第13話① 文化祭準備
夏休みが明けた9月初旬――
高校二年生たちは休みボケに浸る間もなく、学年最大イベント「文化祭」に向けて準備をせかされていた。
2-A組の出し物は「天使喫茶」。メイドではベタすぎるから、という理由でコンセプトの曖昧なコスプレ飲食店を開催することに。
クラスメイトが皆、この時期だけの特別な空気感に浮足立つそんな中……
真夏は一人、時々「あの出来事」を思い出し悶絶する病にかかっていた。
(うわあああもおお俺のばかああああ!!!)
「あの」とは当然、夏祭りでの一件である。
***
「ん…………ッ」
唇を重ねた2秒半後、真夏は我に返り京一の肩を強く押し離した。
同時に終わる花火、暗闇に取り残される二人。
心臓の音が耳に痛いほど響く。
虫の声だけを残した静寂の間へ、たった一言をぽつりと投げる。
「……なんで?」
続けるセリフは見つからず、ただ問いかけるしかなかった。
友達なのに、男同士なのに。
――なんで?
京一は驚きと、不安と後悔をないまぜにしたような、言葉で表しきれない波を揺らした瞳で見つめてきた。
待っても答えは返らず、真夏は立ち上がる。
自分も同じ顔をしている、とは気が付かずに。
――この場から離れたい。この空気から。
何も言わずに背を向けて、神社の出口へ向かおうとする。
京一が慌てて追いかけて来て、真夏の腕を掴んだ。
「待って」
「嫌だ待たない。……なんでだよ?」
「わからない?」
「だって―― だって全部嘘じゃんか!!」
思考より先に言葉がついて出る。
「俺たちは偽物の恋人関係で、こんなの違う!」
「偽物……」
「そうだよ! 『マナミー』のための嘘。数字のために作ったお芝居だ」
真夏を捕まえていた腕の力が抜け、だらりと元の位置に戻る。
「こんな、『本物みたいなこと』求めてない!」
「みたいなこと、って」
「そうだよ! 『画面から見える以上のこと』は誰も望んでない!」
「――」
「俺は……、俺、もう帰る」
「っ、駄目だ。この暗い中を一人では帰せない」
「なら勝手に付いてくればいいだろ」
言い捨てて真夏は長い階段を降り始めた。
足の痛みがずきずきと追い打ちをかけるように増してきて、その場に座り込んでしまいたくなるのをこらえてとにかく歩みを進める。
京一も後ろから付いてきて、結局、二人は帰宅するまで無言だった―― というより、真夏が何も言わせなかった。
「真夏…後で写真、送るから」
「……わかった」
それだけを交わして、真夏たちの夏休みは幕を閉じる。
次に二人が会ったのは始業式の当日。
真夏は玄関を出た先で「いつも通り」待っていた京一と顔を合わせた。
「……はよ」
「おはよう」
5月の不審者の件があった以降、「真夏を一人で登校させない」ことは東堂家と鮎川家の合意のもと取り付けられた絶対の約束事となっている。
何日も言葉を交わしていない両者がいくら気まずかろうと、勝手に破るわけにはいかない。
先に声をかけたのは京一からだった。
「この前は……ごめん」
「……俺も、態度悪かったと思って反省してる」
「これからは――」
「これからは、少し、距離置こう」
「――、でも『@manamy』は?」
「夏休み中は毎日更新」のスタンスを貫いていたアカウントは、夏祭りの写真を最後に止まっている。
「しばらく、俺一人で更新する」
「それでいいの?」
いいわけないだろ、と言いたくなるのをこらえて真夏は頷いた。
「時間が欲しい。考えるのに」
「……わかった」
翌日の昼休み、いつもの屋上で夢瑠は真夏の落ち込みぶりに目を丸くした。
「どうしよう夢~~俺やっちゃったよぉ~~~」
「呼び出されたと思ったら。どったの?」
「…………言えない」
「え? 言えないようなコト、しちゃったの? 逮捕秒読み!?」
「ちっっっげーよ!! ……京一だよ」
「ほほう? もしかしてコレな話?」
「うわあああ!!」
頭を抱える真夏は、罪の懺悔でもするようにぽつぽつと一連の出来事を打ち明ける。
夢瑠は話を聞くうち徐々に、じわじわ、『京一が勘違いした原因は自分にあるかもしれない』ことに思い当たり冷や汗をかき始める。
「でさぁ、アイツってば『わからない?』とか言ってきてさぁ」
「あぇ~~~……それはびっくりだね~~…」
「わかってたよ! なんとなく気付いてたよ! でもまさかって思うだろ? だって俺男だよ?」
「うんうん~」
「偽装なのに何マジになってんの? なぁ夢、どうしてだと思う??」
「えっ、えぇ~不思議だね~~??」
「話聞いてる!?」
「聞いてるよぉ! でも夢瑠、アドバイスとか苦手だしぃ~」
夢瑠としては内心、京一の想いはとっくに知っていた。
おもしろいことになればいいな、と思わなくはなかった部分も、正直ある。
とはいえ友をここまで悩ませるとは心外だ。
「二人、よく話し合った方がいいんじゃないかと…」
「だよなぁ」
「『アレ』の日も決まったし、モヤモヤは早く無くした方がいいよ?」
「その件、まだ言えてないんだ」
「えぇ~っ! ケイかわいそう」
「だって……」
立てた膝に顔を伏せる真夏。
と、スマホのアラームが起動し時間を知らせる。
「あぁ、昼休み終わりか。戻るわ俺」
「早くしないと、どんどん言いづらくなっちゃうよ」
「わかってる」
しかし話し合う時間を設ける提案もできず、数日が経過した。
同じクラスの林檎は早々に二人の異変に気が付き、休み時間こっそりと真夏に耳打ちする。
「ねぇ、あんたたちどうしたの? 喧嘩?」
「ちがう……」
「じゃあ何。全然会話しないし、こっちが気まずいんだけど」
「うううッ」
顔を覆った真夏に林檎はなんとなくを察する。
「なんかしたの? それともされた?」
「…………され、た」
「へ~。京一、度胸あるんだ」
「やめろ言うなッ、思い出しちゃうだろがッ」
「SNSはどうするの? 共同でやってるのに」
「そこが一番困ってるの!」
「あのね。避けてないでお互い言いたいこと言いなよ。私はいつもそうしてる」
「うん…」
だが、その日から放課後は用事があった。
この時期だけ、めいめい自主的に残っての作業が許可されている。
真夏は香乃と、入口に飾る看板製作を進めることになっていた。
偶然にも、夕方の空き教室で二人きり。
以前なら喜びで舞い上がっていただろう状況、しかし心は全く踊らない。
二人で地べたに座り込み、黙々と下書きの作業が進む中――
ふと、香乃が手を止めて質問した。
「東堂さん。一度『@manamy』の投稿が止まってたけど、どうしたの?」
「あ~その~、体調不良、的な?」
「そうだったの? 今は平気?」
「全然! 心配してくれてありがとう」
「もしかしてTS症のせい?」
真夏は一瞬悩んでから答える。
「当たらずとも遠からず…?」
「熱とか痛みとか、きっと辛いよね…」
「んん……それよりも、気持ちの面で」
「気持ち?」
「なんか、俺、変なのかも」
「どんな風に?」
「……今までと、違う時があるんだ。たまに―― あ、こんな話急にされても困るよね」
香乃が首を振る。
「聞いたことがあるの。〝心が『そっち』に行く時がある〟んだよね?」
「! そう、そうなんだよ! 俺、どうしたらいいのかって」
「……京一くんのこと?」
ぎくり、と真夏の肩が強張る。
「二人の様子、いつもと違うなぁって思ってたの」
「あ~…そりゃバレるよね…はは…」
「投稿も自撮りが増えてたね。それに添えられた文章、なんだか元気がないなって」
「え…わかっちゃうの? そういうの」
「毎日確認してるから。ファンだもん」
真夏はその言葉に、嬉しさと同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
見てくれている人に悟られてしまうほど「マナミー」を維持できていないことに。
「ごめん、浅井さんにそんな心配かけてたなんて」
すると、床に置かれた真夏の手に、香乃の手がふわりと重ねられた。
急な接触に、真夏は驚いて顔を上げる。
「浅井さ…」
「大丈夫」
優しく、天使のような慈愛に満ちた笑みだった。
「大丈夫だよ。だってそれ【病気のせい】だもん」
「そう……なの、かな」
夕日が、二人だけの教室をオレンジに染め上げる。
「東堂さん。その気持ちはね、本物とは違うの」
「本物じゃ、ない……?」
「そう。揺らぎのせいで生まれる幻」
「俺、もしかしたらって――」
「ううん。だって本当の東堂さんは……、」
重なった手は徐々に強く握られて。
「男の子を好きになったりしないでしょ?」
――窓から差し込む西日が、香乃の顔に濃い影を落としていた。




