第14話 記念生配信
「それで真夏…話って?」
約束の日が近づいた、9月のとある午後。
やっと腹をくくった真夏は自宅に京一を呼び出していた。
落ち着かない空気感、ローテーブルを挟んでお互い正座で向かい合う。
アナログ時計の秒針の音が聞こえるほどの中……重たい口を、ようやく真夏が動かした。
「――記念配信をする。一万人フォロワーのお祝いとして」
京一の目が驚きに開く。
「生で喋るってこと? 真夏が?」
「うん。スタジオを葉月さんが貸してくれるって」
「本当にやるの?」
「やる。日付も今月の×日って話で……」
「待って、日程まで決まってるの?」
「ごめん……、言おうと、何度も思ったんだ」
深刻な間が両者に落ちる。
「京一も一緒に――」
「無理だよ。その日は家族で旅行だ」
「あっ……マジか……」
京一がわずかに溜息を漏らす。
「相談も無しは、さすがに傷つくよ」
謝ることしかできず真夏は眉を落とす。
今からお互いの日程を変えることはできない。どうしようもなかった。
またカチカチと秒針の音が聞こえ始める。
京一がテーブルに手を付いて腰を上げる。帰ろうとした姿勢で逡巡してから言った。
「配信なんてできるの?」
「動画は何度か上げてるだろ? 大丈夫」
「機材の使い方とかもあるのに」
「そこまで凝ってない。簡単なやつだから」
「喋る内容だって気を付けないと」
「そういうのは葉月さんから教わってる」
今度こそ、京一の顔から温度が消えていた。
「……なら、俺は本当に必要ないね」
「ちがっ―― 京一!」
今度こそ京一は立ち上がり、背を向けて出て行った。
真夏の制止も聞かずに。
「そばに…いてくれるだけでいいのに……」
身勝手な独り言は閉じたドアに跳ね返され誰にも届かない。
真夏は力なく腰を下ろし、冷たい床に一人残るしかなかった。
***
生配信当日――
ここは葉月の用意したレンタルミニスタジオ。
内装は女子高生の等身大をイメージした部屋が再現されている。
『マナミー』の自室、という名目での「自宅配信」を演出する狙いだ。
(真夏の家でない理由は自室の女子感の無さ、かつ他で撮影できる場所がない……などの都合から)
「真夏さん、時間です」
葉月が腕時計を見て言った。
配信を決めた後押しは、彼女の「絶対にやった方がいい」という言葉である。
大丈夫だ、と暗示をかける。
流れも決めているし、練習もそれなりにした。
真夏はにっと笑顔を作って、「配信開始」のボタンを押した。
「見えてるかな…………はーい、皆さんこんにちは~マナミーですっっ」
両手を振りながらカメラに向かって挨拶する。
さっそく、ぽこぽこと閲覧者からのコメントが表示される。
【こんにちは】
【マナミーこんにちは~】
【一万人おめでとう!】
「ありがとうございます! えへへ、すっごい緊張しています! 変なこと言ったらごめんなさい!」
【声までかわいい】
【がんばれー】
【動いてる】
続々と画面上に現れる文章は好意的なものばかりで、ひとまず「誰も来なかったらどうしよう」という不安からは解放される。
むしろ初配信にしては観客は多く、予告を見た固定のファンが見てくれているようだった。
真夏は自己紹介に始まり、今日の配信理由を説明していく。
徐々に増える閲覧者数。
大盛況とはいかないが、悪くない滑り出し。
日頃の下地作りが功を奏していた。
反応していいコメント、そうではないもの……それらを瞬時に判断しレスポンスしていく行為は思っていた何倍も頭を使う。
けれど―― それ以上に感じる楽しさ。
ファンと「今、この時」を作り上げる喜びは他にはない面白さがあった。
真夏は、最初こそ「ちゃんと女の子できているだろうか」と杞憂していたが、どんどん自分が「マナミー」にチューニングしていくのを感じる。
20分が経過し、真夏は切り替えのためにぽんと両手を合わせた。
「それじゃあ次は『質問コーナー』をやっていきます! 気になったものを拾っていくので、皆さんどんどんコメントしてくださいね」
この一言でコメント欄が加速する。
一般的な質問から過激なもの、ネタ目的のものなど様々な「?」が流れていく。
真夏は徹底して当たり障りのないものを中心に答えた。
初めの緊張もだいぶほぐれ、だんだんと、視聴者側もコメントしやすい流れが出来上がってくる。
すると葉月からメッセージで「少し攻めたものにも答えましょう」と指示が入る。
(難しいな!? スリーサイズ…はいきすぎ?)
悩みつつ、テストの平均点や、最近の失敗談などを選ぶ。
嘘は必要最小限と決めているため、性別の部分はぼかしつつの回答だ。
やがて幼い頃の初恋まで話が及ぶと、一気に恋愛絡みのコメントが増える。
【初キスはいつ~?】
「ええ!? えと、さ、最近……かな……」
【初キスの味は?】
「味……は、しなかった、よ……?」
もじもじと、自分で思い出し真っ赤になる真夏。
視聴者的には好評だったようで、さらに複数人からの同じ質問が連続した。
【彼氏さんは出ないの?】
【今日会えるかと思ってた】
「あ~~、彼氏はちょっと今……喧嘩? じゃないんですけど……」
【どうしたの?】
【なんで?】
「ええと、なんていうか。向こうの勘違いで、ちょっとすれ違いが起きまして」
【どゆこと】
【別れの危機?】
「別れる……考えたこと、なかったな。ずっと一緒にいるのが当たり前だから。だからこそ、この前の行動にびっくりしちゃって」
【なになに?】
【酷いことされた?】
【マナミーを傷つけるなんて許せない】
「わ、違うの。彼のこと、あんまり悪く言わないで? 嫌……だった、わけじゃないし……」
【へー】
【何されたんだ】
【なんかえっちだ】
「そそそ、そんな皆が思ってるようなことじゃないからね!! ほんとにっ」
【どんな人なのー?】
「えーっと、優しくって、面倒見がよくって、いっつもお…私のこと気にかけてくれて」
【素敵】
【ノロケきたー】
【顔は? イケメン?】
「カッコいいよ! 顔出したら私より人気出ちゃったりして、とか言ってみたり」
【見たすぎる】
【嫉妬】
【いつもいい写真撮るよね】
「そうなの! 自分で言うのもなんだけど、け…彼の撮った私の写真、すごく好きで。他の人が撮るのと全然違うって言うか。なんでだろう?」
【好き同士だからじゃない?】
【愛か?】
「そ、そうかなぁ? 大げさだと思うけど……えへ…なんか照れる」
【羨ましい】
【仲直りできるといいね】
「うん……そうだよね。早く仲直りしたいな……」
不思議と、マナミーの時は素直になれるらしい。
言葉にしたことで自覚した、奥底の想いがあふれてくる。
「でも今まで通りでいてくれるかな? さんざん力になって貰ったのに、嫌な態度とったのに、わがままばっか言ったのに……都合よすぎ、って思われないかな?」
【大丈夫だよ!!】
【ラブじゃん】
【大好きなんだね】
「好き……うん、好き、です」
それは「マナミー」としてのセリフ…そのはず。
だというのに、耳の芯までが熱く火照る。
「で、でもね。他の人からは『それは偽物だ』って言われたんだ。自分の中で、本物とかそうじゃないとか、わかんなくなる時、皆はない?」
【あるかな?】【どーだろー】
【自分の好きって、他人の意見関係なくない?】
「そう、かな」
白熱し始めた個人間の「好き」に対する意見。
真夏は興味深く、一つずつ読み上げる。
「『あの映画おもしろかったって思ってもレビューで<つまらない>ばかりだと揺らぐ』……あぁ、わかるかも」
【わかる】
【あるある】
そんな中、目に留まった一つのコメント。
【でも一番最初に感じた自分の『好き』とか『楽しい』『嬉しい』は紛れもなく〝本当〟だろ】
「……そうかも……」
腑に落ちる意見だった。
そうやってしばらくコメント欄に見入っていると、画面隅に表示された「配信終了間近」を知らせるポップアップ。
「わ、もう一時間たってる!? すごい、あっという間なんですね配信って」
真夏は慌てて姿勢を正し、やり残したことがないか確認する。
これからの方針やチャレンジしたいこと、拡散のお願いなどを早口で詰め込む。
「踊ってみた動画とかも投稿するのでよろしくね! それじゃあ、ばいばい~~っ」
笑顔で手を振りながら、名残惜しそうなコメントの数々に目を細める。
数秒後、暗転する画面。
確実な配信停止を確認し、真夏はやっと虚脱した。
「終わったぁ~~」
疲労の溜息をつくと、葉月が現れた。
「お疲れ様でした。初めての配信と考えると上出来でしょう」
「ありがとうございました。はー、楽しかった」
「そう思えるのなら、やはり真夏さんは才能がおありですよ」
「そうかなぁ」
「はい。ぜひ、一緒に働きましょう」
「うっ……それは、その」
今日は彼女に「モデレーター」としてリアルタイムの監視を行い、悪質なユーザーを退場させる役割を担ってもらっていた。
格安でスタジオまで貸してくれては、もはや頭も上がらない。
葉月にとっては先行投資、外堀の埋め立てだが…。
迫るマネージャーを何とか振り切ってスタジオを出た頃には、すっかり外が暗くなっていた。
まだ、鼓動のはやりは収まらない。
(楽しかったな――)
いてもたってもいられなくなって、指は自然と電話をかけていた。
「京一っ? あのね、」
「真夏。見てたよ」
「えっ!? だって忙しいって、」
「無理言って家族と別行動させてもらった」
「ぜ、全部見た?」
うん、と京一が向こうで笑った吐息を感じる。
「どうだった…?」
「すごく良かった」
その一言で全てが報われたような気になった。
「京一、俺……。やっぱり京一に一緒にいて欲しい」
「……どうして?」
「わがままなのはわかってる。でも俺、マナミーを続けたいんだ」
「カメラマンなら他にもいるだろ?」
「違う! 京一が撮ってくれるから……京一じゃないと駄目なんだと思う」
息を飲む音が聞こえる。
沈黙の後、京一はゆっくりと言った。
「俺…真夏の気持ちを確かめないで、勝手なことをした。ごめん」
「ううん。いいんだそんなの。俺こそごめん」
「配信では『嫌じゃなかった』って言ってたけど、本当?」
「へっ? そ、それはあの…えっと…………う、嘘ではない、けど」
「そっか」
「べっ、別に喜んでもないがな!?」
「わかってるよ」
いつもの雰囲気を取り戻して、真夏の胸の中が温かくなる。
顔が見たい―― 無意識にそう思う。
「真夏……俺も、本当は真夏のサポートがしたい」
「いいの? だって……」
「いいよ。偽装でも」
でも、と京一は間を置いた。
「その代わり――」
「ん?」
「俺、真夏に本当に好きになってもらえるように頑張るから」
「――」
ダメだ、なんて言えなかった。




