5-1 春の訪れ
暗闇の中、少女が叫びこちらへ手を伸ばしている。
まるでこちらへ助けを求めるかのようだった。
北の民族衣装を着た長い黒髪の少女だった。遠くからなのに青い瞳だとわかる。
少女の声に、手を伸ばそうとした瞬間少女の姿は消えた。
硬いものを無理やり狭い場所に押し込んだ鈍い音が響く。
何が起きたかと先ほどの光景を思い出せば闇の中から巨大な獣の口が現れ、少女を丸呑みした。
一瞬だけ見えたが、白い毛並みの大きな獣だった。
獣は何度も硬いものを砕き咀嚼してごくんと飲み込んだ。
満足して闇の奥へと去っていくのがわかった。
「オズワルド様」
呼ばれた声でオズワルドは重い瞼を開いた。薄暗い場所ではなく、窓から光が差し込む自室であった。
起き上がると、自分がいた場所を確認した。
ジーヴルの自分の館で、自分が横になっていたのは長椅子であった。
ここには弟子たちがオズワルドの研究に取り組んでいる。
日頃の館の管理は弟子たちに任せてある。
「申し訳ありません。うなされていたようで」
弟子の女性が心配してオズワルドを覗き込んでいた。
ノーラ・マイラ。
元城の侍女であり、オズワルドに対する振る舞いは師匠というより主人に対するそれであった。
「あ、ああ。ありがとう。もう大丈夫だよ」
オズワルドはへらりといつもの笑顔を見せた。女弟子はじっとオズワルドの顔色を見つめる。
「夢見が悪かったのですか? やはりベッドで眠るべきですよ」
「そうだね。次は気をつけよう」
それで用事とは何だろうかと尋ねると、ライラから訪問の許可を求める手紙であった。
今日は城へ行かず館にこもる予定だと知って手紙を書いてくれたようだ。
オズワルドは快く訪問を受け入れた。
「では、準備しますね」
女弟子はアルベルの女主人が訪れると知るや、お茶の準備をするため厨房へと走る。応接室はどんなに忙しくても普段から掃除していて良かったと心から思ったそうだ。
女弟子が立ち去った後、オズワルドはソファの背もたれに全体重を預けテーブルの上のものを眺めた。
テーブルの上にはアルティナ語で書かれている書類が積まれていた。
3週間前までジーヴルに滞在していたアルティナ帝国の客人のものである。
まだ雪が残る中、二人は国境を越え置き土産のようにオズワルドの館に残された。
再び戻ってくるので置かせて欲しいと言われたのを覚えている。
オズワルドとしても、東の魔物研究家の考えに興味を持ち閲覧・使用自由であることを確認して保存を引き受けた。
ベンチェルは北のハン族の正当なる族長であり、クロードと同盟関係を結びたいと願いシャフラから戻ってきた。
オズワルドとしては北天狐との接触が図れれば良いと思ったが予想外の人物の登場でさすがに困惑した。
同盟関係の書類作成が完成するまでの間、彼はオズワルドの館に興味を持ち押しかけていた。
オズワルドの館には魔物の死体を保存していたからだ。
去年の春の戦でジル族が操ってアルベルで暴れ回っていた魔物の死体である。退治された魔物を適当に3体程館に持ち帰り地下で保存し研究に使用していた。
ベンチェルは必要時以外のほとんどを地下で過ごし、血や肉の状態を観察してメモをひたすらとっていた。
内容をみると興味深い内容であった。
ジル族がどうやって魔物を操っていたか、ベンチェルは答えを出していた。
魅了魔法である。誘惑の術とも呼ばれている。
暴れていた魔物たちの体液を調べると多幸感による反応物質が大量に確認とれていた。
はじめは暴れた衝動に快楽を見出していたからだろうと思っていたが、異性の魔術師によって魅了され彼らの指示通りに動かされていたとは考えなかった。
そもそも種族が違いすぎる。
異種族間の友情や愛情の話は聞いたことがあるが、あそこまで我を忘れる程人間の魅了にかかるとは考えにくかった。
先入観で操る方法が何か思い至らなかった自分もまだまだだなと思いながらオズワルドはジル族の魅了魔法について調べることにした。
ジル族の領域へ調査するように指示を与えた相手はヒリス卿であった。
彼はオズワルドの館にいる妹の様子を確認して、ぶつぶつとオズワルドに愚痴をこぼしながら準備をしていた。
ちなみにベンチェルの支援もするように指示を受けているので、ヒリス卿の仕事量が増えていた。
オズワルドはくだけた調子で「がんばれ。がんばれ」とヒリス卿を見送った。丁度3日前のことである。
「少しずつだけど、目的に到達できつつあるのかな」
ここ最近の出来事に想いを馳せながらオズワルドはそう呟いた。
◆◆◆
シャフラから戻ってきた後ライラの生活は少しばかり変わった。
定期的に治療院からリーゼロッテ女史が診察にやってくることとなっていた。診察にはライも同席しており、二人で意見を出し合っている。
ライは見た目子狐であるが、実年齢が14歳だった。
他の北天狐の年齢がさらに上であり、子供扱いするため相対的に子供らしさが抜け落ちていなかったようだ。
北天狐の長タキが推薦しただけあり北天狐における雪結晶病の知識は十分備わっており、ライの考えている仮説をリーゼロッテ女史は興味深く聞き入っていた。
言葉をもう少し洗練させれば、他の専門家も聞き入ることであろう。
ライもリーゼロッテ女史の治療院に興味を持っており、週2、3回手伝いに行っていた。
「ライは治療院で役に立っていますか?」
「そうですね。治癒魔法や薬草の知識は十分役に立っていますし、雑用もそれなりにこなしてくれます。言葉遣いをもう少し気を付けて落ち着きをもってくれれば言うことがありませんが、意外に患者の受けがいいです」
見た目は8歳の少年の姿であり、治療を手伝う姿は故郷の身内と重なるようである。負傷兵の中ではライを可愛がりお菓子をあげている場面をよく目にする。
「へ、へ、俺はいつだってもてもてさ」
銀髪の少年は嬉しそうにポケットからビスケットを頬張った。
「彼に会えて良かったわ」
裸の状態で誘拐されてしまって大変だったが、今ではすっかり彼に頼るようになっていた。
「ライが持ってきた湯の華は大事な研究材料になります」
北天狐の秘湯からかき集めた湯の華である。ライはそれを改良して、入浴剤にしていた。本物の秘湯程ではないが、似た恩恵を少しだけ受けられるだろうとライは語る。
リーゼロッテ女史はこの湯の華を少し拝借して、研究に取り組んでいた。
「病のことを聞いてどうしようかと思ったけど、あなたたちがいてくれて良かったわ」
「奥様には元気でいていただかなければ。もうすぐできる学校の学長に赴任していただくのですから」
将来的な計画をリーゼロッテ女史は語りだした。
「それで、……あなたは私の病に気づいていたのかしら」
ライラは自分の手の診察をするリーゼロッテを見つめながら質問した。
「クロード様が言っていたわ。シャフラへの旅行を提案したのはあなただと。あなたはこうなることを予測していたのかしら」
リーゼロッテ女史は困ったように微笑んだ。
「そうなってほしくはないと思いました」
初めて出会った時、リーゼロッテ女史はライラの手首が気になったという。小さな赤い斑点がみえたのだ。
斑点の特徴がふと昔聞いた雪結晶病を思い出してしまい、まさかと思いながらもクロードに提案した。
「リーゼロッテ女史は雪結晶病を診たことがあるのですか?」
「ええ、シャフラの治療院へ視察に出た時一人の患者に出会いました」
儚げな女性であった。熱がある時はとても苦しそうにしていて、対症療法が効いた後は穏やかに過ごしていた。
長い闘病生活で疲労感を抱え、足も満足に立てなくなった女性であった。
彼女の特徴的な斑点をみて印象に残っていた。
ライラは自分の手首をみやった。確かにリーゼロッテ女史の言う通りうっすらと赤い斑点がみえる。
目をこらすと六角柱のようにみえる。熱病が出た時は濃くなり、赤い雪の結晶のように浮き上がってくるのだという。
今まで気づかなかった。
母親にもあっただろうか。記憶があやふやで思い出せない。
「診る機会があると思いませんでしたが、シャフラ視察の時が印象的で院長に頼みカルテの一部を写し出させてもらいました」
それがアルベル出身ではないライラの診察に役立つとは予想しなかった。
「院長の考えでは北の民特有の遺伝病か、北天狐由来の風土病かを考えていたそうです」
「む」
ライは少し不機嫌な表情を浮かべたが、すぐに察したリーゼロッテ女史はひとつの仮説にすぎないと付け加えた。
「夫人の例は特殊ですね。アルベルトとは縁のない帝国の貴族一族から出現するとは」
「あ、実は……身内に同じ病だったかもしれない人がいます。私の母ですが」
免疫の病気と言われていたが、今思うと母の病は雪結晶病だったと考えてしまう。
寒い季節になると頻繁に熱病を繰り返し衰弱してしまい、ライラが幼少時に療養の為に温暖な土地イセナで療養していた。
「イセナは母の生まれ育った故郷でもあり、体力的に、精神的に休むのに良い場所だったと考えられています」
「実際診てみないとはっきりできませんね。ですが、夫人の病が母方から受け継いだ可能性はあります」
ライラの母を診た医者はもう亡くなっている可能性があるが、彼の甥が継いでライラの生家のかかりつけを続けていた。
問い合わせして情報を提供してもらえないか確認してみるとリーゼロッテ女史は言った。
「頼もしいです。リーゼロッテ女史がいてくれて良かった」
ライラはつくづく感じ言った。
傍にいたライがじっとライラを見つめる。勿論彼もいてくれてよかった。そう伝えると照れて満足した。
「オズワルド様が機会を恵んでくださったからです」
予想外の名にライラは首を傾げた。
「シャフラは負傷兵の療養として長く愛用されていた土地であり、北の医療事情に詳しい治療院院長もいるから視察に行くようにと提案してくださったのがオズワルド様でした」
リーゼロッテ女史がまだジーヴルの治療院院長に赴任したばかりの頃、忙しかった。冬の季節はジーヴルと周辺の視察だけで手いっぱいであった。
そんな中、リーゼロッテ女史にオズワルドが強く勧めた土地はいくつかあった。
ひとつがシャフラであった。
冬の、雪結晶病の症状が激しい時に行ったからこそリーゼロッテ女史の記憶に強く残った。
まるで雪結晶病を知ってもらうかのような誘導だ。
ライラはふと思った。
シャフラへ出立するときも北天狐に会えたら良いと言っていた気がする。
オズワルドはライラが雪結晶病にかかる可能性を知っていたのかもしれない。
同時にもうひとつ考えてしまう。
もしかするとライラの母が雪結晶病というのも知っていた?
まさかとライラは首を横に振るが、考えると考えるだけオズワルドの言動がそう思えてくる。
リーゼロッテ女史の診察を終えた後、ライラはリリーに頼み馬車の手配をしてもらった。
オズワルドの館へ訪ねたかった。
彼が城へやってくるのを待とうと思ったが、今日は城に来る予定はないという。
ライラは手紙を送り、彼の了承を確認してから部屋を出た。
診察中に大人しくしていたブランシュはライラの傍から離れようとせず、オズワルドの館へ一緒に行くこととした。
久々のライラとのおでかけにブランシュは上機嫌そうであった。
ライラとしてはできるだけ身軽にしておきたかったが仕方ない。
春が近づきつつあるとはいえ外は冷える為、防寒具はしっかりとリリーに取り付けられた。歩くと少し重い。
ブランシュも、抱え込むと少し重く感じる。気づけばずいぶん重くなったように思える。
はじめて出会った時から数か月経過するのだ。ブランシュも成長してきているのだろう。
「アルベル夫人」
廊下を歩いていると呼び止める声があった。
「カール卿、お久しぶりです」
普段は国境の砦に赴任している騎士団長ウォルト・カールである。
今は報告の為ジーヴル城に滞在している。
「冬に体調を崩されたと伺っています。御加減はいかがでしょう」
「リーゼロッテ女史と、治癒魔法ができる傍仕えのおかげで元気になりました」
ライラはにこりと微笑んだ。
「これからでかけるのでしょうか。失礼ですが、どちらへ」
「オズワルド様の館を訪問しようと思います」
何故と聞かれるかと思ったが、彼には詮索する様子はない。
「お許しいただければ護衛の栄誉を与えてくださいませ」
その言葉にライラは少し驚いた。リリーからは護衛の騎士を用意してもらうと言っていたが、カール卿が名乗りをあげるとは思わなかった。
「よろしいのですか? 忙しいのではなくて」
彼の仕事の支障にならないか案じてしまう。
「私は夫人の騎士です。任務の為あなたの傍にいられませんが、ジーヴルに滞在中はあなたの為に動きたい」
ここで断るとかえって失礼だとライラは彼の護衛をお願いすることにした。
「わかりました。よろしくお願いします」
馬車までたどり着き、ライラはカール卿の手を取り馬車の中に乗った。
窓の外をみると馬に乗り馬車の傍を離れないカール卿の横顔が見えた。
ライラは去年の夏の出来事を思い出した。
去年の夏の事を思い出した。彼は娘の不祥事に責任を取るため騎士の位を返上する覚悟であったが、ライラの一声で騎士のままでいられた。その為か、カール卿は騎士の誓いをライラに捧げた。
アルベルの盾と呼ばれるカール卿がライラの騎士になった。
その話はアルベルの騎士たちの間であっという間に広まり、それだけでライラへの見方が変わった。
はじめてアルベルを訪れた時ライラは帝国貴族の令嬢と負の感情を抱かれていた。元被支配者の元支配者への感情である。
今は、カール卿の忠誠心を受けるに値するアルベルの女主人であると認められている。
秋になった頃にはライラを取り巻く環境は随分と過ごしやすい環境になっていた。
カール卿の存在がそれほど大きいと認識させられた。
雪結晶病のことで頭いっぱいになっていたが、アルベルの女主人に相応しくならなければならない。
ライラは改めて自身に言い聞かせた。
窓の外はまだ雪の積もっている部分がちらほらとみられた。
まだ寒くライラの防寒具は解除されていないが、それでも日差しは以前より暖かく、雪解けの隙間から新しい緑の息吹を感じ取ることができる。
冬の大地アルベルに春の訪れの兆しがみられた。




