7 星河祭りでの役割
久々の公妃からの招待にライラは城用のドレスを着て参上した。
本日の要件はライラにリクエストの曲を教える為であるという。その為フルートを持参するようにと言われた。
ライラはフルートの入ったケースを大事に抱え公妃のいる部屋へと向かう。
廊下の途中に大きな絵が飾られておりライラはふと視線をそちらへと向けた。
以前も見た気がするのに何故か今気になってしまう。
大きな絵画には光り輝く美しい竜が描かれていた。雪の世界の中で凛として佇む姿は目を惹く。
「護竜の絵です」
女官が向かう先から若い少女の声がしてライラは視線をそちらへと向ける。
成人を迎える前の美しい少女であった。身に着けているドレスと、女官の態度から高貴な方というのがすぐわかる。
公妃と同じ亜麻色の髪の美しい少女であった。
この国唯一の公女であると気づきライラは礼をとる。
「楽にしてください。アルベル辺境伯夫人」
公女は邪気のない笑顔でライラに声をかける。
「アビゲイル公女殿下、はじめてお目にかかります」
「はじめまして、ライラ……と呼んでいいかしら」
アビゲイルから見ればライラは臣下の妻である。好きなように呼んで構わないとライラは頷いた。
「私のことはアビーと呼んで」
目をきらきらとさせて言う少女にライラは困った表情で女官の方を見つめた。
「殿下、夫人が困ってしまいますよ」
「えー、だってライラは私の叔母様でしょう。なら呼んでふしぎじゃないでしょう」
クロードが大公の弟とはいえ、臣下である。身分がしっかりと定まっており気安く呼ぶのは憚れた。
拗ねた表情でアビゲイルはしょうがないと呟いた。
「それじゃあ、名前で呼んでほしいわ。公女とか殿下とかはつけないで」
「アビゲイル様……とお呼びして良いのでしょうか」
「もちろんよ。あなたに出会うのを楽しみにしていたわ。本当は結婚式に行きたかったのだけど、風邪をひいてしまって残念だったわ」
確か結婚式には二人の公子のみで公女の姿はなかった。
「お母さまとの用事が終わったら私の部屋に着て頂戴、私は姉が欲しかったの」
アビゲイルは長女であり、一番上の子であった。その為か姉・兄というものに強い憧れを抱いているようだ。クロードのこともクロ兄様と呼んでいるそうだ。
「わかりました。後でアビゲイル様の部屋をお伺いいたします」
アビゲイルの招待を快く受けてライラは後にした。
公妃の待つ部屋へ訪れてライラは挨拶をした。ライラ以外の淑女も直接公妃から譜面を預けられるという。
「あなたに披露して欲しい曲は『月と星の歌』よ」
聞いたことがある曲である。公国に伝わる曲で、ピアノやハープの方が主な楽器だっと思う。
兄が聞かせてくれた曲を思い出した。
「ピアノの方で披露した方がよさそうですね」
「あなたにはフルートで演奏してほしいのよ」
楽譜を眺めてライラは眉をひそめた。
フルートで演奏できなくないが、難しい箇所もあり練習が必要だ。
残り12日で完成できるだろうかと不安になる。
「何故フルートにこだわるのでしょうか」
ピアノ演奏をする令嬢に委ねた方がよさそうだが。
「笛の響く声は護竜にとって子守唄になるからよ」
護竜という単語を聞き先ほどの絵画を思い出す。アビゲイル公女があの絵画の竜をそう呼んでいた。
護竜については一応公国の古典のひとつとして勉強している。
公国は帝国の一部になるずっと以前は竜の国と呼ばれていた。厳しい冬、閉ざされた雪の世界であるが護竜が人の住める土地に作り替えてくれた。
そのように頼んだのが笛吹きの少女であった。彼女は筒状の笛、フルートに似た楽器で音楽を奏で護竜たちの心を豊かにしていった。
彼らにとって少女の曲は子守唄のようなものであり、何よりも愛した。
彼女が生きられるように護竜は雪の動きを変え、季節を作りだし、作物が実るようにしてくれた。
冬の雪は激しい時もあるが、春になれば雪は溶け豊かな水を届けてくれる。寒さに耐えた土地は新たな芽吹きを見せてくれる。
長く穀物は実らないと言われていた土地に麦を育ててみると実りを見せてくれる。
冬の獣や魔物たちは護竜の動きに警戒して人々をむやみに襲わなかった。護竜が唯一畏れたものは雪ムカデであるが、勇ましき戦士たちが協力して雪ムカデを退治して護竜を守った。
次第に住む人が増えていき、ひとつの国として形成されるようになった。
リド=ベルは古い言葉で「竜が歌う」という意味だと教えられた。
帝国の支配が深まり、古くから伝わる慣わしは禁じられた。定期的に行われる雪ムカデ狩りも行えず、護竜の姿は消えていった。帝国の手が届きにくいアルベル辺境伯領の一部の土地で見ることができると聞くが、最後に見たという声は150年前のことである。
アルベル辺境伯領に雪ムカデの出没率が他より圧倒的に高く、護竜はあっけなく食い尽くされてしまったのだろうと言われていた。
「でも、もしかするとまだ護竜は公国のどこかに隠れているかもしれない。ひょっとしたら公都の地下にいたとすれば、あなたのフルートを聞いてひょっこり顔を出すかもしれない」
星の河は公国の古い言葉で竜のゆりかごと呼ばれている。伝承の少女がこの星の河が見える場所で、多くの護竜に子守唄を披露していたのが由来である。
「さすがにそれはちょっと期待しすぎではないでしょうか」
「でも、あなたのお兄様は有名な教会でピアノを披露して天使を呼んだと聞いたわ」
確かにそんな話があったような。
ライラが幼少時のことである。
兄のトラヴィスが聖ユルファ教会でピアノ演奏をしたときのことである。第四の帝都と呼ばれるユルファ周辺で酷い日照りが続いた。水が十分に得られず穀物が育たず、疫病も蔓延し人々は苦しんだ。
トラヴィスは支援物資を届けるために慰問した。子供から演奏をねだられ兄は傷病者の慰めになればとピアノを演奏した。
演奏を続けていると兄のいる教会のガラスが強く光った。まるで何かが訪れたかのような気配がしたと思えば、日照り続きだった空に雨雲が集い降り始めたのである。
雨は数日続き日照りの問題は解消された。
トラヴィスが訪れた後、帝都から治療の人員が確保されたところで十分な医療体制を築くことができ疫病も少しずつ治まっていった。
ユルファの人々は天使が兄の演奏を聞きつけて、願いを聞き届けてくれたのだろうと考えた。
帝都でも、兄のことを天使に愛されたピアニストと呼び、しばらく兄は色んな社交界で演奏に呼ばれていた。
兄からすれば雨が降ったのは偶然だろうと笑っていたが、ライラは目をきらきらとさせて天使の話をねだり困らせたものである。
その妹であるライラもきっと演奏すれば何か起きるかもしれない。
公妃はそれを期待しているようだ。
そんなことはない。
ライラは首を横に振った。
「公妃様。その期待は私には、荷が重たいです」
今なら兄の困り様が理解できる。
「もちろんそんな護竜が姿を現すとは思っていないわ」
くすくすと公妃は笑った。
「これは大公の望みなの」
今回の演奏リクエストは公妃の希望だと思っていた。
ここで公国の主が出てくるとは予想していなかった。
公妃が続けて説明してくれたが、公城には護竜の墓がある。
整備された庭に佇む祠であり、星の河がよく見える場所である。
墓の主は伝承の少女と一番仲が良かった護竜であった。そしてリド=ベル公国の前身の国の形成に深く関わった建国の神である。
彼の好んだ曲が『月と星の歌』であった。
ライラのフルートの噂を聞き、大公は次回の星の河のパーティーで是非披露してほしいと願った。
「わかりました。パーティーまで何とか披露できるようにしてみます」
不安はあるが、話を聞くと断りづらい。
公国にとって護竜は国のシンボルであり、大事な存在であった。
ライラは公国の臣下であり、大公が望んでいるのであればやるしかない。
「よろしくね」
公妃は嬉しそうに笑った。
◆◆◆
楽譜を受け取った後すぐに練習で館に戻りたいところであったが、アビゲイル公女との約束の為に彼女の部屋を訪れた。
女官に案内してもらうとアビゲイル公女は嬉しそうに部屋から飛び出して来た。
「ようこそ、ライラ」
部屋へと引っ張り込まれた。
彼女の部屋は油の匂いがした。
「アビゲイル様は絵を嗜んでおられるのですか?」
「わかるの? ええ、そうよ」
部屋は広々とした空間であった。開け放たれた奥の部屋が存在しており、寝室と思いきやそこは小さなアトリエであった。
ライラが訪れるまでアビゲイルはこの部屋で過ごしていたのがわかる。
アトリエいっぱいに置かれた画材と絵具、帝国で人気の道具もあり、なかなか手に入らない海外のものも揃えられている。
先ほどまで作業していたであろう画材には美しい雪山の景色が広がっていた。天には美しい星と月が歌っているように見える。
「『月と星の歌』のよう」
「そうよ。わかるのね」
先ほど公妃に楽譜をいただいたから想像できただけであるがとライラは苦笑いした。
「でもまだ途中なの。まだ竜をどう描けばいいのかわからなくて」
脇に広がるのは竜の描かれた本がひたすら積まれている。これだけ調べてもイメージが浮かばないのだとアビゲイルは残念そうに語った。
絵画の中にぽっかり空いている部分がある。そこに護竜を描こうとしているのだろう。
「ライラが『月と星の歌』を演奏してくれるのでしょう。私、とっても楽しみなの」
次は絶対に体調を崩さないようにしないと。
公女は笑う。
「もしかすると護竜が起きてくれるかもしれない」
それはないとライラは言いたいが、楽しみにしている少女に水を差すのもどうかと口を閉ざした。
「現れなくてもいいわ。音楽を聞けば良いイメージが湧くかもしれない」
途中の絵画を見せたくてアビゲイルはライラを呼んだのである。
「今度の星河のパーティーは私のデビュタントになるのよ」
アビゲイルだけではなく、同年代の貴族令嬢もデビュタントを迎えるという。
「おめでとうございます」
「ふふ。私ね、あなたに私のシャペロンをお願いしたいの」
シャペロン、社交界デビューの介添人の役目である。
公女のシャペロンとなると責任重大であり、ライラは硬直する。
演奏についても頭がいっぱいなのに。
「私に務まるでしょうか」
「そんなに重く考えないで……」
「ちなみに公妃様はなんとおっしゃいましたか?」
先ほどの会話では特にシャペロンの話も公女の話も出ていなかった。
「お母さまは、ライラが良ければよいと言ってくださったわ」
負担になれば断ってもいいと言ってくれる。公女自らのお願いを断るのはなかなか勇気がいる。
「何故私なのでしょうか」
まだ公国の社交界に慣れていない身である。アビゲイル公女であればもっと相応しい夫人がいるだろう。
「私、1年後には帝国へ嫁ぐの」
まだ内密の内容であるが、アビゲイル公女は帝国の第三皇子の妃になる話が進められている。
デビュタントを迎えた後は帝国の学問を徹底的に教え込まれる。
「私の叔母でもあり、帝国貴族であったあなたが一緒なら心強いと思うの。だから、お願い」
アビゲイルはぎゅっとライラの手を握った。断らないでほしいと願わんばかりの手の力にライラは思わずうなずいてしまった。
よく考えればシャペロンを全うすれば、エスコートがいないことに色々と言われなくなるのではなかろうか。
アビゲイル公女のシャペロンについては演奏が終わった後だし、ちょっと気を引き締める時間が長くなるだけだ。
忙しいクロードには後でシャペロンを引き受けたことを伝えよう。
シャペロンの役割に専念したいため、エスコートも必要なくなったということも。
そうすればクロードの気も少し楽になるはずだ。