第2話 『時をかける遥名、時をかけぬ浩平』
【Take2】
「いや待って? そないなことできるわけないやん」
さっきと同じ顔。同じセリフ。
でも眼元の赤さだけはしっかりと残っている。
そんな遥名に、俺は言うべきことを言った。
「できるし、やった」
じっと凝視すると、遥名が不快感を示す。
「な、なんでコーヘイちょっとキレ気味やねん……はっはーん、さてはアレやな。ウチがくるまでのっぴきならないことしとったな? で、大事な瞬間に達する前にウチが現れたから、それでご機嫌斜めっとるんやろ」
ちげーよ!! と声を大に突っ込む場面ではあったのだが、俺ははあっと溜息を吐くに留めた。
「え? なによそのリアクション……ひょっとして遥名さん渾身のギャグおもんない?」
下かー、下ネタやったからあかんのかー、と真面目に悩み始める遥名に、ダルさを覚えながらも言った。
「その様子だと、なにも覚えてないみたいだな」
「なにもって……いや待って。そもそもなんでウチはコーヘイんちにおるん?」
キョロキョロと首を巡らせて、遥名は不思議そうな様子を見せる。
「記憶を消したって、さっき言っただろ。それで忘れてるんだよ」
「はーなるほどー……ってそうはなるかいっ! 人様の記憶なんぞそう簡単に消えてくくれんわっ!!」
関西人にはノリツッコミが標準装備されている。スナップを効かせた裏拳もどきを空中にかます遥名だったが、幼馴染の勘で事前に読んでいた。
俺は自分のスマホを突きつけて、言った。
「『催眠アプリ』だよ。スマホの画面を見せると記憶を消せる。それでさっき、俺は遥名の記憶を消したんだ」
「さいみんアプリ~!?」
……あ、これは半信半疑で話が長くなるヤツ。
そう判断してからの俺の動きは速かった。遥名の眼前に突きつけたスマホを引き戻すと、座布団に座った体勢から片膝を立てる。
「ちょ、ちょっと、どこいく気よ?」
「話は終わった。あとな、今日は絶対にスマホを起動するなよ」
「はあ? なにゆーとん。スマホは無敵のJK様の水より大事なライフラインやで?」
そんなんムリーヴェデルチやろと不服を唱える遥名に。
「ずっと起動するなとは言わない。けど今日だけはやめとけ。落ち着いて、心が元気なときに、覚悟を決めてから電源を入れるんだ」
「な、なんでそんなビビらせるようなことゆーねん。ちょっと怖いやろ……」
ぞわわ、と寒気でも感じたように遥名がノースリーブで露出した肩を掻き抱く。
真夏だし今まで気づかなかったけど、今日の遥名は随分と薄着だった。下もショートパンツだし、ふだんポニーテイルにしている髪も解いて、いつもの快活な遥名とは印象が違う。
まあ外は夜なのに余裕で30度を超えてるし、なるたけ軽装でいたいのもわかるけどな。
一応、幼馴染みの甲斐性くらいは見せとくか。
「用は済んだだろ。外暗いし、送ってくから」
「送るもなにも、家隣やん」
「その恰好で歩くんだし、少しくらい念入れといていいだろ」
「お、おおぅ……」
なにやらしおらしい反応も珍しきことだ。
促し、遥名がスマホの電源を切るのを見届けると、俺は先に立ち上がって部屋の入口へと向かった。遥名も俺の背に付き従うように立ち上がり、後ろについてきたのだが。
「……おい、どうしたんだよ」
ぺたぺたという足音が途中で止まり(注1:今日の遥名は裸足だった)、振り返ると、遥名はなにやら奥歯にものが挟まったような顔をしている。そして――。
「ウチ、やっぱアカンわ」
「は? なに言ってんだよ今日一日我慢するだけだろ」
「いやな、それなんやけど……思いだしてん。今日は懸賞の日やってん」
懸賞? いきなりなにを言い出してるんだコイツは。
「ご当地マスコットの超レアもののぬいぐるみが当選したらな、当日中にこっちから公式に連絡送らなあかんねん。もし遅れたら、他の候補者に回されてまう死活問題なんや。せやから遥名さん、ほんのちょっとだけスマホ起動すんな?」
コッソリと隠れて電源を入れていたのだろう。言うが早いが遥名はスマホを取り出すと、こちらが制止する前にボタンを押してスマホを起動させた。
「あれ? 先輩から連絡きとる? いったいなんやろ……」
「おい、ちょっと!!」
慌てた俺がスマホを取り上げようと手を伸ばすより、遥名の指の動きの方が早かった。
懸賞のぬいぐるみが当たったかもとのウキウキ笑顔が一転、その顔から表情が消え失せると、じわと眼元に水気を湛えてやがてポロポロと頬に流れ出す。
「なぁコーヘイ……お願いや……今見たこと全部忘れさせて……」
忘れさせてあげました(3度目)。