第7話 『CHRISとMIYAKO』
「……コーヘイ? おーいコーヘイってば」
遥名が眼の前で手を振っている。
瞼が重い。気づかぬうちに眠っていたらしい。
鼻から息を吸って大きく伸びをすると、近寄っていた遥名が少し距離を取る。
「お疲れさんやな。ひょっとして今日の講義詰め過ぎやった?」
「今、何時?」
「5時回ったとこ。最寄り駅まであと10分くらいかな」
となると5分少々しか眠ってなかったってことになるのか。
その割にはっきりとした夢を見たような……?
頭に手を当てて内容を思い出そうとしていると、遥名が興味アリアリといった感じで横顔を見てくる。
「そんでコーヘイ、どんな夢見とったん?」
「え? 夢って……なんでそんなことわかるんだ?」
こやつもしやエスパーなのか? と内心驚くものの、ちゃうちゃう、と手を振って先んじて打ち消してくる。
「寝てるときイビキかいてなかったからな。そーゆーときコーヘイは夢見とるんよ」
「マジ? そんなことってあるのか?」
「おうコラ、2年付きおうとる彼女の言うことくらい無条件に信用せーよ?」
怒っているフリの遥名が本当に怒りだす前に、もう一度思い出してみよう。
「昔の夢だよ。久々に見た。てか、なんで今さら見たんだろうな……あっ!?」
電車の吊り広告が眼に飛び込んできて、一気に疑問が氷解する。
驚く俺の視線を追った遥名も、ほぼ同じ結論に至ったらしい。
「おっ、あんなところに八王子先輩おるやん! あの人メッチャ売れたよなー!」
「ああ……さっきの俺の夢にも出てきたよ……」
首を振って眠気を散らしつつ、さっき見た夢の内容を思いだす。
あれは名高い『橘南高校ウィル・スミス事件』の一幕だった。
校内屈指の美人で有名だった八王子クリス先輩が、隠れて浮気を繰り返していた彼氏であるサッカー部のキャプテンに、公衆の面前で平手打ちをかまして三下り半を突きつけたという大事件。
ただでさえエキセントリックな八王子先輩の暴走は、それだけでは止まらなかった。元カレの頬を張ったその手でマイクを拾い上げると、全校生徒が揃い踏む中で、あまりにも堂々と彼女募集宣言をブチ上げたのだ。
あのときの驚愕と、その直後に巻き起こった狂騒ともいえるバカ騒ぎは、2年経った今でも記憶に新しい……。
などと郷愁に浸る俺の隣で、遥名のテンションがバカ上がりしている。
おお~っと吊り広告に映る八王子先輩の姿を凝視し、はてと首を捻る。
「八王子せん……CHRISがおるってことは、都子は?」
「この広告には映ってないように見えるけど」
「ウソやそんなん。2人はセット売りやろ。どっちかだけってことはないやろ」
遥名の言い分には一理ある。デビューしてからこちら、片方だけピックアップする売り方をされたところは見たことがない。
「……ひょっとして、裏面か?」
何気なく思ったことを口にすると、遥名が不敵な笑みを浮かべて、ビシッとこちらにサムズアップしてきた。
「それやコーヘイ! 冴えとるな! ウチちょっくら見てくるわ!」
答えを待たずに立ち上がると、遥名は電車の中だというのにダッシュで吊り広告の裏側に回った。そして――。
「お、おおおおおお~!? おるで! こっちに都子も!!」
「そりゃ良かったな」
「記念撮影しーとこっと。並んで自撮りとかして。コーヘイも一緒にどうや?」
「俺はやめとく」
「いけず勝之進かよ。まあええわ……イェーイ!!」
眼のところで横ピースをキメる遥名は、マジで記念撮影を始めたらしい。
なんというか、コイツのパリピ力たっか……。
両手でスマホを操作して撮れ具合を確認し、元の座席に帰ってくる。
チラとその画面が眼に入った。映っているのはたしかに園田さんだ。
盗み見したのがバレたらしく、遥名がこちらにジト目を送ってくる。
「なんやの? コーヘイも気になるんやったら見てったらええやん」
「別に興味があるわけじゃ……というか、本当に園田さんだなって」
見た目の印象が随分と垢抜けてるし、キレイになったとは思うけど。
暗に俺がなにを言いたいのか察したらしく、幼馴染が気を回してきた。
「ひょっとしてまだ信じられへん?」
「そりゃまあ……なんせ同じクラスにいたときとイメージ違いすぎるからな」
園田さん、メガネかけて、教室の隅っこで本ばかり読んでるような子だったし。
「ウチはそうでもないけどな~。アレなんていうんか忘れたけど、昔からお花のお姫さまみたいなマンガ雑誌愛好しとったみたいやし」
「え? そうなのか?」
「マジマジ。遥名さんの女子ネットワーク舐めとったらアカンよ?」
コソコソ話をするように、手で口に囲いを作って遥名が告げた。
当時、クラスメイトの園田都子の印象は、目立たない女の子といった感じだった。陽キャというよりは明らかに陰キャ寄りで、ふだんから物静かにしている清純系。言い方を選ばないなら、昼休みと放課後をずっと図書室にこもって過ごすような孤独な文学少女と形容したら適切だったろうか。
そんな彼女が、八王子クリスに見初められた。
驚くべきことに、あの『橘南高校ウィル・スミス事件』が巻き起こった日の放課後、茶道部の部室には八王子先輩の彼女志望の女子生徒が殺到した。そこから数十倍もの倍率を突破して晴れて彼女の座を射止めたのが、園田都子だったのだ。
園田のシンデレラストーリーはこれで終わらない。その週末、カップル成立記念旅行へと出かけた2人は、出先でさる芸能事務所のスカウトを受けることになる。最初は難色を示した2人だったが、プロデューサーを名乗る男性の必死の説得に心を動かされ、ついに事務所に所属することとなった。
そこから先はトントン拍子だった。所属事務所が業界一二を争う大手だったのもさることながら、彼女たちのポテンシャルが群を抜いていたこともあり、あれよあれよという間にJKアイドルユニットとしてのデビューが決まったらしい。
「そう言えば八王子せ……CHRISがな」
「言いにくいなら芸名呼びじゃなくていいだろ。八王子先輩がどうしたんだ?」
釘を刺すも、遥名的には譲れないところだったらしく、こほんと空咳を挟んでから呼び名を貫徹する。
「CHRISがな、ネットで話題になっとんねん。なんでも最近、所属事務所とバチバチにやりおうとるらしくて」
「へー。なにかあったのか?」
問いつつ思い浮かべるのは、あの日の八王子先輩の勇姿だ。わずかでも気に障ることがあれば、相手が誰でも最後まで闘うのは想像に難くないな……。
遥名の答えはしかし、俺からしても納得のできるものだった。
「なんでも、ハタチ超えてJK売りはどうやねんって怒っとるって」
「そういや2人とも、デビュー以来ずっと制服姿でしか見たことなかったな」
遥名ほど熱心な2人のウォッチャーではないので自信はなかったのだが、そうか、あれは事務所の方針だったか……。
「都子の……いやMIYAKOとの距離感もかなり問題視しとるみたいやで」
「そこ別に発音変える意味なくない? アクセントが京都とかの都になってるだろ」
CHRISも若干英語発音っぽくなってるので、そこも突っ込みたいのだが。
話の腰を折られた上にいらぬところで茶々が入ったので、遥名がキレる。
「コーヘイさっきからうっさい! 芸名って昔からそーゆーもんやの!」
「はいはい」
「はいは1回!」
藪蛇になりそうだったので、キチンと「はい」と1回だけ返す。
わかればえーねんわかれば、と遥名は機嫌を直してくれたようだ。
「ほら、テレビでも2人って距離感近いやん? 仲睦まじいっていうか、それ超えて」
「女性アイドルってそういう売り方もあるって聞くけど?」
俗に言う、お花の名前の営業スタイル。本物の恋人同士である2人からすれば実際に密着しても不快感がない分、得意技となり得ると思ったのだが――。
「半端すぎるのが逆にトサカにきとるみたいやで。やるんやったらもっとガチでやりたいって」
「あー、言いそう」
なにせ、元カレを断罪したその席で彼女募集をかけるような女帝だ。
「でな、腹いせに今週出演する歌番組ドタキャンするかもって」
「どの歌番組だよそれ」
「金曜にやっとるやつ」
「生じゃん!?」
さすがにビビる。あの歌番組の出演者ってアイドルの比率が高くて有名だったよな。出番に穴開けたら、生歌生演奏に対応できるライブバンドでもいなければ放送事故になんだろ。
「まあでもCHRISって破天荒な性格で人気出たようなもんやからなー。問題になるのコミコミで事務所も放置するかもしれへんな」
そんなことあり得るのかよ、とは思いつつ好奇心が疼くのを感じた。
「今週末か。これは絶対観ないとな」
「せやな、絶対録画しよな!!」
……違和感。
いつもの遥名なら、と考える。俺と一緒にテレビに齧りつき、絶対に生で観ようとここで誘ってくるはずだ。それが何故録画?
嫌な予感がしたのはなんとなくだった。長い時間を共有してきた幼馴染としての直感。恋人としての直感。どうにも言語化しづらい理由ではあったものの、懸念は当たっていたらしく、遥名の様子がおかしい。
シート上で距離を詰めてきた遥名が笑顔を浮かべ、キラキラと俺に向かって眼から星を飛ばしてきた。