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第5話 『催眠アプリと2人の真相』

 赤い光が車内に満ちる、夕暮れ。

 大学帰りの電車内にて、俺は顎を落としていた。


「……『催眠アプリ』が、効いていなかった?」


 隣の座席には身体の両側に買い物袋を置いた遥名。

 驚く俺の様子を意外そうな眼で見て、平然として言う。


「アレ? 遥名さんってばとっくの昔に言うたもんとばかり思っとったけど?」

「いや、メチャクチャ初耳だし……それマジ?」


 思わず額に手をやるのは、頭痛の兆しを感じたからだ。


 この時点で、どんな話の流れでこの話題にまで行きついたのかは頭から吹き飛んでいた。そのくらいにショックだった。だって『催眠アプリ』が効いていなかったってことは、遥名があの夜のことを全部覚えていたってことで……。


「……じゃあ全部、演技してたってのか?」


 うん、というよりか、ふぅん、みたいな感じの悪びれない頷きが返ってきた。


「コーヘイこそ、よー考えてみ? いくら科学技術万能の時代やからって、そんな都合よく人の頭から記憶消すアプリなんて作れるはずないやん」


 それは遥名らしくもない、紛うことなきド正論だった。

 ド正論だったけれども……俺の聞きたい答えは別にある。


「焦点はそこじゃない。てか、なんで効いてるフリなんてしたんだ」

「あー、コーヘイが気になるんってそこ? 割と単純な理由やけど……」

「頼むからもったいぶらずに言ってくれ」


 半ば懇願と化した物言いに、存外と素直に遥名は従ってくれる。

 崩れかけた買い物袋を地べたに置くと、よっと、と呟いて一本指を立てた。


「1回目にウチに『催眠アプリ』かける前のこと思い出してみ? コーヘイ、自分がどんな感じやったか覚えとる?」

「それは……」


 口に出しつつ考えるも、細かなところまでは記憶がない。

 泣きながら玄関を訪れた遥名を部屋に招き入れて、それからどうしたんだっけ?


「一言で言うと、必死やった」

「え?」

「必死に、ウチのこと慰めとった」


 遥名が語るには、泣きぐずる遥名を部屋に招き入れたあと、どうしたら力になれるか必死な様子で訊ねてきたそうだ。


「覚えがないな……」

「せやろな。顔青うなってたもん。たぶんウチのことしか考えてなかったんやろ」


 逆に遥名は当時をよく覚えているらしく、うんうんと神妙な様子で頷いている。


「でな、俺になにかできんかー、力になれんかーってウザいくらいに訊いてくるもんやからな、ウチも思い切って言うたろうって思ったんよ。『全部忘れさせてほしい』って」

「そしたら俺が『催眠アプリ』を持ちだしてきたと?」

「まあ、そーゆーことやな」


 唖然とする俺を前に、でな、と遥名が話を進めてゆく。


「実際に『催眠アプリ』の画面突きつけられたときな、当時の遥名さんは号泣しながら思ったんよ。ああ、今コーヘイはウチのために必死に頑張ってくれとる。せやからここは一発、効いとるフリしたらな可哀想やなーって」


 予想外過ぎる。まさか失恋して泣いてた遥名に同情されていたなんて……。

 この報告は椎野浩平にとってショックだった。


 ガーンとばかりにしばらく放心していると、心の中に過ぎる疑問がある。


「……えっと、遥名が忘れてるフリをした理由はわかった。だけどな、それだと引っかかる部分が出てくるんだが」

「え? なによ?」


 と言って眼を丸くする遥名に、俺は思い切って。


「記憶が消えていなかったってことは、告白相手から届いたメッセージの内容もバッチリ覚えてたってことだろ。ならなんでわざわざスマホを起動して、それ見て何度も泣いたりなんてしたんだよ」


 当時、遥名は本当にあいつのことが好きだった。

 幼馴染として、それが確信できているからこそわかる。


 あの夜、遥名の見せた涙も泣き顔も全部本物だった。

 自分から、自分の心を抉るような行為を取る意味がわからない。


「…………」


 ガタゴトン、と大きく揺れる電車内。

 突如として無言となった遥名は静かに向かいの座席シートを見た。


 そこに座っているくたびれた様子の中年サラリーマンは、俺たちを除いてこの車両に残っている唯一の乗客だ。そんな彼の身に、遥名の視線がまるでレーザーのように突き刺さる。


「……じー」


 気づいたサラリーマンが肩を震わせる。チラと横眼で遥名の様子を窺う。

 ごほごほんと空咳をする。それでも遥名の視線は止まない。


 気まずくなったサラリーマンは、立ち上がってトボトボと去っていった……。


「……よしっ、念能力成功」

「じゃねーよ。なにやってんだよ!!」


 思わず大声で突っ込んでしまった。それマジのガチで迷惑行為だからな!?

 しかし遥名は反省した様子も見せず、逆にジト眼を向けてきた。


「なんやの。コーヘイが話聞きたいっていうから、状況整えたげただけやん」

「それ、そんなに人目を気にするような話なのか!?」

「いや別に」


 違うんかい!!


 唖然としていると、遥名がなにやら小声で呟くのが聞こえた。


「……もう2年も前のことやし、時効でええやんな」

「遥名?」


 呼びかけると、俺の顔を見て笑顔を浮かべた。


「コーヘイのこと騙しとってゴメン。けどあの後色々あったから、こっちからは言い出しにくい空気やってん。一応訊いとくけど、本当に心当たりとか全然ない?」


 言われて、自分の胸に問いかけてみるも、答えは浮かばず。


「いや、ないな」

「そーか。なら言うたるわ」


 とうとう答えが聞ける。生唾を飲むと、謎の緊張が全身を支配する。

 対して、遥名は昔話を語るかのようにリラックスした様子で告げた。



「あんときウチな、コーヘイにメチャクチャにされにいっとったんやで」



 ……は?


 口を半開きにして固まる。今、こいつはなにを言ったんだ?

 俺の耳がおかしいのか? その割に電車の走行音とか普通に聞こえるが……。


 気づくと、眼の前の遥名がぷくーっと頬を膨らませている。


「ちょい待ち、なんやねんそのリアクション。今遥名さんが正解教えたげたとこやろ。そこはあーそっかーやっぱりそうやったんやなーってバシッと膝打つところちゃうんか」


 一瞬でご機嫌斜めになられて申し訳ないが、そんな気にはとてもなれない。

 混迷を深める謎に呆然としていると、遥名がプイと視線を逸らして言った。


「ウチ、ゆーた」

「え? なにを?」

「最初にゆーたよ。『全部忘れさせてほしい』って」


 それはたしかに聞いた。だから俺は――。


「『催眠アプリ』で忘れさせようとしただろ?」

「コーヘイのアホ。ボケナス」


 軽蔑の眼差しとともに容赦ない罵言まで飛んでくる。何故……?

 遥名はムスっとしながら俺の顔を凝視してきた。


「あんな、当時気づかんかったんはしゃーないと思うわ。高校生やったし、まだ子どもやったしな。けどなコーヘイ、ウチら来年ハタチやで? ここまで言われて察することがでけへんってのは鈍感のレベル超えてもはや犯罪やと思うわ」


 そ、そこまでか……。

 俺がショックを受けていると、おかまいなしに遥名は続けた。


「なんでわからへんねん。女の子の言う『全部忘れさせて』ってそーゆー意味やろ」

「いやだって、あのときの遥名はサッカー部の先輩のことが好きで……」


 ふはあっと、遥名が大きな溜息を吐いた。


「当時のことほんまに覚えとらへんか? 伏線キレーに拾てけよ。あの夜、玄関に現れた遥名さんはどんな感じやった」

「ええっと……泣いてたけど」


 キッと睨んでくる。バッドコミュニケーションを引いてしまった。


「それは状態やろ。全体的な雰囲気とかなんか違とらへんかったか?」

「そ、そういえばいつもポニテにしてた髪を解いてたような……」

「そんで?」

「暑かったからかもしれないけど、全体的に薄着だった」

「他には?」


 他に……あったか、そんなの?


 言いよどんでいると、唇を尖らせた遥名がいつの間にやら真っ赤な顔になってこう言った。


「……シャワー、浴びとったやろ」


 はにかみ交じりのその言い方に、俺の心臓も早鐘を打った。

 なにを言ったものやら逡巡していると、遥名もまた恥ずかしそうに。


「髪とかしっとりしてて、全身から石鹸の匂いもさせてて、水も滴るイイ女やったやろ。なんでそんな大事なこと覚えてへんねん」

「えっと……その……気づけずにごめん……」


 実際に頭を下げながら内心で思う。

 これ本当に俺が謝るべき場面か? それで正しいのか?


 道理はともかく、心情的にはそのようだった。

 遥名はフンと鼻を鳴らしたあと、いくらか機嫌を直してくれたようだ。


「まーええわ。ぶっちゃけウチも自暴自棄なトコあったし、これでおあいこってことで」

「お、おう……」


 これ本当にあいこにしていい場面か? それで以下略。

 ともかく機嫌が改善して俺も一息つけた。疑問が氷解して納得が訪れる。


「なあ遥名、お前が何度もスマホを見てたのってひょっとして……」

「せや。何べんも繰り返しとったらワンチャン気づいてくれるかと思とってん」

「そ、そうか」


 たぶん俺は悪くないんだろうけど、なんかものすごく申し訳ない気持ちになるな。


「実はコッソリ道具とかも用意しとってんで。男の子は若いと元気やって聞いてたから、コンビニで4箱くらい買ったりして」

「いや、それ俺が死ぬだろ」


 思わず真顔で突っ込んでしまったわ。

 だがこれが効いたらしく、遥名はプッと噴き出した。


「いやでも、まさかまさかやったなー……『催眠アプリ』が出てきたんも、そのあとのコーヘイのアレも」

「あ、アレとか言うな!」


 本気の気持ちを茶化されると、マジで恥ずかしくなってくるんだが?

 だが遥名にとってはいい思い出らしい。上機嫌な口調で続けた。


「いやだって、あんときのコーヘイ半端なかったやん? フラれたばっかの女の子にメッチャ告白してくるもん。そんなんできひんやん普通」

「大迫構文でからかうのマジでやめてくれる!?」


 俺の心からの抗議に、にひひ、と遥名はいたずらっぽく笑い。


「……けどな、ありがと」


 純粋に、素直に、感謝の言葉を口にしてくれる。


「あんときウチは悲しくて、不安で、どうしようもなくて……でもコーヘイは言うてくれたな。ウチのこと傷つけたままにしたなかったって。あれ、本当にうれしかった」


 面と向かって言われて照れる俺に、遥名はニカッと笑顔を浮かべて言った。


「ウチ、コーヘイの彼女になれて良かった!」

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