なんだよ……泣きたくなるほど、カッコいいじゃん
2021年のコロナ期真っ只中の頃、他のサイトで書いた短編です。
そちらは殆ど使用していないのでこちらに移す事にしました。
読んでいただけると喜びます。
人にはいろんな顔がある。
家族といる時の顔。好きな人といる時の顔。嫌いな人といなければならない時の顔。仕事の顔。
忙しい時、ぼんやりしている時、ご飯の時、風呂に入っている時……考えたら顔の表情は、その都度コロコロと変わる。
私はその日、その人達の顔を見ていないのに気持ちと表情が見えたような気がして、気がついたら涙が頬を伝っていた。
人って不思議だ。
その話を聞いた時、心からその人を尊敬し誇らしく思っている自分がいた。あいつの妹で良かった……私はこの時、兄の人物像を初めて知ったような気がした。
「ちょっと、兄ちゃん! 早く起きて! 今日は忙しいって言ってたでしょう。さっさと起きて朝ごはん食べてよ! 片付かないから〜!」
朝からこれで三度目の声かけだ。これでちゃんと起こさないと、兄は機嫌が悪くなる。いつも理不尽だと思う。そんなに怒るなら自分で起きろって話だ。
きっとまた夜遅くまで医学書を読んでいたのだろう。最近は博士課程のための論文を書き出したとも言っていた。だから、夜はうるさくするなと……。でもそれは、私がうるさいんじゃない。野球好きの父がうるさいと言うのに、兄は私だけに言うのだ。理不尽だ……これを理不尽と言わずしてなんとするのか。
「ほらぁ〜もうちゃんと起きなって!!!」
無理矢理に布団を剥ぎ、腕を引っ張る。そこでようやく兄はぼんやりと目を開けた。医師という職業が忙しいのはわかるけど、これで医師なのだから本当に不思議だ。ちゃんとやっているのだろうか???
なんにしても、はっきり言う! 寝起きが悪いのは問題だと思うぞ兄貴!
奴は本当は医師になるつもりはなかったのを私は知っている。というより、頭の中の選択肢にそれはなかったはずなのだ。
高校生の時、暗くなると家を抜け出していた兄は、ある場所へ行っていた。
私は抜け出す兄に気づいたある日、後をつけた。電車に乗り、途中の駅で乗り換えて、向かう先に気づいた時、意外な気はしなかった。
夜の飛行場、飛行機の離陸と着陸がが見える場所。
そこは煌々と明かりがつく飛行場が正面に見え、夜間の飛行機の離着陸がよく見えた。兄はいつもそこへ行く。そして真剣な瞳でただ飛行機を見ていた。
幼い頃はキラキラさせて見ていた瞳が、いつの間にか真剣な光を灯すようになっていた。それを見た時、兄は何も言わないけれど、パイロットになりたいのだなと思った。
でも、パイロットになりたいという言葉を聞いたことはなかった。兄は学校での成績も良くて、いわゆる理数系の脳をしていた。いつでも冷静で、的確で、私のやることなすことを冷たい視線で見ている感じ……そうあの感じ悪いやつだ。
仲が悪いわけじゃないけれど、特別に話すこともない、私たち兄妹は常にそんな感じだった。
兄には兄の世界があって、私には私の世界がある。だからそこは歩み寄ることはない。それでも兄妹だから、まぁ心配はする。そう、そんな感じ。
そしてあの日、どうにかこうにか父と兄を送り出し、私も家を出た。
うちには母がいない。まだ私たち兄妹が高校生と中学生の時、病気で母は他界した。母は癌だった。気がついた時にはステージⅣになっていて、もうどうにもならなかった。
兄が飛行場へ通わなくなったのはその頃からだ。
それから母の病室にいることが多くなった。くだらないことを話しながら、母を笑わせては満足そうに笑っていた。
そしてそのうち受験間近になり、母は兄の進路を聞くことなく逝ってしまった。
「こんな時に、ごめんね……」
最後の言葉はまだ耳に残っている……。
私と父は兄の大学受験にどこを受けるのか、合格まで知らなかった。
聞いても教えてくれないのだ。父は特に心配していた。そりゃそうだ。息子が大学を受験するのに何科を受けるのか知らないのだから。大学名だけは教えてくれたけれど、それ以外は誰にも言わなかった兄貴。
突然変更したことで、どこまでやれるのか、自分でも自信がなかったのかもしれないけれど。
合格発表を聞いた時、私たち親子はただ目が点になってしまった。兄は地元の国立大学の医学部を受かっていたのだ。
そこで初めて兄の気持ちを理解した。母の死を経験し、兄は医師の道を選んだのだと。言えば良いのに、そんなの自信がなかったとしても、医学部がどれだけ難しいのかは知っている。私は兄貴の努力を知っている。
そして兄は医師の道を歩み始めた。医学部を卒業し、研修医期間を過ごし、選んだのは周産期センター。産婦人科の中にあって特殊な赤ちゃんのお医者さんだった。
母のことがあるから外科か内科になると思っていた私は、これまた驚かされたけれど、研修医の間に思うところがあったのだろう。医師になって兄が自分で選んだ科なのだから、応援するよ。
その頃になると私も社会人になっていた。
中学生の頃は父が慣れない家事を頑張ってくれて、その頃の私と兄は自分でできることを手伝う程度だったが、今は家族の食事はほとんど私がこなしている。洗濯や掃除は手の空いた者がやるとなってはいるが、兄は忙しくてそれどころじゃない。だから、父と私がやるしかないのだが……。
忙しいのはわかる。が、家で何もしない兄を見ていると、少しは何かやれよという気にもならなくはない。
でも、兄は忙しいのだ……。
その辺りは複雑だよなぁ。
問題のその日、私は一日有給を使って病院へ行くことになっていた。
一年に一度の会社の健康診断で私は引っ掛かったのだ。一度しっかりと病院で診てもらうように、という報せをもらい、精密検査をすることになった。
精密検査とは結構ドキドキするものだが、私はその前に兄にそのことを話した。
「何かね……尿蛋白で引っかかってしまったんだけど、どういうことかわかる?」
その時の兄の様子は新聞に目を通しているときで、ちらっと私を見ると口を開いた。
「普通は尿蛋白といえば、腎臓の病気を疑うけど、通常でもいろんな状況が重なって尿蛋白が出ることもあるから、先ずは精密検査をしてこい」
ごもっともである。
実は私はちゃんとWebで調べていた。激しい運動の後でも出ることがあるそうだし、膀胱炎や高熱を出しても出るという。熱を出した覚えはないが、運動をした覚えはある。多分それだろうという予想はついたけれど、兄の意見も聞きたかったのだ。そこはそれ、何となくではあるが……もしもを考えると怖いじゃないか。
でも結局は、検査をしないと何とも言えないということだ。これは有給を取るしかないと悟った。
「78番の方〜」
病院の待合室で、受付番号が呼ばれた。ハッとして受付で渡された自分の番号を見ると、78番は私だ。
血液を取られたり、尿を取ったり、レントゲンを撮ったり、心電図まで撮られて検査を受けた結果、私は健康そのものだった。
医師曰く、やはり運動が原因だろうとのこと、ジョギングは日課になっているけれど、疲れを感じるときには無理に走らないことも大事だとのことだった。
なんにもなくて良かった。やっぱり何もないと言われるとホッとしてしまう。
診察が終わりファイルを受け取ると、私は支払いカウンターにファイルを置き、長椅子で順番を待った。ここで支払いを終えると後は自由だ。
時間を見ると、お昼は過ぎている。どこかでご飯を食べて帰ろうか、それともどこかぶらりと寄るのもいいかもしれない。どちらにしても今日は有給を取っている。今日は自由! そう思うと、自然と笑いが込み上げた。
その時だった。
「あの……花ヶ迫さん?」
名前を呼ばれてそちらに顔を向けると、先ほど診察室に連れて行ってくれた看護師さんだった。
「あ、はい、何でしょう?」
何か忘れ物をしたかな? と思ったが、日傘は病院の玄関の傘立てに入れたし、手に持っていたものは何もないはずと、改めてその女性を見ると、彼女は何ともいえない表情をしていた。
何といえばいいのか、慈愛に満ちた聖母のようなと言うのが一番わかりやすいだろうか。
「あの……突然、すみません。……もしかして花ヶ迫さんにはお医者様をしていらっしゃるご家族か親類の方はいませんか?」
「え?」
聞いた瞬間、現実に引き戻されるような感覚になり、思わず聞き返してしまった。
「あ、あのすみません、花ヶ迫というお名前は珍しいので……失礼かなと思ったのですが……」
もし街中でそう声をかけられたら、きっと何も答えなかっただろう。でもここは兄が務める病院とは違うけれど、やっぱり病院で、病院繋がりで何かあるのかもしれないし、何より看護師さんだ。身元はちゃんとしているはず。そう思った私は素直に頷いた。
「はい。確かに兄が医師をしています」
途端に彼女がホッとしたような笑顔になった。
「まだ先生は周産期センターにいらっしゃいますか?」
「えぇっと、はい、特殊な医師なので、周産期のある場所といえばこの辺りではあそこしかなく……」
そう言いつつ、彼女と兄の関係を勘繰った。結構な美人さんだ。昔の彼女とかだろうか? だけど、次の彼女の言葉に私は納得してしまった。
「私の子が、前に、先生にお世話になったのです。お兄様があの子の主治医でした。あ、私、長嶺と申します」
長嶺さんは自分のネームプレートを見せながらそういった。
あぁ、そうか……つまり長嶺さんのお子さんは早産で生まれたか、病気で生まれたかで、兄が担当だったというわけだ。
「そうでしたか……それは知らずに……」
私はそこで言葉を止めた。
一瞬でいろいろと失礼な事を考えてしまったのを言わなくて良いからね。
「いいえ、先生はお元気でいらっしゃいますか? 本当にお世話になったので、お名前を見たとき、もしかしてと声をかけてしまいました。こちらこそ申し訳ありません」
「いえいえ、兄は元気ですよ。仕事姿は見たことはないですが、頑張っているようです」
そうだったのか、と少し安堵し、気が緩んだ私は言ってはいけないことを言ってしまった。
「お子さんは、お元気ですか?」
一瞬動きが止まった長嶺さんは優しく微笑んで……。
「あの子は駄目でした……早く生まれ過ぎてしまって……でも、先生のおかげで三週間は生きてくれました。だから初乳もあげることができたんです」
目の前が一瞬で曇っていく。
私はなんてことを聞いてしまったんだ。
呆然としていると、長嶺さんがまた聖母のように微笑んでいるのに気づいた。
「も……申し訳ありません! 私、本当に、なんてことを……」
「いいえ、あの、もう少しお話ししてもいいですか?」
「あ、はい」
私が隣の席に少しズレると、長嶺さんは隣に座り、また微笑んだ。
「私、あのとき、初めから諦めてしまっていたんです。早産だった場合、いろんな支障が出るのはわかっていましたし、生まれてすぐに一度呼吸が止まったと聞いていたので……」
「…………」
「でも、先生がおっしゃってくださったんです。瑠奈ちゃん、お母さんの初乳を飲んで頑張っていますよって……あ、瑠奈ってその子の名前なんですけどね」
長嶺さんはまた笑った。
「あの言葉には励まされました。そして一日に一度はお乳を持っていっていたんです。その時に、他のスタッフの方々は私を『長嶺さん』と名字で呼んでいたのですが、花ヶ迫先生だけが『瑠奈ちゃんのお母さん』と呼んでくださって……」
そして本当の聖母のような微笑みを彼女が浮かべ目を瞑る。
「私、あの期間だけは確かに瑠奈の母親でいることができたんですよ。たったの三週間だけでも、ちゃんとあの子の母親でいられたのは『瑠奈ちゃんのお母さん』と呼んでくださった先生のおかげなんです。夫には『瑠奈ちゃんのお父さん』と呼んでくださっていて、彼も同じように感謝していました」
「っ!……」
「私たち夫婦にはあれからも子供はできなかったのですけれど、瑠奈の親でいられたあの三週間は、私達夫婦の宝なんです。本当に感謝していますと、それをお伝えいただきたくて……お引き止めしてしまってすみません」
長嶺さんはまた微笑んだ。私は涙腺がおかしくなりそうだった。きっと必死に涙を堪えているせいで顔が歪んでいただろうと思う。
でも、ここで私が泣くのは違うと思った。
私は、長嶺さんたち夫婦の気持ちを兄貴に伝えるためのメッセンジャーでいたほうがいい。彼女たちの気持ちを一番よく知っている兄貴にこのことを話すまでは、絶対に泣いてはいけない。ここで泣いたらただの同情になってしまう。
「長嶺さんの気持ちは、絶対に兄に伝えます。話を聞かせてくださって……あ、ありがとう、ございました」
どうにかこうにかそれだけを伝え頭を下げると、長嶺さんはもう一度笑って「お願いします」と診察室に戻って行った。
人にはいろんな思いと顔がある。そしてその都度表情が変わる。
家では何もしない兄が、ちゃんとした医師であることを、この時私は初めて知った。
支払いのカウンターから、名前はまだ呼ばれない。だけど、気を他に逸らしておかないと泣けてきそうになる。
「今日の夕食はビーフシチューにしよう……」
母の料理ノートにビーフシチューの作り方がある。兄は母の作るビーフシチューが一番好きな料理だったのだけど、煮込む時間が長いから作ったことはなかった。
でも今日は時間がある。病院を終えたら買い物をして帰ろう。
「何だよ、兄貴……家ではあんなだけど、泣きたくなるほど、カッコいいじゃん」
呟きながら私は頬を拭いて、ガラスの向こうの青空を見た。
梅雨の合間の晴れの日は、泣けるほど綺麗な紺碧の空だった。
すべての医療従事者の方々へ、感謝を込めて………