鬼
「あれ、鬼なんですか?私が知る鬼とは全然違うんですが。それに、ここから見える限り、とても綺麗な女性に見えるんですが。」
姫さんが?マークを盛大に散らしながら、私の袖口を引っ張ります。
そういえば、帝国の方には鬼って出現した事あったんですかね。
「記録上、およそ20年程前には。」
ふむ。
「その頃は、まだ東部方面軍設立前で、この辺は唯の辺境だったそうです。私の母も帝都で暮らしていましたから。」
「あれはアタシが知っている鬼では無いな。」
「私は鬼をキクスイ南部の銅山で、乗馬がショック死を起こした程恐ろしい鳴き声を聞いています。王都でも死骸を見ています。でも、あの女性は、どう見ても唯の女性です。」
そうか、記録にしても伝承にしても、そして目撃例にしても、人が見た人が認識している鬼は巨人の鬼。モンスターの鬼なのか。
「ミズーリ。このまま飛行船は上空で待機。いざと言う時は、そのまま高く跳び上がれ。
そのまま離脱しろ。」
「分かったわ。」
それだけ言うと、私は飛行船から飛び降りた。
驚いた姫さんやアリスさんが何かを叫んでいたが、そこはそれ。
ミズーリは、私の意志を鑑みて一気に上昇していったので、その声は聞こえなかった。
サリーさんが飛び出して来なかった事も、おそらくミズーリの指示だろう。
大奥(?)を仕切っていると、普段から言っているだけあって、命令系統は絶対だった。
万能さんの力を利用して、重力加速度無視で膝のクッション一つで軽やかに着地します。
この辺は地形の関係からか、常に風が強く吹いて居る様だ。
ここに風車を設置するのもいいかな。
彼女は静かに待っていました。
そもそも人の顔を覚えていない私が言う事ではありませんけど、キクスイの湖で会ったあの人にそっくりです。
だと思います。多分。
『貴方様は、姉様を助けて頂いた瑞樹亨様ですね。』
フルネームを言われるのは、この世界で初めてかも知れない。
『卵。卵をお持ちですか?』
我が家に大切に保管していますよ。万能さんが常に守っていますし。
精霊やメサイヤの守りもあります。
なんなら、今ここに持って来ましょうか?
『貴方様がお持ちならば、お守りならば、それで良いのです。貴方様には、私の姉様を助けて頂きました。だから、私はここに来ました。』
ですか。
『貴方様には見守って居て頂きたいんです。貴方様が動く時、それは貴方様のお考えだけで動いて下さい。』
………。
『姉様はそうして助かりました。』
………。
『多分、次に鬼が動く時、世界は大きく変わります。鬼は恐らく滅びるでしょう。』
………。
『と、同時に人間も滅びます。』
………。
『仮に人間が滅びなかったとしたら、精霊とメサイヤが滅びます。私はその事を知っています。』
………。
『貴方様は、この世界を救える方。私はそれも知っています。』
………。
『だから、見ていて欲しいんです。私の世界が取る選択を。愚かな私達が取る選択を。その時、貴方様は………。」
言いたい事だけ言うと、鬼の女性は消えて行きました。…迷惑なんだよなぁ。
私の気持ちを慮んが如く、ミズーリが静かに飛行船が背後に降りてきます。
ふう。やれやれ。
姫さんとサリーさんが顔を涙でぐちゃぐちゃにして、飛行船に戻った私にしがみついてきます。
ほらほら、美少女が台無しですよ。
…どうしたもんかねえ。
うちの賑やかし2人がポロポロワンワン泣いて居るのをポンポンと慰めます。
残りの3人は平常運転です。
「だってトールさんだし。」
「トール様は鬼退治の専門家ですから。」
「(ねぇ)」
まあねぇ。
とは言うものの、少し考えたい事が増えました。
ミズーリさん。帰りましょう。
「良いの?」
いいの。アリスさんに空中散歩を体験してもらう為の飛行船出港でしたから。
えぐえぐ泣いてる2人の肩を抱きながら家に戻りますよ。
という事で、さてどうしよう。
2人はそれぞれ、精霊さんとメサイヤちゃんに任せて、私はソファに腰掛けます。
ミズーリが、淹れてくれたコーヒーをそっと置いていきました。
普段敢えて何にも考えてないというのに、あの鬼の女性が来ると考えさせられてしまう。
それは恐らく、鬼がこの世界の真髄を示しているという事なんだろう。
卵は?
ここからでも見える。壁に吊った棚に置いてある。
湖の頃からと違って、特に大きさは変わっていない。
ミズーリもそうだ。あの最初の村で再会した時は、唯の幼女だった。
卵とミズーリは、私と旅を重ねる事によって成長して来たが、この森に滞留して居る間は特に成長を見せていない。
何故だ。
この森と、キクスイの草原の違いはなんだ。
精霊とメサイヤが存在している事?
だが、両者の存在は、森のみならず、この世界の自然を守る存在だ。
対する、鬼の存在意義はなんだ?
そして、人間の存在意義はなんだ?
何故、人間か精霊メサイヤが滅びねばならない?
あゝもう、あゝもう。
頭をガリガリ掻きながら、家の中を見回してみる。
ミズーリは食卓でコーヒーを飲んで寛いでいる。彼女は一番の当事者であり、最も無関係な存在だろう。
今、彼女が考えている事は恐らく私が溜めつつあるストレスをどうやったら解消出来るか、だろう。
あれでも彼女は私の相棒なんだよね。
アリスさんとツリーさんは、冷蔵庫から出したミルクを分け合いながら、チラチラこっちを見て居る。
姫さんとサリーさんは、それぞれ精霊とメサイヤに囲まれて落ち着いた様だ。
このままだと、姫さんとアリスさんもしくはツリーさんとサリーさんが死ぬ。
ちょっと待て。精霊や霊獣が死ぬって言うのはどう言う事だ?
私は最近、どうやら精霊やメサイヤは何かのカケラではないのか?と言う推測を立てている。
元の私の故郷、日本では土地神という概念があった。実存するとかしないとか、そんな事はどうでもいい。日本には八百万の神がおり、その具現化の一つとして妖精や妖怪が考え出された。
つまりだ。
妖精や妖怪が死ぬという事は2つの事を意味して居る。
概念として規定している人間が死滅するか、自然が破壊され尽くされるか。
この世界には神が居ない。
日本における土地神は、決して高位な神とは認識されていない。土着信仰は、天界信仰とは一段下がる。
古事記でも似たような記述がされていたと思う。
鬼の目的はなんだ?
何故人間を殺す?
精霊とメサイヤの目的はなんだ?
何故人間が滅びなければ、精霊とメサイヤが滅ぶ?
なら、鬼の立ち位置は?
そして、彼女は見ていてくれと言った。
私達の愚かな選択を見て欲しいと。
同時に、私に好きに動けとも言った。
この2つは矛盾していないだろうか。
ならば、私が取るべき行動は?
そして、私の為に泣いてくれた2人を、2人共助ける方法は?




