第7話 夏休み突入編
体育祭が終わってからしばらく。
「――アクアパラダイス? 有名な水族館じゃん」
夢瑠から真夏に手渡された名刺サイズのプラスチックカード。
銀色のラメ加工の上にはクラゲのイラストがプリントされている。
「そのチケットだよ! 貰ったんだけど夢瑠は行けそうにないから」
「へえ! いいの?」
「うんっ。それでケイとデート、してきちゃいなよ」
「デートスポットの紹介、な」
「ほとんど一緒でしょ~」
こうして通称「アクパラ」のフリーチケットを手に入れた真夏。
同日さっそく京一に提案すると、
「――行く」
「即答かよ。まぁ行きたいって言ってたもんな」
***
という訳で迎えた夏休み初週。
「わー、中こんなんなってんだな!」
「……」
「すげー、上まで水槽だ。なぁ見ろよ」
「……本当だ」
「京一、テンション低くね?」
「そんなことない」
「何で機嫌悪いんだよ」
「そんなことは、ない」
「せっかく皆で来てんだしさー」
「皆で、ね……」
京一がちらりと後ろに目線をやる。
そこには猫田、林檎、そして香乃もいた。
「おお、頭上をサメが通るとは! 見たか林檎?」
「割れたりしないよね? ちょっと怖い」
「牡鹿さん、この案内にガラスの厚さは40㎝って書いてある」
全員、この水族館を訪れるのは初めてだ。
香乃がいるため真夏のテンションは普段以上に高い。
今日はシフォンブラウスにハイウエストのロングスカートという出で立ちで、珍しく足元にも気を遣って厚底のサマーサンダルを履いていた。
歩きやすいスニーカー主義一辺倒だった真夏に彩陽が押し付けた形とはいえ、徐々に姉のファッションが馴染みつつある。
「メインのエリアは5つなのか。京一、どれから回る?」
「深海生物」
やはり京一は普段以上に表情筋が動かない。
真夏は自覚なく、ファッションへの言及が薄いことを「ほんのちょっと」心外に感じる。
深海のエリアでは全体の照明が抑えられており薄暗い。そんな中、京一は迷わず奥の展示に吸い寄せられていく。
「ダイオウグソクムシだ」
「うわ、デッカ。ダンゴムシ?」
「珍しい…すごい…」
真夏には魅力がさっぱりわからないが、京一が楽しそうなのでこのままグソクムシと通じ合ってもらうことにする。
「京一、先に行ってるからなー」
生返事する友を置いて進む四人。
やがて林檎と猫田はイルカを見に行くと別エリアへ移動していった。
真夏と香乃は二人きり、クラゲエリアを回っていく。
「綺麗……クラゲって、ほとんど不老不死な種類もいるんだよね」
「え? マジで?」
「老いると若返ってまた成長するの」
香乃は時折、触れない水中に触れたいかのようにガラスに指を当てクラゲの動きをなぞる。
すらすらとクラゲの生態を語る傍ら、真夏はとにかく相槌に徹している。
自然と近くなる距離、いつの間にか肩の触れそうなくらい接近する二人。
やがてエリアの終わりに辿り着くと、飲食可能な休憩スペースが設けられていた。
香乃が「くらげキッチン」に興味がありそうだったので、真夏は休憩を提案する。
「今日はありがとう。誘ってくれて」
「あのカードで5人まで無料だったから」
足元の暗い中、ぼんやりと青白い照明の灯るテーブルは幻想的だ。
二人の前にはそれぞれプラカップ入りのドリンクが置かれている。
「東堂さんの服装、いつもにも増して素敵だね」
「ほんと? 浅井さんも…その…か、かわいいと思う」
ありがとう、と淑やかに微笑する香乃。
露出を抑えた黒のワンピースはシックな印象を与え、静かに佇む彼女は深海の女王のようだった。
「そういえば。体育祭のダンス、後ろから見てたんだけど…素敵だった。アイドルみたいで」
「恥ずかしすぎる……!」
「そう? 最近の東堂さん、可愛いなぁって思うの。服は自分で?」
「姉ちゃん。勝手に遊ばれてるだけだよ」
「あ…可愛いって言われるの、嫌?」
「嫌では、ないよ。褒めて貰えるのはありがたいし」
そっか、と香乃が頷く。
「私ね。毎日『マナミー』の更新、楽しみにしてるの」
「そ、そうなの?」
「うん。最近は少し方針が変わったよね。デートスポットとか紹介してるし」
「そうなんだよ! 実は今日もそれ目当てな所があって」
「なるほど……前はね、目的のわからない、謎の美少女感があって。今は画像だけじゃなくて『マナミー』の言葉も増えたから、親しみやすくなった気がする」
小さなガッツポーズで喜びを噛み締める真夏。
客観的な意見はこれほどなく貴重だった。
「浅井さんにそう言ってもらえると自信が出るよ」
緊張がゆるむと、喉の渇きに気付いてプラカップのソーダ水を一気飲みする。
ふと、香乃の手にしている青いドリンクに目が行った。
「それ、綺麗だね。浮いてる白いのは何?」
「これ? んー。なんだと思う? 食べる?」
「え? いや、悪いよ」
「はい。あーん……なんて言ってみたり……ふふ」
「!! もぐ、」
目の前に来たスプーンを断り切れず口に含む。
白い塊を噛むと、もちゅりとかなりの歯ごたえ。
「ナタデココだ…」
「海に浮かぶクラゲのイメージ、だって。美味しい?」
「おいしい、です」
正直、味どころではなかった。
(あれ? これってデートっぽくない?)
「なんだかデートしてるみたいだね」
「――!! そっ、そう!?」
「鮎川くんが焼きもち焼いちゃうかな」
「アイツが? ないない! って京一、どこ行ったんだろ?」
探してくる、と緊張に耐えられず席を立つ。
上がった体温を下げるためにも館内を一人で回る必要があった。
どこに行ったのかとエリアを適当に散策していると、林檎と猫田の後ろ姿を見つけた。
声をかけよう―― そう思い近付いた真夏だったが、二人は手を繋いで何やら仲睦まじい様子。
(邪魔したら悪いか)
林檎は、真夏が見たことのないほど柔らかな笑みでパートナーに話しかけている。
同じように、猫田も慈しみをたたえた表情だ。
初めて見る顔は体育祭の時のように魅力的に映り、素朴で可愛らしいと思えるものだった。
(もしかして……)
もしかして、恋をしている人間の表情は可愛いのかもしれない――
真夏が辿り着いた一つの仮説。
とはいえ、それは自分と関係するのだろうか。
(俺は浅井さんが好きだけど、林檎みたいな想いで見てるかって言われたら……)
わからなかった。
(『可愛い』って難しいな)
謎は深まるばかりだ。
夢瑠からの宿題は思ったより難易度が高い…と認識を新たにし歩き回っていると、ペンギンエリアでカメラを構える背中を捉えた。
「探したんだぞ」
どさっ、と京一の隣のベンチに座り込む。
「ごめん、意外と広くて。気が付いたらペンギンに辿り着いてた」
と京一もベンチに座る。
真夏は足をぷらぷらさせて独り言のように言った。
「あー疲れた。こういう靴って長時間だとしんどいんだな」
言われて、揺れる足をまじまじと見つめる京一。
やがて驚いた表情になり真夏の顔を見る。
「やっと気付いたか。彩陽姉に塗られたんだ」
「よくOKしたね…?」
「我慢した。動けないし乾かないし怒られるし」
サンダルから覗く素足を彩るのは、オレンジ色のネイル。
すると京一はおもむろに―― つやつやと輝く足指の先端に一本ずつ触れていく。
「あっ!? こら」
「真夏が足を出してるの、珍しいね」
「くすっぐった……おい、っ」
「綺麗だ」
「んん…、っ、もういいだろ! 剥げちゃうぞバカ!」
足を引っ込める真夏。触られた程度でネイルはどうにもならないが、そうやって言い訳しないといつまでも京一は止めなさそうだった。
「それより! さっき林檎にフォトスポットがあるって聞いたんだよ。行って皆で記念撮影でも――」
「俺、真夏のことが撮りたい」
「あ……そ、そう?」
「本当は、今日…二人きりかと思ってた」
「あれ? 言ってなかったっけ」
「聞いてないよ」
「そうだったか。……ご、めん?」
京一はゆっくり首を振った。
「いいんだ。勝手に勘違いして……それで少し、不満が表に出てた」
「え……それで?」
(なんだよ、その理由)
「うん。真夏のことだけ、見ていられるかと思ったんだ」
「……っ、あー、はは。なんだよそれ、どんだけ撮りたいんだよ…」
(え? なにこれ?)
「真夏、浅井さんとばっかり話してるから」
「へ? そんなこと――」
水の反射が京一の顔をゆらゆらきらきらと照らしている。
先ほどの、香乃の「冗談」が思い出される。
(本当に、京一がやきもち焼いたみたいじゃんか)
まるで、本物の彼氏のような――
そのことに真夏は大変驚く。ありえない、そのはずなのに…自分でもわからないまま、うつむいて顔を隠す。
「お、お前がグソクムシばっか見てるからだろ……」
「ペンギンもね。……真夏」
「ん?」
「次の『デート』は二人で行きたい」
「あ、あぁ」
二人で、の部分がやたらと気合が入っていたような。
「つーかそんなに言うなら、この後もたくさん撮ればいいだろ?」
「うん。そうする」
あまりにも真っすぐな返事に更に困惑する。
なんと返事をしたものかと迷っていると――
「あっいたいた。真夏、京一!」
いつの間にか林檎たちが合流し、こちらを手招きしている。
「真夏、行こう」
「おぉ…」
その後も海洋生物をたっぷり見て、学び、大いに楽しんだ5人。
最後にイルカショーを見学し、そこそこずぶ濡れになり、帰りにちょうどよい土産を買って、ほどよい疲労感で家路に着いた。
後ほど――
林檎から送られてきた一枚の写真。
いつ撮ったのか、真夏と京一の後ろ姿が映っていた。
館内で一番大きな水槽のそこは、暗いエリアだったため二人がシルエットになっている。
まるで―― 親密そうに寄り添い合っているように見えた。
顔も映っていないため投稿には持ってこいの素材だ。
(良い一枚だな)
真夏の指は自然と、「お気に入り」のマークをタップしていた。




