第1話 『催眠アプリの使い方』
「いや待って? そないなことできるわけないやん」
幼馴染の森永遥名が、不思議そうに呟いた。
だが俺こと椎野浩平は知っている。その言葉は事実じゃない。
俺は遥名の眼の前でスマホを振り、こう言い添えることにした。
「できるさ。この『催眠アプリ』ならな」
「コーヘイまさか……それ、ウチにかけたってこと?」
どうやら、画面を見せられた事実さえ記憶していない。
眼をパチクリさせる遥名の表情がそれを物語っている。
それも束の間、遥名は胡散臭いものを見る眼で俺を見た。
「ひょっとして熱あるんちゃう? だいたい『催眠アプリ』てなんなんよ」
「言葉通りの存在だよ。画面を見せることで、対象の意識を操作できるんだ」
遥名の眼から放たれる胡散臭ビームが、当社比150%になった。
「ロシアの軍事組織が秘密裏に開発していたものを、運良くダウンロードできたんだ。俺もまさか、遥名に試すことになるとは思わなかったけどさ」
説明の間も、遥名の纏う胡散臭度が上昇の一途を辿る。
眉根を寄せて、なに言っとんねんコイツといった感じでこちらを見ている。
「あり得へんわー。軍事機密がそんな簡単にネットに放流されとるわけないやろ。マジあり得へん。今年阪神タイガースが日本一になるくらいあり得へんで」
「こ、今年はなんとかなるかもしれないだろ?」
首位のまま夏場にヘタってない阪神を見るとか何年ぶりって感じだし。
しかし生まれたときから筋金入りの阪神ファンである遥名は疑惑の眼差しをさらに深めた。
「いや無理やって。今の阪神は左のエースの高橋ハルトマンも覚醒藤浪もおらんねんで。特に藤浪の165マイルなしで、どうやってCS勝ち抜けっていうねん」
などと、年季の入ったネガティブ阪神ファンを標榜するものの。
「165マイルて。キロだろ。165マイルなんて梅野だって捕れないだろ」
「あれー? そやったー? でも梅ちゃん壁性能MAXやしなんとかならへん?」
「265キロのストレートを捕るとかもはや人間じゃないだろ……」
呆れると、遥名はなにやら思いついたらしく腕を組んでうんうんと頷いた。
「懸念は他にもあるで。特に優勝前特番やな。阪神が優勝前に特番組まれたらタッチの差で優勝逃すってのがもはやジンクスやからな。お膝元のサンテレビはいうこと聞いてくれるかもしれへん。けど他の局はどうやろな。視聴率欲しさに特番組まれでもしたら、また0ゲーム差で優勝逃して道頓堀で酔っ払いどもの殺し合いが始まってしまうで」
もはやどこからツッコミを入れればいいのか迷うレベルだったが、運よくその前に遥名自身が我を取り戻してくれた。
「……で、なんの話しとったんやっけ?」
「『催眠アプリ』だろ」
こっちは忘れろって言ってないぞ。
「せやったせやった……アレ? でも待って。『催眠アプリ』かけられたってことは、ウチなにか忘れとるってことよな?」
額に指を当てて、はて? といった感じで小首を捻る遥名。
「てかそもそもなんでウチがコーヘイんちにおるん?」
連続で疑問をぶつけてくるが、俺は静かに首を振った。
「思い出さなくていいだろ。忘れさせてほしいって遥名が言ったんだ」
「むむー。そんなこと言われたら余計に気になるやん」
泣いた赤子がなんとやら。完全にいつものペースを取り戻した遥名だが、暴走状態に入ると手がつけられなくなるのがパターンだ。
「あーちょい待ち。こっちで考えるから」
「話してやるなんて一言も言ってないけど」
「ピッ、ピッ、ポーン! わかったで!!」
自分の口でジングルを入れて、こっちが出した覚えのない質問に解答する。
「ヒントは昨日のウチやな! 言うとったやろ、今日ウチから先輩に告白するって。たぶんそれが上手くいったからコーヘイに自慢しよ思てここにきたんや!!」
人差し指を立ててドヤッとばかりに宣言する遥名だったが、そんな理由なら俺に忘れさせてほしいって泣きついてきたりするわけがない。
「そーいや先輩、あとでウチに告白の返事くれるって言うてたなー? そろそろ届いててもおかしくない頃合いやし、確認してみよーっと」
「お、おいやめろ」
手を伸ばして制止するより、遥名がスマホを起動する方が早い。
そして通知を見てしまう。画面を繰る指が止まり、大きな瞳をさらに見開いて、まるで遥名の周辺だけ時間が止まったかのような停滞が訪れる。そして――。
こちらへと顔を上げた遥名は眼に大粒の涙を浮かべ、顔全体をくしゃらせて、その身に耐えきれないほどの悲しみに打ちひしがれていた。
「コーヘイ……つらいよォ……お願いだから全部忘れさせて……」
忘れさせてあげました(2度目)。
ここまでお読みいただきありがとうございます
全10話予定で1日1~2話更新していこうと思います
今作は多くの方に読んでもらいたいと思っているので
ブクマ、評価ポイントでの応援をよろしくお願いします(切実!)