最終話 その恋は偽装か本物か
「だからさー、TS症って公表するのもアリかもなーって」
言いながら、真夏は顔にかかった前髪を耳にかけ直した。
目線をレンズに向けながら、軽く微笑んでポーズを取る。
「それは…慎重にならないと」
答えた京一がシャッターを切る。
カシャン、カシャン、という音が静謐な青い壁に吸い込まれる。
「葉月さんは何でも戦略として利用しろって」
「あの人のやり方は……簡単じゃないよ」
「そっか」
「SNS謹慎」から1ヶ月と少し、真夏は京一との約束通りスタジオでの撮影を行っていた。
借りた場所は大きな窓だけがあるシンプルな作りで、カーテンや、小道具の椅子は自前で持ち込んだ。
自然光で撮りたいとの希望により、午前中のまだ薄寒い時間から真夏は袖の無い白のワンピースを着て寒さを我慢している。
「うん、いいかな」
「終わり? ~~っ、さむぅ」
「ごめん。待たせたね」
「んーん」
椅子から立ち上がった真夏に、京一が自分の上着を羽織らせる。
「あったか~」
ぶかぶかの黒いウインドブレーカーにくるまりながら、真夏は壁際に置かれたカメラを指差す。
「なあ、撮ったのって今確認しないの」
「現像してないからね。無理です」
「ふーん。不便だな」
そうだね、と賛同しつつ京一は嬉しそうだ。
あれから――
真夏は学校内ですっかり話題になってしまって、今や「@manamy」は在校生の誰もが知る有名人となってしまった。
その影響か、ちらほらとネットで小さく囁かれるようになった「TS症の噂」。
まだ温度の低い火種だが、火を熾すなら真夏自身の手で行った方が後々の活動にもプラスかもしれない。
…と考える程度には、真夏自身のSNS熱はまだ冷めていない。
自分でも不思議なほど、活動が身に合っているらしかった。
両親からも、反対はされていない。だが心配をかけ続けているのはよく理解している。
姉の彩陽は変わらず協力的で、真夏を支えてくれる。
だからこそ―― 何か結果を出したい。
休んでいる今であっても、それを準備期間と捉えていた。
「あ! この写真をマナミー復帰の第一弾にしない?」
「絶対駄目」
「なんでー」
「公募に回すから」
「他のボツのならいいだろ?」
「駄目。これは俺の物。俺のためだけの写真」
「なんか、それってさぁ…」
「何?」
(ちょっと、えっちだ――)
とか思ったとは到底口にできない。
ちょっと赤くなった顔を隠すため、上着を深めに羽織りなおす。
その途端に持ち主の匂いが鼻腔に入って来て、ますます真夏は赤くなった。
「どうしたの?」
「なんでもないっ。そろそろ着替える」
「真夏――」
「ん?」
「今日はありがとう。俺のために」
「なーに改まって。こんなのいくらでもやるよ」
「すごく、いい写真が撮れたと思う」
「おー。良かったな」
真夏は照れ笑いしながら京一の目を見ようとするが、今日の彼がいつになく真剣なため躊躇してしまう。
そんなことはお構いなしに、京一は熱っぽい視線を送ってくる。
「今日の衣装も…最高に似合ってる」
「なら、買ってよかった」
「もう脱ぐの、もったいないな」
「さすがに薄すぎるよ」
「まだ寒い?」
「さむい」
「……」
「おっ、おい」
「嫌?」
「………………イヤじゃ、ない、けど」
「よかった」
「よ、よくない」
抱きしめて、抱きしめられながら、二人は沈黙した。
しん、とした空間の中で、互いの温もりが溶け合っていく。
「……京一?」
「真夏」
「…なあに」
「真夏」
「うん」
「――真夏、好きだ」
「……」
「俺たち…『これ以上』にはなれない?」
「……」
「真夏がこのまま男に戻りたいなら、俺は諦める」
「……それは、」
真夏は京一に体重を預けずつぶやく。
「……戻りたい気持ちは、あるよ。あるんだ」
でも、と本心を連ねる。
「このままの姿で、まだ京一と一緒にいたい気持ちも、両方ある。どうしたらいいかわかんない」
「うん」
「お前のせいだ。京一が、ドキドキばっかさせるから」
「ごめん」
「今更謝ってどうすんだよ。…ばか」
真夏の中に、背中に回された手の熱さに応えたいという欲求が湧き上がる。
自分も同じように相手を抱きしめたい、と。
悩んで、悩んで、悩み尽くして――
(ああ、もういっか)
だって――
(だって、俺が今、したいんだ)
真夏はおずおずと、その腰に手を回した。
「京一」
「はい」
「だからさ。わかるまで一緒にいて? まだ、時間はあるから」
「それって――『偽装じゃなく』?」
「ん」
「いいの?」
「いーって俺が言ってんだろ」
「真夏……!」
「ぐ! 強い強い強い」
「ごめん、嬉しくて」
「いいけどぉ」
肩に乗る犬みたいな頭を見るうち、こみ上げてくる愛おしさ。
よしよしと黒髪を撫でると、京一は額をぐりぐりと押し付けて来た。
「こら。くすぐったい」
「好き。好きです」
「はいはい。見りゃわかるよ。てか、いつからそう思ってたわけ?」
「最初から。病院で会った時から」
「そっから!?」
「一目惚れなんだ」
「ははあ。通りで。俺の可愛さも罪だな」
なんて冗談を言いつつ、これまでのことを思い返す。
「いろいろあったなぁ」
「あ……前に言ったお願いの件ってまだ有効?」
「んあ? あー、カメラ壊した時のか。どうした?」
「俺、給料が欲しいな、と思って」
「!? もちろん払いたいけど! でも俺の稼ぎ知ってるだろ?」
先月ようやく振り込まれた初めての広告収入はなんと¥1,500-。
てっきり万は貰えるものだと勘違いしていた真夏は一日中ショックを引きずった。
一方の京一はコツコツ真面目にバイトし新しくカメラを購入してしまったため、真夏の思う借金は膨らむばかりである。
「真夏の経済事情は知ってる。だから別の方法で支払いを」
「別の??」
「うん。体で」
「はひぇっ?」
思わず飛びのいて、胸を隠す防御のポーズをする真夏。
「いいい、いくら京一でもまだそういうのは早いって!」
「そうじゃなくて」
「何!」
「その……真夏から、キスが欲しいなって…」
「え。え~~~……」
「嫌なら無理には」
「ちょっとキモいぞ」
「!!!?」
目に見えてヘコむ京一に真夏はどうしたものかと考える。
するのは構わない、くらいの気持ちではあるのだが。
「…ほっぺでも、いい?」
「はい」
「返事早。じゃー、そこ座って」
「えっ。今くれるの?」
「えっ。今じゃないの?」
「真夏の心の準備ができてからと」
「なんだそれ。いつできるかわかんないぞ」
京一がいつもの三倍くらいのスピードで動いて椅子に腰を下ろした。
「じゃ、目、つぶんなさい」
忠犬は言う通りにしながら、そわそわと尻尾が揺れているのを隠せていない。
(ええ…恥っずいなこれ)
「ほんとにすんの?」
「約束」
「わかったよ…」
――――
「~~~っ、今ので一億円の価値がある……ッ」
「はっ。大げさ。………………じゃ、これで二億?」
「ぐぅッ」
「そのうち富豪になっちゃうな~?」
「なる。なります。真夏っ……!」
「く、くるし、力考えろ、ばかっっ」
ぺしぺしと背中を叩きながら、真夏は笑った。
(京一には秘密だけど――)
文化祭の日、香乃から聞かされた話。
「ねえ東堂さん、TS症はね……特効薬が完成間近なんだよ」
「うっそ!? 本当??」
「うん。それで実は、私が被験者候補に選ばれたんだ」
「それって……!?」
「そう。幼少期に性別が固着してしまっている私に効くなら、他の人にだって効果があるでしょう?」
「なるほど……」
「凄く迷ってるし、まだ先の話だけどね。高校卒業に間に合うかどうか」
「そんな話、してよかったの?」
「東堂さんにだけ。内緒だよ」
これが真実であるならば、真夏の「異性にときめく問題」は解決することになる。
(都合よすぎって思われるかもだけど)
この先がどうなるかわからなくても。
それでも今は、この気持ちに素直になりたかった。
なれることが、嬉しかった。
「京一?」
「うん」
「これからよろしくな」
「よろしくお願いします」
***
「うう~~さぶっ」
「風強いね。カイロいる?」
「もうあちこち貼ってるんだよなぁ」
他愛のない会話をしながら校門に辿り着くと、登校する生徒の多くが二人に目を向けた。かっこいい、可愛い、両者へ向けた賛辞の視線を浴びる中。
「まなみ~ん、ケイ、おはよーっ!」
「はよー夢」「おはよう」
「ねえねえ昨日あげたの使ってくれた?」
「ああ! すげーいい匂いだった。な? 京一」
「うん。俺も好きな香りだった」
「なんでケイも知ってんの~?」
「まあ彼氏ですし」「ですし」
「きゃ~~はれんち!」
「そんなんじゃないから。お、猫林檎。おはよ」
「おはよう! 良い朝だな!」「どんな呼び方? おはよ」
「猫田、男の体には慣れたか?」
「ううむ、まだ時間がかかるぞ。すぐ女性用下着を付けそうになる!」
「ちょっと、ねこ。声大きい」
「すまん!!」
「ははっ。しばらくは大変だな~」
「うむ。早く筋力を取り戻したいな」
「みんな、おはよう」
「浅井さん! おはよう」
「東堂さん、昨日の投稿も最高だったよ」
「ありがと」
「最新の流行メイクを試すっていう流れだったけど上手でびっくりしちゃった!私も真似したいって思ったし本当に最近のマナミーから学ぶことが多くて、」
「かのち語ると長いよねえ」
「ありがたいことだよ。な?」
「うん。大切なファンだから」
「鮎川くんのことはまだ認めてませんからね」
「…頑張るよ」
「親かな?」
と、京一のスマホが振動した。
立ち止まって確認すると、フォトコンテストの結果メールだった。
「京一? どうしたの」
「……うん。後で、一緒に」
「おっけ」
「真夏」
「んー?」
言葉が出てこない。
「遅刻しちゃうよ。ほら」
差し出された手を取る。
真夏はもう何も臆さず、堂々としている。
と―― 誰ともなく見上げた空。
「おお! 雪だぞ!」
「やば~~っ、雪合戦した~い!」
「積もるほど降るかわかんないでしょ…」
「でも牡鹿さん、予報では積雪の可能性があるって」
真夏は一歩、距離を詰めて京一に腕を絡める。
「誰も見てないし?」
「あーっ! そこー! すぐイチャつくー!!」
「げ。バレた」
ぱっと離れようとする手を、京一は引き留めた。
寒さを分け合えるパートナーがいることを噛み締めたくて。
春はまだ先で、これからのことはまだ未定で。
それでもきっと、眩しい光が待っていると信じられる。
赤く染まる頬に微笑みかけて、共に校舎へ向かった。
完
お読み頂き本当にありがとうございます。
もしよければ、感想を書いてくださると大変嬉しく思います。
活動報告を合わせて更新してありますので、ご興味ある方は覗いてやってください。
ありがとうございました!




