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4 一服ついでに

「そこのカフェなんかよさそうかな」

 綺羅の示した方に洋一は車を寄せる。街路の角に面したしゃれたカフェがそこにあった。

「洋一君はコーヒー大丈夫かな」

「子供じゃないんですから」

 実は飲むとちょっと胃が痛くなるのは黙っていよう。そう思ったら不意に綺羅の脚が止まった。

「お? ちょっと覗いてくるから先入って席取っといて」

 行ったと同時にはす向かいのお店に向かってしまった。まったく、考えたときには行動している人だな。上官に呆れながら洋一はカフェの中に入った。

「はろー」

 中は落ち着いた雰囲気のカフェ、の筈だった。

「だから酒を出せと行ってるのだ、このあまっこが!」

「わかんない言葉でわめくんじゃないよこの田舎者が!」

 どういうわけだか中は険悪な空気だった。客と店員が怒鳴り合っていた。

「てめえ秋津の兵隊舐めるんじゃねぇぞ! 誰のおかげでこの店持ってると思ってるんだ!」

「あんたらみたいに野蛮人にくれてやるもんなんてないね! とっとと海の向こうに帰りな!」

 片方が秋津の兵隊三人で、もう片方は店員とおぼしきノルマンの娘だった。年は洋一とさして変わらないのではないだろうか。それがお互いの言葉で罵り合っている。意思疎通も何もあったものではない。

 何があったかは知らない。だが女の子相手に三人というのが洋一にはどうにも気に入らなかった。

 床を強く踏みしめて音を鳴らした。三人と一人の視線がこちらに向けられる。

「よしなよおっさんら、みっともないぜ」

 秋津語なので女の子の方は怪訝な顔をしている。秋津兵の方は睨みつけてくる。

「その格好は海軍か。カッパのガキがしゃしゃり出てくるんじゃねぇ」

「てめぇが喧嘩を買おうってのか」

 おやおやおっかないことだ。洋一は妙に冷静になってきているのを感じた。こちとら下町育ちで喧嘩は慣れっこだ。中学の時もバンカラ学生どもとは何度もやり合った。今更陸式三人相手にびびるつもりはない。

「さあてどうかねぇ」

 莫迦にする口調で、洋一は花瓶に使っていたワインの空き瓶に手を伸ばし、差してある花をわざとらしく丁寧に机の上に置く。そして瓶の方をこれ見よがしにもてあそび始めた。

 いかにも武器にしそうだが、この瓶は囮だ。洋一は三人を捌く作戦を立て始める。

 位置的に右端から対峙するであろうから、初手は敢えてその隣の奴の頭めがけてこの瓶を投げつける。一瞬驚いた隙に正面の奴に机を蹴り込み、よろけたところを頭に膝を入れる。

 三人目をどうするかなと一瞬だけ視線を向けると、いささか小柄な兵士はさりげなく椅子を足で手前に引き寄せていた。

 まずいな、こいつは喧嘩慣れしている。正面の奴に顔に膝を入れたところでこいつが椅子を振りかぶってくるのが想像できた。

 やめやめ、瓶と机の時点でずらかろう。喧嘩のコツは負ける前に逃げることだ。

 こっちが逃げれば連中も追ってくるだろうから、まあ店からは離れるだろう。逃げ足勝負ならもっと自信がある。あっさり方針転換すると、強気な表情のまま洋一は退路を確認する。

 机の蹴り込み方向を少しずらせば相手の進路を塞げる。入り口から充分逃げられるな。そう目星をつけたところでその入り口が開かれた。

「やあおまたせ洋一君」

 中のにらみ合いなぞ関係ない声で紅宮綺羅が入ってきた。

「こんな所でも香水扱っている店があるんだねぇ。おかげで槙さんへのいいお土産になったよ。洋一君も朱音ちゃんに買ってくといいんじゃないかな」

 場違いな闖入者に誰も彼もが目を奪われた。なにしろ秋津海軍の士官制服を着た女性なんて、この世に一人しか居ないくらい珍妙な存在なのだ。

「……あの、もしや……」

 秋津兵達はハトが豆鉄砲を食らったの見本のような顔でその珍妙な存在を見た。

「貴女は、紅宮様の……綺羅様では?」

「うん、そうだよ」

 あっさり云われてしまい、彼らはバネでも仕込まれているのかのように直立不動の姿勢になった。

「し、失礼しましたぁ!」

 その麗顔も秋津の人間なら知らぬ者はいないだろう。

「す……するとそちら、は」

 彼らは洋一の方を見る。紅宮綺羅の傍らに居る、年若い搭乗員。

「もしや、丹羽洋一軍曹殿、でありますか。「実録紅姫様空戦記」の」

「うん、まあ」

 そう聞かれればそうだと答えるしかない。あれそんなに有名なのか。

「こ、こちらも失礼しました!」

 さっきまで殴ろうとしていた相手に、三人の秋津兵は敬礼した。

 よくよく考えれば、階級は自分の方が上なのだからそれをちらつかせれば良かったのかな。まあ趣味ではないのだが。

 洋一はいまだにしっくりこない自分の立ち位置を思った。搭乗員の中では下っ端なのだが、艦の中とかで善行章を何本も付けた年かさの水兵に敬礼されると戸惑ってしまう。

「で、どうしたの? まだ席取ってないの?」

 事情を知らない綺羅が彼らを見て尋ねる。三人の秋津兵達が唾を飲み込んだのが洋一にも判った。

「ノルマン語が不案内だったようなので、自分が通訳しておりました」

 なんだかバカバカしくなった洋一は助け船を出してやることにした。

「この店はカフェなので、酒類は夜しか出せない。よろしいかな」

 意図を理解した彼らは大きく何度も頷いた。

「お酒が飲みたかったらパブだね。あっちに二ブロックぐらい行ったところにあった筈だよ。ただ酒類も配給になったって聞いたからあんまり期待しない方がいいよ」

 綺羅も気さくに答えてくれる。

「あ、ありがとうございました。これよりそちらに向かいます!」

 もう一度全身で盛大に敬礼すると、彼らは隊伍を整えて入り口に向かう。

 去り際に一人が洋一に声をかけてきた。

「あのう、丹羽軍曹殿」

 声をひそめて、彼は背嚢の中から新聞を取り出した。

「よろしければサインを頂けないでしょうか」

 一月遅れの中京毎々新聞の「実録紅姫様空戦記」の部分が広げられた。

 しょうがないなぁ。洋一は差し出された鉛筆を受け取った。サインってこんな感じか? いつもより崩したように洋一は署名した。

 まったく妙な話だ。さっきまで喧嘩しようとしていた相手なのに。

「ところで、綺羅様のサインはいいの?」

 洋一は小声で後ろを示した。せっかくそこにいるのに。

「いえいえ、それは何というか、畏れ多くて……」

 何度も頭を下げながら、彼らは去って行った。

 外側のテラス席に綺羅が座るので洋一もその向かいに腰を下ろす。春の日差しと風が心地よい。

「昼間から呑みたいなんて鬱憤溜まってるのかね、前線の兵隊さんは」

「まあちょっと荒んでますよね」

 派遣された秋津兵が現地の人ともめ事を起こすのは洋一も何度か見たが、やはり前よりも空気が悪いように感じられた。

「お待たせ」

 先ほどの店員がコーヒーを運んでくる。芳醇な香りが春の風に混ざる。匂いは嫌いじゃないんだけどな。洋一は立ち上る湯気を眺めた。

 砂糖と、牛乳も置かれる。洋一の牛乳入れ(ミルクポット)が一回り大きい。店員を見上げると、彼女は含みのある笑みを浮かべている。先ほどの礼というよりは、背伸びをしている子供をからかう部分が多い気がする。

「さんきゅ」

 困ったことにいっぱいある方が助かるのだ。洋一は全部を入れて黒い液体を白く薄める。ついでに砂糖も多めに入れる。口に運ぶと大分苦みが和らいだ。

「ごゆっくりー」

 そう云い残して店員は去って行った。

「女給さんに気に入られたみたいだね」

 綺羅はにやにやと部下を眺めている。

「そんなんじゃありませんよ」

 洋一は顔を隠すようにカップを傾けた。ブリタニーの風が心地よい。こんな場所がもうノルマンには殆ど残されていないなんて。

「うーん。やっぱり何かしたいよなぁ」

 コーヒーの香りを味わいながら綺羅は云った。

「負け戦続きでずるずる下がってきてここまで追い詰められて、そりゃみんな気分がめいるってものだよ」

「そうは云っても、我々一個中隊の戦闘機でできることはたかがしれてますよ」

 局地的に勝つことはできてもそれで全体の流れを押し返せるものではない。

「だからせめて気分だけでもね。このまま負けっぱなしで逃げ出すってのもどうにもシャクだし」

 何気ない会話であったが洋一は声をひそめた。

「あの、もしかして」

「うん、遣欧軍はノルマンから撤退する。〈翔覽〉が来たのも脱出の支援のためだ」

 いよいよか。一年近く戦い続けてきたが、ここまで陸上戦力で押され続けて今やブリタニー半島の端の方にまで追い込まれていた。残念だが、仕方がない。

「だからパァっとしたことしたいんだよ。遣欧派遣軍ここにあり、秋津海軍航空隊ここにありって感じで。またベルリン行くとか」

 そういえば前回も敵の首都まで飛んで派手にチラシをばら撒いたっけ。

 戦場でひっくり返せないなら政治的な見世物を、というのはまあ判るんだが、この人はただ派手なことがしたいのだろうな。一年付き合ってきて洋一はなんとなく紅宮綺羅が判ってきた。

「サーカス団じゃないんだから」

 洋一はたしなめたのだが、綺羅はそうは受け取ってくれなかった。

「サーカスか」

 カップを傾けてコーヒーを味わい、カフェインで頭を回す。

「いいねぇ、サーカス。気に入った」

 気に入られるような事を云ったつもりはなかったのだが。余計なところに火を付けてしまったのだろうか。

 綺羅は一気にカップをあおると、コーヒーを飲み干した。

「よし、回るところが増えた。行こうか」

 立ち上がるや手早く財布を取り出す。

「二シリングで良い? 置いとくよ」

 卓の上に二枚の銀貨を並べて置くと、もう彼女は歩き出していた。

「待ってくださいよ」

 洋一は慌ててコーヒーを流し込む。紅宮綺羅が進み始めてしまっては、もう誰にも止められない。そして自分は二番機なのだ。どこまでも付いていくしかないのだ。


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