なんにもしないよ
ひと月が経った。
多分。
多分と言う理由は、この世界には暦がないからだ。
更にこの世界には季節が、四季が無い。
恐らくは、地軸の傾きが無い星なのだろう。
北に行けば普通に寒いし、南に行けば暑い。
そして、この辺は常春だ。
一年中、同じ作物が収穫出来る。
一方で、土地を休ませるという知識がないのから、数年経つと土地は痩せ、農民達は土地を捨てて新しい土地を探す。
それが許されたのは、人口に対して土地が広大な事だからだ。
更には宗教がない。
宗教が無いから祭りが少ない。祭る事祝う事が極度に少ないからだ。
確かに、そんな世界には暦は要らない。
カレンダーが必要なのは、スケジュール管理が必要な文明だけだから。
そう、この世界には時計もない。
明るくなったら起きて、暗くなったら寝る。
夜に遅くまで馬鹿騒ぎをしている我が家が、この世界では特別なのだ。
お洗濯と小麦粉料理が特技と言っていたうちの女神には、もう一つ得意技がある。
コーヒーだ。
最初は、私が生前、食後に適当に買っていたコーヒーを適当にコーヒーメーカーで淹れていた習慣を、この世界にも持って来た。
ただ、それだけの事。
しかし、地球担当とか言ってたくせに、私の色々な「当たり前」に興味を持ったミズーリは、私の「当たり前」を次々と吸収していった。実際、ミズーリが淹れるコーヒーが、私は好きだ。
それは、私の相棒としての努力なのだろうけれど、それが割と本人の好みにも合う事が多かったらしい。
家族達がそれぞれの仕事で慌ただしく出て行った午前中(午前という概念など無い世界だけど)、ミズーリの淹れてくれたコーヒーを味わいながら、屋上で寛いでいる。
そのミズーリは、特技の洗濯の真っ最中。
ここ屋上は、ガラス張りの温室でありながら、わざと壁を腰の辺りまでしか張っていないため、森を流れる風が気持ち良く通り過ぎて行く。
なので、私は屋上にテーブルセットを置いてコーヒーを飲みながら、読書をしたり、物思いに耽ったり、そんな無駄な時間を楽しんでいる。
屋上の隅には二層式の洗濯機が、先程まで回っていた。
「死と転生を司る女神」というのが、ミズーリの肩書きだった筈だけど。
・全自動はなんか汚れが落ちなそうだから嫌
・二層式だと水が汚れて行くのでわかりやすい
・洗濯物はお日様で干す
・お日様の匂いはお日様の匂い、ダニの臭いとか言ったらハットリくんのシンちゃんの刑つまり号泣するからね
って訳の分からないこだわりを押し付けられた。だから屋上がこんな風になってしまったわけ。
とはいえ、洗濯している脇で私がダラダラしているという設定は何故かミズーリを始めとする家族には好評で、その日休める人は一緒に、居間ではなく屋上でダラダラする。
そんな新しい習慣が、我が家には出来たのです。
でも、今日はみんな外出。
ツリーさんの代理に、人差し指くらいしか無いミニミニ精霊が私の胸ポケットにいます。一時期、私の周りをウロチョロしていた少女タイプ精霊は、なんかツリーさんに叱られて、今は金山周りの責任者としてウロチョロしているとか。
何やってんの?プラナリアみたいに中身同じの精霊さんが。
で、サリーさんの代わりはメサイヤリーダー。以前、尻尾の先っちょコリコリしてメサイヤを涙目にするって言う前代未聞な真似をしたけど、それがまぁ縁で。
当の本人は、そんな事すっかり忘れて、私の膝で丸くなって寝息を立てている。
赤青白黒。
4機の気球が西の空に浮かんでいる。
東には帝国のちょっかいを防ぐ土塁がある。つまり、今日は山越の訓練を行なっているわけだ。周りには何かが一緒に浮かんでいるのが見える。言うまでもなく、王族達の飛行訓練を見守る、サリーさんとメサイヤ達だ。
朱雀・青龍・白虎・玄武。
気球はそれぞれ四神に対応させている。
もう1機、アリスさんが加わる時は、その気球は黄色く塗られている。
元々は、木の天辺に引っ掛かってた姫さんを助ける為に即興で出した適当な代物だけど、なんやかんや魔改造が加わり、得体の知れない「何か」になってしまった。
言うまでもなく、名前は麒麟だ。
麒麟には我が家の家紋(鶴丸)を紋章として入れてある。
各王族達が操る気球には、それぞれ各国の紋章が書かれており、誰が乗っているか直ぐに判る様にしておいた。
メサイヤリーダーやミニミニ精霊が常に私の側にいるのは、要はあいも変わらない連絡係として。
携帯電話の一つも有れば済む事なんですけどね。
一応、私の危機を察知する為らしいんだけど、神様と万能力を持つ私を誰が危機に陥らせるんだという話でね。
大体、誰かがやらかすから、その後始末をさせられる為に呼び出される訳だ。
先日も一つ。
サリーさんに道場に呼び出された。
おっとり刀で駆けつけてみると。
困り果てている羽衣を着たサリーさん。
ワンワン号泣している姫さん。
女の子座りしてるアリスさん。
あと、なんかブルブル震えてる王族や軍の若者達。なんだこりゃ。
「2対1で手合わせを頼まれたんでな。いくら儂でもコイツら2人を捌くのは、ちと骨が折れるから、ちょいと本気を出してみた。」
君に渡した羽衣は、メサイヤの能力を極限以上に引き上げる能力が有りますから、そりゃ人間程度に対抗出来る訳は有りませんけど。
「違うんです。」
ん?何?アリスさん。
「確かにサリー様の速度は上がりました。私とミク姫2人でも見えなくなりましたから、アレを試してみる事にしたんです。」
アレ?
「心眼。」
あゝ、そんな映画や漫画見て騒いでましたね。アレはそれこそ道を極めた者だけが到達する境地だと思いますか。
「なんとなく、ミク姫と目を瞑って対峙してみたんです。そしたら、サリー様の動きが読めたんですけど。」
読めたんかよ。
「でも、そこにいたのは、サリー様ではなく何か別のものでした。それがわかった瞬間、私は腰を抜かしちゃったんです。」
そりゃあねぇ。
いつもケラケラ笑っているサリーさんですけど、正体は幻の霊獣メサイヤ、それもやがてメサイヤを仕切るメサイヤ中のメサイヤになるメサイヤですから。
人間とは次元が違う生き物です。
それがわかったって、それだけで驚異的なものですよ。
で、姫さんはなんで号泣してんの?
「ミク姫様は、恐怖で動けなくなった私とは違い立ち向かったのですが。」
一溜まりもなく瞬殺された、と。
悔しくて泣いたのかな?
ミズーリにタオルを頭からかけられて落ち着いたのか、泣き声は止みましたが、肩を震わせる事が止められません。
んで。君らは何故固まってんの?
「…師匠。師匠達ってなんなの?俺達、いや王族だけでなく、ここにいる兵が纏めてかかってもアリスにもミク姫にも擦りもしない、出来ないのに。もっと上が居る事を改めて思い知ったんだよ。師匠達ってなんなの?なんなの?」
ふむ。君ら、姫さんが毎日欠かさず素振りをしている事は知ってるね。
「お姉様はいつも腰に刀を身につけてます。時々、私達には見えないところで刀を振っています。」
君らは?
「私達は…その…勉強が…」
姫さんは、君らに教える為に帰宅しても勉強を欠かしませんよ。それに家でも素振りをしてます。
「…………。」
あゝ、別に君達を責めている訳では有りません。姫さんもアリスさんも君らより歳上だから身体も出来ているし、努力の仕方も知ってます。
大切なことはね。
君達でも鍛錬次第では、いつになるかはわかりませんが、ここまで来れるという事です。
でも、メサイヤであるサリーさんには敵いません。これは生命の、種族の根本が違いますから。
でも、それが分かっていても、盟友たるアリスさんが心折れても、姫さんは立ち向かって行った。そして負けた。
本気だったから悔しい。
心の折れた友達を救えなかったから悔しい。
悔し涙を流せる人は強くなれます。
そして、私達家族は聞いていますが、姫さんには、とある明確な目標があります。
その目標に到達する為に頑張れる人です。
君達は、君らはどう思いますか?
「…………」
道場が鎮まりかえっちゃいました。
いかんいかん。説教なんか私が出来る筋合いじゃなかった。
帰ろ帰ろ。
「あの、閣下。」
妹ちゃんじゃない方の、なんとか言うお姫様が話しかけてきました。なんですか?
「あの、先程閣下は人間はメサイヤに勝てないと仰いましたが、閣下なら勝てるんじゃないですか?」
ん?挑発すんの?
「はい、その通りです。挑発です。それと単純な好奇心です。ミク姫様は閣下の元で日に日にお強くなられています。それは私達の様な“ガキ“にもわかるほどです。前にも閣下とサリー様の手合わせを拝見した機会がありましたが、今日みたいに本気になったメサイヤと閣下はどうなるのか。見てみたいです。」
兄妹の王子が顔を手で押さえてます。
つまりはお姫ちゃんの暴走ですか。
まぁいいや。舐められちゃいけないし。
アリスさん?ちょいとそれ貸して。
女の子座りしてるアリスさんの膝には、草薙の剣が置いてあります。
王子達を引っ叩いてる姿を見かけたので、新しく作ろうとしたのですが、
「それが良いです。」
って私の使ってたハリセンを持っていきました。こっそりボール紙を特殊硬化加工してありますから、そこらの大木くらいなら切り倒せますが、ハリセンに攻撃力かがあったら本末転倒なので、色々まぁアレな部分は隠してます。全部万能さんのイタズラです。
サリーさん。君が本気を出したらどうなりますか?
「んん〜ん?この羽衣来てれば、多分光速を超える?」
待て待て。物理学に関わる行動を簡単に起こすんじゃない。
「その前に、そんな事したらアタシの身体が保たないよ。肉がボロボロ落ちちまう。音速は超えて、亜光速がいいとこかなぁ。」
どっちにしても、生物がして良いスピードじゃないなぁ。まいっか。ほれ、来なさい。
「行くぞ。我が主。」
スパァァァン!
「ちょっと!道場内でやらないでよね。そこらの壁にサリーが当たったら、この道場崩れちゃうでしょ。遊ぶなら外行って遊びなさい。」
亜光速で突っ込んできたサリーさんをハリセンで正面から打ち払い、亜光速で跳ね返されて飛んでいくサリーさんの足を壁寸前で掴む事が出来るのは、ミズーリ以外に誰が出来ようか。
「ふぎゃ!」
ハリセンに打たれた時よりも間抜けな声を出して、畳にペタンと張り付いたサリーさんはぐるぐる目玉になってます。
というか、みんなドン引きしてませんか?
そんなふうに、毎日のんびりとダラダラと、時々は馬鹿騒ぎをしながら過ごしています。
やがて、その日が来ました。




