第5話 カワイイとはなんぞや
「――最近、ドキドキしました?」
「はっ?」
医師がモニターを見ながら無感情に言った。
真夏は足の痛みに耐えながら「ヤブ医者かな」と思う。
「胸の。Heartの。ドキドキ」
「どういう意味?」
「誰かにときめいたり、そういったことは?」
「TS症と関係あります?」
刺々しい言い方も意に介さず医師は「うーん」とカルテを見ている。
「足の痛みで来られたんですよね」
「はい」
「骨に異常は無し。まあ『逆成長痛』だとは思うんですが」
「はあ」
「これね、つい先日明らかになったデータでね」
医師が椅子を回し真夏の方へ向く。
「――異性に対しての感情が高まると、TS症の進みが早くなるんです」
真夏はもう一度、今度は大きく口を開けた。
「はぁ?」
「いや真剣に。世界中のTS症患者2000人分に調査した、きちんとしたデータ」
――最新のTS症研究結果報告によると。
現在、自然治癒で「元の性別」に戻る可能性は60%。
ホルモンを調節するTS抑制薬を飲めば80%まで上げることができる。
では残りの割合はなぜ、性別が固着してしまうのか?
実際に性別が戻らなくなった人たちにアンケートした結果、ある共通した証言が浮かび上がって来た。
「それが―― 【異性に対する感情が高まった回数が多い】、なんだ」※
※ここで言う異性とは、TSしてからの性別と反対のものを差す。
「つまり真夏くんが男の子にドキドキするとTS症が進んじゃうって話ね」
「俺が? 男に? 冗談でしょ」
「エビデンスばっちり」
「いやいや。ないって。ガチで」
「そう? まあ頭の片隅に入れておいて。『TS症の影響で』思考が揺らぐから、波のように差が激しいみたいだけど」
「生まれつきの性的指向」とは関係がない。
肉体とホルモンのバランスによって「異性に惹かれる」日がある…という話らしい。
「じゃあ『もし』俺がその…男に…しても、TS症のせい?」
「そうそう。たまには、そんな時もあるよね~ってこと」
「初めに聞きたかったです、こんな大事なこと」
「最新の話だから。それに、真夏くんは『ドキドキ』はしないんでしょ?」
「…………ないです」
ない、と思う、多分。…くらいの返答だった。
「じゃあ今日はね、ただのTS症なんでね。お薬、出しておきます」
病室を出た真夏は、母親の早穂に心配されるほど険しい顔付きだった。
家に帰っても、もんもんと医師の台詞が反芻される。
だが一晩寝てしまえば、翌朝には思考がさっぱりとしていた。
「うん。俺が男にどうこう、とかないない。昨日のは軽く調子が悪かった。そんだけ」
姿見の前で頬を叩く。
痛みはすっかり消え、胸にあった熱さもすっかり冷えている。
「いってきます!」
意気揚々と自宅を出ると、京一がすでに待っていた。
「おーっす京一!」
「おはようまな……、??」
じーっと、顔を近付け京一に迫る真夏。
昨日は何もなかったのだ、と証明するための確認だった。
「………ッま、ま、……」
「ん~~」
「…………っ、ぉ、」
「うんっ。なんも感じねーわ」
「!? どういう意味…」
京一としては突然美少女に穴のあくほど見つめられて気が気でない。
その上「何も感じない」とは、訳が分からずともショックである。
「今日は俺、元気だ!」
「本当に? 大丈夫?」
「おう。今は何があっても動じない自信がある」
「何があっても」
そう言われた京一は―― ちょっとした不満からの意趣返しを行った。
「んみ゛ゃっ!?」
と声を上げた真夏の首筋に当てられた、冷えっ冷えのペットボトル。
「何をする!!」
「動じないって……」
京一はぷるぷると腹筋を使い震え笑いをこらえている。
「それはズルだろうがよ!!?」
「うん。ごめん。お詫びにあげる」
「はぁ? 貰ってやるけど。んだよ」
肩をすくめる京一。
まさか、〝香乃から貰った物〟への対抗だとは夢にも思わない。
「何マジで。ありがとな!?」
ふ、と笑みをこぼす京一。
そんな不意打ちにちょっと胸がむず痒くなったのは、まぁ、やっぱり気のせいのはずである。
***
「そこー! マナティまた間違えてるーっ!」
昼休みの屋上、響く夢瑠の怒り。
意外なスパルタぶりから、まるで熱気がオーラとなって立ち昇るようだ。
「くそ。『踊りを見てくれ』とは言ったけど鬼すぎだろ」
昨日は早退してしまったため、昼間にもダンス練習をするかと屋上を借りた真夏。
京一と夢瑠も一緒に、軽く動きを確認するだけのつもりだったのだが…。
「動画を撮る必要はないだろ!?」
と撮影係の京一を指差す真夏。
京一は黙々と、夢瑠のスマホを持って真夏たちの動きを追っている。
「フォロワーのためで~す」
「撮られてると上手く踊れないんだよ」
「あのね、敵なんだよ私たちは! タダで教えるメリットないでしょ」
そう、夢瑠は別のクラスのためライバル同士だ。
曲も違うのにわざわざ指導してくれるのは、確かにありがたいが…。
「夢って、いつでもどこでもスマホと一緒なのな」
「だって美少女二人が踊るのに、撮らない方がもったいなくない?」
「それなー。じゃなくって、たまには肉眼で記憶しない?」
「ジジくさ!! ケイだってカメラ部でしょ」
「京一のはしっかりしてるだろ?」
「はあ!? こっちだって画素数5300万なんですけど!?」
「知らねーよそんなん!」
ぎゃーぎゃー言い合う様子もしっかり動画に収める京一。
と、フレームの中の真夏が助けを求めるように京一に駆け寄った。
「京一ぃ~~言ってやってくれよ~」
「大丈夫?」
「無理かも。食べた後だから腹痛くなってきたかも」
「夢瑠…真夏が死んでしまう」
「おばか二人? ダブルおばかさんなの?」
とはいえ振り付け自体は少しずつ頭に入って来た。
ようやくノーミスで辿り着いた曲の3分の1。
「どーだ! 今度は間違えなかったぞ」
「全然ダメ」
「え? どこが?」
「もうダメ、まっったくダメ、どこがっていう以前に…………」
我慢の限界だ、という風に夢瑠は拳を震わせて言った。
「可愛くない! 圧倒的に、可愛くないッッ」
「はあぁっ!?」
「そんなんじゃ動画、上げれないよッ」
「この俺が可愛くないだと? 1.5万『♡』の俺だぞ?」
「7万フォロワーの私の力を借りただけじゃん!!」
「なぁああ!?」
「とにかく今のマナティーはぜんっぜん、魅力ナシ!」
「がぁああ!?」
「夢瑠、可愛くない人とは動画撮りたくありませーん」
「ぐぬぬぬッ」
夢瑠はぷりぷりしながら地団太を踏んだ。
「もー!! お昼終わっちゃうよ!」
だが真夏は夢瑠の声が入ってこないほど、予想外のショックに呆然としていた。
「可愛くない……? 俺って可愛くないのか……?」
すかさずフォローに回る京一。
「そんなことない。絶対に」
「でも夢が!! あいつの否定はかなり、重い」
京一は思考を巡らせながら動画を見返す。
こんなに落ち込む真夏を見たのは久しぶりだった。小学生の時、越冬目前だった超長生きカブトムシのゴンザレスの葬式以来かもしれない。
「……改善点を上げるとするなら『笑顔』かも」
「ああ、忘れちゃうんだよな」
「あとここの動きとか――」
スマホを片手に振り付けを再現する京一。
同じ動きのはずが、手足の長いおかげもあってか非常に様になっている。
「ここの肩の動きとかも、こう…」
怒っていた夢瑠もぱちぱちと手を叩いた。
「ケイじょうず~」
真夏は感嘆して京一の腕をばしばし叩いた。
「京一、お前爆イケだな!!」
「…………そ?」
「お? なんだなんだ照れてんのか」
「いや、あの、」
「耳が赤くなってるぞ」
「ち、近い……」
とにかく、と京一は真夏の肩を押さえて言った。
「真夏は可愛い。間違いない」
「うん…でも…」
「自身が無くなったら、俺が何万回でも言うから」
「何万って。はは」
「だから大丈夫」
「…………そか」
「可愛いよ、真夏」
「…………うん」
「――おばカップルさん? お昼休み終わるけど?」
「「!!」」
屋上の階段を下りる中、夢瑠が忠告する。
「あのね。見た目ばっかり良くても、伝わらなきゃ意味ないんだからね?」
真夏を指差してインフルエンサーが言い放った。
「動画撮影はまた今度。それまでに『カワイイ』の研究、しておいてよね!」