銀河戦士「サガレンジャー」
その盟友の1人「ナベシキ」君は、前進のみで戦う。
それもひとつの戦法なのであろう。
わたくしは、おもに戦術戦略の進行の是非を祈り、戦いの武器は神に捧げる言霊の剣だけである。
だから女なのだろうか。
なぜ兄たちと共に、最前線に立たせてもらえないのか。
まだ幼い弟達も泣いている。
幼くても、武神と呼ばれた父を愛し、父に倣い、勝っても負けても、父と共に戦場に出たいと泣いている。
だが厳しい父は、家にはこだわらぬと前置きをしながら、お前たちは母を助け、家を守り、先祖より受け継いだ自分の血を末裔まで残して欲しいと、律とした戦姿の立ち姿のまま、子供たちに訴える。
なぜか、父と共に戦場に向かう長兄も後ろで泣いている。
なぜかわたしばかりが冷静で、きっとそれは祈りの力で神に寄り添いながら、魂は戦場に立つことができるからなのだろう。
そのような夢を見た。
何度か同じ夢を見る。
隣の営業のナベシキ君は、あいかわらずだ。
いつも前向きで、いつも前進を戦の宗とする。
ぼくは、鍛えられた筋肉が様々な状況に対応できるような、ちょっとわかりにくい例えであるけれど、そのような臨み方をする。
そして戦の場が変わると、目標も変わる。
明治維新のように敵は隣の薩摩であったり、あるいは尊皇派であったり、攘夷派か倒幕かなどと、複雑に入り乱れ、敵味方の入れ替わりも激しい。
そんな明治維新のように。
だが、本当の敵は国の外にいた。
世界戦略で植民地を拡げる西洋。
いまもそうなのである。
だから、戦の場が変われば、敵も味方に変わる。
南北朝の敵味方も、新しい国の体制を作るという神の願いを知れば、本当は仲良くしなければならなかった。
安土桃山時代、戦国時代もそうなのだから、いま目の前に立ちはだかる人は敵ではない。
たとえあちらがこちらを敵の如く捉えて、強い話し方をしていても、こちらは冷静に。
まずは煙草を一服して、心の咎を取り除く。
そうすると状況が見えてくる。
敵と思われたモノの正体が浮き上がってくる。
この戦場、この場面での的が視界に入り始める。




