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第1話① TS症になった東堂 真夏の日常

表紙イラスト

挿絵(By みてみん)






「――起きて。真夏。遅刻する」

「ん……まだいーだろ……」

「だめ。…………真夏?」

「んん……」


 東堂 真夏(とうどう まなつ)が薄目を開くと、整った顔面の男と目が合った。


「ちかい……」


 微睡みに落ちていきそうになる傍ら、再び言葉が降ってくる。


「まつげ」

「あぁ……?」

「長いな。フサフサだ」

「オメーは何を言ってんだよ……男相手にさぁ……」


 そこまで言って、はたと気づく。

 今の自分は―― 男じゃないのだと。


 はあ、と溜息をついて身を起こすと、長くて明るい色の髪の毛がはらりと肩に落ちた。

 陽の光を透かして橙の色と近くなった前髪越しに幼馴染―― 鮎川(あゆかわ) 京一(けいいち)と目を合わせる。


「なんで部屋にいんの」

早穂(さほ)さん。『今日は自分の出勤時間が早いから、代わりに起こして欲しい』って」


 母親の名前を聞きムスッとした表情になる真夏。

 親に甘えきりなことを知られた恥を誤魔化すため、強気を繕う。

 

「だからって、女子の部屋に勝手に入るとは。いーい度胸じゃねえか?」

「ごめん。でもそういう時だけ性別を盾にするのは良くないと思う」

「……。冗談だっつの。お前ならいつでも入っていいし」

「本当? でもいつでもは流石に……、」

「堅物。常識的な範囲で、いつでもOKってことだ」


 真夏だけがわかる微細な変化で、京一は口元に笑みを浮かべた。

 (今の会話の何が嬉しいんだか……)と呆れつつ、伸びをして洗面所へ。

 戻ってくると、京一はまだ部屋にいる。無視して着替えを始めると、慌てて扉を開け出て行った。


 (別にいーのに)


 パジャマを雑に脱ぎ捨てる。埃が朝日にキラキラと舞った。

 下着姿で髪をかき上げる。形の良い胸がぷるんっ!と揺れて、姿見の中の自分と目が合う―― 


 (おー今日もカワイイこった)


挿絵(By みてみん)


 真夏は「TS症候群」―― 肉体の性別が変わる病に侵されていた。

 元々の性別は男性だが、今はほぼ女性化している。

 未だ治療法の確立されていないこの奇病。

 かかった者は【2年以内に再び「性転換」が起きなければ性別が固着する】とされている。


 高校一年生の冬に発症し早4ヶ月。現在は二年生だが卒業までに肉体が戻らなかった場合、真夏は生物学上「女性」として生きていくことになる――


 (でも最近は昔より男に戻りやすくなってる、って言われたし)


 そうやってボディチェックをしていると扉越しに「真夏、」とくぐもった声が聞こえてきた。


「昨日のことだけど」

「んー?」


 小さい頃から京一の声はもそっとして聞こえにくい。しゃきっと喋れと何度も喝を入れた結果、まぁなんとか壁越しでも聞き取れるレベルになった。

 なぜか学校ではその静かな佇まいから「表情筋死んでる系イケメン」ともてはやされている。なんでじゃい、と真夏は不満に思っていた。

 ――あんなに表情豊かなのに、と。


「昨日? ってなんだっけ」

「あの写真。危なすぎるよ」


 スカートのホックにかけていた手が止まった。

 スマホを取り出し自身のSNSアカウントを確認する。@manamy(マナミー)の『おやすみ』投稿から9時間経って、ハートの付いた回数1000回とちょっと。炎上している様子はない。

 「どこが?」と唇を尖らせて問うと、ごにょりと返事が返ってきた。


「だって、あまりにも―――― か、可愛いすぎるから……」


 後半は声量が落ちていってほとんど聞こえなかった。


「なんだ。またそれか。じゃあ問題ナシってことだ」

「! 真夏、だから」

「お前が褒める時は伸びる。安心した」


 投稿したのはパジャマ姿。

 ふわっふわのもっこもこ、女の子のための甘い夢みたいな素材でできていた。

 白いうさぎの耳までついて、写真のためでなければ絶対に着ないような。

 実際、撮影後は椅子の背もたれに雑にかけて寝た。


「そういうことじゃ……また変なコメントが来てたから。夜中の2:18」


 最近通知はロクに見ていない。プロからはマメにコメントを返せとアドバイスを貰っているが真夏の性格では無理な話だし、何より〝不快な〟コメントが増えていて精神衛生上よくない。

 TS症になって見た目の激変した「青春」を記録するために軽い気持ちで始めたSNS。

 当初の怒涛の勢いはどこへやら、あと少しで1万人フォロワーを前にして「マナミー」のアカウントは伸び悩んでいた。


「変な、って何でお前が知ってるんだ?」

「コメントには目を通すようにしてる」

「……全部じゃないよな?」

「? いや、全部」


 ――あの量を? 冗談だろ? うん、冗談だな。


 通知を遡っていくと京一の言った通りの時刻でコメントを見つけた。


 『新しいパジャマ似合ってるよ。可愛いね。誰から貰ったのかな? マナたんの趣味ではないよね。

 あと僕のあげたぬいぐるみ、飾ってくれてないのかな。もしかして大事すぎてまだ開けてない? 今度抜き打ちでお部屋チェックしちゃおうかな笑 待っててね~』


「これくらい、よくあるキモコメだろ?」

「そのアカウント、段々と内容が過激になっていってる」

「俺より先にマナミーファンを認知している、だと……」

「認知……? 認めてない。こういう不愉快なコメントは断固拒否する」

「そういうことではないが。まぁブロックしとけばいいんだろ、っと。ハイ終了」


 言うと同時に扉を開けて京一を見上げる。

 お互いに何も言わない。

 京一は制服姿の真夏を頭の先からつま先まで通しで眺めていく。その眉間には深い皺が寄っていて、真夏はテキトーにあしらったから不機嫌なのだろうか、と思う。

 やがて京一は肩の辺りへと手を伸ばし――


「……襟、曲がってる」

「あぁ。サンキュ」


 確認が済むと真夏は「良い角度」を探して自撮りした。

 時には自宅で、時には通学路で。京一による身だしなみチェックからの撮影は日課だ。

 個人を特定する物が映っていないかの確認が終わると真夏は「投稿」ボタンを押した。


 『おはよーそしていってきます』


 画面が切り替わるや否や、さっそく「(いいね)」が踊り始める。真夏は気付いていないが最初にタップしたのは京一だ。


「真夏、今日も可愛い」

「んな。俺もそう思うんだわ」


 実際そうだ。

 さきほど家を出て、初夏の陽気が爽やかな通学路を歩く間、何人に見惚れられただろうか。

 この姿で歩けば誰もが、は言い過ぎとしても結構な人数が振り返る。

 同じ学生、スーツ姿のサラリーマン、今だって信号待ちをしている横でパーカーを被った男からの食い入るような視線を感じている。


 (男の時だったら考えられなかったもんな)


 以前の真夏は良くも悪くも「並」男子だった。いつだって注目を浴びるのは親友の方。京一目当てに真夏に近付く女子のおかげで連絡先を交換した数だけはそれなりに多い…というようなエピソードなら豊富にある。

 それが変わった冬――

 TS症が発覚し、体の急激な作り替わりによる激痛に耐えること一週間。

 久しぶりの登校は同情や好奇心の入り混じった態度でもって迎えられた。

 中には下卑た眼差しを向けてくる者もいたことを、不快と嫌悪の感情と共に記憶している。


「青になったよ」


 と京一がスマホに夢中な真夏を促した。


「うーし。朝の反応はまずまずっぽい」

「歩きながら見ちゃ駄目」

「わかってますって。見てないだろが」

「言わないと見ようとするから」

「うっせ」


 京一だけは変わらない思いやりを感じさせてくれる存在だ。

 少し、というかかなり過保護な態度も真夏は優しさとして捉えている。煩わしくて反発してしまうこともあるが、京一は決して怒ったりせず諫める。

 他愛のない会話をしながら校門に辿り着くと、登校する生徒の多くが二人に目を向けた。かっこいい、可愛い、両者へ向けた賛辞の視線を浴びる中。


「まなみ~ん、けい、おはよーっ!」


 真夏に抱き着いてきた巻き髪バッチリの美少女。

 元気いっぱいな笑顔でじゃれてまとわりつくので、改造した制服の派手なリボンが尾を引いた。


挿絵(By みてみん)


「昨日の投稿見たよ~! さぁ~いこうだった!」

「あぁ、おかげ様でな」

「んふふ~でしょ~」


 盛り盛りの長いまつ毛で☆の飛び出ていそうなウインクをする少女。

 京一が「危ない」と評したパジャマはこの風祭 夢瑠(かざまつり ゆめる)から貰ったものだ。

 彼女はフォロワー7万人「@yumeru(ユメル)」であり、正真正銘のインフルエンサー。

 女性になった真夏の「素質」をいち早く見抜きアカウントを作らせた。

 ネットを使う際のいろは等も全て教わった師匠であり、今は一番の女友達でもある。


「でもまなみん? 昨日のは『自撮り』なんだね」

「当たり前だろ。夜だぞ? 四六時中コイツに頼めるわけないって」

「俺は構わないよ。真夏が望むなら」


 いいなー、と夢瑠が真夏をばしばし叩いた。


「ケイが撮るまなみん、すっごいカワイイもんね。良いカメラマンがいて羨まし~い」

「何言ってんだか。モデルが良すぎるからだろ?」


 ふん、と腰に手を当ててドヤ顔する真夏は京一からのツッコミ待ちだったが本人はうんうんと頷くばかり。


「……スルーすんなよ」

「?」

「まぁいいや。じゃあな夢瑠」

「ばい~っ」


 京一と共に自分のクラスへ入り、めいめいと挨拶を交わす。

 この体になってから真夏を取り巻く環境はガラリと変わった。女子に話しかけられる回数が圧倒的に増えたのだ。

 男子とももちろん話す。が、皆が真夏をどうしても女性寄りに扱う。

 それに傷つくことも、歯がゆく感じることも、戸惑うことも、数えきれないほどあるが――

 今はだいぶ慣れてきた。

 密かに想いを寄せている女子と連絡を交換できたのだって、この病がきっかけだ。

 真夏は少しだけ勇気を持って、その艶やかな黒髪の相手へと声をかけた。


「浅井さん、おはようっ」


挿絵(By みてみん)


「おはよう、東堂さん」


 付き合いたい美少女No.1との呼び声高い浅井 香乃(あさい かの)。凛と澄んだ声、佇まいからは気品すら感じる。

 そんな彼女とただの挨拶とはいえ、(よし今日も話せた)と心中で喜ぶ真夏。

 しかしそれ以上の会話をする訳でもなく後方の自席へと向かう。


「真夏おはよう。顔赤いよ」

「騙されないからな、林檎。おっす」


 椅子を引く真夏の真後ろから声をかけた、利発そうなショートヘアの少女は牡鹿 林檎(おじか りんご)

 春からとある事情で親しくなり、真夏の意中の相手も知っている。


「あんたさぁ、あのパジャマは狙いすぎじゃない? 大丈夫?」

「え? 可愛いだろ?」


 じと、とした目を向けられる。

 林檎はネットリテラシーのしっかりしたタイプで、SNSも見る専のアカウントしか所持していない。


「いつか痛い目見ても知らないから」

「大丈夫だって!」


 その後も林檎がネットの危険性について語ろうとし、真夏が適当に受け流す。

 いつもの光景だ。






皆さまお読み頂き、ありがとうございます。

これからよろしくお願いいたします。

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