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最終話 『きみのとなりで(下)』

「それじゃあ、お姉ちゃんたちもう帰るな?」


 あれから俺たちは、俺の魂の叫びによって家から飛び出してきた近隣住民の方々に平身低頭して謝った。


「この度はうちのコーヘイがみなさんに大変なご迷惑をおかけしてしまい、ほんまにすんませんでした。ほら、コーヘイも謝って!」

「す、すみませんでした……」


 先んじて頭を下げた遥名が、俺の頭を手で押して強制的に頭を下げさせてくる。


 これ本当に俺が謝るべき場面か? それで正しいのか?


 ……とはちょっとは思わなくもないのだが、傍目にはどう見ても俺が当事者なので、ものすごくペコペコした。


 元々そんなに怒っていたわけではない近隣住民のみなさんたちは俺たちの態度に好感を持ってくれたらしく、今後同じことを繰り返さないのを条件に、早々に身柄を解放してくれた。これが5分前。


 そして現在、俺たちはことの発端となった女児の家の前にいる。冒頭のセリフは遥名のものだ。今は屈めた両膝に手を突き、向き合う女児と目線の高さを合わせている。


「おねーちゃん、こくはくは?」

「告白はなー、怒られてしもたから今日はもうアカンねん」

「えー?」


 本気で残念がる女児のリアクションを受けて、遥名は自分のバッグをゴソゴソやってなにか取り出した。


「はい、飴ちゃん。これで許したってや」

「こどもだからってものでゆるすとおもうの。いちご!」

「はいはい。いちご味も当然あるからね~」

「わーい!!」


 いや、思いっきり物で釣られてますやん……。


 もちゃもちゃと飴玉を口内で転がす女児を笑顔で見ていた遥名が、ここで俺を一瞥した。


「近所迷惑になってしもたし、残念やけど帰ろか」

「ああ。てか、なんか悪いないろいろと……」

「かまへんかまへん」

「いや、でもな」

「だいたいな、昔からこーゆーときやらかすんがコーヘイやん? 実は自分、ラックのパラメータメッチャ低いんとちゃう?」


 なにやら歪な信頼感を得てしまっていたらしい。

 ものすごく気持ちの悪い許され方したな……。


「コーヘーも、もうかえるの?」

「ああ……って俺のことは呼び捨てかよ!?」


 あまりにナチュラルすぎて一瞬流そうかと思ってしまったわ。

 そのリアクションもお気に召さないらしく、女児が眉根を寄せて睨んできた。


「ミノリしってる。コーヘーみたいなひと、へたれっていうんでしょ?」

「んなっ!?」


 言うに事欠いてこのガキんちょ……!!

 あはは~、と笑って横から遥名が答える。


「ミノリちゃんの言う通り。今日のコーヘイはなかなか告白してくれへんかったな」


 けどな、と一呼吸挟んで諭すような口調になる。


「今日アカンかったからって、ずっとアカンわけちゃうんよ」

「そうなの?」


 首を傾げるミノリに、うんうんと深く頷く遥名。


「男の子はな、女の子のためならいくらでもカッコよくなってくれる。ミノリちゃんは、幼稚園に好きな男の子とかおるん?」

「ケンジくん」

「その子、カッコいい?」


 うーん、と少し悩んで、このおませっ娘は。


「すぐなく。まえにつみきとりあったときもそう。ミノリがほっぺたパチーンってやったら、うわーんってないてどっかいった」


 はあっと、ここでミノリは女児の癖して重たい溜息を吐いた。


「……あんまりカッコよくない」


 たぶんDVの告白だってわかってないんだろうな、コレ……。

 暴力による問題解決の是非はさておき、遥名は先生モードを続けた。


「そっかー、ケンジくん弱いかー」

「うん、よわい。すみれぐみでもけんかさっぱりなほう」

「ミノリちゃんとは仲良し?」

「よくあそぶ。ミノリがひとりでいたらこえかけてくれる」

「じゃあ仲良しさんやね」

「でも、ほかにおとこのこいたらむししてどっかいく……」


 俯いて凹むミノリに、遥名はフフっと鼻笑いした。


「それ、照れてるだけ。ケンジくんもきっとミノリちゃんのこと好きやで」

「ほんとに?」

「おねーちゃんウソ言わへんよ。それにな、ミノリちゃんのためやったら、ケンジくんは絶対にカッコよくなってくれる」

「んー? どういうこと?」


 ミノリの問いかけに遥名はしゃがみ込み、両腕を使って大きな円を描くようなジェスチャーをした。


「こーんなおっきな野良犬が、柵を越えて幼稚園に入ってきました。野良犬は3日もごはんを食べてなくて、おなかがペコペコ。ギラギラした眼で砂場で遊んでるミノリちゃんのこと見ています。そんなこと起きたら、ミノリちゃんはどうする?」


 その場面を想像したのか、ミノリは真っ青になってブルブルと震えた。


「なく。すぐににげる」

「せやな。逃げなアカンな。でもこの犬、足がメッチャ速いねん」

「いそいでにげる」

「急いでもミノリちゃんの足やった追いつかれてしまうんよ。どうする?」

「せ、せんせいよぶ」

「残念やけど先生は園長先生に呼びだされて外におらへんねん」

「ミノリ、しぬ……?」


 恐怖を覚えたのか涙眼になりかけるミノリに、遥名は首を振った。


「ミノリちゃんは死なへん」

「どうして?」

「ケンジくんが助けてくれるからな」


 きょとん、としたミノリが訝しげに遥名を見た。


「でもケンジくん、ミノリよりよわい」

「大丈夫。ケンジくんはミノリちゃんのためなら絶対逃げへんから」

「のらいぬにかまれる。すごくいたい」

「噛まれても、痛くても、身を挺してミノリちゃんを守ってくれるよ」

「なんで、そこまでしてくれるの?」

「ミノリちゃんのことが、好きやから」


 ぽーっと頬を赤らめて、ミノリがぽつりと呟いた。


「ケンジくん、カッコいい……」


 それから、やや後方から2人のやりとりを見ていた俺に視線を移した。


「おねーちゃんも、コーヘーにたすけられたの?」

「うん、助けられたよ」

「コーヘー、カッコよかった?」

「カッコよかったよ」

「コーヘーのこと、すき?」

「うん、好きよ」


 ミノリの瞳に光が戻る。ほうっと口を開いて感動したように。

 遥名は屈伸の要領で立ち上がると、ミノリへに向かって片手を上げた。


「遅なってしもたし、ミノリちゃんもはよ着替えなな。今度こそウチら帰るわ」

「おねーちゃん、またミノリにいろいろおしえてくれる?」

「通りがかったら、声かけて。ここ通学路みたいなもんやし」

「うん! それじゃあおねーちゃん、バイバイ!」

「バイバイ」

「コーヘーも、バイバイ!」

「おっ、おう……」


 ぶんぶんと、元気よく腕を振ってくるミノリに俺も手を振り返し、家路へと着く。


 さっきの今で、なんとなく気まずい。こちらから声をかけるタイミングを測っていると、そのまま数分もの間、無言で帰路を辿ってしまった。


 角を曲がったところで横眼で顔を盗み見る。隣を歩く遥名がなにやらニヤニヤしているのが見えた。次の角でもまだ笑っていた。いい加減に気になって言う。


「なあ遥名、お前さっきからなにニヤついてるんだよ」

「あれ? ひょっとしてまだ気づいてへんのん?」


 隣を歩きながら俺の頬を指差し、愉快げに遥名は――。



「コーヘイってば、ずっと顔真っ赤っ赤やで?」



◇◇◇



 それから2人歩き続け、アパートが見えてきたところで遥名が伸びをした。


「んー。予定外のことしたせいか、今日は疲れてしもうたなー?」


 頭上で自分の腕を掴んで、左右に腰をツイストする。

 なにか思い出したのように、隣の俺に水を向けてきた。


「こんな日はコーヘイのチャーハン……いや、コーヘイの愛のチャーハンが食べとうなってしまうなあ?」


 チラッチラッとこっちを窺ってくる遥名だが、その主張なら通せない。


「今日は遥名が当番の曜日だろ。それに電車内で豪語してたじゃないか。俺の好きなものなんでも作ってやるって」


 たしかにいろいろとあったが、そのくらいは俺も覚えている。

 しかしここで遥名は首を傾げて、思いっきりシラを切ってきた。


「ウチそんなん言うた? コーヘイの聞き間違いとちゃうん?」

「言ったよ。そして間違ってねえよ」

「でもウチ今日はコーヘイの愛のチャーハンの口になっとるからなあ? これは是非とも作ってもらわんと困るなあ……」


 ふー、と鼻から息を吐いて、困った困ったとばかりに天を見上げる遥名は、ここで思考を変な方向に飛ばしてきた。


「あ、そや。全然関係ないことやけど訊いていい? 男の子って、なんで親元離れたらチャーハン極めだすん?」

「本当に話メッチャ飛んだな……」


 さっきから言ってる愛のチャーハンってなんなんだよ、と問いかける間もなく話が進んでしまった。


 しかし男にとってチャーハンという料理は特別な座に位置する。その重要性は女の子にピンときづらいものかもしれない。レクチャーの必要があるだろう。


「チャーハンって、どっちかっていうと簡単な料理だろ?」

「せやな。フライパンで米と卵とネギ炒めるだけやもんな」


 他にも細々とした行程はあるが、その認識で充分だろう。

 俺は遥名に持論の続きを言って聞かせる。


「慣れれば誰でも作れてしまう単純な料理。だけど一度極め始めると奥が深い。それこそがチャーハンの持つ魅力なんだ。この単純ゆえに奥が深いって部分が、男心をくすぐってやまないんだよ」


 一旦ここで遥名の様子を窺う。案の定、微妙そうな表情だ。


「ある程度美味しくて、お腹に溜まるんやったらなんだってええ気がするけど?」

「遥名。それはわかってないよ。逆に訊くけど、俺の作ったチャーハンの味って、段々向上してきてないか」

「あれ? 改めて言われると……そうやな、美味しなってきてるな」


 遥名は腕を組み、うーんと呻る。大事なポイントにきている。


「卵の攪拌状態、投下タイミング、ごはんと卵液の絡み具合、調味料の匙加減、火力と炒め時間、油の量質……チャーハンは、各要素の微妙な兼ね合いで劇的に味が変わってしまうんだ。最近の俺が作るチャーハンの味が安定してるのは、技量が向上して同じ味を出せるようになってきたからなんだよ」


 と、ここまで語ったところで遥名の様子をもう一度見る。チャーハンの魅力がせめて一割くらいは伝わったと期待したのだが……結果は芳しくないらしい。


「よーわからんけど、コーヘイのチャーハンの腕が上がったってことやろ? だったらやっぱり、今日はコーヘイがお夕飯作ってや!」

「それとこれとは話が別だって……当番は遥名だし」

「えー? でもウチが作るよりコーヘイが作る方が全然美味しいやん!」


 ……この一言が、俺の男心をくすぐった。


 ここまで褒めそやされたら、作ってやるのもやぶさかじゃない。


「わかった。その代わり明日の当番は遥名な」

「よっしゃ決ーまりー! 愛のチャーハンにたっぷりラブ注入したってや!」


 そう言って、両手の人差し指と親指をくっ付けてハートマークを作る遥名。

 いや、さすがにそんな恥ずかしい真似は俺はせんけども……。


「チャーハン♪ コーヘイのチャーハン♪」


 今にもスキップしそうな幼馴染を隣に見て、確信する。

 俺と遥名の関係は、変わったようで変わっていない。


 幼馴染から恋人になっても、遥名はいつもの遥名のままで、俺はいつものように遥名に振り回されている。そんな気の置けない関係は、この2年間ずっと揺らぐことがなかった。


 俺の悩みも、迷いも、面と向き合って遥名の口から否定された。

 遥名はもうあいつを見ていないし、心の痛みだって過去のものだ。


 俺の努力が実を結んだからだなんて増長するつもりはない。今はただ、遥名が笑っていてくれるのが素直にうれしい。ずっとこのままでいたいと思う。


 だから、俺も自分のすべきことをしようと思う。


「遥名、俺は――」


 三度目の正直を果たそうとして、隣に遥名がいないことに気づく。

 後方を振り返ると、俺が声をかける前に足を止めたと思しき遥名がいた。


「なあコーヘイ」


 このとき俺は、自分の間違いに気づく。


 今の遥名の、伏し眼がちでやや潤んだ瞳も、柔らかく甘えたようなその声も、どこかものほしげなその唇も。


 俺がただの幼馴染のままだったなら見ることのできなかったもので、恋人の関係に踏み込んだからこそ、見られるようになったんだと。


 俺たちの関係は、進んでいる。

 今日もまた一歩分前進している。


 その証拠に、遥名はいつもなら仕舞いこんでしまう心の一部を、俺に見せてくれた。


「さっきの続きやけど……部屋に2人きりのときやったら、ゆーてくれる?」


 こわごわとこちらを窺うような物言いは、いつもの遥名らしくなくて。

 だけどそんな遥名の新たな一面も、俺はもっと知っていきたくて。


 そう心から思っているからこそ、答えなんて最初から決まっていた。


「――――」


 俺が告げると、遥名が駆けだす。風のように俺の身体を追い抜く。

 前方に見える俺たちのアパートを背にして、こちらへと振り返る。


 両手を後ろで組んで、子どもみたいにはしゃいだ様子で、そしてとびっきりの笑顔を浮かべて、俺にこう言ってきた。




「約束やでっ!!」

完結までお読みいただきありがとうございました

全体としての評価・感想をいただけますとうれしいです

(ウチも関西弁ガール好きや! という同志の方は特に)


ところで、阪神タイガース18年ぶりの優勝おめでとうございます!


お盆休みを潰して書き始めた本中編ですが、まさかこんなに早く優勝が決まると思わず、冒頭が時流を逃した感じになってしまいました……


事実は小説より奇なり、ですね

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