9 星河祭りで起きたこと
星河祭りのパーティーの朝、ライラはリリーと侍女たちに手伝ってもらい身支度を始めた。
ライラが身に着けたドレスは青いグリッタードレス。上から下にかけて深い青から淡い青へグラデーションに染めた衣を使用し、その上で降り注ぐような星を彷彿させる刺繍が施されている。星の刺繍は上の方が細やかに密集されており、深い青が暗くならないようにしてある。
腰のリボンは薄い紫で、先日届けられたネックレスに合わせている。
髪型は普段結わずに流していた黒髪をハーフアップにしてもらった。
「さすがリリーね」
侍女のリリーは髪をセットするのが上手いので、髪飾りを使わなくても見栄えがよくなる。
それでも公城で行われるパーティーであるのでリリーはライラのドレスとネックレスに合わせた青い花のコサージュと白いリボンで飾り立てた。
「お美しいです」
リリーたちの称賛にライラはありがとうと微笑んだ。
フルートの入った鞄を手に持ち、ライラは馬車へと向かう。
◆◆◆
公城へたどり着くと音楽発表会が行われるホールへと案内された。演奏予定の女性たちは順番通り席に座らされていた。
順番通りにいくとライラは一番最後であった。
できれば早く演奏を終わらせて、ゆっくりと音楽鑑賞を楽しみたかった。
とはいえ、公妃の決めた順番に意見を言える訳ない。
ライラは自分の順番まで淑女たちの演奏に耳を傾けた。帝国では聞くことが少ない、公国の音楽である。
公国だけでも地域の特性が現れていると感じた。
公都がある南西地域は帝国のリズムに近いものを感じる。北の方は軽快で朗らかなリズムのものが多い。
どの女性も大公夫妻が選抜しただけあり、とても上手であった。
この後に演奏するのは少し気が引ける。表情には出ないが、ライラはかなり緊張していた。
案内人に声をかけられ自分の番が近づいてきたと実感する。舞台裏の控室に入ったライラはフルートを鞄から取り出した。
出発前でも確認したがフルートの状態を何度も確認する。
待機時間が長く感じてしまった。
次が自分の出番となりライラは舞台のすぐ近くまで呼ばれた。
自分の前の女性は綺麗な歌声を披露していた。オペラで人気の曲である。役者がいないのに、彼女の動作ひとつで今どこの物語か想像できてしまう。
やはり演奏者たちのレベルは高い。
拍手が流れ、ようやく自分が舞台にあがる番となった。
そういえば、自分がこのような舞台で演奏するのははじめてである。今まではお茶会の中で演奏をするのみであった。
人の視線の集中にごくりと喉を震わせる。
とにかく演奏に集中しなければとフルートを構えると、フルートに映る紫色の光が見えた。
胸元にはクロードが贈ってくれたネックレスがある。
気のせいか、胸元が少し温かいと感じた。
大丈夫だ。
ライラはフルートに口をつけ、演奏を始めた。北の音楽らしい軽快なリズムが流れ、人々は静まり演奏に耳を傾けた。
まるできらきらと輝く星が歌を歌っているような心地がする。
ほの暗い灯りのみのホールの中で瞼を閉じると満天の星空が見えるようだ。
まどろむ竜が目を覚ます、と解釈されている部分のところで外からピューッと声が流れて来た。
突然ざわりと騒ぎだされる。
ライラは一瞬演奏を止めようとしたが、特等席に座る公妃と目が合い慌てて演奏に戻った。
彼女がどんな表情を浮かべているか見えないが、構わず続けなさいと言われているように感じた。
演奏は何とか終わり、ライラは自分の席へと戻る。箱に愛笛を仕舞いこんだ。
休憩時間を挟み、次は庭園でのパーティーの時間となる。ホールから出ると空は美しい星が輝いており、帯状に連なる河が見えた。
ライラは女官の待合場所へと急いで、公女のいる部屋へと向かった。
「素敵だったわ、ライラ」
アビゲイル公女はライラに今にもとびかからん勢いで近づいてきた。
彼女の衣装はふんわりとしたレースが何重も重なったピンクのドレスで、まるで花の妖精のようであった。
髪型はライラに合わせたようにハーフアップで、赤い花のコサージュで飾り立てられている。
「どう? まるで姉妹のようでしょう」
アビゲイル公女はふふっとライラの腕に絡みついた。義理の姪とはいえ、身分はアビゲイルの方が上である。
妹のようだと思うのは烏滸がましいことと思うが、アビゲイル公女は可愛らしい。
「私ね、弟たちしかいないし姉が欲しかったの」
ライラが来てくれて嬉しいとアビゲイルは笑った。
「今日はよろしくお願いしたします。アビゲイル様」
ライラは改めて挨拶をした。アビゲイルはこほんと咳払いしてカーテシーを披露する。公城での礼儀作法の授業はしっかりと身についていた。
「アルベル夫人、姉さまをよろしくね」
テーブルの方でお茶を飲んでいた少年が、声をかけてきた。アビゲイルより一つ年下の弟・リオン公子である。
結婚式の時に挨拶を交わしたことがあるので覚えている。
14歳になったと聞くが、雰囲気が大人っぽかった。
嫡男ということがあり、13歳で社交界デビューを果たしていると聞く。
アビゲイル公女からは弟のくせに生意気だと頬を膨らませていたのを思い出した。
今回はアビゲイル公女のエスコートをする役目で同じ部屋に待機していた。
「リオン公子、お久しぶりです。今日は公女様のシャペロンの役目を頑張りたいと思います」
「少し暴走しやすいから一緒に抑えるんだよ」
こそこそと言っているようでアビゲイル公女にしっかりと聞こえている。
「まぁ、リオン。私よりも年下なのに何て生意気なことを言うの」
「事実でしょう。今も、髪型を夫人と合わせたハーフアップにしたいと我儘言って女官を困らせて」
演奏会が開始されたときは別の髪型であったが、ライラの演奏が終わったら女官に無理を言って変えてもらったようだ。
アビゲイル公女の侍女は慣れているようで特に気にしていない様子であった。
「でも、こんなにお揃いで素敵じゃない」
「僕は心配です。これで帝国に嫁ぐと思うと」
ため息をつくリオン公子にアビゲイル公女はむっと唇を尖らせた。
「行きましょう、ライラ。リオンなんて置いていっちゃいましょう」
ライラの腕を掴み、アビゲイル公女はパーティー会場へと向かった。
「ほら、夫人を困らせない」
リオンはやれやれと後をついていった。途中で宥め、アビゲイル公女の手をようやく掴みエスコートしていく。
「リオン公子、登場。アビゲイル公女、登場。アルベル辺境伯夫人、登場」
掛け声とともにパーティー会場に現れると招待客たちは一斉に視線をこちらに向けた。
アビゲイル公女は使用人から飲み物の入ったグラスを手にしてかざす。
「今日の星河は一段と美しいです。きっと護竜もこの星空を眺めていることでしょう。リド=ベルに祝福を!」
彼女に合わせて一斉に客人たちのグラスが掲げられる。
星がよくみえるようにほの暗い灯りだけにしているが、アビゲイル公女は輝いてみえ人々を惹きつけた。
アビゲイル公女とリオン公子への挨拶が続く。
アビゲイル公女が多くの貴族の相手をしている間、ライラは少し離れたところで様子を見守っていた。
そうしていると何人かの貴族がライラに声をかけてくる。
「先ほどの演奏は素晴らしいものでした」
「ありがとうございました」
何とか終わってひと段落、今は最後の仕事に集中である。
「きっと最優秀賞はあなたでしょう」
「それはわかりません。他の方々の演奏が素晴らしいので」
ご謙遜をと紳士は笑う。
「あなたが演奏した時に外から鳴き声が聞こえたのを覚えていますか? あれはもしかすると護竜だったのかもしれません」
まさかとライラは心の中で笑った。きっと鳥か動物の鳴き声がそう聞こえただけであろう。
「本当に偶然とは思えない程の演出でした」
横から声をかけてくるのはライラと同じ年ごろの令嬢であった。金色の髪に白い肌の美しい少女である。大きな緑の瞳が印象的であった。
「はじめまして。私はアンナ・ヴィノと言います。私も発表会に参加させていただいていたのですが覚えていますか?」
名前を聞き思い出した。はじまりから5番目の演奏を披露した令嬢である。楽器はヴァイオリンであった。
「ヴィノ令嬢、あなたのヴァイオリンが素晴らしかったので覚えています」
にこりとアンナ・ヴィノは笑った。
「私、びっくりしました。まさかあのような仕掛けもして良いなんて」
「仕掛けとは何のことでしょうか」
「演奏中に竜の鳴き声を模して流させたのでしょう。あなたの演奏で護竜が目を覚ましたと観客に錯覚させるような演出で私は感激しました」
棘のある言い方にライラは眉をひそめた。
どうやら彼女は演出の為にライラが準備した音だと言いたいようである。
「私たちは今日の為に一生懸命練習したのですが、最優秀賞はあなたのものになるのですね」
まるで八百長のように言われるが、ライラには身に覚えのないことである。
「これからの社交界を引っ張る存在として期待しております」
相変わらずとげとげしい言葉にライラは何といえばいいのだろうかと悩む。
「それで私はあなたに忠言を申し立てます」
アンナ・ヴィノの言葉にライラはめまいを覚えた。
「男漁りもほどほどになさいませ」
いくら辺境伯に相手にされなかったからといっても、妻になったのだから慎ましさを持たなければ。
アンナ・ヴィノは歪んだ笑顔で口にする。
男漁りとはいったいどういうことだ。
震える声で質問する。
「街中で、弟に声をかけたそうですね」
弟ということでライラは「ああ」と心の中で納得した。
苗字を聞いた時に警戒すればよかった。
彼女はヴィノ伯爵家令嬢であり、街中の喫茶店で騒動を起こしたジェノス・ヴィノの姉であった。
ライラへの仕返しも兼ね、姉がこうして社交界でライラの顔に泥を塗ろうとしたのだ。
「私はそのようなことしていません」
「ひどく甘えたように手を掴んで、遊び人の弟もさすがに人妻に手を出すのは憚れて丁重に断ったと言いますがあまりにしつこくて困ったと言っていました」
でたらめの内容にライラは拳を握りしめた。
まさかこのような場で、侮辱を受けるとは思わなかった。
「途中から、全く誘いにのってくれないからとあのような酷い言葉を投げつけるなど。弟もショックを受けてしまいました」
アンナ・ヴィノは困ったようにため息をついた。
「弟に謝ってほしい気持ちはありますが、せめてあなたには今後の身の振り方を気を付けていただきたいです。氷姫様」
最後の呼び名であたりは帝都での噂を口にし出した。
アンナ・ヴィノの狙いはここでライラの印象を悪くさせることである。噂に流されやすい貴族たちのライラに向ける視線はあまりに冷たいもので、ライラは胸が締め付けられる心地だった。
「氷姫とは何のことだ?」
後ろからかけられる声にライラは俯き応える気力が起きない。
ざわめきが別のものに変わっていたが、耳に入るのを拒絶してしまった。
突然肩を掴まれ、ひきよせられる。何が起きたのだろうかと思えば、ライラは男の胸に身をゆだねる姿になった。
ようやくあたりの様子をみると先ほどの冷たい視線は消えている。
アンナ・ヴィノも青ざめてライラの隣の男を見ていた。
「教えてほしい。氷姫とは何だ?」
ライラの隣にいたのはパーティー用の礼装を身に着けたクロードであった。
「え、と……帝都での私のあだ名です」
「そうか」
クロードは理解したか不明だがゆっくりと頷いた。
「北の領主である私の元へ嫁ぐのに相応しい名だな」
感心したような様子であるが、そういう由来ではない。しかし、今は説明する気力もない。
「アルベル辺境伯様、まさかパーティーに来られるとは思いませんでした」
「ああ、公城の社交界だからさすがに妻のエスコートをしないのはまずいと飛んで来た。既に北の方は部下たちに任せられる程落ちついてきたことだし」
別館には戻る話は聞いていなかった。クロードはここまでくる経緯を話した。
「馬を走らせたが、公都に到着したときは星河がしっかり見える頃合い。直接公城へと訪れ、パーティー会場に入る前に、公妃に見つかり捕らえられて気づけばこのような姿になっていた」
公城に訪れた時がどんな姿だったかと想像が容易にできた。
きっと砂埃で汚れた旅衣装であったことだろう。公妃のかんかんに怒る姿が目に浮かぶ。
「それと先ほどヴィノ伯爵令嬢が仰っていた男漁りの件というのはどういうことだ?」
聞かれたくない内容にライラは弁明しようとするが、その前にアンナ・ヴィノが口早く話した。
静かにクロードはその話を聞き、眉間に皺をよせ表情が険しくなっていく。
かなり怒っているとアンナ・ヴィノはほくそ笑んだ。
ここで夫にも呆れられて公国のどこにも居場所がなくなることだろう。
実はアンナ・ヴィノは密にクロードに憧れていた。
少し野暮な面があるが、顔立ちが整っていて好みであり、公国の英雄と持て囃されており自分の夫の条件としては申し分ないと考えていた。
彼の妻になりたく、父に頼み何度も婚約の打診をしてもらっていたが一向に良い返事がもらえない。
そうした間にライラとクロードの婚約が決まりアンナ・ヴィノは地団太を踏んだ。
そこで弟がライラに喫茶店で恥をかかされたという話を聞き、ライラを社交界で陥れてやろうと目論んでいたのである。
「ライラ、その話はどういうことだったのだ?」
クロードはライラの方へと向いた。
「今話した通りですわ。アルベル辺境伯様! あなたを傷つけたくはなかったのですが、黙っていられなかったのです」
アンナ・ヴィノの声にクロードはじろりと睨みつけた。その視線はあまりに冷たく、恐ろしいものでアンナ・ヴィノは「ひっ」と悲鳴をあげた。
クロードが公都の令嬢に対してそのような視線を向けたことなど一度もなかった。
今にも殺されるのではないかとアンナ・ヴィノは引き下がる。
「私は、ライラに聞いているのです」
クロードはアンナ・ヴィノに対してはそれだけ口にして、すぐにライラの方へ向き直った。
「どうなのだ。ライラ」
しっかりと自分の方を見つめるクロードの瞳は先ほどの険しさはない。少し困ったような表情であった。
気づくと先ほどまでの苦しさは消えていた。
「嘘です。実は……」
ライラは喫茶店で起きたことを話した。喫茶店の給仕の少女に対する横暴な態度、肉体関係を強制したところを隠さずに話す。
「嘘ですわ。弟は確かに遊び人ですが、平民の娘にそのような行為はいたしません」
貴族の間では良い顔をしているようでジェノス・ヴィノの行いに周囲は信じていいのかと囁きあった。実際は大臣として権力を持つヴィノ伯爵を敵に回したくないだけだ。
「アルベル夫人の言っていることは事実ですよ」
人ごみの中から失礼しますと騎士が現れた。クロヴィスである。
「アルベル夫人に怒って手をあげようとしたところを私が止めました。私が証人です」
ヴィノ伯爵家より爵位が高いカディア侯爵家嫡男の言葉を聞き、人々はようやくライラの話を信じるように囁く。
人というのはあっさりと流されてしまうものなのねとライラは感心した。
「なるほど、つまりヴィノ伯爵家令息は平民の娘を権力で物言わせようとし、それを止めようとした私の妻にも手をあげようとした……ということか」
そして、とクロードの表情が再び険しくなる。
「この場で私の妻を侮辱し陥れようとした。そういうことかな、ヴィノ伯爵家令嬢」
青ざめたアンナ・ヴィノはふるふると震えた。
「あ、私は弟に言われて……信じてしまったのです」
自分は悪くないと言わんばかりの態度で、涙を浮かべる姿は弱り果てた淑女そのものでそれ以上誰もアンナ・ヴィノを非難できなかった。
「そうですか。次からは弟の意見だけではなく、双方の意見を聞いてから判断してください」
クロードは呆れてため息をついて、アンナ・ヴィノに対してそれ以上追及はしなかった。
「ヴィノ伯爵!」
観衆の中に紛れ込んだ紳士の名をクロードは大声で呼ぶ。
視線は一斉に一人の紳士に集中した。
あの人がヴィノ伯爵なんだ。
ライラは改めて子供に甘い大臣の姿をまじまじと見つめた。
「令息に伝えてください。明日の夜までに妻に謝罪をするように。その必要がない、と言われるのであれば決闘しましょう」
「は、はい。愚息に必ず伝えます。謝罪を改めてさせていただきますのでどうか穏便に」
決闘という二文字にヴィノ伯爵は青ざめた。公国の英雄に対して自分の子が敵うわけもない。
これからは子供たちに厳しく言いつけるから許して欲しいと頭を下げた。
何とも情けない姿である。
先ほどまで受けた侮辱への怒りがないと言えば嘘になるが、ヴィノ父子らを何とかしてやりたいという気は失せた。
クロードの冷たい視線が直撃したのだからきっと怖かったことであろう。
横で見ていたライラですら怖いと思ったのだ。
騒動の後、大公夫妻が登場して、先ほどの演奏の成績を発表した。
最優秀賞はジュリエット・モーガン子爵令嬢であった。確かに美しい歌であった。
後で聞いた話であるが、ライラの演奏が一瞬途絶えたりしなければライラが選ばれていたという。
不意打ちとはいえ、ライラは悔しいとは思わなかった。
他の淑女たちの演奏はとても素晴らしいものだったからだ。
可能であればしっかりと堪能したかった。
ライラの心残りといえばそれである。
前辺境伯夫妻がアベル・カットを伴い挨拶に来てくれた。残念ねとアリサ夫人は慰め、次の発表の時は絶対優勝よと激励された。
来年はもしかすると緑の館で猛特訓しているかもしれない。
前辺境伯が冗談めかしに言ってライラは苦笑いした。