2 母艦に還って
洋上に出て一時間ほど春のノルマン海を飛ぶ。ブレストの西方150海里ほどの海域。そこに秋津海軍が遊弋していた。どういうわけだか、この海域のことを彼らは「鶴舞公園」と呼んでいた。
艦隊上空を三つの機影が回っている。こちらの接近に気がつくとそばにやってきた。哨戒にいた同じ十式艦戦であった。大きく翼を振ると向こうも振り返してきた。
見下ろすと周辺警戒の駆逐艦が凪いだ海面に幾つもの白線を描き、その中央に彼らの還るべき空母が居た。
よく見ると平たい影は二つある。一つが洋一たちの母艦、〈翔覽〉。そしてもう一つは姉妹艦の〈瑞覽〉であった。〈翔覽〉に遅れること一年、遂に実戦に参加することになった。
同じ形なので間違えて降りないようにしないと。艦尾に「シ」と書かれているのが〈翔覽〉で、「ズ」と書かれた方が〈瑞覽〉の筈だった。
「クレナイ中隊よりシダレヤナギ。着艦許可願いまーす」
綺羅が呼びかけるころには一隻が針路を風上に向け始めていた。
「クレナイ中隊着艦を許可する。方位220、速力30ノット、風2ノット」
「シ」という文字が艦尾に書かれた船の上を、クレナイ中隊は通過した。上空で輪を描きながら、紅い尾翼を先頭に一機ずつ滑り込んでいく。
第一小隊の二番機なので、洋一はなんと二番目に着艦する事になる。なんだか場違いに偉くなってしまったかのようで、どうにも落ち着かない。おかげで進入がすこしぎこちなかった気もする。
内心の混乱はともかく、フックはワイヤを捉え、無事に着艦した。ワイヤを外すとあっという間に甲板作業員が六人ぐらい主脚に取り付き、駐機場所に押していく。
点火スイッチを切ると、やかましかった発動機が急に静かになる。それとほぼ同時に整備員が主翼の下に潜り込む。何やら金属のぶつかる音がすると思っていたら、小柄な整備員が、主翼の上によじ登ってきた。
「よいしょっと、ああ洋一。お帰りなさい」
整備員にして子供の頃からの腐れ縁である小野朱音であった。
「はい左お願いしまーす」
声をかけると十式艦戦の主翼が半ばから折れ曲がった。整備員二人がかりで持ち上げると、上で待っていた朱音が倒れてきた主翼の半分を受け止める。じりじりと下がりながら自分の身体を逃がすと、最後に当て木を差し込んで主翼を二つ折りにしてしまった。
二号艦戦のもう一つの改良点がこの主翼折り畳み機構であった。これまでの翼端が申し訳程度に曲がるのに比べて、収納時の翼幅が半分になった。お陰で〈翔覽〉の戦闘機隊は1つ増えて3個中隊となっている。
「ほんとに半分になるんだなぁ」
艦上に降りて反対側も畳む様子を洋一は眺めた。判っていても先ほどまで自分を乗せて急旋回していた翼が半分になる様は不思議な気分だった。なんだか鳥らしさが上がった気がする。
出撃していた八機が着艦し終えたので〈翔覽〉は速度を落としつつ向きを変える。艦上では格納庫に運ぶべく十式艦戦を動かし始めた。まず紅い尾翼の綺羅機を前部エレベータに載せる。その脇に、向きを反対にした洋一の機体が並べられた。鐘のような警告音と共に二機まとめてエレベータが下がり始めた。
折り畳み機構のお陰で、エレベータに一度に2機載せる事ができるようになった。
「載るもんだねぇ」
いつの間にか綺羅が隣に立っていた。
「ええ、格納庫との上げ下ろしが半分の時間で済むので助かります」
積み込み作業を終えた朱音が二人の傍らに歩いてきた。
「飛ばしてみてどうですか? 重く感じたりとか」
「どうかなぁ。エンジンが良くなった方が大事な気がするし、主翼の強度はむしろ上がったし。急降下で350ノット出せる方が重要だよ」
綺羅は余り気にしていない様子だった。どんな機体もそつなく飛ばしてしまうために気がついていないのかもしれない。
「隊長にとっては速いかどうかの方が重要ですからね」
「折り畳み提案した朱音ちゃんのおかげだね。塚越さんも喜んでるよきっと」
「えへへ、そうですかぁ」
変な喜び方をしている朱音を洋一は呆れた目で見る。秋口に各務ヶ原で朱音がそんなことを十式艦戦の主任設計士である塚越さんにそんなことを言っていたのは確かである。ただ今年の頭には二号艦戦の生産が始まっていることから察するに、あの時点でもうその予定は立っていたのだろう。あの場で朱音の提案を褒めたのは、自分達の方針を確信できた程度であろう。
十式艦戦が次々に格納庫に仕舞われていく。搭乗員達もそれを見送ると飛行機とは別に艦内に入っていく。彼らは艦橋脇に居る綺羅に向けて敬礼していく。
「お先に失礼します紅宮少佐」
綺羅は鷹揚にそれに応える。その中の一人、洋一の同期である松岡三飛曹は洋一にも敬礼してみせた。
「お先に失礼します、丹羽二飛曹殿」
しょうが無いので洋一も敬礼する。
「あいつ絶対からかってますよ」
小さめの声で洋一は綺羅たちに云った。
去年の10月にあった帝都空襲。侵入してきた不埒な爆撃機を撃墜した功により綺羅は功四級金鵄勲章を拝領し、四月付で少佐に昇進していた。ついでとばかりに洋一も「機転ヲ以テ友軍機ヲ誘導シ敵機撃墜ニ貢献」した功により功六級を貰って、4月から二等飛行軍曹に昇進していた。
「上がったんなら素直に喜んどきなさいよ。お給料も少し増えるんだし」
そういった朱音も、前年の欧州派遣で「のるまん軍トノ円滑ナ交流ニ貢献」と云うことで感状を貰って、同じく4月から二等技術軍曹になっていた。
名目上は帝都空襲に関しての功となっては居たが、朱音まで同時に昇進と云うことは。
「これってやっぱり、フォッカー持ってきた手柄なんですかね」
未だ慣れない階級章を撫でながら云った。去年の7月に紆余曲折の末、敵の戦闘機フォッカーFo109を持ち帰ることに成功した。飛行可能な敵の最新鋭機が入手できたことは非常な貢献ではあったようだが、このことは最重要機密とされて未だに公開されていない。
「そうかもしれないね。無駄に複雑な話だよ。本当に無駄だ」
彼女にとって昇進の理由も、昇進そのものもどうでも良いらしい。洋一にとっては、まあ黙っていなければならないことが増えるのはややこしい。お給料が増えるのは、まあ良いことだ。金鵄勲章はたしか年金も出るはずだし。
「ところで、今回は上陸とかしないんですか?」
前回の派遣では航空隊は陸上基地に展開していたが、今回は洋上からの出撃になっている。
「陸地が手狭になってしまったからねぇ。ノルマン空軍と陸軍と海軍の……今居るのは十四空だっけ。まあ飛行場が取り合いになってるから、自前で飛行場持ってる母艦航空隊は洋上から行くしかないね」
狭い半島に押し込まれてきているので、飛行場適地も少なくなってきているだろう。
「まあ洋上に居る限り向こうの空襲は来ないだろうけど」
戦場ではやっかいなフォッカーFo109も、航続距離が短いという欠点があった。100海里ほど洋上にいればフォッカー109の出撃圏外となる。護衛戦闘機なしでの攻撃は何度も痛い目に遭わせたらしいので、向こうももう手を出してこないらしい。
「えぇ残念、またパリに行きたかったのに」
「パリは去年の10月に陥落してるだろ。敵地に潜入する気かよ」
前回の欧州派遣の最後はいろいろ大変だった。あんな面倒はそう何度もしたくはない。
「大体またって何だよ。俺は一回もパリ行ってないんだぞ」
前回も基地のあったアミアン周辺しか出歩かなかったし、あのゴタゴタの後シェルブールからすぐ〈翔覽〉に戻ってすぐ帰国だったので、ノルマンの華やかな場所には縁が無かった。
「1回は綺羅様の付き添いでぇ、もう1回はソッピース社からお呼ばれしてねぇ。気品のある女性は引き寄せられるのかしらぁ」
気品もなにもあったものじゃない態度で自慢しやがる。何か言い返してやろうしたところで洋一の頭に綺羅の手が載せられた。
「あ、そうなんだ。じゃあ洋一君今度付き合ってくれる?」
まったく適当なことを云う。後頭部のぬくもりを感じながらこのときの洋一はそう考えていた。