8 大公の心情
夕飯が終わった後、ライラはアビゲイル公女に部屋へ招かれて話をしていた。
別の部屋、リチャード大公の部屋には今頃クロードがいる。酒を飲みながら相手をしていることだろう。
「ねぇ、ライラ。ハン族の人ってどんな感じなのかしら?」
アビゲイル公女はいくつか質問した。
今まで北の蛮族としか認識していなかったが、昼のアルティナ帝国の書物、ハン族の青年が置いて行った研究メモをみて興味を抱き始めたのである。
彼女の気に行ったものは魔物の観察記録であった。魔物のスケッチは彼女が気づかなかった特徴を指摘されていた。
「アビーがこんなに北の異民族に興味を持つなんて思わなかったわ」
「うん、だって面白いのよ」
アビゲイル公女が思い出したのは、古めの紙に描かれているのは筆で描かれたイラストである。鉛筆を使えばもう少し緻密に書けただろう。もしくはもう少し細い筆を使えばよかったのに。
震える手で書かれた魔物の絵は、アビゲイル公女を強く惹き寄せた。
「私、あの絵、好きだわ」
オズワルドにお願いしたが、貴重な資料であり持ち去ることは叶わなかった。アビゲイル公女はスケッチブックで例の絵を写し描いた。細かい部分は似ていないが、かなり原型の絵に寄せてある。
「筆で線を描けるようになればもう少し似た絵になったけど」
アビゲイル公女は少し不満そうであった。
「ふふ……」
見ていてなんだかおもしろくなってしまう。
アビゲイル公女の心をひきよせるイラストがまさかベンチェルの昔描いたスケッチとは。
「ねぇ、この絵を描いた人ってどんな人なの?」
「一言でいうと変わった人ね。なんだか興味ないことにはぼうっとした感じ、話を聞いているのかわからない感じ。その癖突然冗談を言い出すからびっくりするわ。しかもその内容がとても洒落にならなくて笑えない」
「ふぅん、何だか想像したハン族とは何だか違うわ」
馬を走り回って、至る村を襲い略奪を繰り返す蛮族。アビゲイル公女はそう聞かされていた。
半分は帝国から流れたアルティナ帝国とそれに類似したハン族のイメージであろう。
「悔しいわ。もう少し時間があればハン族やアルティナ帝国について調べられたのに」
アビゲイル公女はこれからの自分の生活を残念に感じた。
今彼女は帝国に嫁ぐ為の準備をしている。本格的な妃教育は帝都へ入ってからであろうが、それでも帝国貴族に侮られない為基礎教養の徹底化をはかっていた。
所作ひとつでも帝国貴族からどうみなされるかわかったものじゃない。
そういえば、改めて彼女の礼儀作法は随分と洗練されたように思う。夕食の時リチャード大公に言われたのか、挨拶を形通りしていたアビゲイル公女の姿を思い出した。
「今は礼儀作法だけで手いっぱいよ。公都に帰ったら、今度は発音の練習……帝国の人間からしたら私って随分なまっているようなの」
確かにあまり気にしていなかったが、一部イントネーションが異なる。
絵を描く時間が減ったこともアビゲイル公女には不満であった。
それでも、何とか例の護竜の絵だけは完成させたいと頑張っているようだ。
「私が帝都に行くまでには完成させるわ。だから、みにきて。何だったら秋の狩猟大会に」
「狩猟大会?」
「ええ、ライラは大会前にアルベルへ行ったから知らないわよね。秋になると大公主催の狩猟大会が行われるのよ」
すごいおおがかりなイベントのようである。
公国の貴族、騎士たちがこぞって参加する。
「第三皇子も今年は参加するのよ。お父様が招待するんだって」
アビゲイル公女は困ったように笑った。
婚約者との初顔合わせになるという。
「ピンとこないわ。その人の妻になるとか」
「はじめはそんなものよ」
「ライラはクロ叔父様とうまくいっているからいいわ。クロ叔父様は残念なくらい女気がないのも今となっては良かったのかも」
ライラは苦笑いした。
今の言葉からアビゲイル公女は知っているのだ。第三皇子カイルにアメリーという恋人がいることを。
「でも、しょうがないわ。昔から決められていたことよ。公国の為にもちゃんと義務を果たさないと」
アビゲイル公女はそれでも公女としての立場を理解し、受け入れていた。
「帝都にたどり着いたら、ライラの家族に挨拶したいわ。いいかしら」
「ええ、……あ、でも第三皇子の訪問で同席されるかもしれません」
ライラの兄は外務省官僚としアルベルと公国との交流を積極的に行っている。今秋の狩猟祭に参加するかはまだわからないが、以前の手紙で去年の冬に公都のパーティーに参加したと書かれていた。
「もし、いらしているなら挨拶をさせてね」
「はい」
少しでもアビゲイル公女の気分が軽くなればよいのだが。ライラは兄の来訪を願った。
公都で再会を果たせれば、出産のお祝いもしておかなければいけない。
◆◆◆
クロードは酒を飲みながらライラから聞いたアメリーの情報を伝えた。
リチャード大公は額に手をあてて考えた。
「幼少時からそれであれば天性のものだろうな」
子供のいざこざで済めばいいが、事態はそういかない。
リチャード大公は帝都での噂を既に集めていた。
今のアメリーは第三皇子の館に滞在し、皇子妃のようにふるまっているという話である。皇帝、皇后も第三皇子に注意を促したが全く聞く様子はない。
皇太子妃がアメリーの姉だということで、彼女も注意をしたが一向に聞く様子はない。
正直に言えば評判は芳しくない。
それでも自由に振る舞うことができるのは彼女の実家の影響である。
アメリーの負の噂は握りつぶしてある。また諍いを起こした貴族一門に対して厳しい罰を与えていた。
スワロウテイル公爵家は帝都だけでなく帝国の大半の商業を牛耳ている。
スワロウテイル公爵の逆鱗に触れれば社会にどう影響するかわからず周囲は強く出られなかった。
聖国へ留学中の公爵家嫡男がまともであるという噂がある。彼が後を継ぐことをただ待つばかりであった。
「第三皇子は秋の狩猟祭へ招待しようと思っている」
すでに皇帝家には招待状を贈り、是非第三皇子カイルに来ていただきたい旨を記載している。
第三皇子を直に見て、婚約を続行すべきか、解消すべきかを決めたい。
皇帝も大公の内心を察して了承した。元々向こうもいずれは説明の為に皇子を公国へ使節として送る予定だったようだ。
皇帝としては公国と血の繋がりを長く続ける必要があった。皇帝家の血縁であるウィステリア公爵家令嬢イザベルをリチャード大公へ嫁がせたのはその為である。
さらに強固な絆を作る為に皇帝の実子である第三皇子と、リチャード大公の長姫を結ばせようとしていた。
第三皇子にソクラス大公を継がせ、帝国と公国の血を持つ大公家を帝国臣下として完成させることが皇帝の狙いであった。
できればこの婚約は解消したくない。
しかし、アビゲイル公女が嫁いだ後、アメリーの存在により不遇の立場へ追いやられればどうなるか。
皇帝の話を聞こうとしない第三皇子、姉である皇太子妃の話を聞かないアメリーは両国の関係にひびを入れることは予想できてしまう。
大事に至るよりも、アビゲイル公女の嫁ぎ先は改めて考える方がよい。
皇帝は次第にそう考えているようであった。
招待状の返事からリチャード大公はそのように解釈した。
「第三皇子に直接会う。もし、彼がアビーを大事にしない男であれば婚約解消の話を持ちかけるつもりだ」
幸いなことに第三皇子とアビゲイル公女の婚約はまだ公に発表はされていない。
既に情報は公国貴族にも、帝国貴族にも広まっているがそれでも公なものとなっていないのである。
今であれば、穏便な形で婚約解消をさせることができるだろう。
「兄上はそれでよいのでしょうか」
帝国との政治に関与する気がないクロードでも、アビゲイル公女の第三皇子との婚姻がリチャード大公にとってどれだけ意味を持つか知っているつもりである。
「アビーには公国の為と幼い頃から言い聞かせて来た。だが、不幸になるとわかって婚約を強硬する気にはなれない……」
第三皇子との婚約解消後は帝国で留学させて、程よい帝国上流貴族と婚約させる。
第三皇子程の相手は見つからないかもしれないが、婚約の話が出ていながら堂々と恋人を囲うような殿方にアビゲイル公女を任せるわけにはいかない。
「アビーはまだ14歳です。良き相手を見つけられるでしょう」
クロードは兄の考えを支持した。自分としても第三皇子の噂を聞いてアビゲイル公女を嫁がせることに疑問を抱いていた。
ライラから話を聞くとアメリーが一番の原因であろう。しかし、彼女と対立するのも億劫であろう。対立せずにすむのであればそれに越したことはない。
「ふぅ、お前がそう答えてくれて安心した」
すでにイザベルと信頼している臣下には話してある。臣下は外交の為にはと微妙な反応を示していたが否定はしていなかった。
「しかし、婚約解消……公なものではないとはいえ、穏便に解消できるでしょうか」
「できれば皇帝家からの話であってほしいな。アビーには何の非もないのだから」
皇帝家のお詫びでもあればいいのだが、リチャード大公としてはアビゲイル公女の今後に響かないのであれば不問にするつもりである。
「多少の融通は利かせてもらおうと考えているがな。帝国との関係は崩さない範囲にしておきたい。ライラの兄が負担に感じるのは本意でない」
ライラの婚約が決まった時に、ライラの兄・トラヴィスはリド=ベル公国に対する外務所属となった。
二国の友好の為に尽力を尽くしてくれており、便宜を図ってくれている。
リチャード大公は理解していた。
「勿論、彼も招待してある。ライラには是非秋の狩猟祭へ来るように伝えてほしい」
彼女の体調が許せば。
そう付け加えられクロードは頷いた。
冬の寒い時期が近づく頃であるが、冬の前にシャフラへ向かわせればいいのだ。
ライラとしても実の兄に出会えれば嬉しいことこの上ないだろう。
兄のトラヴィスはライラをかなり溺愛しているという。結婚式の後にクロードの無礼を怒りライラを連れ帰ろうとした程だ。
会わせて、大丈夫だろうか。
ふと不安になってしまう。だが、ライラが急に帝都へ帰るなど起こり得ないだろう。
彼女はクロードの傍にいたいと言っていたし。
クロードはグラスに注がれた果実酒を飲み干し、兄の部屋を後にした。
途中でライラと遭遇した。アビゲイル公女はもう就寝したようで、戻っているところだった。
クロードの姿をみてライラは首を傾げた。
「お顔が赤いですね。飲みすぎましたか?」
心配している様子で、彼女はクロードの頬に手をあてた。ひやりと冷たく気持ちいい。
「そういったら介抱してくれるか?」
クロードの言葉にライラはしばらく静止した。酔っ払いはあまり好まないのかもしれない。
クロードは今言った言葉を後悔した。
「仕方ないですね」
ライラは笑いながら、クロードの腕を掴んだ。クロードの体を支えるように体をぴたりとくっつけた。
クロードは安心し、少しライラの肩に身を預けた。彼女が支えられる範囲で。




