第15話② 文化祭二日目
「嬉しい。やっと東堂さんと一緒に回れる」
文化祭二日目、にこにこと嬉しさをあらわにする香乃。
対して真夏は戸惑い気味だ。
「そんな風に思ってたの?」
「なるべく鮎川くんと二人きりにしたくなくて」
「んん…」
「なんてね。あっ、お化け屋敷だって! 入ろ?」
手を引っ張られ飛び込んだ真っ暗な室内。
コンセプトは「異世界迷宮」、ゴールに必要なアイテムを手に入れるためにブラックライトであちこち照らしてパスワードを探さなげればならい…とのこと。
「怖いね~!」
「全然怖がって見えないし、あの、腕が」
「くっつかないとはぐれちゃうよ…?」
「そうかなぁ…」
香乃は妙に元気というか、吹っ切れたかのように距離を詰めようとしてくる。
一方の真夏は彼女の振れ幅に慣れることができない。
「女の子は合法的にくっつけるから良いよね。あ~私、女の子で良かった」
「浅井さん、それって本音?」
「……どうして?」
「なんとなく」
狭い通路をのろのろと進み、中央辺りで1枚目の紙切れを見つける。
ヒントらしいと真夏が目を凝らして読んでいると、首筋に当たる冷たい何か。
「んひゎゃっっ!?」
思わずのよろける体を香乃が支える。
垂れ下がったぷよぷよとした物体はハッカが練り込まれたスライムだった。
「大丈夫?」
「だい、じょうぶ」
「今出た声、高かったね」
「ええ? 咄嗟すぎて意識してなかった」
「ふふ…、録音したいくらい可愛かったぁ…」
「お化け屋敷側の人なの…?」
「違うもん。ほら進もう?」
その後も運悪く真夏ばかりが仕掛けに当たり、香乃が満面の笑みでそれを眺める流れで進んでいった。
「見て、おっきい蜘蛛がいるよ」
「嫌ッッ」
「わあ、足元に注意だって」
「ぎにゃっ!!」
「あ、すごい真っ暗だ」
「おおお尻触ったの誰ッッ!?」
「それは私」
「んもう!!」
最後にやる気の無さそうな受付の吸血鬼にアイテムを渡し、無事脱出した異世界迷宮。
「意外と疲れた…」
「そう? おもしろかったよ?」
「浅井さんは動じてなかったね」
「反応が可愛くって、恐怖なんて1ミリも湧かなかった」
「恥ずかしいよ…」
「はあ、堪能した。生マナミーの摂取は元気が出るね」
「なままなみーって言いにくいね。噛みそう」
「推しの名前は噛みません。ね、ちょっと休もうか」
微笑む香乃に連れられ、中庭のベンチに腰掛ける二人。
秋の訪れが木陰を揺らし、歩き回って火照った体を冷やすのにちょうどよかった。
真夏は近くで貰った風船を抱えて揉みながら、ぼんやり空を見上げる。
「こんな風に、浅井さんと文化祭を回るなんてなぁ」
「私も意外。推し活、隠そうと思ってたのに……」
「どうして?」
「物静かな美少女タイプでいたかったの」
「ええ~…」
「東堂さんのためだったんだよ?」
「んっ? どういうこと?」
「だって……」
含みを持たせた香乃。
だがパッと表情を笑顔に戻し、強引に話を変える。
「あっ生配信すごく良かったよ、ちょっとぎこちない所が逆に最高っていうか」
「ありがとうございます。じゃなくって、」
「語らせてください。髪型はお姉様が?」
「ううん、俺が自分でやったの。たまにはね」
「やっぱり!! ちょっと髪の毛がはみ出しちゃっててああ慣れてないのかなぁって思ってたのやっぱりそうだったんだ、ああ~~」
「あのぅ」
「あれって自宅じゃないよね? 東堂さんの趣味だと置かなそうな物もあったもんね。あとは――」
ちょっと、と真夏がストップをかける。
「浅井さん、前のイメージとずいぶん違うや」
「……嫌?」
「ううん。親しみやすくていいんじゃないかな」
「でも戸惑ってるよね」
「そんな、ことは」
「うそ」
ならば、と真夏は正直に伝える。
「なんだか無理してない?」
「そんなことないよ?」
「俺、作り笑顔はわかるんだよ。笑顔の練習、いっぱいしたから」
「んー…」
「さっき、何て言おうとしてたの? 俺のためって」
香乃はちょっとだけ、寂しそうに笑う。
「だって……東堂さん私のこと―― 『好きだった』…でしょ?」
「え˝っ……」
ドッ、と心臓が早鐘を打ち、思わず手放す風船。
ふわふわと遠くへ行く銀色のハート型は追いかける間もなく風にさらわれる。
*
一方その頃、食材切れに早々の店じまいを進めていた2-A天使喫茶。
林檎が紙皿をまとめてゴミ袋に突っ込んでいると、ぬらりと現れた一般客。
「あ、もう終了しちゃったんです。ごめんなさ…」
「東堂真夏はどこにいるの?」
「え…? なんでですか?」
「……って……のに…」
「あの?」
その人物はそれ以上何も言わず教室から出て行った。
林檎は不安になり、京一に報告する。
「ねえ何か今、ヤバそうな人が来たんだけど」
「どんな?」
「真夏はどこだって聞かれた。フルネームの名指しは怖すぎない?」
「…特徴は?」
「えーっとね」
林檎の口から語られた外見に京一の表情が凍り付く。
「真夏……!」
*
「あ~~っ! まなみんいたぁ~~~っ」
「夢瑠…」
「なんで中庭にいるの? 探したよぉ! ダンス動画撮るって言ったのに~」
「ごめんごめん。まだ間に合うだろ?」
「けどぉ。てか、なんか真剣なお話してた?」
「んーん」
「そお? あ、香乃ちも一緒に踊る?」
「えっ、私はいいよ」
「だいじょ~ぶ簡単なやつだし!」
「無理だよ…、ってもう撮ってるの??」
「うん! はろ~文化祭中だよ~~! って、およ?」
「どうした?」
「なんかぁ、向こうにも撮影してる人がいるなーって」
夢瑠の視線の先、こちらにスマホを向けている男がいた。
白いスウェットパーカーでフードを目深に被り、姿勢が悪く背中が丸まっている。
「え……」
男はスマホを構えたまま、大股でこちらに迫って来る。
夢瑠は能天気に男に声をかけた。
「お兄さーん? 今撮影中だからちょーっと」
「…………」
「あれ~? 夢瑠のファンの人かなぁ?」
「夢、近づかない方が――」
だが男は夢瑠を無視し、真っすぐ真夏の元へ。
「――マナミー、俺のこと覚えてる?」
「……ああ、覚えてる。5月にも会った」
はっきりと顔が見えない点が、逆に記憶の姿と一致する。
真夏に彼氏がいるのではと逆上してきた、あの不審者だった。
「何の、用なの?」
「あ…謝って欲しくって」
「カメラ投げちゃったこと…? ごめんなさい、でも…」
「ちげえよ! TS症のくせにっ、女のフリしてることだよ!」
「な――」
興奮した様子の男は手元を震わせながらもレンズを真夏に向け続ける。
「ずっとマナミーのこと調べてて突き止めたんだ。東堂真夏は男だって。全部、白状してくれよっ。騙して馬鹿にしてたこと! そんでこの動画、バラまいてやるっ」
「ま、待ってよそんな、」
「――真夏っ」
京一が反対側から走って来て、真夏をかばうように前に立つ。
男はそれでもまだ真夏から目を離さない。
「男のくせに男に囲われて楽しいかよ!」
「俺とコイツはそんなんじゃない!」
「じゃあ何なんだよ!」
「何って……」
「今までさんざん推してやったのに――」
その言葉を聞いて、香乃が動いた。
夢瑠の制止も振り切り、男と京一の間に立つ。
「誰だお前…」
「……てやってるじゃなくて……」
「なん…」
「――推してやってるじゃなくて、推させてもらってるだろうが!」
放たれた怒声は中庭じゅうに響いた。
仁王立ちする香乃は有無を言わさず続ける。
「あなたは! 自分の理想を外に広げすぎてる。誰だって、中身は同じ人間なのに」
「で、でも…」
「苦痛だと感じた時点で距離を置くべきだった。変わらない昔を夢見るんじゃなくて」
「そんなんできねーよ!」
「そう…難しいよね。でも好意が敵意に変わる前に、あなた自身の心をもっと知るべきだった」
ぐう、と男が唸る。
いつの間にかスマホを持つ腕はだらりと下がっている。
「…マナミーが本当に好きだったんだ、前は…」
真夏が男に向かって声をかける。
「でも俺は、今の俺が好きなんだ」
「…………」
「嘘は確かについてる。けど、活動の全部がそうってわけじゃないよ。全部楽しんでやってるし、皆にもそれが伝わるといいなって思ってやってるんだ」
「…………」
「『俺』の全部を含めたものがマナミーに現れてるんだ。嘘も含めて」
「そんなん、詭弁だろ……」
「そうだよな…。ごめん、納得させられなくて。でも騙して笑ってるなんてことは、してないよ」
「…………」
うなだれる男。
その後方から、京一の呼んだ教師達がようやく駆けつける。
男は大勢が走り寄ってくるのを見て、反射的に逃げ出した。
「あっ、おい!」
「真夏、危ないから行っちゃ駄目だ!」
「わかってる―― え、あれ」
男が中庭の出入り口に差し掛かったところで鉢合わせした人物。
女性にしては大柄だが、今そんなことを気にしている余裕は――
「ふんッ」
男の視界がぐるん、と回る。
「お、あ――?」
走る勢いをそのまま力に変えられ、男は美しく一回転してから背中を地面に打ち付けた。
「ぐえっ!!」
ぱん、と手を払う猫田。
教師陣が上から男を取り押さえる。
猫田は堂々と真夏たちの元に歩んできて、
「――すまん。反射で投げてしまったが良かったか?」
とだけ言った。
「「「良い!!」」」
その後――――
男は再び捕まり、今度こそ真夏へのストーカー行為の有無についての調べが進むことになった。
弁護士曰くこういった事件での起訴率は低いとのことで、相手側との示談で決着が付く可能性もある……とのこと。
だが「@manamy」としての活動は一時期休止せざるを得なくなった。
学校を巻き込む騒ぎになったため、今後の安全対策の方針等を提出するまでSNSを禁止されてしまったのだ。
真夏としては不服の気持ちもありつつ、だが親へ心配をかける訳にもいかないと従っている。
そういう訳で暇になってしまった10月――
真夏は自宅でぼうっと、文化祭のことを思い出していた。
*
中庭で香乃への気持ちを指摘された真夏は、動揺に目を右往左往させた。
「す、好きって、あの、なんで、」
「う~ん。やっぱり、手を出すのが遅かったかなぁ」
「手!?」
「配信の時にわかっちゃった。もう東堂さんは私を見てないって」
「なんで…?」
「わかるよ。鮎川君の話をした時の表情、全然違うんだもん」
「浅井さんは、俺が好きなの…?」
「……好きに、なれると思った、が正解かな」
「…?」
涼風が二人の間を駆け抜けて、髪を揺らした。
「――私もTS症なんだよ」
「え…!?」
「って言っても、なったのは6歳の時なんだ」
「ちょ、ちょっと待って。治らなかったの?」
「治療を受けさせてもらえなかったの。両親はね、ずうっと女の子が欲しかったんだって。だから私は女の子になった」
「は……」
「いいの。別に、恨んだりはしてないから」
香乃は本心でそう言っていた。
「でもね。そのせいで私…『男の子』を好きになれないんだ」
悲しげな笑みが真夏の心を揺らす。
「そんな時『マナミー』を見つけて……眩しかった。それで、初めて『男の子』を好きになれるかもって思ったの」
「でも俺…」
「うん。東堂さん、どんどん女の子になっちゃうんだもん」
「……」
「私たちは一瞬、両想い気味…だった、のかな?」
どんな風に返したら良いのかわからず、真夏はただただ黙るしかない。
「不思議だね。私、自分では自分のこと女性だって思うんだよ? でも目で追いたくなるのは女の子。両方持ってるマナミーは、私にとって理想の相手だった」
「俺、まだ自分がそうだってつもりは、」
「わかってるよ。そんなに単純じゃないよね」
「……ごめんね」
「謝らないで。謝っちゃ駄目だよ。何も間違ってないでしょ?」
「うん……」
「むしろ謝るのは私の方。自分の気持ちを押し付けようとしちゃった」
ふと、思い出す。
「ねえ、ならあの時TSクリニックにいたのは…?」
「夏休み? ああ、先生にお話を聞いてたの」
香乃の口から語られたのは。
「ねえ東堂さん、TS症はね――」
次回が最終話の予定です。




