバスチャン。侯爵家の執事さんね。いつも冷静沈着で、頼りになるわ。たまに叱られるけど。
「奥様、旦那様、一体どうなさったのですか? その赤ちゃんは……」
侍女のアメリアも駆け付けて、目を丸くしている。そりゃ、驚くわよね。だって、突然赤ちゃんが現れたんだもの。つまり誰かが侯爵家の玄関前にまで人知れず侵入した。警備どうなってるのって話でもあるし。
「拾いましたの」
私が胸を張って言うと、アメリアは盛大にため息をついた。
「……またですか、奥様」
またって何よ! 初めてよ! ……まあ、子猫とか子犬とかは、よく拾ってくるけど、この子は人間よ!
「とにかく、この子を育てますわ! ユリウス様も、そうおっしゃいました!」
私が力強く宣言すると、ユリウス様は無言で頷いた。……うん、いつもの無表情だわ。
「セバスチャン、アメリア、あなたたちも協力してちょうだい! この子は、私たち夫婦の……ええと、運命のぉ……」
「めでたい。めでたいですな」
セバスチャンは、ニコリともせずに言った。その目は、完全に「また始まった」と語っている。……失礼ね!
「リリアーナ様、そのようにおっしゃると思いましたので、既にお医者様と、乳母の手配を」
「まあ、アメリアったら気が利くわ、ありがとう」
「当然ですわ、奥様。それより、ユリウス様、赤ちゃんに名前を付けてあげた方が、良いのではないでしょうか」
「……名前?」
ユリウス様はあごに手をあてて俯く。ダメ! ダメよ! 名前は私が決めるっ!
「そうですわね……天使みたいに可愛いから、エミールにしましょう!」
私はエミールを抱き上げて、高らかに宣言した。
こうして、私とユリウス様とエミールの、奇妙な共同生活が始まったのだった。……ふふ、これから一体、どんな毎日が待っているのかしら? 楽しみだわ!