立ち上がる王都
翌朝、私達が目を覚ました時、家は既に湖畔に建っていた。
相変わらず変な言葉だが、事実の方が相も変わらずおかしいから仕方ない。
チビを連れて外に出てみると、あの鬼の女性が直ぐそばで待っていた。
久しぶりに野外用テーブルセットを展開すると飲み物を置き、鬼に着席を促す。
ミズーリも私の隣に大人しく腰掛けて、オレンジジュース美味ぁと夢中になり始める。この子だけはいつも緊張感が無いな。
「卵は、卵は有りますか?」
「ありますよ。」
外出する時はいつも腰にぶら下げている。
「卵を此処に。」
鬼の女性の要望通り、テーブルの真ん中にそっと置く。
卵を見た彼女はホッと一つ溜息をつく。
「私に分かる限りのお話しをします。」
卵を見つめながら、鬼の女性は静かに語り始めた。
「この世界には人成らざるものが幾つか存在しますが、その中で二つ大きなものがあります。
それが貴方が意志と呼ぶものです。
意志とは、今まで人が生まれ、育ち、死んでいった長い長い歴史の中で育まれて来た物でした。
二つの意志を、ここでは分かりやすく育成の意志と淘汰の意志と名づけましょうか。
「淘汰は人の欲望を吸収して育ち、育成は人の悲しみを吸収して育ちました。人の意志が土地に染み込み、その意志が土地の行く末に影響を及ぼす。その様にお考え下さい。」
アミニズム信仰の変形と見て良いのか?
「一つ分かっていたのは、淘汰の意志が限界を迎えていたという事です。
「淘汰は人の欲の塊です。人が人である以上、それはあるべき物であり、決して否定されて良い物では有りません。
人に欲があるから、人は前を向き、文明を育み、栄えるのですから。
「でも、その欲の前に犠牲になる人、犠牲になる想いは欲と同じ量存在します。そう言った悲しみを救う事は出来ません。救われたいという想いもまた欲になるから。
ですから、育成の意志は悲しみをただ消滅させて来ました。
将来に悲しみを残さない為、育成の意志が悲しみ自体を消滅させるわけです。
「欲を消滅させる訳には行けない淘汰は人を食べます。人の欲を食べるのです。代理の存在を作って欲の絶対量を減らして来ました。」
つまりそれが鬼か。
「鬼は動物と言われます。それに間違いは有りません。淘汰の意志が正気を保つ為に生み出された動物です。鬼は人を食べる事により欲望の絶対量を減らしているのです。
「でも、この地の淘汰はもう限界でした。意志として正気を保てる欲望の吸収限界を超えていました。
その対策として生まれたのが私でした。
人間と二つの意志、またはそれの眷族とも会話が出来る存在として。」
つまり貴方は鬼にして鬼では無い、とても不安定な存在だったと。
彼女はコクリと頷くと話を続けた。
「王都に鬼が集まったのは言うまでもなく人を食べる為です。
王都が欲深いという訳ではなく、欲を吸収するのに人が多く便利だと選ばれただけです。
また、地震は淘汰の意志の痙攣でした。
育成の意志が抑えていたとはいえ、あと数年しか保たなかったでしょう。
でも地震と鬼によって出た大勢の被害者で欲望は回収され、鬼の抹殺で必要以上の被害は抑えられました。
貴方が王都に到着するタイミングで、皆が協力して合わせたのです。
「貴方がこの湖に来た時に、ようやく私にも分かりました。
私が何故生まれ、何故一人だったのか。
何故この地だったのか。何故貴方だったのか。
貴方が育成の意志に選ばれた方だと。
貴方達と繋がりなさいと。
貴方の旅を見守っていた私にも段々と分かって、いや、思い出して来たんです。」
そう言うと彼女はそっと卵を手に取った。
「先程、私は悲しみは消滅すると言いました。消滅する先はコレです。」
彼女は愛おしそうに卵を抱きしめる。
「貴方は鬼を全て殺してくれた。数百年この地の淘汰の意志は正気を保てる。
そして、貴方は湖の底で、その役割が出来なくなっていた卵を救い出してもくれた。
この卵は育成の意志が人にもたらす一つの形です。
これで行き場を失い、この土地を彷徨っていた悲しみも消滅させることができます。
これもすべて
鬼の女性の姿が徐々に薄くなり言葉が聞こえづらくなっていく。
「これもすべてあなたのおかげです。やくわりをおえたわたしはやっとおとうさんおかあさんのところへいけます。」
卵が一瞬だけ大きく光ったかと思うと、彼女の姿は消えていた。
彼女の満足そうな幸せそうな笑顔だけが、私には深く深く印象に残った。
しかし、消えちゃったか。言いたいだけ言って消えちゃったか。この一連は私達の旅と関係は何かあるのだろうか。
「トール。」
「何?」
「お腹空いた。朝ご飯にしよ。」
ハイハイ。君はいつでもどんな時でも君のままですね。
「女神ですから。」
さては、わざとですね?
「後で話すから。それよりご飯食べよ。」
悲鳴が上がった。
いや、理解が出来ない事象への戸惑いの声だ。
王族も役人も兵も、皆、声が裏返っていた。
視界の先で、あり得ない事が起こっている。
鬼が、鬼が倒されている。
次々と。順番に。
人は捕食されるだけの存在であり、鬼を殺すなど不可能の筈だ。それなのに、鬼が倒されていく。
王宮のバルコニーから見るだけでは、鬼の現場は遠く、何が起こっているのか分からない。ただ、順番に鬼が倒れてゆく。
直後に鬼がいたあたりからは光が天空に向かって伸び消える。
その後、再び鬼が立ち上がってくる事はなかった。
私達はバルコニーを一周して鬼が倒れて行く様子を見守り続けた。
最後の鬼が倒された時、王の勅命が下った。
状況確認。全騎馬隊出陣せよ。
私は残る騎馬隊三隊の出陣方位を即座に決めると、状況が分かり次第直ぐに帰城・報告を求める様、各騎馬隊長に指示した。
衛兵隊には引き続き救援活動の迅速な準備を。
階下にいる騎馬隊や衛兵にバルコニーから怒鳴った。
衛兵隊長には、王宮が空になっても構わない。情報収集と救助に走れ。
と勝手に私が付け加える。
王は王妃の肩を抱きバルコニーから離れて行く。
越権行為もいいところの私の指示だが、王は私に一つ頷き部屋に戻る。
代わりに第一王子がバルコニーに陣取り、王剣を杖に、民草に王家健在を示すが如く立っている。
まだ少年の王子には出来る事は少ない。
判断力にしても、その為の材料をまだまだ身につけていない。
それでも第一王子の姿は国民に多大な希望を与える筈だ。
キクスイ王国未だ健在なり!と
数日を経て、被害がまとまった。
王都の住民のおよそ3割が死亡。
5割が重軽傷。五体満足な者は僅か2割。
王都の建物の7割が倒壊、焼失。
復興には、王族も軍人も貴族も庶民も関係なかった。
皆、朝早く街に出て瓦礫を取り除き、生存者を探した。
比較的損傷の少ない建物は王家が買取り、一時的な病院に使用するつもりだったのだが、建物の家主達は率先して建物を差し出した。
国内からは救援物資がひっきりなしに届き、また国外からの援助も人・資材・金が盛んに流入してくる。
鬼を倒した我が国に興味が湧く事は、為政者にとって至極当然の事だろう。
そして、我が国は一連の騒動について、何一つ隠す事なく公開した。
それが今、我が国が出来る唯一の誠意なのだ。
しばらくして鬼について報告が上がって来る様になる。
不思議な事に、全ての鬼の左足首が切り離されていた。
それだけでは無い。
シュヴァルツ領囚人の村の鬼
王都郊外の鬼。
発見された鬼の死骸は全て左足首が切り落とされていた。
それは何を意味しているのだろう。
何が我が国に起こっているのだ?
更にエドワード家からの報告には混乱を誰もが隠せなかった。
数日来、我が国に親子連れの旅行者が来ている。
通常の任務として監視対象に指定した。
ところが、彼らにちょっかいを出した者はほぼ全員殺された。或いは行方不明になった。
兵も賊(組織)も関係なく、みな左足首を斬られて。
兵の被害に無視出来なくなったエドワード公は指示を出した。
彼らに触ってはいけない。
我らでは彼らには勝てない。
左足首切断?まさか。
その共通点は何だ。何を意味する?
鬼の死骸はその場で解体された。
鬼は希少な素材の塊とは古くからの伝承で残されていた。
鬼の死骸など誰も見た事は無く、当然誰も信じていなかった。
現物を見てみると、肉は直ぐ腐敗を始めたが角や歯、骨の頑丈性は鉄を遥かに超える物であり、
復興資材に、或いは希少素材として売却するなど、かなり有用になりそうだ。
今、我が国には30体分の鬼の素材があるのだ。
のだが。
気になる報告がある。
鬼の死骸(つまり鬼が暴れていた付近)がある場所に居た住民達が口を揃えていると言う。「光に救われた」と。
確かに鬼が倒された後、謎の光が発光した事は、私達もバルコニーで確認している。
親が兄弟が友達や同僚が
沢山死んで、沢山殺されて、沢山食べられた。
地震で傷つき、火傷を負い、動けなくなっていた者は絶望の為、お互いに死を望んだ。
誰か俺をもう殺してくれ。お願いだ。
私を楽にしてちょうだい。お願い。
人は皆動けなかった。立ち上がれなかった。
もう鬼に食べられてもいい。
もう火事で焼け死んでもいい。
しかし、あの日あの時、鬼が倒されると同時に巻き起こった光に触れた途端、全てが変わった。
欠損した傷すら回復し、皮膚呼吸すら困難になった重度火傷が治り、そして立ち上がる気力が身体に満ち溢れた、と。
そして分かった。生き残った私達は立ち上がらないといけない。
だから立ち上がる。その為の力を私達は貰った。
他には何も分からないけど。
それだけは、とにかくそれだけは分かった。
そんな大勢の証言をどう判断したら良いと言うのだろう。
分からない分からない、何もわからない。
迷い考えていると王が言われた。
分からない事、出来ない事は後回しで構わない。分かる事、出来る事をすべきである。
それは正しい。圧倒的に正しい。
復興の目処が付き、少しずつ私達の生活が戻り始めた日。
隣国に我が国以上の大騒動が勃発した。




