4 結婚式
ライラも多少の北の国の厳しさを覚悟して、公国にやってきた。
蝶よ花よと生活できるなど期待していない。
大公夫妻の配慮で結婚前に公都の良いホテルに泊まれて、勉強しながらでも観光もさせてもらえて満足していた。
アルベル辺境伯領では魔物と北の異民族との戦いで慌ただしい。
穀物は実るものの領民を養うには充分な量とはいえない。
北は獣以外に魔物を食糧にする選択を取っていたと聞かされていた。
魔物料理は帝都でも食べられるが、珍味扱いでライラが食す機会はなかった。
食べられるのだろうかと不安になりながら公都に来て試食して鶏肉と変わらない味と食感に安堵した。
調理次第で何とかなりそうだ。
公妃に聞けば、クロードの館には公城で修業していた料理人がいるので、材料はともかく調理に関しては心配ないと言ってくれた。
北には傭兵が多く荒々しい性格のものが多いというが、荒れた海をものともしない海の町で過ごした時期もある。
船を漕いだこともあるし、無礼な幼馴染もいた為多少免疫はあるつもりだ。
まさか初対面で魔物の首を見せられるとは思わなかった。
ひょっとして追い出そうとしているのではないか。
それなら、結婚が決まる前に大公と皇帝に言ってくれればよかったのに。
ライラは寝台から起き上がり深くため息をついた。
寝台から出ると少し肌寒い。
窓の方をみるとまだあたりは暗い。日は出ていなかった。
「失礼いたします」
城から訪れた侍女たちはライラの支度をはじめたいと言った。
何の支度といえば、結婚式の支度である。
今日はライラの結婚式であった。
「ええ、お願いね」
気が重たいが、だからといって今更嫌だという訳にはいかない。
湯の張ったバスルームへ案内され、肌をピカピカに磨かれる。肌の調子を確認してローションを塗り、化粧を施され、髪も乾かし綺麗に梳かされる。
クロードは既に準備を済ませて、式場へと向かったという。
公妃が早く来るようにと強い要請があったようだ。何となく理由は察せられる。
――当日まであなたの恥にならないように私が綿密に言い聞かせておくわ。
あの初対面以降に届けられた公妃からの手紙を思い出した。
「ライラ」
3日前にやってきてくれた兄トラヴィスの姿をみてライラはほっと安心した。
10日前のショッキングなものを見てから、悩む日々であった。
兄が駆けつけてくれてようやく心が落ち着いた。
彼としてはライラに「帰りたい」と言って欲しかったようだが、ライラはそうしなかった。
確かに不安はある。
だが、ここまで来て自分の決意を曲げることも許せなかった。
このまま帝都に帰っても待っているのは帝都中からの笑いの種扱いだろう。
一度ならず二度も婚約破棄された令嬢と呼ばれてしまう。
意地を張っても何にもならないのだけど。
馬車で結婚式場へと移動する。公都で一番大きな教会・ルシベラ聖堂だった。
大公夫妻もここで結婚式をあげたという。
馬車から降りると多くの人がライラを出迎えた。彼らの視線が一斉にライラへ集中し、緊張が増す。
「ライラ」
馬車の降り口でトラヴィスはそっとライラに手を差しだした。
ライラはゆっくりと息を吸い吐く。少し落ち着いたところで、トラヴィスに寄り添いバージンロードを歩いた。
美しい歌声の中、一歩一歩歩く。
貴族たちはライラの姿をみてひそひそと話をしているのが聞こえた。
氷姫という単語が聞こえて背筋がひやりとする。
こちらでも噂を聞いた者がいるのだろう。
ごほんとトラヴィスが咳払いすると声の主はすっと消えた。
祭壇の前でぴたりと止まると目の前にクロードが立っていた。
クロードは無表情でライラの手をとり、トラヴィスと位置を交換する。
これでライラはトラヴィスの妹ではなく、クロードの妻になった。
トラヴィスはじっとライラの姿を見送った。
ライラは後ろ髪をひかれながらも、クロードの手を握り祭壇までの階段をゆっくりとあがっていく。
神官が二人に語り掛ける。それにクロードは頷いた。
「誓います」
ライラも同じ答えを示し、二人は神の前で夫婦となった。
◇◇◇
結婚式の後は披露宴が行われた。
帝都ではまずは婚約式を行って、半年後に結婚式を行うのが一般的なスケジュールなのであるがライラの結婚はだいぶ短縮されている。
クロードがいつ戦場へ駆り出されるかわからない為悠長に婚約期間を設けられなかった。
自分だけかと思えば公妃も似たようなスケジュールだったらしいと前日教えられた。
公妃はライラに対して「これが大公家流なのですの」とすごい勢いで謝られ捲し立てられた。
実際は婚約から結婚までの間に花嫁が逃げ出さない為の措置だったらしい。過去に帝都出身の花嫁が逃げ出した例を聞かされてやはりなとライラは納得した。
「大公様、公妃様」
ライラは改めて二人にお礼を申しあげた。結婚式も、披露宴も彼らが手配してくれたのだ。
到着して1か月程度のスケジュールであったが、これを形にするのはさぞ大変であったことだろう。
披露宴も公城で行わせてくれたことを心より感謝した。
「そなたには色々苦労をかけるかもしれない。せめて結婚式・婚約式だけは手を抜きたくなかった」
大公は朗らかに笑った。
「なら半年は婚約期間を設けてあげればよかったじゃないの」
横で公妃がちくりと恨み言を吐く。大公は「あはは」と困ったように笑い続けた。大公は公妃に頭があがらない様子である。
その後は多くの客人の相手をしてダンスの音楽が流れると公妃はじっとクロードを見つめた。
「ん、……私と踊って欲しい」
少しぎこちない態度にライラは苦笑いした。
「喜んで」
ライラが自身の手をクロードへ委ねると、彼は少しだけほっとした表情を浮かべているようだった。
二人のダンスを皆一斉に注目した。
「クロード様、こうしてみると素敵だわ」
「ダンスを踊るなど滅多にみられないわ」
「次は私と踊ってくださらないかしら」
ひそひそと女性たちの話が聞こえてくる。
そうか。
ぱっと見た感じでは確かにこの男は顔も良いし、大公の弟だし、英雄だし女性にもてるだろう。
「あ、すみません」
ライラは慌ててクロードに謝罪を述べた。
ぐさっとクロードの足を踏んでしまった。
結構痛かっただろうと思うが、クロードは全く表情を変えなかった。
全く反応されず心ここにあらずといった具合である。
もしかするとこの披露宴にクロードが気になる女性がいるのではないか。
ちらりと考えてしまった。
確かにいても不思議はないだろう。
自分の結婚は大公と皇帝が勝手に決めたことである。
それはそれで全く面白くないことであるが、クロードとしてもそれは同じだろう。
ようやく終えた披露宴を終えた後、ライラは閨の準備に連れ出された。
ドレスを脱ぐのを手伝ってもらい、既に用意されたバスルームへと入る。朝と同様に肌をぴかぴかに磨いてもらった。
新しく用意されたオイルの匂いがとても肌になじんで心地よかった。公妃のお気に入りの品物だという。ここれも彼女の配慮を感じ取った。
新しく二人用の部屋を用意され、寝間着に着替えたライラはクロードを待ち続けた。
今から行われる内容にライラは落ち着かなかった。
初夜を迎えるのである。きちんと役目を全うできるか心配になってくる。
公妃からは何事も殿方に任せればいいと言ってくれたが、しばらくして少し不安そうな表情を浮かべていた。
先ほどの披露宴でも彼が心あらずな様子で、他に想う女性がいるかもしれない。
いや、それでもライラはクロードの妻としてやってきたのである。とにかく今日を乗り切るのだ。
ようやくやってきた青年はライラの前に立ち、何も言わない。
不安になる。
もし自分に不満があると言われたらどうしよう。
何故もっと早くに言ってくれないのだと言い返してやろうか。
そうなるとややこしいことになってしまうからやめておこう。
くるくると考えているうちに、クロードがようやく声をかけてきた。
「その、すまない」
突然の謝罪にライラは首を傾げた。
「実は先ほど部下から報せが入った。異民族の奴らが、結託して北の砦を攻めていると。魔物を操る者もおり、被害が甚大だ。今日は大事な日だというのはわかっている。義姉上にも言われており、今日は絶対にそなたと夜を共にしないとというのはわかっている。だが、すぐに出発しなければならないのだ」
捲し立てられる説明にライラは情報を整理した。
北の要塞都市ジーヴルは3つの異民族に対して警戒している。
ハン族、アラ族、ジル族と呼ばれている。
ハン族は東の端よりやってきた騎馬民族で、アラ族とジル族は山の民族で北の先住民が二つに分かれたものだ。
互い結託することはないと思われていたが、ハン族に知恵を貸すものが現れたらしい。その者が魔物を操ることができ、北の領地を荒らしまわっている。
「出発するときは奴らも大人しかったのだが、冬の間に知恵をつけたようだ。オズ、私の部下が対応しているから問題ないと思うが、それでも今同胞が厳しい戦いの中にいると思うと」
クロードはぎゅっとライラの手を握った。その手は震えていた。
「すまない。そなたには他にも謝らなければならないことがあったのに」
一つは公都へ遅れてきてしまったこと。
一つは説明もないままマンティコアの首を披露して気分を害したこと。
「また謝ることになった」
クロードはじっとライラを見上げた。
「公都には私の別館がある。そこで好きに過ごして構わない。戦いが落ち着いたらすぐに迎えに来るから……だから、帝都に帰らないでほしい」
最後の弱弱しい言葉にライラは困ってしまった。自分よりも年上のこの青年があまりにか細い少年のように見えてしまった。
「いいですよ。待ちます」
今、一緒に北の方へ行っても足手まといになるだろう。
「でも、あまり待たせないでくださいね」
ようやくそれだけ伝えるとクロードはありがとうとライラを抱きしめた。
「必ず冬になる前までには戻ってくる」
「手紙は書いていいですか?」
「もちろんだとも! 私も書くぞ!」
クロードの声が少し明るくなったように思える。彼は再度謝罪を言いながら、部屋を飛び出していった。
ライラは「はぁっ」と深くため息をつき、大きな寝台の上に寝転んだ。一人で眠るにはあまりに大きすぎる。
「初夜がこれかぁ」
最悪な出会い。
結婚式は何とかなった。披露宴も何とかなった。
初夜はおあずけになった。
これが帝都に知られたら笑い者確定だなと考えてしまう。
だが、こうしている間に魔物の被害が増えていると聞いて、彼と夜を過ごしたいと言えない。
窓の外から人のざわめきとガチャガチャと金属の音が聞こえる。この夜の間にクロードは北へ帰る準備を急がせているのだ。
「一応謝ってくれたし、待つだけ待っておこう」
どうせ帝都に帰る気はないのだし。
翌朝、事情を知った兄トラヴィスを宥めるのに苦労した。
わざわざ差し出した妹の大事な初夜を仕事優先ですっぽかしたのである。
「連れて帰る!」
そういって聞かないトラヴィスを説得して、公妃も手伝ってくれてようやくお帰りいただいた。
さすがに身重の義姉を公都まで呼び寄せるわけにはいかないのでライラは公妃にお礼を申し上げた。
公妃は深くため息をつき、首を横に振った。こちらの方こそ初夜の件でライラの気を悪くさせてしまったと謝った。
ライラはにこりと微笑んだ。
「辺境伯様は北の民の為に戦いへ行かれたのです」
その言葉に公妃はじぃっとライラを心配そうに見つめた。
もちろん不満がないと言えば嘘になるが、それでも仕方ないことだろう。
ライラは数か月の間公都の別邸で一人新婚生活を送ることになった。