7 祭りの前の誘惑
狩猟祭が開始される朝にライラはクロードへハンカチを贈った。
竜と狐が戯れる絵柄をみてクロードは思わず笑った。
「随分と力作だな」
「色地が暗めのハンカチにしておけばよかったと思います」
竜も、狐も真っ白な毛並みであった。白いハンカチでは少し見栄えがしない。
ライラは少し反省してしまった。完成する前に気づけばよかったが、夢中になってしまった。
「それでも良い品だ。大事にしよう」
クロードは剣の束にハンカチをくくりつけていた。そういえば、束に別の布がくくりつけられている。
もとは白地であったようだが、ずいぶんと汚れてしまっているなと眺めて刺繍の一部をみてライラは思い出した。
「そ、それは」
思い出してしまった。
去年クロードに贈ったひまわりの刺繍のハンカチである。
当時としては良い出来だと思ったが、今みると若干歪んでいるようにみえる。
「もうぼろぼろでしょう。後で新しいのを作りますので、回収させてください」
顔を赤くしてライラは古いハンカチに手をかけたが、その上にクロードが手を覆う。
「ダメだ。どちらも私の大事なものだ」
クロードはかたくなに譲らなかった。
ライラの手を握り、手の甲に口づけをする。
「そなたを秋の女王にするから楽しみにしていてくれ」
クロードは不敵に笑った。ライラは顔を真っ赤にさせた。
アベルの時もときめいたし、兄の時もときめいたが、今のはその比ではない。
そもそもクロードの顔が反則なのだ。
ライラはそうに決まっていると自分に言い聞かせて両頬を両手で覆って熱を冷ましていた。
「ライラ、兄の元へいかなくていいのか?」
ライの言葉にライラははっと我にかえった。そうこうしているうちに祭りが始まってしまう。その前にもうひとつのハンカチを渡しにいかなければならない。
ライラはライを伴い、トラヴィスの陣へと向かった。
トラヴィスの陣の近くに第三皇子の陣がある。当然アメリーもいるはずだと警戒しながら進んでいったが、不思議なほどアメリーに遭遇しなかった。
ライラはトラヴィスにハンカチを渡して、そそくさと立ち去った。
クロードの陣へ戻った後は、クロードの姿がなく騎士に声をかける。
どうやらクロードは最後の調整と弓の調子を確認しに行っているようだった。
先ほどの誓いから随分と意気込んでいる。
それでは邪魔をしてはいけない。ライラはライとともに狩猟祭が始まるまで陣で待機することとした。
場面はライラからクロードの方へと移る。
人の少ない訓練場で弓の状態を確認しているクロードの元へ近づく少女がいた。
「うふふ、ようやく会えました」
無邪気な笑顔で近づく少女にクロードは眉をひそめた。できれば一緒にいるのは避けたいところであるが、公国が招いた客人の一人であり臣下として粗野に扱えない。ライラの従妹でもあるし。
「ノース夫人。何か用ですか?」
クロードは形式的な言葉を選ぶ。アメリーは首を傾げた。
「そんな他人行儀な呼び方はおよしになってください。どうか、私のことはアメリーと」
他人行儀も何も、他人ではないか。
のどからでかかった言葉を飲み込み、クロードは首を横に振った。
「そういうわけにはいきません。あなたは第三皇子のご友人で、夫人でしょう」
「そう、そうね」
アメリーはうつむいた。うるんだ瞳から大粒の涙が浮かび上がってくる。
「でも、あなたもご存じでしょう。もとは、私はあなたの妻になる予定でした」
そういえばそうだった。
ライラの前の婚約相手の名前などすぐに忘れたし自分には関係ないと名前を覚える気も起きなかった。
聞いてもすぐにアメリーの名を忘れてしまう程度である。
「でも、あなたは帝国に意中の相手がいるといい急遽ライラが代わりに花嫁となった」
「あれはライラお姉さまが、無理やりっ……私はあなたのもとへ嫁ぐのを心よりお待ちしていたのに、私にノース子爵を押し付けてあなたを奪われてしまったのです」
しくしくと泣く少女は確かに美しく愛らしくもみえる。だが、クロードの好みではなかった。
すでにクロードはライラという花嫁に心奪われている。
「そうですか。ですが、もう過去のこと。今の私の妻はライラです」
「そんな冷たいことをおっしゃらないで。どうか、私のことをみてください」
アメリーは甘い声でクロードの方へ近づいた。すっとクロードの腕に自分の手を添わせ、彼を蠱惑的に見つめた。
その瞳をみてクロードはぞわっと背筋が凍った。
この瞳をみていると思い出してしまう。
修道院にいたとき自分の美貌を褒めて体に手を這わせた司祭らのことを。
ようやくクロードはアメリーに感じた嫌な感情を理解した。
アメリーは似ている。クロードがこの世で最も嫌悪した人たちに。
外面はよくしているが、内側にはどす黒い欲望を抱え、聖人らしからぬ奴らとアメリーは同じ瞳をしていた。
「やめろ!」
クロードは後先考えずに腕を振り払った。
「きゃあ!」
アメリーは石畳みの上にしりもちをつく。
そのはずみかわからないが、アメリーが耳につけていたイヤリングにぴしっとヒビが入る。
しばらく震えたクロードはようやく正常に戻りアメリーを見つめた。
アメリーはうるんだ瞳でクロードを見上げた。
「どうして、私を見てくださらないの。元はあなたの妻は私だったのです。私をみて思いませんか? 私のように美しい妻を得られたかもしれないことを、残念に思いませんかっ!」
「すまないが私はそなたと一緒にならなくてよかったと感じている。そなたと私は根本から合わない」
ライラと一緒になれたことこそ喜んでいるといいたいが、そこまでいうと彼女の感情に油を注ぎこんでしまいそうだ。
「何も言わずに第三皇子の陣へお戻りください。私はこの時のことを忘れます。あなたも忘れた方がいいでしょう」
だが、一応言っておく。警告しておいた方がいいだろう。
「ライラに何かすれば私は容赦しない。女であろうとそなたへ決闘を申し込むことだろう」
「私はあなたの妻になるはずだった女よ! 私の方がライラお姉さまよりもずっと美しいのに」
アメリーは叫んでクロードを呼び止めようとしたが、クロードは聞く気になれず会場へと戻った。
クロードは一切アメリーの方へ振り替えることはなかった。
だから彼女の表情がどのようであったか見ていない。見えていなくてもだいたいは察しがつく。
背中がアメリーの視線でちくちく刺さったような気がしていた。
彼女の表情は強くクロードをにらみつけていた。その視線は今まで彼女から宿したことがないほどの怒りである。




