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最終話 『きみのとなりで(上)』

ちょうどいい分割タイミングがなかったので、少し長いです

『次は――、――です。お降りの際はお足元にお気をつけて……』


 車内アナウンスが聞こえ、電車が減速を始めた。

 俺は遥名の分までスーパーのビニール袋を持ち、停車して開いた扉を出る。


 夏も終わりに差しかかる頃合いだが、太陽の位置はまだまだ高い。しかし送って寄越す光には秋の気配が混じっている。赤い光に満たされたホームを俺は歩く。


「コーヘイ! はよこんと置いて帰ってまうでー!!」


 先んじて外に出た遥名が前方で手を振り、俺は駆け足で傍に寄った。


「め、目立つだろ。なに大声出してんだ」

「えー? だってはよ帰ってお夕飯の準備せんとアカンしー?」


 しらばっくれてそんなことを言うものの、コイツが帰宅してからたっぷり1時間以上休むことを俺は知っている。


「それよか今日の晩なにする? コーヘイが好きなモンなんでも作ったるで?」

「そりゃまた、随分とご機嫌なことで」

「えへへっ! だって金曜のナイターメッチャ楽しみやしなっ!!」


 俺は今後一月の生活を考えるとメッチャ苦しいのだが……。


 内心どよんとしながら、上機嫌の遥名と並んで駅を出る。俺たちのアパートはここから徒歩20分の場所にある。地元ではしていなかった電車通学も、1年も続けていれば新鮮さも薄れてこなれてくる。


 無言で半分ほど帰路を辿ったところで、遥名の不思議そうな声が飛んできた。


「そういや、アレってどういう意味なんやろ?」

「アレ?」

「アレって言うたらアレやろ。ニュアンスでわからへん?」


 どん語じゃあるまいし、そんなもんわかるわけねえだろ……。


 批難の眼つきになっていたからか、それとも上機嫌な状態が続いているためか、遥名が説明のために自分の口を開いた。


「ほら、『STIGMATAスティグマータ』。CHRISとMIYAKOがやっとるアイドルユニットの名前。あれ、なんて意味なんかなーって思って」

「そんなの、ググれば一発だろ」


 バカにするのではなく、的確なアドバイスのつもりで放った一言だったが、遥名のお気には召さなかったらしい。


「そんなんおもろないやん。こーゆーのは自分で考えてこそおもろいんとちゃうん」

「そうか。なら言うけど俺にも心当たりはないぞ」

「コーヘイは第二外国語なに取っとるん?」

「えっと、フランス語だけど……」


 なんの関係が? との問いを飲み込んで素直に答えた。

 遥名は、ふーん、と納得したのかしてないのかわからない様子だ。


「ウチはドイツ語や。てことはつまり……日本語を含めこの3つの言語ではないということやな!!」

「なんかラテン語らしいぞ」

「ちょっと!! なに勝手にググってんの!?」


 ビニール袋を腕にかけながらスマホを操作し、意味も把握する。


「キリスト教の『聖痕』とか『刺青』の複数形だってさ……遥名?」


 歩きながらネタバレをかましていると、途中で立ち止まった遥名が頭を抱えているのが見えた。


「う、ウチの長年追い求めとった謎が……人生のいつかどこかで、偶然が重なったタイミングで解き明かされるはずやった謎が……」


 なんか割と真面目にショックを受けている感じだったので、深いことは考えずに潔く謝っておくことにした。


「えっと、ごめん遥名」

「…………」


 無言。しかし小声でなにか呟いているようにも見える。

 歩み寄って耳をそばだてると、ボソボソと声が聞こえた。


「……の……み……」

「え?」

「トラッキーの、ぬいぐるみ買うて」


 半泣きで下から睨み上げてくる眼つきに心当たりがある。

 これは、断ったら1か月は口を利いてくれないパターン……。


 ごくりと生唾を嚥下し、俺は心を決めて言った。


「わ、わかった。甲子園球場でな」

「いよっしゃあああああああああああ! なら許すっ!!」

「あ、きったねえ! 騙したな!?」


 飛び上がって喜びを表現する遥名を見て、担がれていたことを知る俺。

 しかし遥名ときたら、大して悪びれもせずに笑顔を浮かべた。


「コーヘイってば、ほんまウチのウソに弱いなー? そんなん他の女の子とか詐欺師とかにもイチコロで騙されてしまうで?」

「う、うっさいわ! そう思うんだったら、トラッキー返せ!!」

「イヤやー! もろたプレゼントは絶対返さへんもーん!!」


 などと、まだもらってもいないプレゼントの所有権を主張して、遥名はきゃらきゃらと笑いながら俺から逃げるように前方へと駆けだした。


 いつもの俺なら、すぐにその背を追いかけたかもしれない。

 捕まえて、不当な要求だと撤回を求めたかもしれない。


 ……けど今日は、そんな気になれなかった。


 いつまでも追いかけてくる気配を見せない俺を不審に思ったらしく、遥名が坂の上からこちらを振り返った。


「どうしたんよ、元気ないやん?」

「……別に、そんなことはないよ」


 見抜かれるとわかった上での否定は、子どもの駄々に似ている。

 遥名の漏らす、ふー、という鼻息がまるで母親のそれのようだ。


「いつもやったらウチのこと追いかけてくるとこやろ?」

「遥名が言うなら、そうかもしれないな……」

「もー、さっきからなに気にしとるんよ?」


 両手を腰に当てて見下ろす遥名は、なにかを思いついたらしい。


「いや待って。クイズにしよか? チャンスは1回、それでええか?」

「俺の気にしてることを一発で当てられるならな」

「よっしゃ! じゃあ当たればコーヘイはそのことについて話す。当たらんかったらウチがトラッキー返すってことで!!」


 人差し指を額に当てて眼を瞑り、むむむむむー、と呻って――。

 遥名は、彼女なりの答えを導き出した。


「出たで! コーヘイが悩んどるのってズバリ……ででん! サッカー部の『ウィル・スミス』先輩についてやろ!!」


 ……言えば、良かった。


 遥名の出す答えがどんなものでも、一言違うと言えば良かった。

 そうすればこの話題は終わる。俺はずっと、それを抱えたままでいられる。


 なのに躊躇した。当てられると思っていなかったからだけじゃない。

 たぶん俺もまた、その答えの奥にある真実を知りたいと願っていたのだ。


 ビッと俺に指を突きつけていた遥名が、坂の上で脱力するのを見た。

 今の俺の様子から、自分の出した答えが正解だと知ったのだろう。


「って、あれ……まさかの図星?」

「おめでとう遥名」

「おおぅ」


 なんとも微妙そうな反応を返してくるものの、遥名なりに俺の心に添おうと思ってくれたようだ。こちらに向かってやさしい表情を浮かべて、そして――。


「……じゃあ、言って」


 そう告げて、じっと俺の顔を見てくる。


「無理せんで、コーヘイが言えそうなタイミングでええから。それまでウチはどこにもいかん。ずっとここにおって、コーヘイの心が決まるのを待ってるから」


 つい甘えてしまいたくなる恋人のその言葉が、逆に俺の後ろにある逃げ道を消してくれる。


 それでも踏ん切りをつけるのには時間がかかった。5分近くをその場から動けずに過ごし、俺はか細い声をようやく出した。


「……2年前の告白した夜、俺が言ったこと覚えてるか?」


 こっくりと頷いてくれる、穏やかなその所作に勇気をもらう。

 俺は続けて、胸の内側を吐露した。


「俺はお前に言ったよな。今は無理でも、何年かかっても絶対に、あいつのこと忘れさせるって」

「せやな。コーヘイ言うてたな」


 遥名が首肯するのを見て、俺はあの夜のことを思い出す。


 記憶は単独で存在しない。その前後には過去と未来があり、俺たちが見ているものはそこから抽出された一点に過ぎない。電車の中で遥名からあの夜の真相を聞かされたとき、俺は遥名に告白したときのことも同時に思い出していた。


 あの夜、俺は遥名に約束した。あいつのことを忘れさせると。

 今は無理でも、何年かかっても絶対に忘れさせると。


 勢いに任せた、だけど本気の約束。

 そこに嘘偽りなんてあるはずがないのに、いつしか俺は気づいてしまった。


 努力ならしてきたつもりだ。遥名の恋人として。

 だけど冷静な観察眼で俯瞰したとき、いつも願いとは違う答えに行き当たる。


 俺はあいつに、なにひとつ勝てていない。

 顔は良くないし、勉強だって得意じゃない。運動能力だって悪いままだ。


 いくら努力で改善しても、限界値が理想の遥か手前で止まってしまう。生まれた時点で決まるあまりに残酷な天井に、何度だって絶望してきた。


 だからあの夜が忘れられない。あの夜の、遥名の泣き顔が忘れられない。


 いつも元気な幼馴染の、あんなに激しく泣くところを見たことがなかった。そのせいできっと、あの夜の俺は動転していたのだ。怪しい『催眠アプリ』なんてものまで持ちだして、どうにかして幼馴染のつらい記憶を消去しようとした。


 それが無理だとわかって、俺は遥名に心を伝えた。

 告白して、絶対にあいつのことを忘れさせると約束した。


 だけど、俺は知ってしまった。



 ――誰かの隣にいられるのは、きっと当然のことじゃない。



 八王子先輩が多くの彼女希望者の中から園田都子を見つけたように。

 遥名があいつにとって大勢の女の子の中のひとりでしかなかったように。


 あいつのことを忘れさせられない俺もまた、遥名にとって他の男たちと同じようなものなんじゃないだろうか。


 だからずっと思っている。今も心の中で不安が燻っている。


 女の子の恋心は上書き保存だというけれど、本当に俺はあいつの上にこれているんだろうか。


 本当はまだ、あのつらい思い出を忘れさせてやれていないんじゃないだろうか。


 もしそうなら、俺は――。


「……ごめん」


 頭を下げて、遥名に謝った。

 言い訳をするつもりはない。正直なところを告げる。


「あのとき言った全部忘れさせるって約束、俺たぶん果たせてない。だって俺、あいつになにひとつ勝てなかったんだ。だから、ごめん」


 幻滅される覚悟で眼を瞑り、腰を折る。

 2年越しの約束反故を、それに相応しい時間謝罪した後、頭を上げた。


 瞬間、そこにドアップで遥名の顔があった。


「コーヘイ、額出して額」

「え?」

「ごっちーん!!」


 声と同時に、頭に火花が散るような痛みが炸裂する。

 遥名のなんら容赦のない頭突きが、俺の額を襲ったのだった。


 あまりの衝撃にフラつき、倒れるすんでのところでその場に踏み留まる。


「いっつー……い、いきなりなにすんだよっ!?」


 涙眼になって抗議の声を上げると、遥名もまた両手を額に当ててその場に蹲り、くおおぉとか言いながら悶絶しているのが見えた。そして――。


「ち、力加減間違うたぁ……」


 眼の淵に浮かんだ涙を指で拭って、ヨロヨロしながら立ち上がる。


「けど、ええねん。これはウチの罰やから」

「罰って……いや待てよ、俺巻き込んでるだろ!?」

「そんなん、そこら辺の塀に頭突きかましたら怪我してまうやろ」

「俺の頭はちょうどいい固さの石かよ……」


 まだ耳がキーンとしている。てか本当に大丈夫だよなコレ?

 頭を振っていると、ボソッとした遥名からの返答が届く。


「せやな。ちょうどええな」

「はあ? いやお前はもっと別のオブジェクト探す努力とか……」


 痛みでバグったせいでさっきまでの殊勝な態度が吹き飛んでしまった。


 不服を申し立てようとした言葉が止まったのは、遥名が慈しむような顔で俺のことを見ていたからだ。


「コーヘイはちょうどええねん。だからウチ、ちょっと甘えすぎとったな」

「……遥名?」


 開いた掌が、下方から俺に伸びてくるのが見えた。遥名は自分の掌をさっきぶつけた俺の額に当てると、そのまま左右にスライドさせて撫でてきた。


「痛いの、取れた?」

「いや、おま……」


 かあっと顔に熱い血液が昇ってくる感覚がする。俺は遥名の掌から逃げるように一歩後方へ後ずさると、キョロキョロと左右を見回した。


「こ、こんな往来のド真ん中でなにしてんだよ!? は、恥ずいだろ!」

「ウチら恋人同士やろ。なに恥ずかしがることあるんよ」

「つ、付き合い立てのバカップルみたいだろうが」

「そーゆー風に見えても、ウチは別に構わへんけどな」


 いや俺が構うわ! との文言が脳裏に浮かんだところで我に返る。

 ひょっとして今コイツ……俺のことを慰めようとしてくれてた?


 額が無事な確認が取れたらしく、遥名がヨシっと声を出した。


「傷もないし、たんこぶにもなってへん。まったく問題なしや!」

「えっと……俺ここで、礼とか言った方がいいのか?」


 トーンダウンしてしまったため、卑屈に窺うような物言いになってしまった。

 遥名はぶんぶんと首を振って否定してくる。


「自分を罰したかったんはウチの都合。コーヘイのオデコ借りてもたけどな。でもすぐそこによさげなオデコ出してたんやしまあ諦めてや」


 なんだかものすごい屁理屈を聞かされた気がする……。


 もはや反論する気力もなくぼけっと遥名の顔を見ていると、さてと、と言って遥名が佇まいを正した。


「ちょっと偉そうかもしれんけど、先に言っとくわ。コーヘイ、間違っとるで」

「間違ってるって……なにがだよ?」

「使こてる定規や」


 問うと、ちんぷんかんぷんな答えが返ってくる。


 遥名は昔から感覚派なところがあり、たまに言語センスが常識と乖離する。

 とはいえ、まさかここで遥名節を聞くことになるとは思わなかったけれど。


「それ、なんかの比喩か」

「ピンとこんか? コーヘイと先輩とに決まっとるやん」


 予想してないストレートの返球が返ってきて、背筋が粟立つ。

 それは俺にとっての恐怖なのに、当の遥名は平然としていて。


「えーかコーヘイ、好きな人はひとりや。日本人はそれが基本線。たまに先輩みたいに二人とか三人作る人もおるけど、現実じゃ推奨されてへんわな。それにそんな人にだって本命はおる。ク……八王子先輩やな。ここでちょっと考えてみ?」


 まるで講義でもするかのような遥名が、ここで考える時間を設けた。


「好きになる人ごとに、その人を好きになる理由って別やろ?」


 それは――。


「えっと、そうかもしれないけど……」

「けど?」

「いや、そうです」


 グイと詰め寄られた勢いで、思わず敬語が出てしまった……。

 遥名先生は裸眼の癖に、メガネをカチャリとやるジェスチャーをした。


「せやねん。だからウチは声を大にして言わなアカン。なんでコーヘイは、先輩用の定規で自分のこと計ろうとするんかって」


 そう言われて、眼から鱗が落ちる思いがした。

 俺が拘泥してきたことは、根本からの当て外れだったのかもしれないと。


 そんな俺の様子を見て、遥名はうんうんと頷いて見せる。


「ウチが先輩の好きやったとこと、コーヘイの好きなとこは別や。だからそれをごっちゃにして、コーヘイが先輩に敵わへんって悩むこととかないねん。まあ、ウチのために必死になってくれてるとか、ものすごーく彼女冥利に尽きるけどな……」


 照れながら言う遥名の頬が、ほんのりと朱に染まって見える。

 それはきっと、夕日のせいだけじゃない。


「コーヘイが頑張ってたんは、ウチも知ってる。だって見てきたもん。ずっと隣で。特等席で。受験のときの勉強やって、絶対無理しとったやろ」

「……それは」


 今さら、話すようなことでもない気がする。

 なんとなく明言を避けたのが、幼馴染みには肯定に映ったらしい。


「やっぱお互い考えとること、なんとなくわかってしまうな」

「幼稚園の頃からの付き合いだしな」


 兵庫から引っ越してきた遥名と知り合って、10年以上経つ。思春期ド真ん中だった中学時代の一時を除けば、互いの家を行き交う間柄に変化はなかった。


「遥名が隣にいるのが、ずっと当然だったからな」

「せやな。ウチも、コーヘイが隣におるんが当然やった」


 でもその当然は、当然なんかじゃなくて、本当は特別なことで――。

 幼馴染から恋人の関係に踏み込むことで、終わってしまったんじゃないのか。


 俺の心にかかる靄。

 それを吹き消すのように、遥名は深く息を吸って、吐いた。


「……ウチな、コーヘイのいいとこいっぱい知っとるで」

「え?」

「今から言うたるわ」


 虚を突かれて驚いていると、遥名はおかまいなしに言い始めた。


「口に出さんでもだいたい察してくれるとこ。重たいもん持つとき代わりにそっと持ってくれるとこ。ウチの作った料理褒めてくれるとこ。一緒に野球観にいってくれるとこ。なんも言わずに同じ大学目指してくれたとこ。なんのかんの言うて、最後には折れてウチのワガママきいてくれるとこ。恋人になってから2年間ずっと、ウチの彼氏でいてくれたこと……」


 まだまだ列挙できそうな声が止まったのは、きっと俺の表情の変化を読み取ったから。


 そして遥名は、最後にいたずらっぽく微笑して、こう付け加えた。


「大泣きしてた幼馴染に、『催眠アプリ』使てくれたこと」

「……それは余計だろ」


 恥ずかしくてボソっと呟いた俺に、せやったせやったと遥名が笑う。

 そしていつもの元気印から、少しだけ声のトーンを落とした。


「……先輩とおるときな、ウチいつもドキドキしとってん」


 遥名はわかっている。今口にしていることが、俺の傷口にも触れることを。


「今思えば、ずっと舞い上がってた気がする。こんな素敵な人と一緒におれるなんて夢のようやって。この先自分らはどうなっていくんかまで想像して、ひとりで浮かれてたりして。コーヘイにまでノロケたりしてな」


 遥名の顔に少し影が差して、俺はそれを見たくないと思う。


「変やろ? 結局手も握ってもらえんかったのに。裏でやってたこと見抜けんで、ずっと騙されとったのに」

「そんなことねえよ」


 恋愛は、人を盲目にする。

 そんな陳腐なことを言いたかったんじゃない。


 遥名に当時のことを思い出してほしくなくて、傷ついた思い出も掘り返してほしくなくて、そんな子ども染みたぶっきら棒な言い方になった。


「あこがれの人と一緒にいて、浮かれないヤツなんていねえだろ」

「せやな。ウチにとってあの時間は特別やった」

「そうだよ」

「特別やったから、間違っとった」

「え?」


 顔を上げると、遥名は俺の驚きを見越したように続けた。


「特別なんは、続かへん。それは非日常でしかなくて、いつかウチは絶対に日常に戻る。戻されてしまう。そういうの、なんとなく気づいてたんやと思う。コーヘイにノロケたりしてたんも、きっとそれが怖かったから。魔法が解けてしまわんように、信頼する幼馴染の口から、大丈夫やっていうお墨付きがほしかったんやろな」


 ごめんな、と今度は遥名の方から俺に謝った。


「ウチは心の安定のために、コーヘイのこと利用しとったのかもしれん」

「謝るのは筋違いだろ……俺だって、お前がしあわせでいてくれたら一番だったよ」

「うん、ありがと。やっぱコーヘイはやさしいな」


 へへっと笑って、遥名は思いを馳せるように夕暮れどきの空を見る。


「けどな、今になって思うんや。あれはウチにとって必要な失恋やったんやないかって」

「叶わなかった恋の思い出なんて、ない方がいいに決まってる」


 痛みの記憶なんて必要ない。今だって俺は忘れたいと思っている。

 あんなにも大泣きして、傷ついた幼馴染みの顔を――。


 遥名は否定するように首を振って、赤い空に向かって右手を伸ばす。


「ウチにとって本当に大事なもんはなにか。それは太陽とか星みたいに手の届かないとこにあるもんやない。いつも無理して、笑って、嫌われたりしとらんかずっと怖がりながら、なくならんことを祈るだけの日々の中にあるもんやない」


 遥名が自分の掌を太陽の光に透かして、降ろす。

 それから、地上にいる俺へと視線を戻した。


「ずっと隣にいてくれる人が一番大事やってわかった。だからコーヘイは、誰もが羨む理想の彼氏なんて目指さんでええ。だって、あの夜ウチのことを必死に慰めてくれてたん、今のコーヘイやろ。コーヘイにはこれからもずっと、ウチの隣におってほしいんよ」


 遥名の口から、そんな話を聞いたのは初めてだった。

 俺と先輩のことをコイツがどう思っていたのかも、初めて耳にする。


「遥名、俺は――」


 声に出そうとして、言葉が詰まる。

 俺は遥名に、恋人になにが言いたいんだ?


 止まった言葉の続きは、遥名自身が引き受けた。


「コーヘイは、ウチのことようわかってくれてる。ウチはそれに甘えすぎとった。だから、なんとなく思とること全部伝わっとるんやって、遥名さん勘違いしとった……『アレ』なんて言い方で通じるん、阪神ファンと阪神ナインだけやのにな」


 遥名が歩み、俺から見て真正面に立つ。

 息を吸って、吐いて。顔を上げて、スイッチを切り替えて告げる。


「今日は出血大サービスや。1回しか言わんから、絶対に聞き逃したらアカンで?」


 突如として吹き始めた風に靡く髪を、手で後ろに撫でつけて。

 まるで向日葵みたいに元気な笑顔とともに、遥名は俺へ堂々と宣言した。



「森永遥名は椎野浩平が好き! 世界中の誰よりも、大大大好きなんよっ!!」

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